#6-b 帰還

 城へと向かうアヤと亜理子を、「恐るべき完成度」のコスプレに身を包んだ男子生徒は、じっと見つめていた。


(やっぱり、こっちじゃコスプレになるよな……)


 いや、この学園の男子生徒ではなかった。

 ある日突然、剣と魔法の世界に旅立ち、そしてつい先ほど、元の世界である「こちら側」に戻って来た、ライトノベルの主人公、「クラン」その人だった。

 本物である。

 妄想とか、そういうのではない。

 少なくとも、本人はそう思っているし、そう思うだけの記憶があった。


 # # # #


 彼の記憶で数年前。

 修学旅行中に寄った観光名所。当時読んでいたライトノベルの舞台のモデルになったという洞窟で、物語のように崩落に巻き込まれ、異世界に渡った。

 はじめは、信じられなかった。

 しかし、戸惑っている暇もなく、彼の運命は物語と同じように進んでいった。

 救助隊の誘導に従って領主の息子に仕立て上げられ、中世の不便な生活に愚痴をこぼせば、周囲がご機嫌伺いのために改善策を持ってくる。それをうろ覚えの知識で応援し……

 ライトノベルとしては、実に王道な展開である。

 いや、王道は言い過ぎかもしれない。

「現代では活躍できない平凡な主人公が、活躍できる場所に行って活躍したり、苦労したりする」話が彼の嗜好にぴったりだったため、読む本も似たようなジャンルに偏り、結果として王道に見えただけだ。


 とにかくも、彼はそんな「王道」を、数年にわたってこなし続けた。


 領主としての居城から窓を見下ろせば、自然に満ち溢れていた村は既になく、道路は石畳で整備され、夜はガス灯がともり、遠くでは溶鉱炉が稼働する、現代、とまではいかないが、現代から見て二、三世紀前の工業地帯のような光景が広がっていた。

 物語の通り動いた結果である。

 心配になる場面もあったが、果たして本の通り動けばうまくいった。

 といって、彼は自分の力だけで、目の前の「成果」がすべて成しえたとは思っていない。どちらかというと、彼以外の力が、物語中の「天才キャラ」の力の方が大きいと思っている。物語の中の「天才」とは便利なもので、うろ覚えの知識でも、切片さえ見せればあっという間に技術を確立し、実用化してくれるのだから。


「どうしたの、クラン? 窓の外に、何かあるの?」


 話しかけてきたのは、そんな「天才キャラ」のひとり。

 藤色の髪を腰まで伸ばし、白衣を着崩した、見た目はローティーンの少女、ヴィヴルだ。設定上は、竜族の少女で五〇〇歳越え、という事になっている。つまりは人間ではない。人間なら、こんな短期間に技術を実用化させるなど不可能だろう。


「街の景色もずいぶん変わったと思って」

「クランのせいでしょ?」

「いや、技術を実用化したのはヴィヴルだし、住民にその技術を広めたのはフィルだし、軍を引っ張ったのはジルだ。俺はちょっとアイデアを出しただけだよ」


 フィルというのは、政治方面の「天才キャラ」で、ジルというのは軍事方面の「天才キャラ」だ。フィルは金髪白肌、ジルは銀髪褐色の美女だが、設定上はエルフ族という事になっている。つまりは人間ではない。人間ならこんな短期間に技術を普及させたり、短期間の訓練で新しいコンセプトの兵器を運用したりするのは不可能だろう。

 もっとも、「慣れないものに慣れる」というストレスはしっかり感じているらしく、次々と新技術・新兵器を開発するヴィヴルとは仲が悪いようだ。

 今も、ヴィヴルは二人の名前を聞いた途端、眉をひそめた。


「でも、現場の分からず屋にアイデアの素晴らしさを理解させてるのはクランでしょう? 天才にはひらめきが一番大切なのに……」

「努力はしてないけどな」

「一番睡眠時間が少ない人が何を言ってるの?」


 ため息をつくヴィヴルに、苦笑で応える。

 主人公たる彼は、開発者と運用者の間に立って、色々と調整しなければならなかった。もちろん、他にも仕事は山積だ。ひっきりなしに訪れる陳情や苦情への対処、新技術研究の視察、魔法や武術の訓練、近隣の貴族や王室への根回し。作中では数行で済まされていたが、いざやってみるとブラック企業並みの拘束時間である。もちろん、彼自身は実際にブラック企業で働いたことなどないが、そのくらい自分は忙しいと思っていた。しかし、やらなければならない。ここで遊びほうけていては、後のイベントを乗り越えることが出来ないのだから。


