#7-b 狂夢

 亜理子と別れたアキは、母親である圭の待つ診察室へと向かっていた。

 昨日、家に帰って、アキに小さな擦り傷を見つけた圭はこう言ったのだ。


――やっぱり心配だから、病院に行きましょう。


 大げさもいいところである。何度も断ったのだが、圭は折れなかった。

 どうも、母は娘の事となると、異様なまでに過保護になるところがある。

 母子家庭とはいえ、いい加減、子離れしてほしいものだ。


(……でも、いつ擦りむいたんだろう?)


 額の傷を触ってみる。ちょうど、伸ばした前髪で隠れてしまう位置にあり、傷口も小さく、よく注意してみないと分からない。さっきまで一緒に話していた亜理子にさえ、気づかれなかったほどだ。しかし、こんなに小さな傷とはいえ、昨日の学園祭で、顔に傷を負うような場面があっただろうか?


(気が付かないうちに、小さな瓦礫にぶつけたのかな?)


 もっとも、本当になかったかと聞かれると、自信はない。あの時は逃げるのに夢中だった。亜理子がいなかったら、自分もどうなっていたか分からない。

 亜理子が来るまでの間、待合室で見た、包帯を巻いた生徒が思い浮かぶ。

 それを追い払うように、圭の待つ診察室のドアを開いた。


「あら、ちゃんと来たわね?」

「もう、そう言うなら、始めから病院なんかに呼ばないでよ」


 文句を言うアキに、苦笑で返す圭。そこには、言葉以上のコミュニケーションがあった。

 あ、アキと意思疎通が成立してる……!

 亜理子なら、そう言うだろうか。

 もう、お母さんはいいの!

 自分は、そう返しただろう。圭とは長い間を過ごして、ある程度感情が分かるせいか、問題なく話すことが出来る。むしろ、圭とのコミュニケーションになれ過ぎて、感情を読むことが出来ない他人を必要以上に怖がっているのが、今の自分だ。母子家庭とはいえ、早く親離れしたいものである。


「じゃあ、ちょっとついて来てもらえるかしら?」


 が、続く圭の行動は読めなかった。診察室を出て、廊下を歩き始めたのだ。


「もしかして、外科の先生に怪我を見てもらう、とか?」

「いえ。小さな怪我だから、外科だとちゃんとした検査をしてもらえないでしょう?

 だから、ちょっと権力を使うことにしたわ」

「権力って……?」


 ついて来れば分かる、とばかりに廊下を歩く圭。

 廊下を抜け、裏口から外へ。そのまま、病院の隣にある、附属大学の敷地に入る。改築が済んだばかりの施設の間をぬい、たどり着いたのは、少し古びた施設――脳科学研究所。圭はプレートが掲げられたエントランスを素通りし、205号室と書かれた扉を開いた。


「ここ、お母さんの研究室じゃない」

「そうよ。念のため、脳波を測っておこうと思って」


 過保護、ここに極まり。

 絶句するアキ。


「いくらなんでも、そこまで……」

「ダメよ。頭をケガしたんだから、ちゃんと見ておかないと」


 が、圭は気にした様子もなく、奥にある扉へ手をかける。

 言い方は優しい母親なのだが、やり方は病んだ母親である。

 ここは娘として止めるべきなのだろう。


「でも……」

「いいから、安心させて?」


 しかし、振り向いた視線に、言葉を飲み込んだ。


(そういえば、お父さんも、ケガが原因だったんだっけ?)


