#7-e 医師


「一緒に説明を受けたいだなんて、相変わらずふたりとも仲がいいのね?」


 午後、亜理子は亜理紗とともに、診察室で「樹さん」と対峙していた。

 別に影の塊の化け物でも何でもない。といって、普通の人という訳でもなかった。ドラマの俳優、そのままの容姿だ。


「じゃあ、インフォームド・コンセントを始めます」


 が、樹はまるで「普通の人」のように、ドラマと同じセリフを続ける。


「兄さん――院長先生からも説明があったと思うけど、亜理子ちゃんの肺には植物の胞子が寄生しているの。それも、相当な広範囲に。普通なら肺移植を考えないといけないんだけど、この植物、最近になって、特定の音波に反応することが分かっているの。二人とも、植物に音楽を聞かせたら、成長が早くなったり、遅くなったりしたっていう話、聞いたことがあるでしょう? 原理はそれと同じね。苦手な音波を当てることで、生殖範囲を減退、切除するの」


 しかし、ドラマと違い、ここには亜理紗がいる。


「じゃあ、亜理子ちゃん、治るんですね?」

「ええ、ただ、問題があってね? まだその音波の特定が出来ていないのよ」


 そのせいか、ドラマの様に「治る」と告げるだけではなく、樹は課題を持ち出し始めた。本格的に実験に走る気だ。これはいただけない。説明を遮る亜理子。


「それなら、移植手術の方でお願いします」

「え? ええっとね、亜理子ちゃん、移植しようにもそれなりに準備が……」

「父は、代替手段として移植手術も可能だと言っていました」

「でも、リスクが少ないのは……」

「課題がある以上、確立した方法を希望したいと思います」


 何か言おうとする先に、可能性を潰していく。

 樹は目を細めると、口調を強めた。


「何か勘違いをしているようだけど、今回の治療法も実証は済んでいるのよ?」

「その割には、先ほど音波の特定に課題があるとおっしゃっていましたが?」

「確かに音波の特定が出来ていないとは言ったけど、それは植物の行動パターンと当てる音波の波形パターンが完全な対応が分かっていないというだけで、成長阻害については問題なく可能なのよ。ラットでの実験も、成功率は八十パーセントを超えているわ」

「じゃあ、その音波を当てれば、問題なく治療できるんですね?」

「……ええ。そうよ」

「じゃあ、どこに課題があるんですか?」

「さっきも言ったとおり、パターンの完全な対応が分からないの! 現状でもリスクは少ないけど、出来るだけ精度をあげて治療に臨みたいと思っているのよ」

「残念ながら、私は実験台になるつもりはありません」


 次第に荒くなる樹の説明を、更に強い調子で遮る。

 眉をひそめる樹。

 そこに追い打ちをかけたのは、亜理紗だった。


「すみませんが、亜理子ちゃんの希望通りさせてもらえませんか?」

「移植より、私の治療の方が、リスクも少ないわよ」

「でも、受けるのは亜理子ちゃんですから、納得のいくようにさせてあげたいんです」


 二人の視線が絡む。先に逸らしたのは、樹の方だった。


「……仕方ないわね。移植手術の準備を、院長先生にお願いしましょう」

「すみません」

「いいのよ。選ぶ権利は患者さんにあるわけだし」


 樹はあっけなく引き下がった。

 亜理子にとっては意外な展開だ。ドラマでは研究に固執するあまり、殺人まで犯している人物なのだが、


「移植手術の方については、また後日、担当の外科医から説明をするわ。手術までは入院してもらう事になるけど……」


 樹は先ほどの険しい表情が嘘のように話を続けている。

 案外、治療という名の実験が引くに引けないところまで進まなければ、ドラマも、「仲のいい叔母さん」で終わったのかもしれない。そんな楽観が出てくるほど、樹との時間は、まるで本当の親戚と過ごしているかのように過ぎていった。


 # # # #


(……これで、死亡フラグ、避けた事になるのかな?)


