#3

“Welcome To The Inferno”



 *




 少年たち……自身の『兵隊』たちが犠牲になる様子をただ見ていた少女は我に返る。彼女は人喰い機械の怪物を睨み、何事かを叫んだ。

 その叫びをきっかけに機械の一部、虚ろな目をする少女の体に異変が起きる。華奢な体がビクンと跳ねた。彼女の仲間だった者たちと同じように、体が徐々に水分を失い、ミイラと化し始めたのだ。苦痛によるものか悲鳴が上がる。


 その様子を見て、もう一人の少女は再び嗤った。機械を操る少女が怪物であれば、彼女もまた似た力を持つ化け物だった。ドクン、と心臓の鼓動が胸を打つ。

 彼女が自身を作った神様ちちおやより与えられた力。それは、人間の体に流れる血液を奪う恐るべきものだった。生きた人間は彼女に近付くことすら叶わない。


 機械の怪物の動きは徐々に緩慢になっていき、あれほど瑞々しかった姿も、もはや見る影もない。完全に乾ききったミイラのような、仲間だった青年たちと同じ姿に成り果ててしまった。体に繋がる機械の怪物もぴくりとも動かない。それを見て、嗤う少女は勝利を確信する。


 ――――このまま、このまま、勝利すれば。


 ――――まだ私がこの『ゲーム』の勝利者になる目は潰れていない。


 ――――私さえ死んでいなければ、いくらでもやり直しは利くのだから。


 そう考える中、彼女の体にも異常が起きる。胃に違和感が生じ始め、堪らずにそこに溜まったものを吐き出した。

 朱色の華が、辺り一面を彩る。

 彼女のものではない、誰のものとも知れない血液が口から止めどなく流れ出る。彼女の体積をも超えかねない尋常ではない量だ。鉄錆の味と臭いが彼女の口内に満たされる。それは彼女自身をも朱に染め上げた。


 ――――……気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い――!


 湧き上がる不快感に朱色の少女は目に涙を浮かべる。吐き出されていた赤い液体はやがて止まったが、それでもなお、彼女は吐き出そうと嗚咽をし続けた。


 ――――家に帰って、シャワーを浴びたい。この後やらないといけないこともたくさんある。


 ――――最優先は失った『兵隊』たちの補充。……良い『コナトゥス』を持ったヤツを引き当てられると良いんだけど……


 ――――………………?


 そこまで思考したところで彼女は異常に気付く。血を吸い尽くしたはずの少女の亡骸がなくなっていたのだ。

 一体、何が……? と、彼女は辺りを見回し、再び驚愕した。




 それは動かずに、そこに在った。在ったのだ。

 人であった部分は全て別の物に入れ替わり、蠢いている。体の全てが機械に成り代わった正真正銘の怪物。朱色の少女の目が大きく見開かれる。

 機械の怪物は獣のように、一人残された少女へとにじり寄る。彼女がその身に宿る力をいくら発動させても怪物は止まらない。突然の出来事に、彼女は混迷に引き摺り込まれる。


 何故? 何故? 我知れず疑問が口を衝ついて出た。

 彼女には理解出来ない。それは彼女が知り得ない道理だからだ。

 怪物の体には、人間の血液など流れていなかったのだから。




 逃げようと身を返した時にはもう遅い。逃げ場は既に塞がれていた。蠢く機械。

 朱色の少女の表情が恐怖に染まっていく。


 ――――こんなはずでは。こんなはずじゃ、なかったのに。


 後悔、懺悔の言葉を目前の怪物に投げつける。


 ――――お願い。やめて。来ないで。助けて。ごめんなさい。


 しかし、機械の怪物は止まらない。


 少女“だった”ものが神様ちちおやから授けられた力は『人喰い機械化』。

 その力によって生まれた無慈悲な顎が大きく開らかれた。ゴウゴウと音を鳴らし、その様相はさながら圧搾機。自らの役割だと言わんばかりに空の口が咀嚼を繰り返し続けている。


 全ての手段を失った朱色の少女は、諦念を浮かべ、嗤う。

 この先、自身に訪れる運命を。行き着く結末を、ただ、ただ、嗤う。




 次の瞬間、朱色の少女の体は足を残し消えていった。




 *




 食事を終えても、少女だったものは飢えを満たすことが叶わない。飽くなき欲求が彼女を蝕み続けている。抗い難い『饑餓きが』の衝動は彼女を狂った獣へと変貌させていく。満たされぬ衝動のままにその身を捩らせ、朽ちた室内はされるがままに破壊されていった。


 荒廃したビルの壁は脆く、簡単に崩れ落ちる。外の光が暗かった部屋の中に差し込み、砂混じりの風が部屋の中に流れた。ふと、光が差し込んだ先にあるものに、少女だったものは気がついた。

 世界に静寂が訪れる。砂の灰色が世界を染め上げる。


 ……そこにはミイラとなったリーダーの青年の体があった。目を閉じていて、かつての姿も失い、もう動かない。それでも確かに大事な彼だったもの。映写機に映されたように世界がコマ送りに動いていく。這うように機械の怪物となった少女は青年の体に近づき、身を寄せる。


 それは彼女にとって一番大切な存在だ。

 大事なものを与えてくれた。大切なことを教えてくれた。

 愛おしむように、機械となった腕を彼に伸ばす。




 ―――そして。


 自らの狂気に呑まれ、正気を失った今の少女の目にはそれが。……それが、ただの、極上の肉塊ごちそうにしか映らなかった。

 少女だったものの世界が朱い色彩に染まる。そしてすぐに別の色味によって上塗りされる。灰色掛かった褪せた色彩。

 ……繰り返し、悲痛な叫びにて誰かが云う。




 ――――この世界は、地獄だ。




 *




 その世界は既に滅んでいるように見えた。

 太陽は中天に座し、じりじりと身を焦がすような光がその大地を焼いている。

 時折、思い出したかのように砂を含む乾いた風が吹き、熱を持った空気を撹拌かくはんさせていく。砂混じりの風の所為で視界が非常に悪い。陽光と砂風が入り混じる空間。まるで、汚泥で濁った水の底のような――――


 ――――灰色だ。

 色彩は色褪せていて、全ては灰色に染まっている。

 かつては都市と呼ばれていただろう、それに相応しい面影が残る廃墟たち。高い構造物はことごとく折れ、低いものも所々が崩れている。寂れた街中には人の歩く姿など見えるはずもない。




 そこは、全てが終わった後の世界だ。




 惨劇が行われた場所より少し離れた廃墟の中。

 そこには地獄をまだ知らない、一人の少年が横たわっていた。




 これは数多ある夢の一つの結末。既に終わった後のものだ。

 命は叫び、魂は震え、心は抗った。それでも希望のぞみは遂に潰えた。

 全ては泡沫うたかた星辰せいしん揃いしこの世にて。

 主はそらに在りて、世は全てこともなし。


 少年は慟哭どうこくする。

 自らの結末を否定する。

 そうして彼は結末の希望のぞんだ。


 ならば、この世界ものがたりは悲劇ではなく――――




 ――――喜劇コメディア、と呼ぶしかないだろう。

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