 アキは、父のことをあまり知らない。

 物心ついた頃には既に亡くなっていたし、圭も父親の事をあまり話したがらなかった。

 ただ、父は母と同じ研究者で、実験の途中に負ったケガが原因とだけ聞いている。


「……分かったよ」

「そう、ごめんなさいね」


 誰のための検査なのか。

 圭も、それを分かっているのだろう。小さく謝ってから、研究室に入る。

 後に続くアキ。

 出迎えた光景は、以前、大学生活に興味を持ったアキが、母に連れられて見学に来た時と、まったく同じだった。

 学問書が並ぶ棚に、どこのオフィスにでもありそうなデスク、良く分からない文字列を並べるパソコン。飲みかけのコーヒー。

 そのどこか生活感を残す「研究室」に、安心したような、失望したような、妙な感想を抱いたものだ。

 そして、それとは真逆の印象を与える、研究室の奥の部屋も。


(相変わらず、ここ、慣れないな……)


 研究室の奥に設けられた「簡易実験室」。

 圭が照明のスイッチを入れると、様々な機材や、治療用の椅子が浮かび上がる。

 無機質な機械の行列は、不気味な雰囲気を作り出し、空気まで冷たく感じさせた。


「じゃあ、座ってもらえる? あ、上着は預かるわ」


 そんなアキの事などお構いなしに、圭は部屋の中央――ヘッドホンと電極がつながれた治療用の椅子へと誘導していく。

 アキは観念して、上着を脱いで圭に渡すと、椅子に体重を預けた。

 慣れた手つきでアキの服をはだけさせ、身体に電極を貼り付けていく圭。

 冷たい感触に少しだけ顔をしかめた。圭から、気遣うような声がかかる。


「途中で気分が悪くなったりしたら、無理しないで手を上げて知らせてね?」


 うなずいた途端、ヘッドホンのようなものをかぶせられた。

 脳波を測る機材だ。何度か同じ検査を受けたことがあるので、多少は慣れているが、機械に感覚を奪われるのは、あまりいい気分ではない。


(もうちょっと、抵抗した方がよかったのかな……?)


 わずかな後悔が浮かぶ。

 直後、ヘッドホンからノイズが響いた。

 不快感は一瞬。

 アキは、意識が急速に薄れていくのを感じた。


 # # # #


 どのくらい時間が経っただろうか、アキは午後の日差しの中で目を覚ました。

 先ほどの治療椅子ではなく、真っ白なベッドに寝かされている。

 周囲を見回すと、圭の研究室。


(ベッドなんて、あったかな……?)


 そう思いながら起き上がる。それとほぼ同時、圭から声がかかり、


「あら、起きた?」


 いや、圭ではなかった。圭と同じ白衣を着た、金髪の女性だ。


「どうしたの?」

「あ、その……?」


 まるで、ここにいて当然とでもいうかのように、問いかけてくる女性。

 余計に混乱したアキは、ただ意味のない言葉を繰り返す。


「どうしたの? どこか、気分、悪い?」


 そんなアキを、心配そうにのぞきこんでくる金髪の女性。

 アキはかろうじて首を振った。


「そう? 何かあったら、遠慮なくいってね?」


 優しい声が、まるで母親のように響く。


「じゃあ、お母さんの仕事が終わるまで、亜理子ちゃんのところ、行きましょうか」


 しかし、続く言葉には、目を見開いた。

 いま、確かに「ありす」と聞こえた。

 だが、聞き返す暇もなく、女性は手を差しのべてくる。


「立てる?」

「あ、は、はい」


 恐るおそる手を取って、ベッドから降りる。今更ながら、服が黒を基調にしたワンピースに変わっている事に気づいた。こどもの頃、よく着ていた服だ。

 だが、懐かしさを抱くより先に、違和感が襲う。

 異様に軽い体重。低い視線。そして、もう着られなくなったはずの服に、すっぽりと収まる未熟な身体。


「……あれ?」


 思わず、疑問の声が出た。


「どうしたの?」

「あ、い、いえ、大丈夫です」

「そう? じゃあ、ついてきてね?」


 だが、女性の声に、無理やり違和感を閉じ込める。

 部屋を出て、番号を見ると、205。しかし、何度も声を上げるわけにもいかない。アキは何とか沈黙を保ち、女性の背中を追い続けた。脳科学研究所を出て、来た道をさかのぼるように病院へ。途中、先ほどはなかった工事中の敷地や、古い施設が目についた。病院の中はさほど変わらないものの、よく見れば、汚れが少ないように思える。


