Q.彼女が犯人でない理由を証明せよ
花座 緑
A.
神様はとても不公平だ。
「探偵役は君だよ、瀬尾優大」
彼女はそう言って、僕を綺麗に指差した。
不運にも、不幸にも、僕はあの日、ある現場を目撃してしまう。
こんなプロローグから始まれば、一体いつ僕が縮んでしまうのか不安になる人もいるだろうけど、残念、僕は縮まない。
ただ少し僕が普通の高校生と違うとするならば、それは俗にいう『吸血鬼』と呼ばれる種族であるという事だけだ。
ニンニクが苦手?十字架が苦手?炎が苦手?ある訳がないでしょう。ただ、あえて言うなら日光が少し苦手だ。
さて、話を戻そう。僕が事件を見たあの日のことだ。
「瀬尾くん、プリント」
「ああ、ありがとう」
配られた白いプリントは急いで作られたものなのか、酷く簡素な文章が数行記載されているだけだった。
時候の挨拶もそこそこに書かれたその文は、最近ここら辺で多発している通り魔事件への注意喚起と対応で、有り体に言えばそこまで重要なものではない。
なぜなら人は皆、自分が当事者になるなんて露ほども思っていないからだ。勿論僕もその一人である。
「怖いね、瀬尾くんも気をつけてよ?」
「そういう須田さんこそ、女の子なら特にじゃないかな」
「あはは、私? ご心配ありがと」
そう言ってプリントで紙飛行機を作り出した須田さんも、勿論僕と同じだろう。
しかし、その日の僕はどんな気紛れかプリントを読んだ。そこには一週間ほど前から通り魔事件があること、その事件の被害者はみな一様に傷があるにも関わらず、まるで被害者を風呂に入れ、現場を掃除したかのように血痕がなかったことが書かれていた。
「本郷は今日も休みかー」
「キタセン、早くお見舞い行ったげてよねぇ」
「行ってる行ってる、でも本郷の奴どうも様子がおかしくてな、みんなもお見舞いに行ってやれ」
キタセン、と呼ばれているのは僕らの担任で、本名は北本和也。その麗しい容姿と親しみやすい性格で主に女子生徒から人気だ。
ちなみに話題にあがった本郷さんはどこか大人びた雰囲気の女の子で、一週間ほど前から学校に来ていない。
「灯里、大丈夫かな」
「須田さんは本郷さんと仲が良いんだっけ?」
「うん、でも灯里、私がお見舞いに行っても風邪としか言わないし……」
「それは心配だね……そうそう、次は家庭科で調理実習をするみたいだけど、須田さんも早く行かないと」
「あ、私これから用事で家に帰るの、もしお菓子作ったら絶対わけてよね?」
「それは保証できないかなぁ」
むしろ僕が今日学校に来ているのはそれのおかげだと言っても過言ではない。
甘いものは世界を救う、それでいいじゃないか。
▲▼
調理実習を終え、お菓子を手に入れた僕の気分は良い。
そうしていると、北本先生に呼び止められた。
「瀬尾」
「何ですか?」
「いい気分のところ悪いんだが……今日俺は午後から予定があってな、本郷の家にプリントを届けて欲しいんだが」
「いいですよ」
「本郷の家はわかるか?」
「わかりますよ、1度だけ須田さんと通りかかったことがあるので」
あの時の須田さんは妙に寂しそうに見えたけれど、本郷さんと喧嘩でもしていたのだろうか。
「そうだ、先生」
「なんだ? 」
「首の包帯大丈夫ですか?」
「あー……お前な、男ならわかるだろ、モテる男の苦労がさ」
「先生、不真面目です」
「俺は不真面目でいいんだよ」
高校生に何言ってんだこの先生は。
そうして僕は本郷さんへのプリントというアイテムを持って、学校を出た。
普段なら僕は学校を出て真っ直ぐ進むのだけれど、今日は右折した。
本郷さんの家はそこまで遠くない。だからこそ僕が選ばれたんだろうけど。
右折した後、住宅街に入る。近道をするために、もう一度右折して細い路地に入った。
その時だ。パキリ、と自分が何かを割った音が頭に響く。嫌な予感がする。
「ご機嫌よう、瀬尾くん」
「……本郷さん」
そこに立っていたのは本郷さんだった。
そしてその足下には、傷だらけで倒れている北本先生と、須田さんがいた。
この場に留まるのは危険だ、と本能が言っている。見なかったフリをして立ち去るのが賢明だとも言った。
「本郷さんに届けなきゃいけないプリントがあったんだ、これ、それじゃ、しっかり渡したから」
早口でそう言って、立ち去ろうと踵を返す。
「待ちなさい」
「……何かな?」
「もうわかってるんでしょ?」
本郷さんは綺麗に僕を指差した。
そうして物語は冒頭に戻る。
▲▼
「探偵役って一体どういうことかな?」
「一連の事件の犯人が誰か、解き明かす役割だ」
「そうか、残念だ、この世界にミステリーは向いてない」
「わかっているよ、私や……瀬尾くんのような存在がいる限り、この世界はどうしようもなくミステリーには当てはまらない」
「わかってるなら僕は帰っても?」
