#7-f 実験


「治療を始めます。そのまま、お待ちください」


 数日後、亜理子は再び治療装置の中に放り込まれていた。

 以前と違うのは、ひとつだけ。視線の少し上に取り付けられた、小さなモニターだ。レントゲンで撮影したような、肺の写真が映っている。ところどころ浮かぶ緑の点が表すのは、植物の胞子。ドラマでは、マジックミラー越しのコントロールルームで、樹たちが見ていた映像だ。原作の治療装置には、こんなモニターはない。

 ここ数日、何回か樹の診察を受けながら、亜理子は二つの要求をしていた。

 ひとつは、この緑の病棟から出て、病室を普通の病棟に移す事。そしてもうひとつが、このモニターだ。前者は、植物が病気の原因なのに、こんな植物だらけの研究室では気が滅入る、というワガママで通し、後者は、治療効果が本当にあるのか確認したい、という挑発で通した。

 通した、といっても、別に樹が渋ったわけではない。むしろ、樹は提案を喜んでいた。ドラマから出てきた怪人の考えることは分からないが、あえて想像するなら、樹にもメリットがあったからだろう。病室が変われば、亜理子が倒れた本当の原因もバレにくくなるし、治療効果が亜理子にも伝われば、今後の説得の材料にも使える。いずれにせよ、自分の要望が通ったのは、ありがたい事だ。


(後は、うまくいくかどうか、ね)


 モニターを見ると、緑の点が、確実に減少しているのが分かる。

 演奏が始まったのだろう。

 装置の中では音波とやらに変換され、微かな耳鳴りにしか聞こえないが、それでも、亜理子は白の、普段の態度からは想像できない、優しいフルートの音色を思い出していた。


 # # # #


 そんな亜理子の記憶に違わず、白は音響室で演奏を続けていた。

 目の前には、楽譜と共に、二枚のモニター。

 片方には亜理子が見つめていたのと同じ、肺の写真に緑の点浮かんだ画像が、もう一方には、複雑な波形と数値が表示されている。白の演奏の中に混じる、様々な「音」を分解し、グラフ化したものだ。この波形の組み合わせで、緑の点が増えたり減ったりする。

 そう、組み合わせである。

 単一の音波では植物は反応しない。複数の音波が複雑に組み合わさって初めて、急激な成長や退行が見られる。単一の音波を見つけ出すだけならコンピューターで合成した方が早いのだが、無数にある組み合わせから見つけるとなると、AIに「お手本」を学習させる方が早い。その「お手本」が白の演奏というわけだ。

 少なくとも、公式HPで見たドラマの設定には、そう書かれていた。

 そして、AIの学習が終わる前に、この演奏が亜理子を直してしまう事も。


(……ドラマじゃ、「樹さん」がそれを嫌がって、途中で止める)


 しかし、当事者である亜理子が、しっかりと釘を刺してきた。

 亜理子は白と亜理紗、そして父である院長を前に、こう言ったのである。


――樹さんが途中で止めようとしても止めないで。

――あと、これでダメならホントに移植手術にするから、準備、お願い。


 滅多にない亜理子の「お願い」に、院長は戸惑いながらも表情を崩し、亜理紗も自然に感情を出して喜んでいた。

 が、白が抱いたのは違和感だった。

 本人は否定するだろうが、亜理子は見た目と違い、「いい子」だ。幼い頃から目をかけて来てくれた(という設定の)「樹さんの好意」を、少し強引な行動に出られたからといって、「悪意」と疑うような人間ではない。普段の亜理子なら、「最悪」と文句を言いながらも、「自分のために治療してくれた」という部分は素直に感謝するだろう。

 しかし、今の亜理子は、そんな過去などなかったかのように、そして、樹の行動を完全に予測しているかのように動いている。

 まるで、ひとりドラマの影響を受けていないかのように。


(……考えられるとするなら、私と同じ――)

「兎沢さん、もういいわ。一旦止めて」

「ダメよ、続けて!」


 が、出しかけた結論は、突然スピーカーから流れてきた樹と亜理紗の声で止まった。コントロールルームでは、ドラマ的な修羅場が流れているのだろう。樹の切羽詰まった様な声と、亜理紗の冷たい声が続く。


「っ!? 亜理紗ちゃん、今止めないと……」

「AIの学習が完了しない、ですか? でも……」

(……うるさいな)


 現実になったドラマを邪魔に感じながら、白は不機嫌そうに演奏を続ける。

 緑の点も、その意思に押される様に減少を続け、

 突如、爆発的に広がった。


 # # # #


「えっ? どういう事?」


 コントロールルームに響く、亜理紗の声。

 樹はそれを聞いて、唇を歪めた。


(確かに「この悪魔」は音波を嫌がるけど……聞かせ続けると、「反抗」するのよ)


 レジスト。樹は目の前の現象をそう名付けていた。

 生殖範囲を縮めたところで、不快な音からは逃れられないと悟った植物は、音が届かない場所を求め、急激に増殖する。植物が嫌がる音を探し続けている途中、音波を発生させる装置の電源を切り忘れた際、偶然発見した現象だ。

 もちろん、亜理紗には伝えていない。むしろ、この現象を招くよう誘導した。

 わざわざ、ドラマに出てくる悪役のような態度を取り、感情を煽って。

 結果は、ご覧の通り。院長も一緒ならどうなったか分からないが、幸いな事に、移植手術の準備に奔走していて、この場にはいない。後は、異常を止めて、貴重なデータをきちんと保存するだけだ。


