#7-d 親類

 検査後、ドラマと同じ病室をあてがわれた亜理子は、予想通り父の訪問を受けていた。意外にも父は一人。亜理子としては、ドラマに出てくるような大名行列を期待したのだが。


(こんな娘を見られたくなかったってとこかな?)


 染めた髪にピアス。

 記号としては、大病院の院長のご令嬢にはふさわしくないだろう。


「具合はどうだ?」


 そんな亜理子の内心を知ってか知らずか、父が問いかけてくる。


(声きいたの、どのくらいぶりだっけ?)


 そんな事を考えながら、ようやく視線を上げる。

 いかにも学者然とした白衣姿は、亜理子の記憶にある父と変わらない。

 いや、少し老けただろうか。白髪が多くなった気がする。


「……別に、普通」


 一呼吸おいて、短く答える。目が合うことは、無かった。


「……そうか。だが、見た目は元気でも、病状は決して楽観できるものじゃない。昨日のCTの結果を見たが、肺に異物が混入しているようだ」


 父も、淡々と説明を続ける。


(ああ、でも、前も、こんな感じだっけ?)


 抑揚のない声を聴きながら、思い出す。

 確か、二か月ほど前、病院の仕事が速く終わったとかで、珍しく亜理紗と三人で食事をとったはずだ。その時も、この男は、まるでそうするのが義務のように、淡々と「学校はどうだった」などと聞いてきて、数秒で話のネタが尽きると、楽しそうに難しい知識を披露してひとり悦に入っていた。

 他の話ができるほど父親をやっていないのか、単に子どもに自分の姿を大きく見せたいだけなのか。いずれにせよ、ひとりで知識を得意げに語り続ける父の姿は、亜理子には滑稽に見えたものだ。

 そして、今もそんなつまらない話をしている。

 いや、つまらなくはないか。何せ病状の内容は、ドラマと同じなのだから。


「肺に混入した異物は……言うならば、カビの胞子だな。毒素を出して危険だ。切除しようにも、肺の大部分を侵食してしまっているから難しい。今までは移植手術くらいしか対処法がなかったんだが、最近になって新たな治療法が見つかったんだ。まだ実験段階だが効果は十分で――」

「で、その『新しい治療法』の実験台になればいいのね?」

「……実験台という言い方はよくない。新療法の試用だ」


 突き付けられた異常なる現実から目を背ける様に、途中で遮るように声を上げる亜理子。父から返ってきたのは、苦々しい声。それが単純に気に入らない言い方をされたせいなのか、娘を実験台にしなければならないせいなのか、亜理子には、やはり分からなかった。

 といって、そんな複雑な感情を直接聞くほど、仲の良い家族でもない。

 代わりに、亜理子は、もっとも気になる点を問いかけた。


「誰が治療すんの?」

「あ、ああ。樹……亜理子からすれば叔母さんか? 彼女が担当する」


 そして、返って来た答えに、思わず顔を上げた。


「どうした? こどもの頃は、よく遊んでもらっていただろう?」


 そんな記憶は、ない。


「……ねえ、家族って、三人よね?」

「ああ、亜理子と、亜理紗と、私だ」

「……他に、血縁者はいないわよね?」

「私の妹の樹を除けば、そうなるな」


 しかし、父親は不思議そうな顔で答える。


「どうしたんだ? 心配しているのか? 大丈夫だ。治療法は確かにまだ安定していない段階だが、リスクは少ない。仮に失敗しても、肺移植だって……」


 安全性を証明しようと、以前の様に医学的な知識を並べる父。普通の患者なら安心感を与えることもできるだろうが、亜理子には逆効果だ。聞いていると、フィクションのはずの設定が本当の様に思えてくる。


「分かったから! その治療、いつになるの」

「……検査の結果は出ているから、午後にでも、樹から説明がある」


 説明を遮ると、顔をしかめたものの、すぐに短い言葉が返って来た。


「時間だ。私はもう行かなければならないが、樹のいう事をよく聞いて、早く治してくれ」


 素直にうなずいてみせると、父は少しだけ意外そうな顔をしてから、病室を出ていく。その背中を見送った後、起こしていた身体をベッドに沈めて、たっぷりと息を吐き出す。


(あの時と同じ、か……)


 あの時、というのは、父親が亜理紗を連れてきた日の事である。

 その日も、自分の家族は、父親は、まるで別人の様に変わっていた。

 そして今、存在しないはずの親戚のせいで、自分の知らない何かに変わろうとしている。


(冗談じゃないわ!)


 このまま、だらだらとドラマの筋書に流されてはたまらない。


(まだ大丈夫! 要は、「樹さん」とやらの「実験」に協力しなきゃいいのよ!)


 ドラマでは、ヒロインが悪役を悪役と思っていなかったから、悲惨な実験に巻き込まれた。が、自分はそうじゃない。むしろ、警戒感MAXだ。新しい治療法に「NO」と言うのはさほど難しくない。


(問題は、それが通じればだけど)


 果たして、平気で人体実験をする人間に通じるだろうか。

 いや、それ以前に、人間ではない可能性もある。

 あの黒い影の塊みたいな化け物が出てくる可能性もゼロではないのだ。


(ま、まあ、この間のラノベも、ちゃんとした人間だったから、大丈夫よね……?)


