#5-c 二人

 そして迎えた学園祭当日。

 アキは華やかに飾られた校舎を、ひとりでさ迷っていた。


(あれ? こんなはずじゃ……?)


 と思うものの、一緒に回るはずだった亜理子は、開会式が終わった直後、いつも朝のホームルーム前に駄弁っているメンバーに囲まれ、どこかへ行ってしまった。

 アキの性格上、普段交流のないグループに混ざることなどできないし、去り際に亜理子から「ごめんね」という視線を向けられてはどうしようもない。

 他に一緒に回る友達がいるはずもなく、アキはひとり寂しく学園祭を過ごすしかなかった。


(はあ、どうしようかな……?)


 亜理子に誘われている演奏会まで、まだ時間がある。

 クラスの出し物の喫茶店に拘束されるのは、学園祭二日目になってからだ。

 つまりは自由時間。

 自由といっても、廊下の真ん中で突っ立っているわけにもいかない。

 周囲には、楽しそうに友達や先輩、後輩と一緒に店を回っている生徒であふれているのだから。

 せめて邪魔をしないようにしようと、廊下のスミを歩くアキ。

 あてどない歩みは、無意識にいつも過ごしている場所へと向かっていく。

 すなわち図書室である。

 開け放たれた扉の先には、「文学部展示場」との看板が立てられていた。

 中に入ると、この学校出身の著名な作家や、地方史を紹介する記事を載せた模造紙が並んでいる。力作ではあるが、所詮はただの展示物。学園祭の中では人気がないらしく、他に誰もいない。解説役の文学部部員すらいない。出し物に人をさくより、学園祭を楽しむのを選んだのだろう。アキとしてはありがたい。適当に椅子を引っ張り出して座り、文庫本を開いた。


(なんか、去年の学園祭もこうやって時間を潰してたような……)


 いや、去年は文学部ではなくて生物部だったか?

 どちらにしろ、大した違いはない。

 何やらよく分からない説明が並ぶ模造紙に囲まれて、ただ文庫本を読んでいたことに変わりないのだから。

 悲しくなる雑念を意識の底に沈めて、本に目を走らせる。

 が、どうにも集中できない。

 亜理子との約束の時間が気になり、チラチラと時計を見てしまう。


(去年は、こんなことなかったんだけどな)


 ここ数日、亜理子と過ごす時間が多かったせいだろうか。会うまでの時間が妙に長く感じる。ネガティブな思考をそのまま吐き出すような、盛大なため息が漏れた。


「ため息ついて、どうしたの?」


 そして、昨日とおなじ台詞に飛び上がった。

 目の前にいたのは、悪戯っぽく笑う亜理紗。


「ぶ、部長さん!?」

「あらぁ? 部長さんなんて言う固い呼び方じゃなくて、亜理紗先輩とか、亜理紗お姉さまとか、アリーちゃんとか呼んでくれていいのよ?」


 驚くアキをよそに、椅子を引っ張り出し、すぐ隣に並べる。

 そのまま密着するくらいの距離に座り、顔を近づけてくる亜理紗。

 この間の部室と同じ光景に、アキは反射的に飛び退いた。


「もう、そんなに嫌がらなくてもいいじゃない?」

「い、いいい、いえ、その、あの……」

「あ~、もう、アキちゃんったら、ホントに可愛いわね。

 大丈夫よ、今日は襲ったり勧誘したりしないから」


 今日はってなに!

 亜理子がいたならそう突っ込んでいただろう。

 もちろん、アキにそんな器用な真似ができるはずもなく、ただオロオロするばかり。さすがの亜理紗も不憫に思ったのか、素直に謝った。


「あら? ちょっとからかいすぎちゃった? ごめんね?」

「い、いえ、ろ、六条先輩は、どうして、ここに……」

「ん~? ホントは亜理子ちゃんと一緒に回ろうと思ってたんだけど、お付き合いで大変みたいだから、ひとり寂しく回ってたの。で、図書室のぞいたら、アキちゃんもひとりみたいだったから……」