(まったく、リアルRPGだよな)


 経験値を稼いで、レベルを上げて、イベントを乗り越えて。

 いや、あるいは彼の学校生活も似たようなものだったかもしれない。

 勉強して、テストをこなして、受験に受かって。

 受験に受かった後、どういうイベントが待っているかは知らないが、さして変わらないのではないだろうか。ネットなんかを見ていると、いい大学を出て、いい企業に就職し、仕事で活躍し、安定した生活を得て、趣味を充実させるのが、「まっとうな人生」とされていた。「つまらない」だの、「楽しくない」だの、「決められたレールを歩いているようで嫌だ」だの、否定する声も多いが、じゃあ他にどんな人生がいいのかというと、明確な答えは返ってこない。せいぜいが「そんなものは人によって違うんだから、自分で見つけろ」である。そのくせ、何かやりたいことを思いついたとしても、ネットではマイナス面が強調され、先生からはそんな暇があれば勉強しろと説教され、両親からは止めなさいと禁止される。否定する方が楽なのはよく分かるが、否定される側はじゃあいったい何をどうすればいいのかさっぱりである。


 だが、この世界では違う。


 中世の西欧をモデルにした世界だけに、現代から見れば「遅れて」いる。社会や文化が抱えている問題も、現代から見れば「解決済み」のものばかりだ。さらには、ライトノベルの筋書という「成功するためのマニュアル」も知っている。陳情や苦情の処理も、新技術の発想も、魔法や武術の訓練も、王室や貴族との交渉も、筋書の通り行動、あるいは、筋書をより「正解」に近づけるよう脚色することによって、理想的な形で解決することが出来る。その努力は確実に報われ、街が発展して、住民にも感謝される。一部、違う発展の可能性があったなどと言う輩もいるが、所詮は机上の空論。現実に成果を上げている改革を目の当たりにすれば、圧倒的多数の支持の前に消えていく。何も問題はない。

 そうとでも考えなければ、生きていけなかった。

 なにせ「リアルRPG」だけに、「ゲームオーバー」は「死」に直結する。彼が多少強引な「努力」を続けるのも、仕方がないと言えた。幸いなことに、現実と違って、「努力は必ず報われる」という保障がある。生き残ることはさほど難しくない。それに、報酬が約束された努力は、苦にならないどころか、むしろ楽しかった。唯一残念なのは、ヒロインとの恋愛もその「報酬」に含まれている事だろうか。「筋書」を知っているだけに、ヒロインたちとの付き合い方も知識として知っている。しかし、知識通り付き合って、その結果好意を得たところで、それは「ヒロインの好意を得るために演じた自分」が好意を寄せられているのであって、彼自身が愛されているわけではない。どこか騙しているような罪悪感がある。金や権力と同じように異性を扱えるほど、彼は人のぬくもりによる幸せを諦めてはいなかった。


「明日は、鉱山の奥に出たモンスターの討伐でしょ? 早く休まないと」


 だから、ヴィヴルの声と視線に恋愛の情を感じながらも、彼は苦笑で誤魔化した。


(まあ、実際好かれているかどうかなんて、分からないしな……)


 物語の主人公と同じ言い訳とともに、強引に思考を切り替える。

 次のイベントは、鉱山開発の途中に見つかったモンスターの討伐だ。

 この舘にヴィヴルがやって来たのは、元々そのための新兵器――レールガンの開発成功の報告を受けるためだった。この後、鉱山近くの砦に新兵器を運び込み、モンスターを狙撃することになっている。もっとも、彼の知る筋書では、初弾は命中するもはじかれてしまい、怒り狂ったモンスターの暴走を誘発してしまうのだが、そこは愛と友情と努力の物語。軍と研究者が連携して砦に誘い込み、今度はレールガンから魔力を打ち出して大規模な魔法を発動、封印。共同戦線を張ったヴィヴル達研究者と、ジル率いる実働部隊が仲良くなって大団円を迎える。