「興味深い現象ね」

「樹さんっ! こうなるって、知ってたんですかっ!?」

「いえ、知らなかったわよ?」


 平気でウソをつきながら、治療装置の制御を受け持つPCへと向かう。


「なにするんですか!?」

「止めるのよ。音波さえ止めれば、この植物の『反抗』も落ち着くかもしれないでしょう?」


 鋭い口調で疑問を投げかける亜理紗に平然と答えつつ、PCを操作する。

 元を絶つという、非常に単純な対処法。だが、効果は絶大だ。以前暴走現象が発生した時も、死滅しかけたマウスを救っている。


「止まらないじゃないですかっ!」


 が、止まらない。

 そんなはずはない。事実、音波は止まっている。それは間違いない。だが、緑の点は増え続け、装置内の胞子の濃度までも急激に上昇していった。肺から外へ出て、なお増殖を続けているらしい。


「落ち着いて……! 人体の場合は規模が大きいから、時間がかかるだけよ!」


 亜理紗の声をうるさく感じながら、叫び返す。

 あるいはそれは、自分に向けての叫びだったかもしれない。

 かつて、自分の夫を殺した病に復讐するため、持てるすべてを費やして、完成間近にまで迫った研究が、こんなところで止まるはずがないという、叫び。

 だが、その叫びは、現実に届かない。

 緑色の点が画面を埋め尽くし、装置内の胞子濃度は測定不能にまで上昇を続け、

 異常が、起きた。

 ガラスの向こう、治療装置とつながっている浄化装置が、スパークを起こしたのだ。モニターには、「Error No477 / Purification / Capacity FLL(浄化能力限界)」の文字。

 けたたましい警報が、響き渡る。


「こっちにも胞子が来る……! 逃げるわよ!」

「っ! でも、亜理子ちゃんがっ!」

「見捨てるんじゃなくて、安全なところから治療するの!

 別の部屋からでも、治療は続けられるから!」


 亜理紗を強引に引っ張って、部屋を飛び出る。向かう先は、二階にある別のコントロールルーム。以前、植物の暴走を見た時に、装置を遠隔操作できるようあらかじめ用意しておいた部屋だ。


(といっても、本当に遠隔操作ができるだけなんだけど……)


 本来ならコントロールルームを治療室から離れた場所に丸ごと移設したかったのだが、治療装置や浄化装置、それをつなぐPCは既に一つの大規模なシステムとして出来上がっており、簡単には動かせなかった。扉には第二コントロールルームなどというご大層なプレートが掲げられているが、その実態は、急造のモニタールームに小さな端末を置いただけの事務室である。本格的な解析はできない。蒐集したデータのコピーを取るだけでも、何十分とかかるだろう。そして何より、


「対策はっ! これからどうするんですかっ!?」


 叫ぶ亜理紗を、何とかなだめなければならない。


「落ち着いて亜理紗ちゃん。大丈夫、植物が一時的に音波から逃れようとして成長を速めただけだから、もう一度昨日のレベルまで回復させるのはそんなに難しい事じゃないわ」


 悪い要素を省いた説明で時間を稼ぎながら、部屋の扉を開く。PCを立ち上げ、接続。データの保存を指示し、


「……せ…んぱ……い、六条先輩……?」


 途中で、スピーカーから、声が聞こえてきた。


「白ちゃんっ!」


 声を上げる亜理紗。

 ここで二人が盛り上がって、子どものわがままに発展されてはたまらない。亜理紗より先に、マイクに向かって叫ぶ。


「兎沢さん、聞こえる?! 今、植物が一時的に音波から逃れようとして成長を速めたの。少しやりすぎたみたいね」

「……六条は?」

「バイタルに異常はないわ。ただ、植物の胞子が酷くって、少しの間だけ距離を取らないといけないの。音響室の外も危険だから、絶対に外に出ないで!」

「……対策は、あるんですか?」

「さっきも言ったけど、これは一時的な事象よ、すぐに……」

「……ないんなら、スプリンクラーででも洗い流せば?」


 が、返ってきた冷静な言葉に、一瞬沈黙する。

 しかし、すぐに余裕を取り戻し、まるで冗談のように返した。


「面白い発想だけど、判断は慎重に行う必要があるわ」

「……でも、実験じゃ感染を抑えられた、でしょ」


 どうしてそれを、という言葉は、辛うじて飲み込んだ。

 白の指摘通り、空中に散った植物の胞子は、水で洗い流すことが出来る。実際、マウスを使った実験でも、植物を寄生させたマウスと寄生していないマウスを用意し、間をシャワーで隔てたら、感染することはなかった。

 しかし、樹にその手段を取るという選択肢は、ない。

 亜理子のいる治療室には、未だデータを移し終えていない装置が並んでいる。スプリンクラーなぞ起動しようものなら、せっかくのデータも、文字通り水泡に帰すこととなる。


「……有効だけど、データが消えるから、やりたくないんでしょ?」


 が、マイクの奥の少女は、それすら見破った。そして、


「……六条先輩、スプリンクラー、地下一階」


 扉の開く音が、響いた。

 振り向いた先に、部屋を飛び出す亜理紗が、見えた。


 ※ 続きます(次回更新は、2019年6月17日(月)を予定しています)。


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