「どうしたの、きょろきょろして」

「え!? ええっと……」


 せっかく声を抑えたのに、視線で気づかれた。

 とっさに、目に付いた場所へ逃げる。


「そ、その、お手洗い、行っていいですか?」


 行き当たりばったりにしては、いい場所を選んだというべきだろう。

 駆けこんだ先には、鏡があったのだから。

 鏡をのぞきこむ。

 そこには、アルバムから抜け出したような、幼い自分が映っていた。


(やっぱり……)


 目を見開いたものの、驚きは小さい。

 映画に出てきた幽霊に、ライトノベルのモンスター。ここまでくれば、自分が過去に飛ばされてもおかしくはない。いや、本当に過去へ飛ばされたかどうかは、まだ分からない。アキの記憶に、あの金髪の女性は存在しないのだから。


(……もしかして、六条さんのお母さんかな?)


 そういえば、亜理子の親も、この病院で働いていると言っていた。案外、自分の過去と亜理子の過去が混ざったのかもしれない。亜理子によれば、映画の幽霊をやっつけたのも、特撮のヒーローだったという。理解を超えたクロスオーバーがあっても何の不思議もない。むしろ、相手が亜理子でよかったというべきだろう。


「よかった。ずいぶん遅かったけど……ホントに大丈夫?」

「あ、はい、大丈夫です。もう出ますから」


 なかなかトイレから出てこないアキを心配したのだろう、入って来た金髪の女性に慌てて返事をすると、廊下へ出る。

 受付を素通りして、そのまま病室が並ぶ二階へ。


「亜理子ちゃん、アキラ、連れて来たわよ?」

(アキラ……?)


 その名前を、アキは知っている。

 亜理紗から教えてもらった、亜理子と同じ部活の、友達の名だ。

 しかし、なぜ自分がその名前で呼ばれているのだろうか?

 不審に思いながら、金髪の女性の後に続いて扉をくぐる。

 そこには、小さな亜理子がいた。


「あ、アキラちゃん!」


 まだ幼い顔立ち。髪も染めていない。そんな亜理子が、ピンクのパジャマを着て、ぬいぐるみが並んだベッドの上で、ゲーム機片手に笑顔で手を振っている。


(か、可愛い……!)


 思わず、心の中で叫ぶ。普段はカッコイイ(とアキは思っている)亜理子とのギャップも相まって、その破壊力は抜群である。思わず、名前にちゃん付けで呼び返してしまった。


「あ、亜理子ちゃん」

「んー?」


 首をかしげる亜理子。


「な、何のゲームしてるのかなって……」

「えっとねー、『テディ・モンスター』!」


(やっぱり……可愛い!)


 嬉しそうにタイトルを告げる亜理子へ微笑み返し、画面をのぞき込むアキ。

 そこには、


 ひどいノイズ越しに、首だけになった金髪の女性が映っていた。


「っ!?」


 思わず顔を背ける。

 が、そこには幼い亜理子も、亜理子の母親らしい女性もいなかった。

 代わりに、205号室奥の実験室が広がっている。

 しかし、部屋の中央にあるのは、治療椅子ではなく、人型のガラス像。

 影色に濁ったそれは、ゆっくりと振り向いて、


「い、や……」


 ゲームの画面に見たのと同じ、血の涙を流す金髪の女性の顔と、目が合った。

 恐怖に停止する思考。

 だが、すぐに、目の前の影の怪物は、砕け散った。

 怪物の後ろから現れたのは、自分と同じ顔を持つ少女。

 ヘッドホンを被り、手にはナイフ。

 が、凶器に気づいたとき、その刃は、アキに突き立てられていた。

 痛みは、ない。

 代わりに、急激に意識が薄れて――。


 ※ 続きます(次回更新は、2019年6月3日(月)を予定しています)。


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