第9話 おめでとう
「どうしたの?」
「あの……もし良かったら少し会って話が出来ないかなと思って……」
何かあったんだろうか?
カナの話し方から気まずさが感じられる。
私に連絡するのは容易なことではなかったはずだ。他の誰かではなく、私に話があるのだろう。
「今日は予定があるから、少ししか時間がとれないけどいいかな?」
私はカナに会うことにした。
ただ会って話すだけだ、やましいことはない。ケーキと花束を調達してから待ち合わせ場所へ向かった。カナが指定したのは、いつも私とカナが待ち合わせていたカフェだった。
「忙しいのにごめんなさい」
「いや、いいんだ。それより先日はありがとう。おかげで助かったよ」
礼を言ったが、先日と言うにはずいぶん経っている。
「元気そうで良かったわ」
「カナも元気そうで良かった。急に連絡があったから、何かあったのかと思ったよ」
私がそう言うと、カナの顔は沈んだ。
「……やっぱり、何かあったのか?」
「何かあった……それも分からない。ヒロミさんに再会してから、なんだか胸が騒いで……」
やはり会うのはまずかったのだろうか?
「あの時はごめんなさい。あの時、どうして時田さんを選んでしまったのか自分でもよく分からないの!」
カナはずっと胸につかえていたものを吐き出すように言った。
「ヒロミさんとの結婚を夢見ていたはずなのに、何故か時田さんを選んで、子供まで産んで……」
長い夢から覚めたのは、彼女達なのかもしれない。
盲目的に『アリ』に惹かれ、フクロウが居なくなった今、以前の思いが甦ってしまったのか。
「時田とは上手くいってるんだろ?」
「ええ、時田さんは父親として良くしてくれる。二人目の彼も同じ。それはすごく有難いことなんだけど、なんだか違和感があるの。自分で選んだはずなのに、こんなはずじゃなかったっていうか……」
彼女達は犠牲者なのだろうか?
それを認めることは、彼女の今の幸せを否定することになる。しかし、その感情はじわりじわりと心の中を侵食してゆき、ついに連絡を取らせたのだろう。
「ヒロミさんに再会してから、そういう気持ちがどんどん強くなってしまって、苦しくて……」
あの時
時田がフクロウを頭に乗せて現れたあの時。
フクロウエフェクトがなければ私はカナと結婚していただろうか?カナを幸せに出来たのだろうか?その未来が来る確率は少なかっただろう。私はそういう男だった。少し前までは。
「もうこんな時間、予定があるのにごめんなさい。今日は結婚記念日なんでしょ?」
「えっ……どうして?」
カナの視線が私の隣に置いた紙袋に向けられた。紙袋に入れた花束から、付けてもらったメッセージカードが覗いている。
「ああ……うん」
中途半端な親切心が、返って彼女を傷つけてしまったかもしれない。
「おめでとう」
こんなに悲しそうな『おめでとう』は、初めてだった。
その顔を
カナの複雑な感情を浮かべたその顔を見た途端、私の中で塞き止めていたものが溢れだした。ダメだ、いけない。そんなことは許されない。私はヨシ子を、サチ子を愛している。幸せな毎日に感謝している。激流に足元をすくわれ、私は手を伸ばし川岸の野草を掴んで抗ったが、そんなものはあっさり千切れてしまった。なぜ大きな岩に掴まらないのか。自分に対するパフォーマンスはやめろ。
ヨシ子と結婚する時、出来るならカナと結婚したかったと思った自分を隠すのはもうやめろ。時田の手に落ちたカナを憎みすらしたのに、久しぶりに会ったカナが変わらず美しかったことに心が動いたことを認めろ。その時、こんな未来が来ることを待ち望んでいた自分を認めろ。お前は汚い。
汗が流れる。
カナを見つめたまま動けない。
私は……私は……
その夜、私は家に帰らなかった。
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