#7-g 崩壊
「やってくれるわね。どうしてそんなこと知ってるのかしら?」
「……さあ?」
スピーカーから聞こえてくる樹の声を適当に流し、白はマイクから顔をそむけた。何のことはない、ドラマ通りの事件が起こって、ドラマ通りの解決策を述べただけだ。
が、白の機嫌は、悪い。
本来なら、演奏を止めなかった以上、そのまま亜理子も完治するはずだったのが、トンデモ理論、もとい、よく分からない裏設定のせいで、結局はドラマ通りとなってしまったのだから。
このままでは、亜理紗がスプリンクラーを起動させた後、亜理子の救助に向かう途中で、樹に殺されてしまう。そうなると、亜理子だって、何をされるか分からない。
(……「樹さん」より先に、六条のところに行かないとっ!)
しかし、間に合うだろうか?
白のいる音響室の外は今、植物の胞子で充満している。亜理子の病室にたどり着く前に自分が倒れては、元も子もない。かといって、スプリンクラーが起動した後では遅い。ドラマでも、今の自分にあたる「ヒロインの友達」は「主人公の姉」の死後に現れ、「主人公を慰める役」しか与えられていないのだから。
(……外に連絡して、圭に来てもらえば――ダメ、間に合わない。いっそ、携帯で連絡して、六条に来てもらえば――でも、あの状態じゃ……?)
考え込む白。しかし、なかなかいい解決策は出てこない。
焦りのまま意味もなく音響室をうろつき、視線をさまよわせ――
モニターから、緑の点が消えているのに、気づいた。
# # # #
「うまくいった、の?」
亜理子はモニターを見つめながら、熱い息を吐き出していた。
熱い、というのは、比喩でも何でもない。
自分の体内に意識を集中、「能力」を開放し、肺の中の空気――特にモニター上、緑の点が集中している場所の温度を上げ、植物を焼き殺したのだ。
普通に考えれば、無茶苦茶な理論である。
が、亜理子には、半ばうまくいくだろうという確信があった。
漫画『サイコ・フレア』にも、この方法で体内の毒を無効化する描写があったのだから。わざわざモニターを要求したのも、「原作再現」のためだ。
(別に、使いたかったワケじゃなかったんだけどな……)
もちろん、不安も大きい。体内の温度を、イメージだけで何百度にも上げるのである。失敗すれば、タダでは済まない。出来ることなら、音波があのまま続いて、終幕だけはドラマと違う形で迎えるのがベストだった。
(でも、途中で耳鳴り、止まらなかったわよね?)
沈黙したモニターを見ながら、考える。
緑の点が減り始め、一挙に増えるまで、音波が止まる気配はなかった。
本来なら、亜理子の考えた通り、何事もなく終わっていたハズだ。
(この辺が超常現象って? 最悪っ!)
心の中で悪態をつきながら、装置の中から出る亜理子。このままでは、亜理紗もどうなるか分からない。早いところ、地下に向かうべきだろう。が、一歩踏み出して止まった。
「うわっ! 気色悪っ!」
治療室が、あたり一面、緑色のカビのような何かで覆われていたのだ。
(ドラマに、こんなシーン、あったっけ?)
こんなトラウマになりそうな光景は、記憶にない。
それとも、原作小説にはそういう設定でもあったのだろうか。
(ま、どうせ、スプリンクラー動くんだし、燃やしちゃっていいよねっ!)
半ば八つ当たり気味に、「能力」を使う。
足元から広がっていく熱は、炎となって治療室を包みこむ。
その中を平然と進み、病室を出て、誰もいないコントロールルームを抜け、廊下へ。治療室の炎のせいか、それとも亜理紗のせいか、天井から人工の雨が降り注いだ。
「もう、鬱陶しい!」
それを蒸発させながら、非常階段の重い扉を開く。
地上と違い、コンクリート打ち放しの内装と薄汚れた空気が漂うそこには、
亜理紗が倒れていた。
# # # #
数分前。
第二コントロールルームを飛び出した亜理紗は、非常階段を駆け下りていた。
(亜理子ちゃんも、白ちゃんも、気づいてた……樹さんが優しかったのは、実験材料が欲しかっただけだって!)
亜理紗にとって、樹は「かっこいいオトナ」だった。
父の様に自分を大きく見せようとしたりするわけでもなく、
亜理子の様に拒絶するわけでもなく、
自分の様に冗談で誤魔化すわけでもなく、
自然と相手を理解しようとすることが出来る女性だった。
だが、違った。
目的にこだわり、他人の意思を取り入れることが出来ない、つまらない人間だった。
(ホント、なんで気づかなかったのかしら?)
樹に尊敬を抱いたきっかけを、亜理紗はよく覚えていない。それどころか、出会いすら記憶のかなただ。あるいは、研究という目的意識をはっきりと持っていたため、将来の進路や家族関係に迷いながら生きる自分には、眩しく見えただけかもしれない。
今の自分が抱えている問題を、かつての樹が乗り越えたのか、未解決のまま放り出したのか、分からないというのに。
(このままじゃ、お姉ちゃん失格じゃない!)
息を荒げながら、地下室の扉を開く。
そこには、白の言った通り、スプリンクラー設備があった。
近くには、緊急時に手動で作動させるための注意書きまである。
(白ちゃんは、この設備の事、知ってたのよね……)
白がどういう経路でスプリンクラーの事を調べたのか、そして、なぜスプリンクラーが植物の繁殖を抑えるのに有効だという事を知っていたのか、亜理紗には分からない。いや、それ以前に、亜理紗は白とあまり接点を持つことが出来なかった。
(だって、白ちゃん、話しかけようとしても、すぐ逃げちゃうんだもん)
自分のふざけたコミュニケーションとは合わなかったのか、白はただ冷たい視線を返すばかりで、まともな会話をしようとしなかった。
(でも、これ、ちゃんと動かしたら、ちょっとは、一緒に話してくれるかな?)