 それが、運命ともいうべき決まった筋書であり、今までの努力が報われる瞬間でもあった。


(……ハズだったんだけどなぁ)


 立ち止まって、知らない学校の廊下を見渡す。

 物語のイベント自体はうまく運んだ。

 モンスターも封印できたし、ヴィヴルとジルの確執もなくなった。

 事件後に様子を見に来たフィルも、作戦の成功を祝福してくれた。

 が、一夜明ければ、砦ごと現実世界である。

 妄想が終わったとか、夢から覚めたとか、洞窟の伝説とか、そういうのではない。

 砦や身に着けた装備品、そして何よりヴィヴル達の存在が、それを否定している。

 そう考えた彼は、窓の外の光景が現実かどうか確かめようと、砦を出た。

 ヴィヴル達には「偵察に行ってくる」と告げている。

 領主の跡取りが、護衛も付けず斥候に出るのは渋られたが、そこは「偵察は多人数では意味がない」だの、「自分の方が強い」だの、「そもそも護衛に回すような兵士は一緒に移転してきていない」だの、適当な理由をつけて押し切った。強引な理由でもこちらの意思を酌んで納得してくれる当たり、流石ヒロインといったところか。現実の人間関係ではこうもいかない。


(ホントに、戻って来たんだな……)


 そして、そんなつまらない現実は、懐かしい感触と共に彼を出迎えた。

 整備されたグラウンドに始まり、異世界とは違う汚れた空気、遠くから響く街の騒音、生徒の歓声。ゴミ箱から拾った学園祭のパンフレットですら、長らく手に触れていなかったラミネート加工の感触が、彼の記憶を揺さぶった。

 気が付けば、パンフレットを広げた手が震えている。

 正直なところ、砦の窓越しに故郷の光景を見ても、彼はさほど感動を覚えなかった。好き勝手できる異世界は居心地がよかったし、何より過ごした時間が長すぎた。通っていた高校はとっくに留年が確定してるだろうし、事によったら退学になっているかもしれない。家族や警察にも、なんて言えばいいのか分からない。いまさら現実に引き戻されたところで、面倒が多いだけだ。

 そう思っていたのだ、砦から外に出るまでは。

 だが、十数年も彼を育ててきた場所に直接触れ、彼は確かに、感情を揺さぶられた。それが喜怒哀楽のうちのどの感情だったのか、彼自身にも分からない。しかし、懐かしい感触に続く記憶――待ってくれている筈の家族や文句を言いながらも通っていた学校、遊んでいたゲームや読みふけった漫画といった、つまらない生活の記憶は、彼の手の震えを決して止めることはなかった。

 そんな手の震えが止まったのは、パンフレットに「電脳部」の文字を見つけた時。

 紹介欄には、「学園祭に疲れたら、小休止。ネットカフェやってます!」とある。

 彼は迷うことなく、鋼の靴を鳴らしながら、電脳部部室へと歩き始めた。

 途中、行く先々で、視線と携帯のカメラが向けられる。

 それに手を振って、あるいは聖剣を掲げて応えながら、悠然と歩く。

 異世界に行く前の彼では、こんな「堂々と誤魔化す」などという芸当は出来なかっただろう。地方の領主の子息として身に着けた技術に感謝しながら、目指す部室の扉を潜る。


「うわ、すご……あ、すみません、いらっしゃいませ」


 こちらの格好に目を丸くするウェイトレス役の女子高生に苦笑しながら、部室を見回す。彼の通っていた学校と同じ、薄汚れた白いコンクリートの壁。窓際には、解放コーナーという手書きの看板とともに、ディスクトップ型のPCが並べられ、何人かはネットサーフィンにいそしんでいる。その奥には、オフィス用の簡単な仕切りで区切られた座席が並び、即席のブースが作られていた。本物のネットカフェのような個室ではないが、それでも何とか「ひとりの空間」を再現しようとしたのだろう。異世界ではありえなかった、「ひとりでいること」に金を払うという価値観が、妙に懐かしく感じられる。


