#6-f 悪寒
部室を飛び出した彼は、つい先ほどまで懐かしさであふれていた廊下を走っていた。
多くの生徒達が校舎に響いた揺れの原因を見ようと窓に張り付き、鎧を鳴らしながら走る彼を無視したのは、不幸中の幸いといえよう。
唯一、外に出る直前、逃げてくる女生徒二人――活発そうな茶髪の女の子と、大人しそうな黒髪の女の子が、すれ違う寸前、驚いたような顔で立ち止まり、身構えるという反応を見せたが、それとて急ぐ自分の脚を止めるものではなかった。
とにかくグラウンドへ。
そんな想いは、誰にも邪魔されることなく達成された。
が、達成された瞬間、彼は停止した。
右には、入口が壊された砦と、一緒に移転してきた四人。
左には、怒りを見せながら立ち上がる、手負いのモンスター。
周囲には、おびただしい血と、瓦礫とガラスの破片、逃げ惑う人々。
そして、遠巻きに携帯を向ける一団。
異様な光景だった。
いや、あるいはこれが現代に生きる人々にとって、当たり前の反応なのかもしれない。
相手は普通に生きていればまず遭遇することのないモンスター。どのくらい離れれば安全かなど分からない。とりあえず、みんながいる場所に居れば安全だろう。安全な場所まで退避すれば、後は危険な出来事を、笑うなり、嗤うなりすればいい。自分にはどうしようもないのだから。そのうち、先生なり、あそこにいる関係者らしきコスプレ集団が何とかしてくれるはずだ。そう考えても、何もおかしくはない。
だが、しかし、この「当然の光景」を前にして、湧き上がる奇妙な感情は何だろうか。
「クランッ!」
処理できない感情は、突然響いたジルの声で遮られた。
ジルは自らの獲物である戦斧を、まっすぐ上に掲げている。
連携の合図だ。
瞬間、彼はクラン――主人公となった。
剣を抜いて駆けだし、大口を開けて迫る白い臥龍へと立ち向かう。
野生の殺意にあふれた牙を寸前でかわし、すれ違いざまに剣を一閃!
しかし、鉱山の中で硬化した皮膚は、容易に刃を弾く。
手にしびれを感じながら、彼は距離を取るついでに、ジルの元へ駆け寄った。
「作戦は?!」
「私たちで足止め! あとはヴィヴルたちが何とかするから!」
頼りになることだ。
ネットカフェで声が届かなかった時はどうなることかと思ったが、天才キャラはどこでも天才キャラらしい。作戦の細部を聞く余裕がないのが残念だが、きっと原作のイベントと同じ様に、目の前の問題も乗り越えられるのだろう。
彼は、そんな一種の安心感を持って、モンスターへ剣を構え直した。
相変わらず単調に突っ込んでくるモンスターを、ジルと逆方向へ飛んでかわす。
再びすれ違い様に刃を当てるも、まるで岩を引っ掻くカッターナイフの様に弾かれる。
だがそれでいい。今は、モンスターの目をこちらに向けていればいいのだから。
(このまま、時間を稼げば……っ!?)
しかし、その目論見は崩れた。モンスターは彼に背を向けたまま、突進を続けたのだ。向かう先にいたのは、フィル。校舎へと走る彼女を、逃げる獲物と勘違いしたのだろう。暴走した列車のように加速を続け、スピードと重量で押しつぶそうと迫る。
背筋を、冷たいものが走った。
が、フィルは背後からの圧力に気づき、接触の直前、姿勢を崩しながらもモンスターの進路から逃れた。臥龍は勢いを止められず、フィルの方へ首を向けながら、校舎へ身体をぶつける。全身を打ち付けた衝撃に、開いたままの大口から苦悶の咆哮を上げ、
そして、舌を伸ばした。
「フィルッ!」
ジルが叫ぶ。
しかし、舌は容赦なく金髪の女エルフを口の中へと引きずり込む。
そして、顎が、閉じた。
肉が、骨が、噛み砕かれる音が響く。
むき出しの歯から零れ落ちた白い足と腕が、真っ赤な血の糸を引いて、地面に転がった。
数十メートル先で起こったその光景を、彼は呆然と見つめていた。
そんなはずがない。その、舌を伸ばして、噛み砕くのは、もう少し先――隣国と戦争になって、意図的にモンスターの封印を解き、敵軍を混乱させる時だ。そして、噛み砕くのは、いかにも悪役の、肥え太った敵国の将軍だったはずだ。
それがなぜ、今、フィルが、メインヒロインのひとりが、犠牲になっている?
