切り札以上、好き未満
雪波 希音
きっと“切り札”ってだけじゃない
世界史なんて大嫌いだ。
「はい、ではこれを明後日までに提出してください。分かりませんでしたーとか空欄はなしですからね」
真面目な顔で言う
そして、強く思うのだ。
――
◇◆◇
「フクロウ!」
ガチャッとドアを開けると、ベッドに寝転んでいた男がこちらを見てため息をついた。
「お前な……入る時はノックくらいしろっていつも言ってるだろ」
「いいじゃん別に。で、今暇だよね」
「……暇だな」
フクロウが軽く息を吐いて、左手に持つスマホの電源ボタンを押した。
そして、仰向けの体勢から起き上がる。
「今日は何だよ」
「今日はねぇー……」
ルームテーブルのそばに座り込み、リュックを床に下ろして中を漁る。その間に、フクロウが私の向かいに腰を下ろした。
程なく私はクリアファイルを取り出して、目的のプリントを引き抜きテーブルに叩きつけた。
「これ!河野に出された!明後日までだって」
「河野って……あーあいつか。いつもの世界史の」
「そう!!ほんっとにうざい、課題も毎回英語だし!世界史どこいったって感じ!」
思わず不満を炸裂させてしまうが、フクロウは気にした様子もなくプリントに目を通している。
フクロウ――本名、
高校二年生の私と大学二年生のフクロウは、家が三軒挟んで隣にあって、家族ぐるみの付き合いがある、いわゆる『幼馴染み』だ。
しかも全く同じ保育園、小学校、中学校、高校を通ってきている。そのため、学校で何か分からないことがあったらフクロウに聞けば分かるのだ。
まぁ、世界史とか、国語の先生とかはフクロウのときから替わってるから、その二教科はフクロウも手探りで解くみたいだけど。
「……むずいなこれ。適当でいい?」
「いいよー。自力で解いた感出るし」
「ん。えーっと、まず文章を要約……?うわ……鬼畜……」
「ほんとそれな」
配られた時に見たが、A3のプリントの左面には英文がびっしりと詰まっており、右面も三分の二くらいまでは英文がある。残りのスペースに問い(もちろん英語)が三つと解答欄が設けられているが、記号問題はなくすべて記述。それも日本語で。
「んー…………」
ぶつぶつと英語を呟きながらもうシャーペンを動かしている真剣な顔をぼうっと眺める。
……見てたら邪魔になるかな。でも、他に見るところもないし、スマホするのは礼儀としてダメだし……。
色々思いつつも見つめていると、フクロウが視線に気付いた。
目が合って、咄嗟に謝ろうとすると、それよりも早くフクロウが言った。
「今度はお前が暇になっちゃったな」
そう屈託なく微笑まれて、なんだか気が抜けた。
本当に何も気にしないというか、何でも許してくれるというか。
――……私にぴったり、というか。
いやいやいや今のなし。違うの、別にフクロウと付き合いたいとかそういうのじゃなくて。
ごめんフクロウ、ちょっとミスっただけだから……。
「ん?何険しい顔してんだお前」
「いや……ごめん」
「?」
フクロウは不思議そうな表情を浮かべたが、特に追求してこなかった。
再び課題を解き始め、私はその様子を眺める。
数分後。
「終わったぞ」
「さっすがフクロウ!!ありがとー!」
差し出されたプリントを満面の笑みで受け取って、すぐクリアファイルに入れる。
そんな私を見つめ、フクロウはどこか心配そうな声音で「いつも言ってるけど」と話し出す。
「分からねーって頼ってくるのはいいけど、最初から俺をあてにするのはダメだぞ?俺のことは最終手段みたいに思ってねーと」
「わかってるよ!頼りになります、“切り札”さん」
ニコッと笑いかけて、自分のスマホを横持ちする。
「
「はいはい」
フクロウが呆れ気味に笑い、ポケットからスマホを出して横持ちする。
「戦野」というのは「戦野行動」の略で、オンラインのサバイバルゲーム。こっちでもフクロウは“切り札”になる。まじで、めっちゃ上手いの。ほんと。
「敵いた!」
「見えてる」
「っわ、ナイスー!」
「おー」
銃で遠距離から敵を仕留めたフクロウとハイタッチすれば、パンッと小気味良い音が響く。
触れた掌が熱いとか、……そういうことは、ない。
◇◆◇
ある日のSHR。
「うわ、わかんねー……」
回ってきたプリントを見て思わずぼやく。
すると、隣の席の
「オレ教えよっか?数学得意だから」
「え?あー……いや、いい!私、切り札がいるから」
笑顔で語尾を弾ませる。
黒板を向いた私の脳内には、プリントと真剣に向き合うフクロウの顔が浮かんでいた。
◇◆◇
「フクロウー!」