 どうやら亜理紗も同じような境遇だったようだ。妙な親近感がわく。


「せっかくだし、一緒に回らない?」


 続く誘いには、自然とうなずいていた。


 # # # #


「アキちゃん、どこか行きたい場所、ある?」

「え? いえ、私は特に……」

「そう? じゃあ、アキちゃんのクラスの喫茶店に行きたいんだけど、良い?」


 いつもよりずっと人が多い廊下の中。

 いまだ亜理紗に慣れないアキは、引きずられる様にして教室へ向かっていた。

 自分のクラスの出し物に客として行くのはわずかながら抵抗を覚えるものの、そこはノーともイエスとも言えないアキ。

 返答を迷っているうちに、気が付けばもう教室の前についていた。


「二人なんだけど、空いてる?」

「はい、少々お待ちくださ、い……?」


 扉をくぐる亜理紗に続いて教室に入ると、初日からウェイトレスを押し付けられたクラスメートが、アキを見て首をかしげる。


「えっと、シフトじゃないから、お客さんでいいんだよね?」

「あ、はい、その……すみません」


 つい敬語になってしまったのは、普段まったく交流がないせいだろう。

 クラスメートだというのにガチガチに緊張するアヤ。

 その緊張は出迎えた相手にも伝染したらしく、クラスメートらしからぬ敬語が返って来た。


「あ、いや、大丈夫、ですよ? ほら、みんな、結構来てますし?」


 視線を巡らせるクラスメート。アキもそれにならって教室を見渡す。

 なるほど、ちらほらと同じクラスの生徒が見える。もっとも、ひとりで入っている生徒はおらず、普段から仲良く過ごしているグループでテーブルを囲んでいる。

 もちろん、アヤと交流のある人物は――

 いた。亜理子だ。目が合う。


(ちょっと、なんでお姉ちゃん連れてくんのよ!)

(ご、ごめんなさい、断れなかったの!)


 視線でそんな会話をするふたり。

 もちろん、亜理紗はそんな事など気にしない。

 案内しようとするクラスメートを無視してアキの手を引き、窓際の席へ座る。


「ふ~ん、結構、本格的なのね」

「え? はあ、まあ……」


 メニューを見ながら感心したように声を上げる亜理紗。アキの生返事にもまったくひるまず、まるで部活の勧誘のように、次々と質問を飛ばしてくる。


「アキちゃんは何がいい? あ、お金は先輩が払うから大丈夫よ」

「え、そんな……」

「あら? 遠慮しなくてもいいのよ?

 どうせ後で亜理子ちゃんから取り立てるし」

「いえ、それは……」

「いいからいいから、ほら、恋人を放っておいた罰」


 何故か勝ち誇った笑顔で亜理子の方を見る亜理紗。

 血管が浮かびあがりそうな無表情で返す亜理子。

 アキは慌てて注文で誤魔化した。


「じゃ、じゃあ、ロイヤルミルクティーで」

「まあ、アキちゃんも紅茶派なのね! 私もなのよ、亜理子ちゃんったら、いつもコーヒーの飲み過ぎは身体に悪いって言ってるのに止めないから……あ、注文はレモンティーで」


 しかし、その選択は間違いだったようだ。

 亜理紗は嬉々としてアキに同調し、わざとらしく亜理子を持ち出す。


「ロイヤルミルクティーとレモンティーですね? 少々お待ちください」


 案内したクラスメートも、ひきつった笑顔を残して逃げるように立ち去っていく。

 関わりたくないのだろう。気持ちは分かる。自分だって逃げ出したい。

 もちろん、そんな心の叫びが亜理紗に聞こえるはずもなく、一方的な会話は続く。


「アキちゃんや亜理子ちゃんは、喫茶店のお手伝い、しないの?」

「え、ええっと、その、私たちが出るのは、明日で……」

「あら? じゃ、明日にはもう一回こないといけないわね」

「は、はぁ……」


 そこは来るなってはっきりいなさいよ!

 という、亜理子の声が聞こえてきそうだ。

 そう思った途端、携帯が鳴った。


「あ、すみません」

「ん? 気にしないで」


 亜理紗に断って携帯を開くと、届いていたのは亜理子からのメール。


――そこは来るなってはっきりいなさいよ!


 見事に一致した文面に思わず振り返る。

 そこには、携帯を片手に友達と談笑している亜理子の姿が。

 こちらを気にしている様子は微塵もない。

 が、次のメールはすぐに届いた。


――はい、こっち見ない


 慌てて前を向く。

 目の前では、亜理紗がウェイトレス役のクラスメートからレモンティーを受け取っていた。

 急に姿勢を変えたアキに何かを感じ取ったのか、ウェイトレスは驚異的なスピードでアキの前に紅茶の入ったカップを置くと、またもや逃げるように去って行く。

 なんだろう、ものすごく悪い事に巻き込んでしまった気がする。

 アキは心の中で謝りながら、カップに手を伸ばした。

 が、その途中で、またしても着信があり、


「えいっ!」

「あっ……!」


 亜理紗に携帯を奪い取られてしまった。

 そのまま携帯をいじったかと思うと、画面がこちらへ向けられる。


――お姉ちゃんは突き放すぐらいでいいから、そのまま携帯に集中してなさい。

――ダメよ亜理子ちゃん、今、アキちゃんは私とデート中なんだから。

  それより、後でアキちゃんのアドレスちょーだい?

――死ね!