「うわぁぁぁあああ!」
そんな疑問を吹き飛ばす絶叫が響く。ジルだ。戦斧を構え、モンスターに突貫する。
「落ち着いてっ!」
それを止めたのは、ヴィヴル。
準備を終えたのだろう、対戦車ミサイルの様に巨大な兵器を展開し、臥龍を狙っている。
その後ろから、メルが飛び出した。
フィルの遺志を継ぐように、まっすぐ校舎の入り口へと走る。
メルに首を向ける臥龍。
瞬間、轟音。
ヴィヴルが起動した兵器は一直線に臥龍を貫き、大地に沈めた。
倒れた龍を中心に、魔法陣が浮かび上がる。
そこから放たれた幾筋もの光は、意思を持つように曲がりくねり、拘束具となって臥龍を絡めとる。
だが、拮抗は一瞬。
臥龍は光を引きちぎって立ち上がり、
「ジルッ!」
兵器を捨てたヴィヴルが、ジルに向かって麻袋を投げる。
「っ! おう!」
中身は、鉄網。その一端を手にしたジルは、勢いをつけて振り回し、
「いい加減っ! 止まれ!」
遠心力を乗せて、放り投げた。
降ってきたネットから脱け出そうと、もがく臥龍。
そこに、ヴィヴルが銃を向ける。先程の兵器とは違う、ハンドガンだ。
「即席だけど!」
銃声。
弾丸が貫いた鉄網に魔法陣が浮かび、再び臥龍を地に縫い付ける。
「これでっ! 一時間は持つ、ハズっ!」
息を切らせながら、へたりこむヴィヴル。
しかし、臥龍は首をもたげた。
鉄網の上の魔法陣が、古いロープが軋む様な音を上げる。
「くっ!」
銃を乱射するヴィヴル。
そのたびに臥龍は体勢を崩すものの、すぐに立ち上がろうとする。
「もうよせ! 逃げろっ!」
彼は、そんな光景に耐え切れず、ヴィヴルを引き離そうと駆け寄り、
携帯のカメラの音に、足を止めた。
――あの魔法陣、どうなってんだ?
――さあ? でも、なんか初めに出てきたのに比べて地味じゃね?
グラウンドに出たばかりの時に抱いた感情が、彼を襲う。
思わず、その感情を掻き立てる原因に振り向き、
「ヴィヴルッ!」
ジルの絶叫で、臥龍の方へ引き戻された。
目に映ったのは、拘束を脱した龍の尾に弾き飛ばされるヴィヴル。
サッカーボールのように吹き飛び、グラウンドに叩きつけられる。
慌てて駆け寄り、助け起こすも、
「ごめ……けいさ……ん、まち……がえ、た」
ヴィヴルの状況は、絶望的だった。
腕は折れ、皮膚を突き破って骨がのぞいている。
内臓も潰れたのだろう、どす黒い血が、白衣越しに流れ続けていた。
「待ってろ、今、いまっ!」
そんなヴィヴルに、彼は何を叫んでいるのか、自分でも分からなかった。
ただ、泣いていたようだ。
自分の頬を伝わる熱い涙が、ヴィヴルの綺麗な顔を濡らした。
そんな彼に、ヴィヴルは、小さく微笑み、
静かに、目を閉じた。
硬直する一瞬。
次いで、心が沸き立つような、何かがこみあげてくるような、奇妙な感覚が彼を襲った。
頭の中が真っ白で、それでいて色々なものが混ざりあったようで、彼は言葉で思考することを忘れたまま、ただヴィヴルの小さな身体を抱きしめつづけた。
不意に、頬が鳴る。
それがジルの平手打ちだったと気づくのに、何秒経っただろうか。
「立って!」
そう、言われた気がした。
「ほら! あっち! しっかり見て!」
言われるがまま目を向けた先に見えたのは、校舎に駆け込むメルと、それを襲う臥龍。
「っ! 追うぞっ!」
急速に現実へと引き戻された彼は、駆け出していた。
ヴィヴルの身体を抱えたまま。
「挟撃するっ! ジルはアイツを後ろから追いたててくれ!」
「待てよ」
校舎の中、壁を削りながら廊下を走る臥龍の尾を前に、叫んだ時、
ジルの声が、冷たく告げた。
「ヴィヴルは、もう、休ませてやれ」
何かを抑え込むような、それでいて有無を言わせないような口調。
彼は呆然として――しかし、ジルの言葉に従った。
抱えたままだったヴィヴルを、そっとジルに預ける。
汚れたコンクリートの床に寝かせることは、出来なかった。
無論、挟撃を提案した以上、ジルもヴィヴルを抱える余裕はない。
だが、ジルは黙ったまま受け取った。
「……すまない、頼む」
「ああ」
そして、入り口正面の階段を、一気に駆け上がった。
飾り付けられた廊下を走る。
途中、何人かの生徒が彼を見て携帯を向け、笑い声をあげた。
沸き起こる不快を押さえつけながら、下から伝わる振動を追い越し、廊下端の階段を飛ぶ様にして降りる。
剣を抜き放ち、刃を向けた先には、
メルを頭から喰らう、臥龍がいた。
「う、うわぁぁぁあああ!」
絶叫と共に斬りかかる
直前、臥龍にヒビが入った。
そのヒビは臥龍の背後から広がっているようだった。
輪郭から中央に向けて広がり、それが彼から見て正面に達した時、
臥龍は粉々に砕け散った。
(なんだっ!?)