 診察室の扉を閉め、軽く息をつく亜理子。

 半ば勢いで言い返してしまった感が強いが、とりあえず実験台になることはなくなった……ハズだ。


「亜理子ちゃん、大丈夫?」

「何が?」

「何がって……はあ、亜理子ちゃん、自分が何やったか気づいてないでしょ?

 治す可能性、ひとつ潰したのよ?」


 が、亜理紗からすれば、臓器移植の方が危険のようだ。冷静に考えればごく当たり前の反応なのだが、本当の理由を告げるわけにもいかない。


「でも、やっぱり実験台にされるのって、嫌だし」

「本当に? お父さんから言われたからじゃないの?」

「ん~、そんなことは……あるかも?」

「もう、身体がかかってるんだから、あんまり意地張ってばかりじゃダメよ」

「その割には、断るの、賛成してたじゃない」

「だって、亜理子ちゃん、あのまま樹さんの治療法に決まったら、お父さんと喧嘩してでも協力しないつもりだったでしょ?」


 無言で肯定する亜理子。亜理紗は露骨にため息をつくと、いつの間にかたどり着いていた病室の扉を開いた。


「決まっちゃったからしょうがないけど、もし不安になったらちゃんと言ってね? 樹さんに謝るくらいは、してあげるから」


 むしろ、不安そうにしているのは亜理紗の方だ。

 亜理子は心の中で謝りながら、ベッドの上に置かれた入院服を手に取る。


「そういうのいいからさ、お父さんがやっぱり樹さんの治療受けろとか言ってきたら、断るの手伝ってよ」

「はいはい、その代わり、亜理子ちゃんは身体治すことだけ考えてね?」


 着替え始める亜理子を気づかったのか、病室から出ていく亜理紗。

 亜理子はそれを見送りながら、心の中で呟いた。


(それが出来れば苦労しないんだけど)


 周囲を見渡せば、検査室と同じ木の内装に、部屋のあちこちに並ぶ観葉植物。窓の外には、まるで植物園のような人工の森林。しかしその奥には、病院の白い壁がそびえている。まさに、病院の中庭に建てられた『緑の病棟』。まったく、ドラマのナレーションが思い浮かぶようだ。


――病院の中庭に造られた、緑にあふれた空間。

――外周は一般にも解放され、さながら植物園のよう。

――しかし、その中心には、ガラス張りの病棟が確かに存在している。


 ついこの間までは、そんなもの影も形もなかったというのに。


(ま、せめてこの後は、ドラマと違う展開になると思いたいわね)


 首を振って異様な光景から意識を逸らすと、手早く着替え始める亜理子。

 確か、ドラマでは、この病室自体が実験室になっていて、監視できるようになっているはずだ。樹に着替えをのぞくような趣味があるとは思えないが、亜理子もゆっくりできるほど図太い神経をしているわけではない。

 しかし、忙しく動かしていた手は、唐突に止まった。


(耳鳴り……? っ!?)


 気づいた時には、もう遅い。

 店長の病室で倒れた時と同じように咳が止まらなくなり、意識も遠のいて行く。


(ああ、そういえば……)


 植物を活性化させる音波の方は、もう見つかってたんだっけ?

 視界が暗転する寸前、亜理子はそんな「設定」を思い出していた。


 # # # #


 次に目を覚ました時、亜理子の目の前には、真っ白な壁が広がっていた。

 突然飛び込んできた視覚情報に飛び起きそうになるも、身体は動かない。

 視線を巡らせると、バンドで固定された手足。

 それを見た亜理子の混乱は、むしろ収まった。

 目の前の光景は、ドラマに出てきたシーンと、まったく同じだったのだから。


(……治療に同意した主人公が、初めて治療を受けるトコね)


 ドラマのヒロインも、今の自分と同じように得体の知れない装置に固定されていた。先ほど白い壁と見えたのも、落ち着いてみれば、ドラマで見た装置の内装と分かる。おそらく、樹が病室で音波を流し、意図的に亜理子の病状を悪化させ、この中に放り込んだのだろう。平和的説得がダメなら強硬手段で、というわけだ。まったく、酷い話だ。せっかく治療を拒否したというのに、結局、ドラマの筋書きに戻ってしまった。


