#6-e 怪物

 山田啓二(三十五歳独身)は、実直な体育教師である。

 進学校に属するこの学園において、軽視されがちな体育という授業が、生徒たちに活気を失わせることなく、むしろストレス発散の場として受け入れられているのは、その実直さがなせる業であろう。

 ドラマの熱血教師の様に生徒と過剰接近することもなく、漫画のダメ教師の様に先生もサラリーマンだと諦めることもなく、他の教科の一部の教師の様に自分を大きく見せようと功績を自慢するでもなく、一線を引きながら指導に当たる姿は、生徒たちにおぼろげながら大人の円熟したコミュニケーションを感じさせていた。

 実に「優等生」な先生である。

 それだけに、目の前の現実を常識の中で処理しようとした。

 この優秀にして平凡な山田先生を、誰が責められるだろうか。

 学園祭の真っ最中。体育教師が処理する問題は山のようにある。気が付けばグラウンドにできていた、およそ建築基準法を満たしているとは思えない砦も、生徒が羽目を外し過ぎた結果の一部と扱っても、無理はない。

 それに、その誤解の代償は、すぐに自分で払う事になるのだから。


「いい加減にしなさい! ヒーローショーもどきの呼び込みは、行っていない!」


 そう怒鳴った時、目の前のふざけた格好をした二人は、こちらへ驚いたような顔を向けた。まるで狂人に出会ったかのような顔だ。しかし、次の瞬間には、その驚愕は焦りに変わっていた。


「死にたいのですかっ!」


 そう怒鳴られた瞬間、山田教員の身体は背後に引っ張られていた。反射的に、自分の身体がその場に止まろうと抵抗したのは覚えている。だが、華奢な女性にあるまじき力によって、平均的な成人男性より上の体格が軽々と持ち上げられ、地面に転がされていた。

 そして、ついさっきまで立っていた場所には、張りぼてと思われたモンスターが、本物の重さを持って倒れ臥している。

 実際には怪物がその巨体で三人を押しつぶそうとのしかかったのだが、山田教員に認識できたのは結果のみだった。いや、結果すら認識できているとは言い難い。起こり得ざる事態が起こり、混乱しているだけだ。


「アレは本物です! 早く避難を! それと、出来る限り兵を集めてください!」


 そこへ、何度も押し問答を繰り広げた相手の声が響く。

 しかし、山田教員を現実に引き戻したのは、フィルの怒号ではなく、背後から聞こえてきたシャッター音と、生徒の話し声だった。


――ほら、あれ。ラノベのコスプレ。

――おー、ホントだ。撮っとこ。後でネットに流すんだ。

――つーか、あれ、山田先生、じゃね?

――うわ、ホントだ。身体張ってるね。


 いつの間にか、生徒たちが集まっていた。

 スマホのカメラをこちらに向け、修学旅行の自由時間のごとく、秩序のない話し声を響かせる。

 その光景が、一瞬でも本物に思えたモンスターやエルフを、ただの張りぼてとコスプレイヤーに戻した。

 混乱しかけた頭に、平静と常識が戻る。


「分かった。こちらもそれなりの対処を取ろう」


 突き飛ばしてくれた金髪にそう言い捨てて立ち上がると、生徒の方へゆっくりと歩き始める。

 まずはこの馬鹿騒ぎを止めなければならない。

 ヒーローショーもどきが、既成事実になって、調子に乗られてはたまらない。


「ありがとうございます!」


 しかし、その歩みは背後からの声に止められた。

 まるでこれで自分たちが認めたと主張するかのような口調に、思わず振り向く。

 金髪の女はこちらに背を向け、芝居の続きに集中していた。

 バカにするかのような態度に、怒りがこみ上げる。


「おいっ!」


 だが、怒りをぶつけようとした相手は、横に大きく飛んだ。

 代わりに目の前に現れたのは、こちらに倒れこんでくるモンスター。


「な……っ!」


 金髪のそんな声を遠くに、巨大な衝撃が、山田教員を襲った。


 # # # #


 なぜ、まだそんなところにいるんですか!

 モンスターの下で物言わぬ血だまりとなった男に、フィルはそう叫ぼうとした。


――それなりの対処を取ろう


 その言葉を聞いて、この男はようやく事態を理解したのだろうと思った。

 生徒達を逃がすのだろうと思った。

 そしてそれは、モノの数秒で果たされるだろうと思った。

 なにせ、目の前にモンスターがいるのだ。

 教師が振り返って逃げろと叫べば、まともな戦闘など経験したことがない貴族のお坊ちゃんお嬢ちゃん方は、すぐに恐怖で逃げ出すはずだ。

 だからこそ、モンスターが再びのしかかってくるような姿勢を見せた時、避けた。

 背後には、既に誰もいないはずだったからだ。しかし、


(どうして……!?)


 自分の説明が伝わらなかったのか。そんな疑問が頭を駆け巡り、


――あ、山田死んだ。

――ていうか、あれどうなってんの? マジでつぶれてね?

――まさか。着ぐるみの中に隠したんでしょ?


 そして、真っ白になった。

 周りに集まり始めた、生徒と思われる若い人間たちが、こちらに奇妙な四角い板を向け、笑っているのである。


(何をしているのっ!? 同朋が、あなた達の先生が、殺されたのよ……!)