 そう思ってみるものの、不安は一向に消える気配がない。

 むしろ、次第に膨れ上がっていく。

 それが嫌な予感にまで悪化した時、ノックの音が響いた。

 飛び上る亜理子。

 さっき、父親から「樹さん」の説明は午後と言われたばかりだが、早く来たのだろうか。親しい親戚という設定なら、あり得ない可能性ではない。不吉な思考に心臓が高鳴る。それを無理やり押さえつけようとするも、そんな時間を与えないかのように、再びノックの音が響いた。


 どうしよう。答えるべきだろうか、しかし……。


 迷っているうちに、ノックの間隔はどんどん早くなっていく。

 音も叩きつけるような乱暴なものに代わり、

 わずかな沈黙の後、無造作に開かれた。


「亜理子ちゃぁん!」


 部屋に入ってきたのは、亜理紗。

 亜理子は、ベッドに倒れこんだ。


「亜理子ちゃん! 大丈夫!? 病院で倒れたって聞いて、心配で心配で」

「本当に心配してんのかアンタは」


 シーツを剥ぎ取りそうな勢いでペタペタと触ってくる手を払い除けながら、亜理子は何とか再起動。同時に、軽く息をついた。亜理子にとって亜理紗は、少なくとも、父親や得体の知れない「樹さん」よりは、ずっと「よく知っている」家族だからだ。


「……なんか、樹さんっていう人の治療、受ける事になったんだけど?」

「ダメよ、そんな言い方。樹さん、たまに演奏会とか聞きに来てくれたりしたじゃない」


 例え、亜理紗の反応が、亜理子にとって異常なものでも。


(やっぱり、お姉ちゃんも「樹さん」の事を「知ってる」のね……)


 亜理子はそんな姉までも変えてしまう異常に、しかし恐怖は持たなかった。

 代わりに抱いたのは、何か大切なものを汚されたような、不快感。


「午後、治療の事で会うんだけどさ、お姉ちゃん、一緒に来てくんない?」

「え? ええ、もちろんいいわよ」


 だから、亜理子は、徹底的に反発することにした。

 この後、樹と会う事になるのだが、確かドラマでは主人公、つまり亜理子にあたる人物と一対一だったはずだ。そして、主人公の姉、つまり亜理紗にあたる人物には、樹はわざわざ別の場所を用意して、意図的に端折った説明をしている。その説明で妹が重体と勘違いした姉は、父に樹を援助するよう頼み、樹はその援助で治療とは関係のない「実験」もついでに行おうとする。つまりは亜理紗が利用される事になる。

 そんなことは、絶対に許さない。


「ねえねえ、亜理子ちゃん、他に何かして欲しい事とか、ない?」


 そんな亜理子の内心を知らず、亜理紗が楽しそうに問いかけてくる。

 亜理紗もドラマの筋書を覚えていてくれれば楽なのだが、


「あー、ドラマの録画、頼んどこうかな……緑の病棟ってヤツなんだけど、知ってる?」

「うーん、知らないけど、すぐ調べるわ!」


 どうやら、そう都合よくはいかないらしい。ドラマ自体が「無かったこと」になっているようだ。証拠に、


「亜理子ちゃーん、検索かけても、出てこないんだけど……」


 亜理紗が携帯から検索をかけても、ヒットしなかった。


「ちょっと貸して?」


 亜理紗から携帯を借りて、操作する亜理子。その横で、自分の携帯でも、同じドラマのタイトルで検索をかけてみる。結果は、亜理紗の携帯は数件しかヒットしなかった一方、亜理子の携帯では数万件のヒットが表示されている。


(……私の携帯は、私と一緒に「取り残されてる」みたいね)


「取り残されてる」という表現が正しいか否かは不明だが、現実化の影響を受けなかった事は確かなようだ。そのくせ、『サイコ・フレア』やら『びょういんのおるすばん』やらはしっかり検索に引っ掛かるのだからタチが悪い。まるで、今回は、社会へ誤魔化しが効かなくなるほど、大規模になると宣言されているようだ。


「亜理子ちゃん? 何してるの?」

「ん~、ドラマのタイトル、違ったみたいだから。これだったわ」


 逆に、亜理紗の携帯で目についたドラマの公式サイトを渡す。その名も『白い病棟』。無論、亜理子は知らないドラマだし、亜理子の携帯では数件しかヒットしない代物だ。


「亜理子ちゃん、それ、この間、最終回だったヤツじゃない」

「あれ? そうだっけ?」

「そうよ。亜理子ちゃんったら、一緒に見ようとしたら、私の事、追い出したじゃない」

「ん、じゃ、さ、再放送するみたいだから、録っといて?

 でさ、治ったら一緒に見よ?」


 亜理紗は少しだけ目を見開いて、すぐにうなずいた。

 自分らしくもない甘え方をしてしまっただろうか。

 急に照れくさくなって、亜理紗に携帯を突き返す。


「じゃあ、午後、忘れないでよ?」

「ちゃんと迎えに来るわ……あ、それとも、一緒にいた方がいいかしら?」

「いや、そういうのいいから」

「え~? 亜理子ちゃん、遠慮しなくても……」

「いいから出てけ!」


 再びペタペタと身体を触り始めた亜理紗を、強引に引き離す。

 ようやく安心したのか、病室を後にする亜理紗。

 亜理子はその細い背中を見送りながら、『緑の病棟』のHPを映す携帯を強く握り締めた。


 ※ 続きます(次回更新は、2019年6月10日(月)を予定しています)。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る