 短時間で交わされている画面上のやり取りに、唖然とするアキ。

 対する亜理紗は、イタズラが見つかった子どものような表情を浮かべた。


「あら、怒っちゃった? ごめんなさいね?」

「い、いえ。その、ちょっと、びっくりしたっていうか……」

「そう? よかった」


 紅茶に口をつける亜理紗。

 アキもそれにならう。

 一口飲んで、カップをソーサーの上に戻せば、亜理紗はもうこどもっぽい笑みを、年上の顔に変えていた。


「亜理子ちゃん、学校じゃどんな感じ?」

「えっと、どうって聞かれると困るんですが……」

「ん~、そうね、じゃあ、いつも休み時間とか、あんな感じ?」


 ちらりと後ろの亜理子に視線を送る亜理紗。亜理子は相変わらず友達に囲まれて、楽しそうに話している。


「……あんな感じです」

「そっか。じゃ、図書委員でも?」

「え? いえ、図書室って、あんまり人、来ないから……」

「あの子たちも来ないでしょ?

 アキちゃんとも、あんな感じで話したりしてるの?」

「それは……」


 話したりはしているのだが、「あんな感じで」と言われると少し違う気がする。

 じゃあどんな感じかと聞かれると、うまく説明できないのだが。

 口ごもるアキに、亜理紗はなぜか上機嫌に言い直した。


「んっと、じゃ、どんな話してるの?」

「話というか、受付で本読んで時間つぶしてるというか……」


 何とか答えるアキ。しかし、亜理紗は目を見開いた。


「本? 亜理子ちゃんが? マンガじゃなくて?」

「いえ、マンガですけど」

「なんだ……って、じゃあ、アキちゃんもマンガ、一緒に読んでるの?」

「い、いえ、私は文庫本で……」

「そっか。じゃあ、割とバラバラな感じなのね」

「あ、でも、この間は一緒にマンガ読んで、没収されました」


 思わずそう返してしまったのは、「バラバラ」という表現に抵抗したかったからだろうか。

 確かにバラバラではあるのだが、アキとしては無言のやり取りというか、一応のコミュニケーションは存在しているのである。


「え? 亜理子ちゃんに? アキちゃん、マンガ読まされたの?」

「読まされたというか、六条さんが雑誌落っことして、開いたページがいけなかったというか……」


 数週間前に起きた、図書委員での一部始終を説明するアキ。

 亜理紗はうなずきながら聞いていたが、やがて笑い出した。


「無理やりマンガで誤魔化すなんて、亜理子ちゃん、よっぽど焦ってたのね。

 ……あら?」


 が、今度は亜理紗の携帯が鳴った。

 亜理紗は携帯を少しいじってから、画面をアキに向ける。


――ちょっと、何の話してるのよ?

――アキちゃんと亜理子ちゃんが仲いいって話


「返信、止まっちゃったわ。

 いつもならすぐなんだけど……亜理子ちゃん、照れちゃったのかしら?」

「返ってこなくても、仕方ないと思いますけど……」

「まあ、アキちゃんは亜理子ちゃんの味方なのね。仲が良くって羨ましいわ~」

「仲の良さなら、六条先輩の方が……」


 言いかけて、紅茶を飲んで誤魔化す。

 さっきから何をムキになっているんだ自分は。


「あら、そんなことないわよ。亜理子ちゃんったら、私とは一緒に趣味で盛り上がってくれないんだから」

「そ、そうですか?」

「そうよ。この間も亜理子ちゃんがドラマ見てたから、一緒に見ようと思ったんだけど、邪魔って追い出されちゃった。あ、知ってる?『樹の病棟』っていうヤツなんだけど」


 アキはドラマをあまり見る方ではなかったが、タイトル自体は知っていた。

 少し前、駅前の本屋で、名前も知らない俳優の写真と、ドラマ化決定というデカデカとした文字と一緒に、原作の文庫本が並べられていたのを見たことがある。


「え、ええ。ドラマ……は見たことありませんけど、原作の小説は文庫で……」

「へ~、原作とドラマじゃ、ちょっと違うって聞くけど、どんな感じなの?」

「あっ、ごめんなさい。読んだわけじゃないんです。ただ、本屋さんに並んでるのを見ただけで……」

「そっかぁ、じゃ、さ……」


 ちらりと、亜理子の方へ目を向ける亜理紗。

 そこには、「あ、私部活だから」と友達の輪を抜ける亜理子がいた。


「今度、読む機会があったら、亜理子ちゃんに話、振ってみてよ。

 きっと、アキちゃんとなら、一緒に盛り上がってくれると思うし」


 立ち上がる亜理紗。アキもそれに続く。

 廊下に出て少し歩くと、亜理紗はくるりと振り返った。


「これから、私達の演奏会があるんだけど、アキちゃん、聴きに来てくれる?」

「はい。もともと、六条さんから誘われてましたから」

「あら? じゃ、私なんかじゃなくて、亜理子ちゃんと一緒の方がよかったわね?」

「いえ、そんなこと……その、楽しかったですし」

「もー、アキちゃんは可愛いわね~」


 自然に出てしまった言葉に赤くなるアキ。

 亜理紗はそれを見て、楽しそうに笑う。

 二人は、飾られた廊下と行き交う生徒の中に溶け込むように、並んで廊下を歩いていった。


 ※ 続きます(次回更新は、2019年5月6日(月)を予定しています)。


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