1st day - 無間機餓
#4
“Game Start”
*
「…………?」
肌から伝わるヒンヤリとした感触に、汚泥に埋もれていた少年の意識が這い出てくる。起きると同時に反射的に手の甲で口を拭った。
ざらりとした手触り。
「…………ッ!」
次に喉に違和感。砂の感触がねっとりと喉に纏わり付いている。どうやら口の中にまで砂が入っていたようだ。ざらざらとした食感。非常に気分が悪い。
「ッがッ!? ウェッ!! げほッ! げほッ!」
たまらずに
「ぺっぺっ! ……ふぅ」
口の中に違和感はまだ残るが、少ししたら落ち着いたようだ。
次に少しずつ、意識を外へ向ける。そこは暗い部屋だった。ぴちゃ、ぴちゃと水が滴り落ちる音が部屋のどこからか聞こえてきた。
眼球がぴくぴくと痙攣している。寝起きだからだろうか、意識がまだはっきりとしない。
「眠っ……」
瞼が重い。抗いがたい誘惑から独り言が零れ、それを何とか振り払う。いつの間にか手に握っていた眼鏡を掛け、未だ朦朧とした意識のまま立ち上がった。
「ここ……どこだよ……」
ふらふらとした足取りでわずかに差し込む光に向かい、歩き始める。さながら灯火へと誘われる蛾のようだ。
体が鉛を背負ったかのように重い。そのまま光のある方へ歩み続ける。よく見ると、そこはどうやらこの建物の出口らしい。少しでも現状を理解しようと、知らず運ぶ足が速くなった。程なくしてその場所へと辿りつく。
「…………へ?」
そこで見た光景に、少年の口から間の抜けたような声が出た。
そこは……
「なんだよ……これ……」
少年は眼前の光景に目を見開く。眠気は水をかけられたように一瞬で消え去った。
「なんなんだよ…………」
視線を巡らす。世界が広がっていく。
肌を焼くような太陽。少年が知るそれよりは随分と大きい。砂混じりの風の音だけが虚しく聞こえる。
たくさんのモノが目に映る。しかしそれは、どれもが無いに等しい。広がっているはずなのに、息が詰まりそうな閉鎖感。目に映るモノ全てが
見渡す限りの廃墟の山。吹きすさぶ砂塵はそれらを全て覆い尽くし、灰色に染め上げていた。
……そこは、既に終わった世界だった。
*
「名前、睦月ハカナ。十七歳。高校二年。両親は既にいない。父は物心付く前から、母は二年前に他界。
えーと、それから。成績は中の中、スポーツも特に得意なものもない」
少年――ハカナはマンションだったと思わしき廃墟の一室にいる。これもまたボロボロのソファーに腰掛け、一通り放心した後に思い出せる限りの自己確認をし始めた。
おまけで大した特徴もない自分のスペックに若干傷付く。しかし、今は気にしている場合じゃない。
とりあえずは記憶喪失とか、そういう類のものではなさそうだ。
「いつものように朝起きて、学校に行こうとしてそれから――」
そこで言葉が濁る。
「――それから、えーと、……どうしてこうなってるんだ?」
いつもの登校の途中から記憶が途切れ、先ほど起きたところまでに繋がってしまう。
自分が今着ているものも学校の制服だ。あれから起きた場所に戻ったりもしたが、他に何もなかった。着の身着のままだ。
せめてスマホがあればとも思ったが、学校の規定で校内での使用は許可されていない。登校する時はいつも決まって鞄の中に入れていた。ハカナは自分の生真面目さを恨む。
古典的だけれど、とりあえず頬をつねってみる。ぎちぎちぎち。
「……痛い」
やっぱり夢じゃない。
「夢じゃない。うん、確かに夢じゃないなぁ……。はぁ……」
落胆して溜息を吐きながら、再度見回し、辺りの情景を確認する。
かつてはマンションだったものが密集して造られた、
崩れた箇所から覗く一室は野晒しにされ、中まで砂の色に染め上げられている。
廃墟、廃墟、廃墟。
ちっぽけな自分だけが世界に取り残されていると錯覚する。人影どころか他に何も見えない。何処までも続く、人が『居た』というだけの光景。
昔読んだ漫画を思い出す。遙か未来に旅立った、自分よりずっと年端もいかない子供たち。ずっと未来の、こんな荒廃した世界で生き足掻こうとして……その結末を思い出したところで頭を振り、嫌な妄想を消した。ぞっとしない。
「なんでこういう時にホラー物を思い出すんだ、僕は……」
自分で自分を責めても仕方ない。
「……僕もその話と同じように、タイムスリップしてしまった?」
馬鹿げた話だと思うが、自分の置かれた状況を考えたらそう思ってしまう。
「どうせなら、もっと前の時代がよかったなぁ……例えばそう、中世とか? あぁでも、トイレとか無いんだっけか……流石にトイレが無いのは嫌だなぁ……あはは……」
ハカナは自嘲気味に笑う。目の前の現実はそれほどまでに突拍子もないことだった。
「あは、はは……はぁ……」
一人だけの冗談は虚しい。せめて誰かいたらなぁ……
「とりあえず、だ」
彼は意を決してソファーから立ち上がり、制服に付いた砂を払う。夢でない以上、何もしない訳にはいかない。
「……他に誰かいないか探してみよう。
もしかしたら他に僕みたいな人がいるかもしれないし……生き残って、どこかで生活してる人がいるかもしれない」
頭に浮かんだことを口に出し、頭の中で反芻する。
そうだ。それなら少なくとも誰もいない世界で、一人で孤独に野垂れ死ぬ、なんて最悪なことはならないだろう。
『人類が既に滅んだずっと未来』という可能性を無理矢理に頭から引き剥がす。
そんな風に虚ろな希望にすがらなければ歩き出せる気がしなかったのだ。
こうして、地獄を知らない少年は己の『恐怖』から目を逸らし、この小さな箱庭の壊れた世界への一歩を踏み出した。
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