二番目の恋人

丹風 雅

二番目の恋人

 通り雨が降った。男が慌てて入ったのは喫茶店の軒下だった。

 少し遅れて学生服の女が隣にやってきた。濡れた服や鞄の中身を心配しながら身体をひねっている。濡れた髪が肩口に張り付くのが、店内から漏れる照明で僅かに照らされる。真白の制服が髪の黒に染まっていくような妖しさを、彼は目を細めて見ていた。

 女は何か気づいたように男の顔に視線を向けた。睫毛まつげの先から雫が一滴落ちる。彼は少し恥ずかしそうに自分の鞄に目を落とした。中には丁度良くタオルが入っている。


「タオル、使いなよ」

「ありがと。準備がいいね」

「前に入れたのを忘れてて。止むまで中で時間潰そうか」


 店は閑散としていた。それが二人をいっそう際立きわだたせる。入り口から一番離れたテーブルで、男女は向かい合って座った。

 携帯が鳴る。男は少しだけ眉根を寄せて相手を確認し、電源を切った。


「出なくていいの? さっきも鳴ってたのに」

「いいんだよ。後でまた連絡するから」


 男にその気はない。別れを切り出した理由など何も言うことはなかった。少なくとも、電話先の女に対しては。

 注文の紅茶とケーキが運ばれる。紅茶を一口飲んで、それから呆れた目で男を見ていた。


「それ、真莉まりさんでしょ。そんなだと愛想尽かされちゃうよ」

「もう別れた」

「また?」

「元々そんなに好きじゃなかったから」


 恋人は常に彼が二番目に愛する者であった。それは空模様のように移ろい易い。

 皿にはクリームで飾られたブラウニーが乗っていた。それをフォークで小さく切って、口へ運んでいる。フォークを指の腹で撫でるのは女の手癖である。白い親指の肌が金属質の硬さで歪むのを、何となく見ていた。


「好きでもないのに付き合うって、分かんない」

「一番好きな人とは結ばれないから」

「振られたの?」

「それは――ちょっと動かないで」


 男はティッシュを片手に身を乗り出して、女の袖に付いた白いクリームを拭ってやる。服に跡は残らなかった。ティッシュは丁寧に四つ折りにして、テーブルの隅へ静かに置いた。少しだけ、捨てるのをためらう素振りだった。


「ありがと。何も食べなくていいの?」

「あまりお腹空いてないから」

「一口食べる?」

「……もらう」


 小さく切ったブラウニーにクリームを少し乗せると、フォークで突き刺して口元へ向ける。その手元へ右手を重ねて、指で優しく摘んでフォークを抜き取った。白い指先には細い跡がうっすらと残っていた。フォークには直接唇を付けず、先のブラウニーだけを器用に口へ入れた。甘くて苦い。

 おいしいね、と言って男は皿の上にフォークを置いた。二人分の熱を宿して、鏡のような輝きだった。残りを全て食べ終え、女はティッシュで口を拭った。それを適当に丸めて、男の作った小さな四角に重ねた。

 雨は止んでいた。会計を済ませて戸を開けると、土の匂いが飛び込んできた。


「そうだ、今日は何食べようか」

「何でも、詩織しおりの好きに」

「ならビーフシチューにしようか。お兄ちゃんの好きなやつ」

「いいね」


 二人は夕食の買出しに向かった。入道雲はどこか遠くへと過ぎ去っていく。空を流れる虹の色彩は徐々に鮮やかになり、碧落へきらくを結ぶ橋のようであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

二番目の恋人 丹風 雅 @tomosige

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