 叫びたかった。だがその前に、モンスターの下から、骨肉がすりつぶされる音が響いた。

 モンスターが巨体を前進させ始めたのである。

 臥龍は、ゆっくりと、周囲をうかがうように首をもたげ、

 群衆に向かって突進した。


「っ! 逃げて!」


 フィルの叫びを聞いた数人と目が合う。

 四角い板から目を離したその人間たちは、笑ったままモンスターに轢き殺された。


――うわ、ちょっと、押すな!

――え!? 何?


 わき起こるざわめきを背に、モンスターは進み続け、奥の白い建物にぶつかって止まった。

 進路を止められたのが不満なのか、建物に何度も体当たりを繰り返す。


「おいっ! なにボーっとしてんだ!」


 呆然と目の前の惨劇を見つめていたフィルに、ジルの声が響いた。

 隣にはヴィヴルと、巨大な銃を引きずったメルもいる。

 フィルは首を振って感情を追い払うと、静かに三人に告げた。


「ごめんなさい。説得は、出来なかったわ」

「失敗したのは仕方ないよ。フィルでダメなら、私たちがここのヒューマノイドと分かり合うなんて不可能だ」


 ヴィヴルが答える。

 そう、今は成否にこだわっている場合ではない。

 そんな暇があれば、現状の打開策を考え、実行すべきだ。

 思考を切り替えて顔を上げると、それに応えるように、ジルが暴れまわるモンスターと未だ遠巻きに薄い板を向ける生徒達に視線を向ける。


「で、どうすんだ? 逃げねぇ、目の前で仲間が死んでも助けねぇ……ここの連中はアテにならないぜ?」

「私たちで何とかするしかないでしょう。幸い、武器庫にあった弾丸をかき集めて、封印兵器一発分は何とかなった。後は、封印を維持する魔素をどうにかすれば……」


 答えたのは、やはりヴィヴル。

 だが、先ほど彼女の考察メモを受け取ったフィルは、現実を突きつける。


「でも、このあたりに魔素はないみたいなのよ。

 魔素を不活性化するような術式を張った様子も……」

「あの、失礼ですが、魔法なしで、あんなに立派な建物を造られるものなのでしょうか?」


 が、そこへ、メルがおずおずと手を上げた。

 視線の先には、モンスターの攻撃に耐える建物。

 ガラスは割れ、表面は崩れているものの、原型を保っている。

 フィル達の知識を超えた、恐るべき耐久度だ。


(確かに、あれを魔法なしでなんて……っ!?)


 メルの疑問の回答を探ろうとして、フィルは目を見開いた。

 モンスターを遠巻きに見ている生徒の群れをかき分け、逃げ出そうとする二人の少女が目に入ったのだ。

 ひとりは、茶髪の女生徒。

 茶髪、といってもエルフのように自然なものでなく、染料でも使っているかのように不自然な色だ。顔には焦りを浮かべている。

 もうひとりは、黒髪の女生徒。

 金髪の女生徒に手を引かれ、戸惑いながらも追いすがっている。

 獲物が逃げる足音に反応したのか、モンスターはしがみついていた建物から離れ、二人を追いはじめた。

 一斉に道を開ける周囲の生徒達。

 遅れた数人を轢き殺しながら、モンスターは迫り、


――ちょっと、なんでこっち来るのよ!


 茶髪の女生徒が、瓦礫の破片を投げつけた。

 細腕では考えられない筋力で巨大な瓦礫が持ち上げられ、炎も何もないのに赤く灼熱し、通常ではありえないスピードで臥龍に投げつけられた。

 直撃を受けた臥龍は、ひっくり返ってもだえ苦しむ。


「ヴィヴル!」

「ああ、彼女は今、魔法を使った!」


 短く問いかけるフィルに、ヴィヴルが興奮を含んだ声で返す。

 説明を急かすように、ジルが顔を向けた。


「おい、魔法は使えないんじゃなかったのかっ!?」

「いや、でも、そうとしか考えられない。あの瓦礫は人間の少女が持ち上げられる大きさじゃないし、それに、持ち上げられた瞬間、瓦礫が加熱されて……そうか! 空気中に魔素がないから、直接物質に魔素を打ち込んで、発動させたのか!」

「ど、どういうことだよ!」

「今の私達といっしょだよ。空気中に魔素がないから、弾丸みたいなものに魔素をためて、それを物質に直接添加したんだ。おそらく、魔素をため込んでいたのはあの制服だろう。機能性を好むここの住民が、あんな華美な服を着るなんて考えられない。あの技術を研究できれば……」

「あー、ヴィヴル? そういうの、今はいいから……」


 あらぬ方向に暴走し始めたヴィヴルを、フィルは話を遮って止めた。

 以前なら講釈を続けていたヴィヴルも、この間の決戦で成長したのか、すぐに我に返る。


「……ん、そうだね。さっき彼女がやったみたいに、あの臥龍にダメージを与えるほど瓦礫を超高温に加熱するなんて芸当は、現時点では不可能だよ。でも、どうにかしての動きを止めて、鎖か何かで固定、その鎖に弾丸の魔素を移せば、一、二時間は封印を維持できるかもしれない。その間に、周囲を説得……いや、さっきの彼女に手伝ってもらえば、今度こそ、あのモンスターの息の根を止めることも可能だろうさ」

「なら、私はさっきの女の子を呼んでくるから! ヴィヴルとメルは再封印の用意! それから、ジルは……」


 フィルは指示を出そうとし――奥の建物から飛び出してきた人影を見て、言い直した。


「クランと協力して、モンスターを止めて!」


 ※ 続きます(次回更新は、2019年5月24日(金)を予定しています)。



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