「最悪」


 思わずつぶやいたと同時、電子音が響いた。


「治療対象の意識回復を確認。試験を終了します」


 白い壁がCTのように、周囲を回りながら視界の上へと移動していく。

 代わりにのぞきこんできたのは、樹。


「気分は」

「最低」


 投げかけられたセリフを遮る亜理子。もちろん、最低と言ったのは、気分ではないのだが、樹には伝わらなかったらしい。まるでわがままを言う子どもをあやす様な声が返ってくる。


「そう言わないで。急に倒れたのを、放っておくわけにもいかなかったんだから」


 自分でやっておいてよく言う!

 ぶん殴ってやりたい衝動を抑え睨みつけると、樹は誤魔化す様に笑った。罪悪感など微塵も抱いていないのだろう。冗談で流そうとしている。とてもまともな人間とは思えない。いや、そもそも人間ではなかったな。ドラマの悪役という名の、人の形をした、空想上の怪物だ。


(問題は、人間として扱われてるところよね)


 周囲に監視カメラさえなければ、こっちも人外の力を使って焼き殺してやるところだが、そうもいかない。残った不快感は、妥協した悪態となった。


「まあ、亜理子ちゃん、治療は上手くいったわけだし、これで移植も……」


 何か言おうとする樹の頬にビンタ。乾いた音を背に、部屋を出る。暴力には違いないが、このくらいで警備員を呼んで拘束させたりはしないだろう。なにせ、自分は貴重なモルモット。できるだけ手の届くところへ置いておこうとするハズだ。ざまぁ見ろ、というほど、気は晴れない。所詮、妥協は妥協に過ぎないのだ。


「ホント、最悪……」


 もはや口癖となった呪詛をつぶやきながら、廊下を当てどなく歩く。

 このまま病室に戻っても、また都合よく病状をいじられるのは目に見えている。

 この施設から出て、普通の病棟で過ごす事ができるよう交渉してみるか?

 いや、それより、病室で危険な音波を流されたせいだという証拠を見つけるのが先か。

 だがどうやって探す?

 思考と一緒に視線をさ迷わせていると、またしてもドラマで見た景色に出くわした。およそまっとうな医療機関には存在しないであろう、「音響室」と書かれた扉である。


(ドラマじゃ、友達がここで演奏してたのよね)


 初めて治療を受けたあと、ここに通されてご対面となるはずだ。

 つまり、この先に「友達」がいるはずである。


(いや、私にドラマみたいな友情やってる相手なんて、いないんだけど……)


 友情とは気持ちよく毎日を過ごすための人間関係であり、努力と妥協で維持するもの。決して、温もりを一方的に求めたり、困った時に都合よく頼るものではない。少なくとも、亜理子は学校でそう学んできた。強いていうならアキとは違う付き合い方をしているが、残念ながらあの優等生は読書と勉強で忙しく、音楽とは無縁だ。


(っ! まさか……!)


 が、否定しようとした可能性も、捨て切れない事に気づく。亜理紗だっていつの間にか「樹さん」の事を受け入れていたのだ。アキだって、知らないうちに楽器を演奏できるよう「改造」されていてもおかしくはない。

 扉を開く亜理子。

 そこには、白がいた。


「お前かい」

「……? 知らなかったの?」

「知らないわよ。説明なしで意味不明な治療受けさせられたんだから」


 そっけなく答えながらも、亜理子は、自分がいまだ安心していない事に気づいていた。アキが白に変わったところで、なんの解決にもなっていない。白とも、クラスの友達やアキとはまた違った付き合い方をしている「友達」なのだから。