かつて、母親を失ったあの日、家族から心を閉ざした亜理子も、必死に道化を続けて、「お姉ちゃん」と呼んでもらえるまでになった。
なら、妹と仲のいい後輩とだって、今よりマシな関係を作れるかもしれない。
そうすれば、亜理子とも、冗談で誤魔化さなくて済む関係になれるだろう。
(それに、後輩や妹に必要とされたら、応えないとね……!)
説明書きに従い、鉄製の扉を開け、止水弁に手をかける。そして、
後頭部に、衝撃が走った。
揺れる視界。
かろうじて振り向いた先に立っていたのは、
血まみれのスパナを持つ、樹の姿だった。
# # # #
(死んだ……かしら?)
頭から血を流して倒れる亜理紗を、樹は真っ青な顔で見下ろしていた。
殺すつもりはなかった。
ただ、自分の生きがいともいえる研究を、よりにもよって亜理紗に否定されるのが、我慢ならなかった。
(もう少し、言うことを聞いてくれると思ったんだけど……)
樹にとって、亜理紗は娘のような存在だった。
困っていれば、世話を焼くことができる。
迷っていれば、相談に乗ってあげられる。
分からなければ、教えてあげられる。
間違っていれば、正してあげられる。
その世話の焼き方も、相談の受け方も、疑問への回答も、間違いと正解の判断も、すべて樹の価値観に基づくもにもかかわらず、受け入れてくれる。
社会に出てから、多くの人の価値観に触れ、時には自分の価値観も殺さなければならない中、いうなれば自分の思い通り行かない現実の中で、数少ない、思い通りに動く「他人」。
樹にとって、亜理紗とはそういう存在だった。
そしていつの間にか、思い通りに動く相手に快感を覚えていた。
もっと、世話を焼きたい。
もっと、教えてあげたい。
もっと、正してあげたい。
だって、偉い、すごいって言って欲しいから。
自分の価値と意味を、認めて欲しいから。
社会で、他者の軋轢の中で、擦り切れてしまった、自分の価値と意味を。
「はあっ! はあっ……!」
荒く息をつきながら、その場にへたり込む樹。
うるさい心臓の鼓動が、自分のやった事を告げる。
自分は、自分を受け入れてくれた亜理紗を、自分を拒絶した社会と同じように、拒絶したのだと。そして、その報いは、すぐに訪れると。
(……冗談じゃないわ!)
だが、それを素直に受け入れられるほど、樹は強くも弱くもなかった。
自分は医師だ!
待っている患者がいる!
研究を完成させなくてはならない!
それを理解しなかった方が悪いのだ!
自分の罪を認めるなど、弱者がする事だ!
立ち上がって、工具箱をひっくり返す樹。こうすれば、偶然落ちてきた工具に頭をぶつけたように見えるだろう。
(後は……変にいじらない方がいいわね)
素人の偽装工作を済ませ、地下室から出ようとする。
とにかく距離をおいて、言い訳を考えなければ……
が、まるでそれを止めるように、火災報知器が響いた。
誰も手をつけていないというのに、起動するスプリンクラー。
近づいてくる足音。
そして、扉が、開いた。
入ってきたのは、亜理子。
「ちょっと、なんでっ!? まだ、死なないハズでしょう!?」
亜理紗の身体を揺する亜理子。
だが、亜理紗は、目を覚まさない。
悲痛の声が、沈黙に変わる。
樹は、何か声をかけようとして、
「うわァァァアア!」
亜理子に、殴り飛ばされた。
いや、樹は殴られた事すら、認識できていなかった。
ただ冷たいコンクリートに転がされ、上をむいた視界に映る、亜理子の頬を伝う涙と、振り下ろされる拳だけを見つめていた。
# # # #
飛び散る血、砕ける骨、千切れ飛ぶ肉。
凄惨な光景の中、亜理子はただ憎悪のまま、腕を振り下ろし続けた。
降りかかる返り血も、無意識に使った能力が肉を焼く臭いも、今の亜理子には届かない。
ただ、殴って、殴って、殴って殴って殴って
樹の頭を砕き、コンクリートに拳を打ち付けたところで、ようやく止まった。
後に残ったのは、無音。
だが、静寂に身を任せる暇もなく、背後から扉を開く音が響いた。
「……六条」
次いで、白の声が聞こえる。
「……『緑の病棟』」
が、数秒をおいて告げられた単語は、沸き立った血に冷水を被せた様な衝撃を受けた。
「……ドラマじゃ、研究者が姉を殺すのは、病室」
一歩一歩、近づいてくる声に、心臓が高鳴る。
「……でも、原作の小説じゃ、スプリンクラーを解除しようとしたところで、殺される。私も、さっき圭からのメールで知ったばかりだけど」
いつもより、その声は冷たくて、
「……ホントは、こんな事になる前に、終わらせるハズだった。でも、まだ『現実』に『空想』が残ってたから、失敗した」
いつもより、その言葉は雄弁で、
「……今回も、『ドラマ』だと思ってたけど――」
違和感に耐えきれずに振り向いた先には、
「――『治療』が失敗した原因、『漫画』だったんだね」
ナイフを手にした、白がいた。
「っ!?」
声を上げる暇もなく、突き立てられる刃。
痛みは、ない。
ただ、意識だけが、急激に薄れていった。
※ 続きます(次回更新は、2019年6月21日(金)を予定しています)。
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