「いくらミステリーの定石を破って過程がどんなにファンタジックであっても、事件に犯人がいて、殺害方法があることには変わらない」
「犯人ならわかってるよ」
半ば投げやりに、僕はその言葉を絞り出す。
いつも探偵が推理をして、証拠を集めて犯人を出すとは限らない。
メタ推理で犯人を導き出しても可笑しくないだろう。あの人には被害者を殺す動機がある、だから調べる、これが基本だ。
「さすが瀬尾くんね、もう少し焦らしても良かったのに」
「焦らしプレイをお望みかい? なら方法から話そうか」
「ええ、そうしてくれる?」
「ただ今から話すのは何の確証もない、状況証拠からの憶測だ……僕は高校生探偵ではないからね」
「大丈夫よ、さあ答え合わせといきましょう」
一連の事件には、共通点があった。
「傷があるにも関わらず、血痕がないこと、これは普通、死体をお風呂に入れて、現場を掃除、もしくは死体を綺麗にした後移動させたことになる」
「死体とお風呂なんてロマンティックね、ネクロフィリアかしら」
「本郷さんって意外とエグいよね」
これらの状況を作りだすということは、犯人が非常に特殊な人間であるということになる。アリバイ工作にも、死亡推定時刻をずらすことにもなっていないからだ。
「そう、今話したのは人間なら、の話だ」
「人間なら、ね」
「これを引き起こしたのがある種族なら話は別だ」
「いよいよファンタジックじみてきたわね、好きよそういうの」
「せめてミステリーであるべきだったと思うよ……」
血痕を残さない種族。傷は恐らく人間の仕業と見せかけるためのフェイク。だから、隠そうと、犯人にはそういう意志がまだ残っている。
「その種族っていうのは、吸血鬼だ」
「そうね、吸血鬼なら血痕を残すことはない」
「さらに言えば、血の吸い過ぎで相手を死なせてしまう、まだ人を殺してしまったことを隠そうとするということは、多分、元人間で最近吸血鬼になったってことだ」
「先に言っておくけれど、私は吸血鬼ではないわよ」
「だから僕は犯人を知っている」
基本、吸血鬼の感情は人間とは違う。人を殺してはならない、という法は知っていても、人を殺したところでそれを隠さなければという感覚はない。
吸血鬼ならではのメタ推理ではあるけれど。
「だから犯人は——北本先生だ」
だからこれはミステリーにならない。
吸血鬼が吸血鬼をわからないなんてこと、あるはずがないのだから。
「今日北本先生は、須田さんを襲ったはずだ、人を殺してしまうほど理性がないということは自分の生徒の判断もできないはずだからね」
「だから咲はここに倒れている、と」
「北本先生は恐らく本郷さん、君がやったんだろ」
「正解よ、さすがね」
「北本先生を吸血鬼にした吸血鬼は相当彼を恨んでいたんだろうね、完璧な吸血鬼にはせず、人間の気持ちを残したまま、人間を襲うしかないようにした……呪いだね」
そして最後は、自分の生徒を殺してしまった。
僕にはまだ解決していないことがある。
「本郷さん、君は一体何者なんだ?」
ただの女の子が、不完全とは言えども吸血鬼相手に無傷でいられる訳がない。さらに言えばこうして先生を地面に転がすことも出来ないはずだ。
「そうね、瀬尾くん、今から私がすることは内緒よ」
そう言って本郷さんは倒れている須田さんに手をかざす。僕には理解できない言語で何か呟くと、須田さんの体が光の粒となり、再構築されていく。
光の粒が形作ったのは、1匹の梟だった。
「改めまして、私はミネルバ、よろしく」
「……会えて光栄だよ、女神様」
ローマ神話の神、ミネルバ。知恵の神でもある彼女が、この事件の犯人を知らない訳がなかったのに。それでも僕を呼んだ。ということは、僕の本当の役割は探偵なんて滑稽なものではないのだろう。
「先生のことは吸血鬼に任せなよ」
「勿論そのつもりよ、付き合わせて悪かったわね」
「……須田さんが本当に大切なんだ、女神がこの世界のルールにそう簡単に干渉していい訳ないだろ?」
死んだ人は生き返らない。そう決められたこの世界のルールを破ることは女神でも許されていないはずだ。
つまり全ては須田さんをミネルバの梟にするためだけに用意されたものだった訳だ。
「そうね、だからそろそろお暇するわ」
ミネルバの梟が、黄昏に飛び立っていく。
「探偵という役割にしたのも、このシーンのためよ」
笑顔を浮かべて、そう言葉を残して彼女も消えた。
ミネルバの梟、哲学は、過ぎ去った時代精神を後から取りまとめ、人に見えるようにする。
探偵は、起こってしまった事件を後から推理して、誰にでも分かるように明らかにする。
「なるほど、よく似てる」
僕は黄昏の空に向かって、笑みを零した。
Q.彼女が犯人でない理由を証明せよ 花座 緑 @Bathin0731
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