「……そう。私も、説明なかった」

「はあ?」

「……店長のお見舞いに来たら、急に連れてこられて、演奏しろって」


 が、白は、亜理子の知るドラマとは違う話を始めた。


「病院の中で、声かけられたの?」

 コクコクと、うなずく白。

「声かけたの、お姉ちゃん?」

 フルフルと、首をふる白。

「部活中、お姉ちゃんに何か言われた?」

「……何かって、なに?」

 そして、首をかしげた。

「あ~、演奏してて、観葉植物の向きが変わった、とか……」

「……なにその超常現象」

 次いで、頭おかしいんじゃないの、とでも言いたげな冷たい声と視線。


 亜理子は、腹が立つよりむしろ安心した。

 よかった、まともな反応だ。

 さしもの怪現象も、この鉄のごとき女には通じなかったらしい。


「それが、超常現象でもないのよ」


 が、ようやく見つけた常識は、樹が入ってくることで消え去った。

 忘れかけていた治療室での苛立ちも重なって、自然と険しい表情になる亜理子。

 対する樹は、いかにも申し訳ないという顔をして続ける。


「今回は、説明できなくてごめんなさいね。患者の意思は尊重すべきだと分かってはいるけれど、命を護るのも、医師の仕事なのよ」


 字面と口調で謝っているものの、まるで政治家のごとく美辞麗句で飾り立てた言い訳を加えるあたり、本心がうかがい知れる。視線を厳しくしてみるも樹は取り合わず、白に向き直った。


「それで、ここに来てもらった理由だけど……」


 そして、またしても、ドラマと同じ説明を続ける。亜理子にとってはドラマで知っている上に、文字どおり嫌になるほど聞かされた内容だ。一方の白は、いつものように無反応。どう感じているかもわからない。しかし、


「……で、六条、治るんですか?」


 続いた言葉は、姉と同じだった。


「ええ、もちろん。現状も、倒れて数分しかたってないけど、歩き回れるまで回復しているでしょう?」

「……じゃあ、すぐ退院できるんですか?」


 が、亜理紗と違い、白の視線には強い疑念が浮かんでいる。


「いえ、まだ完全に治っていないから、もう少し時間が必要ね」

「……じゃあ、治るまでここで演奏してればいいんですね?」

「さっきも言ったけど、成長を止める音波が……」

「……そういうの、治ってからでいいんじゃないですか?」


 なんだろう、すごくまっとうな意見だ。

 いや、白は以前から言うことだけはマトモだったか。態度が問題なだけで。


「だから、できるだけ完全な治療法で臨みたいのよ。今後、同じ症状を持つ患者が出てきたときのためにも」

「……人体実験? 六条、協力するって言ったの?」


 首を振って答えながら、思う。

 なんだろう、ものすごく頼もしく感じる。

 いや、いつもは面倒くさいだけなのだが。

 事実、樹も、なにこの面倒くさい娘、という顔をしている。


「樹、彼女の言うことは、一定の合理性がある」


 そんな面倒くさい会話を止めたのは、開け放たれた扉から入ってきた、父だった。後ろには、亜理紗も続く。先ほどタイミングよく入って来た樹といい、コイツらは監視でもしていたのだろうか? まるでドラマのような登場の仕方だ。

 いや、ドラマだったな。

 ドラマじゃなかったら、こんな都合よく家族愛が刺激されるシーンなんざあるはずがない。おかげで、本来なら見直すべき父も、改めて感謝すべき姉も、ただ不気味に異常を引き立てているだけに見えてしまう。


「……分かりました。現状の治療法で、データを取らせてもらいます」


 唯一安心できるのは、樹が素直に引き下がったところだろうか。

 いや、引き下がってはいないか。

 少なくとも、「現在の治療法」は強行しようとしているのだから。


「一応聞くけど、移植手術で済ますって話は?」

「すまないが、ドナーを探すのにはもう少し時間がかかるんだ。先に、樹の治療を受けてもらえないか?」


 亜理子が話を蒸し返しても、父親から返ってきたのは素っ気ない言葉。これも、何かの力が働いたせいだろうか。

 いや、元々父親はこんなものだったな。

 まったく、人には期待するくせにこっちの期待には応えてくれない。


(最悪……結局、ドラマ通りだし)


 そろった役者を見回す亜理子。

 エンディングの脅威は、近い。


 ※ 続きます(次回更新は、2019年6月14日(金)を予定しています)。

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