「タブレットの貸し出しは、ご利用になりますか?」


 問いかけるウェイトレスにうなずいて、奥のブースへ。机には、喫茶店で見かけるようなメニューと、店員を呼ぶボタンが置いてあった。


「メニューはこちらになります。注文する場合はこのボタンを押してください。

 ではごゆっくり……」


 差し出されたタブレットを受け取る。どうやら、本物のネットカフェでいうPCの代わりらしい。スマホやタブレットを安心していじれる喫茶店がコンセプトのようだ。異世界に行く前の彼なら、貧弱な備品に詐欺だなんだと文句をつけたかもしれない。だが、異世界で未熟な技術を生かして必死に利用して生きる人々を目にしてきた彼は、むしろ、少ない設備でよくここまで作り出したなと感心した。

 もっとも、それも一瞬。

 彼はすぐに端末の電源を入れ、懐かしいブラウザを起動した。彼の使っていた頃よりバージョンが進んでいるが、基本的な操作は変わらない。迷うことなく、かつて住んでいた住所を、検索にかけた。見慣れた地図が表示される。地図を拡大し続ければ、変わらない、「自分の家」。

 思わず、見入った。

 が、彼の手はすぐに画面を切り替えていった。

 通学路、学校、帰りに寄っていた本屋。

 いずれも、彼の記憶から変わっていない。いや、よく見れば、ゲームセンターだったところがコンビニに変っていたりするが、懐かしい光景を破壊するほどの変化はない。彼は高鳴る動悸を感じて、しかしそれを押さえつけた。


(……いや、今はこんなことしてる場合じゃないな)


 動く手を強引に止め、再び検索画面に戻る。

 入力するのは、パンフレットに書かれている学校の名前。すなわち現在地である。自分の暮らしていた街からは、ずいぶん遠い。新幹線を使って二時間。交通費は、異世界に渡ってからも後生大事に持っていた財布の中身を上回っている。


(どうすれば……あ、いや、ここって、修学旅行先に結構近い?)


 地図をスクロールしながら、気づく。異世界に渡るきっかけとなった修学旅行先なら、ここからそう離れてはいない。そこから連絡を取ろう。突然家に戻るより、理由も付けやすい。洞窟が崩れた後、どうにか逃げ出したが、山の中でさ迷っていた、とでも言えば、多少苦しいが誤魔化すことはできるだろう。幸い、異世界へ行った際にサバイバルの知識を得ているし、実践の経験もある。後は異世界から一緒に来たヒロイン達をどうするかだが……

 面倒だと思っていた問題も、いざ考え出すと止まらなくなるもの。計画は立てている段階が一番楽しい。彼はネットを睨みながら、今後の算段を立て始めた。

 しかし、実行に移すと、努力が必要だったり、他人が文句をつけてきたり、何かと障害が発生するのが世の常。特に彼は物語の主人公。障害は普通の人よりはるかに多く襲い掛かる。何せ、障害が発生しないと物語にならないのだから。

 そして、そんな「マイナスの主人公補正」は、未だしっかりと機能していた。

 すなわち、ネットを調べている最中に、外から悲鳴が聞こえてきたのである。

 思わず顔を上げる。

 悲鳴は一人や二人ではなく、断続的に響いている。

 そして、何か、巨大なモンスターが、固い城壁にぶつかるような音も。


「っ! まさか!?」


 異世界で聞き慣れた音に、立ち上がる。

 窓の外を見ると、砦は半壊し、グラウンドでは、封印したはずのモンスターが校舎に体当たりをしていた。


「……ヴィヴル、聞こえるか?」


 周りに聞こえないような小さな声で、砦の中にいるであろう仲間に呼びかける。

 もちろん、普通ならば相手には届かない。彼は魔法を使っていた。異世界では通信手段としてごく一般的に普及しているもので、小さな空気の振動を相手の耳元に着けたイヤリングに飛ばし、声を届けるというものだ。

 しかし、いつまで経っても、イヤリングは何の反応も返さない。

 嫌な予感が走る。

 彼は駆り立てられるように、部室を飛び出した。


 ※ 続きます(次回更新は、2019年5月13日(月)を予定しています)。



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