バーンッとドアを開ける。
いつもより少し元気に登場したためか、ベッドの上のフクロウが一瞬ビクッと揺れた。
「……今日も元気だな」
「高二らしくないって?知ってる。数学教えてー」
「ん」
フクロウがベッドから降りて、隣に座ってくる。
大学入試で選択しない予定の世界史と違い、必須科目である数学は、ただやってもらうのではなく、教えてもらいながら自分で解くようにしている。後々苦労したくないからだ。
しかし、理解力に乏しいので、毎回フクロウを唸らせてしまっている。
「ん゛ー……なんて言えばいいかな……つまりな」
でも、フクロウは私がわかるまで根気強く教えてくれて。
「……あっ、できた!」
「おー!やったじゃん!」
答えを出せたら一緒に喜んでくれる。
フクロウの嬉しそうな笑顔を見ていたら、もっと嬉しくなってくるから、不思議だ。
「あ、ちょっとごめん」
スマホの着信音がして、フクロウは一言断りを入れてから電話に出た。
「もしもし?どした……え、今から!?」
不穏なワードに鼓動が速くなる。
「今から」何?どっか行くとか?まだ五時半だし、ありえなくもないけど……。
「……や、暇……じゃねえんだよ、ちょっと」
やっぱり遊び関係らしい。ちら、と迷うような目で見られて、私は首を振った。
大丈夫、という意味を込めて。
「いいよ行ってきて。今日もありがとう。残りは三嶋に教えてもらうことにする」
ニコッと笑って、送り出すように言う。
そして数秒、沈黙が流れた。
……あれ?なんで「行く」って言わないの?本当に行っていいのに。
疑問に思っていると、予想外の言葉が鼓膜を揺らす。
「悪い――行けねえ。俺、さくらの“切り札”だから」
思わず、ドキッとしてしまった。
……フクロウはあんまり、私の名前を呼ばないから。
「じゃあなー」
画面の向こうで相手がまだ何か言っているようだったが、構わずフクロウは通話を切った。
「……よかったの?」
「あぁ、別にいいんだよ。大学生なんか暇してんだし、いつでも遊べる」
「……確かに、いつ来ても暇そうにしてるよね」
私がここに来た時のフクロウを脳裏に浮かべながら言った。
たまーにレポート作成してるけど、それ以外はほぼベッドでスマホしてる。
「そうそう。だからいいんだよ。お前の課題は期限があるだろ。そっち優先しねえと」
「なるほどね。じゃあよろしく」
「おう」
そうして数学を再開する。
問題を目で追いつつ、私はこっそりフクロウを盗み見た。
“なるほどね、じゃあよろしく”なんて、少し素っ気なく返したけど。
私のためにここに残ってくれたこと、実は結構――嬉しかったよ。
◇◆◇
翌日。
講義室で席に着いているフクロウのもとに、一人の男子高校生が駆け寄ってきた。
「はよーフクロウ!っはー間に合った!」
ドサッとフクロウの隣に腰を下ろす、フクロウの友人、
昨日フクロウに「今から遊ぼうぜ」と電話をかけた男でもある。
「遅刻ギリギリじゃねえか」
「いやーびっくりだよな!アラーム鳴らねぇんだもん」
「かけ忘れたんだろ」
「俺ならやりかねん」
「しっかりしろよ
はぁ、とため息をつくフクロウ。「気をつける気をつけるー」とからから笑う唯人。
「そういえばフクロウ、お前『さくら』って誰だ?」
思わぬ名前が唯人の口から飛び出し、反射的に“なんで”と言いそうだった唇を寸前で閉ざす。
――昨日自分で言ったんだった。
「三軒隣に住む女子高生だよ。よく課題持って部屋に来るんだよ」
「んで、その課題を一緒にやってあげてんのか。やっさすぃー!」
「茶化すな」
「だってフクロウが女子高生教えてるとかなんか面白くて。それが理由で断ったのか?昨日」
「ああ。まあな」
――いつも教えてるし、本当は唯人の誘いに応じようかとも思ったけど。
「あいつ、俺じゃなくてもみしま?って奴に教えてもらうから大丈夫、みたいな風に言ってさ。だったら俺が教えるって思って」
さくらの切り札は自分。そういう意識がフクロウの中にあったのだ。
唯人はふーん、と声を出して。
「それって独占欲みたいだな」
「――は?」
フクロウが目を丸くする。
「つまりお前は、さくらって子が自分以外の奴を頼るのが嫌だったわけだろ?さくらに教えるのは俺だけだー的な心情だったんだろ」
すらすらとされた説明にフクロウはぽかんとして、
――みるみる真っ赤になった。
「は!?」
切り札以上、好き未満 雪波 希音 @noa_yukiha
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