joker
星野 驟雨
コロスケホッホ
街の明かりが空に昇って月夜を彩り始めた時分。
蒸し暑さの残る風を家に招いて扇風機で攪拌する。
こんな日の贅沢と言えば、アイスクリーム。
しかし、一つしかない。こういった時に毎回行われるのがババ抜きだった。
まあ、彼女に勝つことなどほぼ不可能なのだが。
それでも受けて立つのは、彼女とのこの時間がとても好きだからだ。
カードを配り終える。既に番いのものを振り落とす。
前哨戦は適当に話しながら進めていく。
「そういえばさ、なんでアイス一個しかないの」
「一つしか買ってきてないから」
「なるほど。策士だな」
「貴方だって好きでしょ?」
片眉を上げて一枚目のカードを引く。
「もちろん」
「物好きね」
「お互い様だろ」
「心外だわ」
この闘争は彼女によって仕掛けられる。隔週一回だ。
最初は文句を言っていたが、クセになってしまい、今では様々な返しをするようになった。
「感性の違いか?」
「売れないバンドですか?」
「夢は叶ってるからなあ」
「気障な人」微笑みながら片手に持ったカードで口元を隠す。
「雅なことで」
「似合ってるでしょ?」
沈黙は肯定を意味する。事実、その姿はとても艶やかで生唾を飲みそうになった。
少しずつ削られていく手札。合わせるように鼓動が高鳴る。
「あと少しね」
「今日こそは負けないさ」
「私に勝てるとでも?」
「負けなきゃいいのさ」
「屁理屈はごめんよ」
「出鱈目な強さもごめんだけどな」
「貴方がわかりやすいだけでしょ」
「俺そんなわかりやすいか?」
「ええ。それはそれは」
その言葉にある考えがよぎり、思わず顔がほころぶ。
「どうしたの?」怪訝そうな顔で見つめる彼女が愛おしい。
「いいや~?」察しの良い彼女ならそろそろ気づくだろう。
「……いいじゃない」
薄らと頬を染める彼女を見ていると下腹部が熱くなる。
「俺も好きだぞ。愛してる」
「……ありがとう」うふふ、と口元を隠して笑う。
でも、と彼女は前置きをする。
「これは勝負よ。わかっていらっしゃって?」
豹のような視線で見透かしてくる。
「言われなくとも。負けたら買いに行くさ」
戦おうとする意思がなかったなら?彼女は見抜けるのだろうか。
今日一度も俺の手札からジョーカーを引いていないのが気掛かりだが。
積み重ねられたカードの上で、とうとう最後の二択になった。
ここからが本当の勝負だ。
お互いに見つめ合う。
彼女が音もなく、俺の後ろからカードを覗き込んでいるように感じて、カードを伏せる。
「最後に教えてくれないか?」
「一つだけね」
「どうやって見抜いてるんだ?」
「今度教えてあげる」
「そうかい」
交渉は決裂した。
――勝つか負けるか。
西部劇のような心持ちになる。
チク、タク、と無機質な音が木霊する。
表情一つ変えずに彼女の動きを待つ。
口の中が渇いていくが喉は動かさない。
長い睨み合いの果て。
手元に残された最後の二択から、彼女が遠慮なく引いていく。
――手元に残されたカード。
「まったく。君には敵わん」
大きく溜息が漏れる。
「君はフクロウみたいだな」
「ええ。貴方に不幸を届けに来たわ」
「……カラスにでもなってやろうか」
「黒星がお似合いのようね」
艶やかな瞳で、挑発されては、笑うしかない。
「それじゃあ買ってくるよ」
「いってらっしゃい。ついでにお酒もお願い」
「仰せつかりました、麗しの君」
むせかえるような青春の残り香と夏を吸い込んで、外に出た。
しかし、フクロウか。
相手を隅々まで観察するのは彼女の癖だった。言い得て妙だろう。
コンビニで、アイスクリームと酒を買う。ほろ酔い程度だ。
帰りの道にてフクロウを思い返す。
コロスケホッホと良く通る声が内側で鳴く。
負けてしまったが、今日はいつも以上に彼女を観察してみよう。
そしてあわよくば、反撃の機会を。
「ただいま」
「おかえり」
彼女はアイスクリームの蓋を開けたところだった。
酒を渡し、対面に座る。乾杯し、一つ呷る。
彼女を注意深く見つめてみる。
いつもと変わらないように思えるが、いつもと違っているような気がした。
女性は小さい変化が多いと聞いたことがある。
髪の長さや着ている服や小物に変化がないか目を凝らせば、一か所違うことがあった。
鮮やかな桜色をしていた指先。
先程も見ていたというのに、今になって気付く。
「そういや爪綺麗だな」
「ようやく?」
なら、彼女はどうだろう。
「じゃあ、俺の変わったところあるか?」
「特にはないけれど、野鳥観察の趣味もないから、フクロウのネタは今日あたり調べたものだと思うわ」
「ご名答。すごいな」
フクロウのネタは今日調べたものだったし、野鳥観察の趣味もない。それに、特に変わったところなんてのはない。彼女がどれほど俺を見ていたかわかる。
この観察力の差では勝てないのも当たり前だ。
「当たり前でしょ」
「それもそうだな」
適当な前置きをして告げる。
「今日は一段と綺麗だ」
「本当に気障ね。愛想尽かされるわよ」
「昔からこうだっただろ?」
「それもそうね」
――それに、それが面白くて傍にいるのだけれど。
「ねえ、貴方」
「どうした」
「明日休みよね」
「ああ」
彼女の悪戯な、しかしどこかいじらしい微笑みから察する。
休みなんだから、少し遅く起きるぐらいがちょうどいいだろう。
机の上に手放された『ジョーカー』が笑っていた。
切り札はフクロウ。それが彼女の強さだった。
そして俺の武器になった。
掠れて二人にしか聞こえないフクロウのさえずりが響いていた。
joker 星野 驟雨 @Tetsu
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