ジルがヴィヴルから隠し兵器でも受け取っていたのか?
その可能性は、思い至ったと同時に否定された。
臥龍の背後から現れたのは、ジルではなく、校舎から砦へ戻る時にすれ違った、黒髪の女生徒だったからだ。
いや、違う。
さっきすれ違った少女は、もっと髪が長かったし、ヘッドホンも着けていなかった。何より、戸惑うように手を引かれていた、いかにも大人しそうな雰囲気が、まるで感じられない。顔立ちこそ違うが、別人だ。そんな事より、なぜ……
そう思ったと同時、目の前の少女は消えた。
残像を追うように一、二歩踏み出す。
が、腹部に走る衝撃に、その歩みは止まった。
視界が捉えたのは、ナイフ。
彼はそこから、自分の身体にヒビが走っていくのを見た。
恐怖を感じて、ナイフを引き抜こうとするも、身体は動かない。
反転する視界。
どうやら倒れたらしい。
ガラスが割れるような音が耳元に迫り、
全身に、悪寒が走った。
(なんで、こんな……!)
急に襲ってきた寒さに抵抗するように、彼は心の中で叫んだ。
なぜ、自分がこんな目に遭わなければならない!
こんなイベントは、原作には、なかった!
しかし、声は出ない。
代わりに、どんどんと寒さが増していく。
死。
酷い眠けと共に、そう悟る。
彼はしかし、正体を現した「寒さ」に、どこか懐かしいものを感じていた。
彼はかつて、この街に、同じ「寒さ」を抱いていたのだ。
誰もが、自分はつらいんだ、こんなに努力してるんだ、忙しいんだと叫び、
誰もが、他の誰かから手を差し伸べられることを期待している。
そして彼も、彼自身が街の住人と同じ、誰からも認められず、そのくせ、誰も認めようとしない人間だと、理解していた。
そして、そんな自分に染みついた孤独を、彼は「寒い」と感じていた。
だからこそ、異世界は「暖か」かった。
誰もが、手を差し伸べてくれた。
誰もが、理解してくれた。
そこに、現実で受けるような嫉妬や嘲笑、誤解はない。
そして、いつの間にか、その与えられる「暖かさ」が、当たり前になっていた。
ネット越しに見た、「寒い」はずの光景が、懐かしく美しい思い出に変わるほどに。
急に、周囲の光景が、色を無くしたように思えた。
まるで、人のぬくもりを求めることそれ自体が、間違いだとでも言うように。
まるで、現実では得られない温もりを、異世界に求めるのを――未来や新世界に、希望を持つこと自体を、否定するかのように。
まるで、彼を認めなかった、自分と同種の人間のように。
だから、彼は手を伸ばした。
確かに、彼が経験した、あの暖かい世界に。
かつて、彼が経験した、友達や家族との、楽しかったと言える思い出に。
だが、伸ばした手は、ただ空を切り、
「……早く、戻って」
そんな声が、響いた。
ああ、戻りたいさ。
彼はそう答えようとして、気づいた。
戻っても、ヴィヴルも、フィルも、ジルもメルもいない事に。
寒い世界で、歩かなければならない。
現実と、同じように。
――立って!
だが、そう思ったとたん、ついさっき聞いたジルの声が、脳裏に浮かんだ。
伸ばした手が、降りる。
同時に、ヴィヴルが最後に見せた、あの小さな暖かさがまぶたの裏によみがえり、
ガラスが割れるような音が、響いた。
※ 続きます(次回更新は、2019年5月27日(月)を予定しています)。
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