#5-b 週末

 約束を交わした日曜日。

 アキは待ち合わせ場所――駅前の広場に来ていた。

 掲示板に張り出された映画のポスターから目を逸らし、目印の時計台を見ると、まだ待ち合わせ時間の三十分前。


(ちょっと、早すぎたかな?)


 そう思ったものの、このあたりで時間を潰せる場所は、これから行く本屋くらいしか知らない。今行くと、後で亜理子と入りなおした時、店員に「また来たのか」と変な印象をもたれてしまうだろう。当の亜理子が聞けば、「気を使いすぎ」と笑われそうだが、アキはいたって真面目である。周囲を見回し、ちょうど空いていた近くのベンチに座る。

 休日の昼過ぎの駅前は、それなりに人通りが多い。

 手持ち無沙汰にカップルや親子連れを眺めていると、ふと疑問が浮かんだ。


(友達と待ち合わせとか、何年振りだっけ?)


 普段ならすぐ忘れる、脳が思考の空白を嫌って浮かべた、つまらない疑問。

 そう分かっていても、ただ待つだけの時間のせいで、つい無駄に記憶を手繰ってしまう。

 そして、気づいた。


(あれ? もしかして、待ち合わせっていうか、誰かと遊ぶの、初めて?)


 そんな馬鹿な。

 しかし、どんなに思い出そうとしても、まともに友達と遊んだ記憶は出てこない。

 母親が忙しかったせいで、こどもの頃はずっと一人だったし、その結果できあがった人見知りする性格のせいで、小学校に上がってからも誰かに積極的に話しかけるということが出来なかった。もちろん、そんな暗い女に、話しかけてくる相手がいるはずもない。話す相手もいないのに、遊ぶ相手がいるはずもない。

 どうやら、手繰ろうとした記憶は、昔、たまたまテレビに映ったベタベタのシーンだったようだ。彼を待つ彼女と、そんな彼女に声をかけるナンパと、そこに駆けつける彼という、セリフまで浮かんできそうな安直な構図しか浮かんでこない。

 たどり着いた結論に、思わずため息がでる。


「ため息ついて、どうしたの?」


 声をかけられて、顔を上げた。

 そこにいたのは亜理子――ではなく、二人組の男。


「え? あの……」

「キミひとり?」「カレシいんの?」


 戸惑っているうちに、話が始まった。

 頭の中が真っ白になる。


「おい、困ってんだろ?」「マジ? いや~、ごめんね、困らせて?」


 そんなアキの内心など知らず、いや、むしろ内心を知っていてそれを楽しむように、軽い調子で話しかけてくる二人組。

 つい数秒前まで友達いないで悩んでいたが、こういう相手は望んでいない。

 が、拒絶の仕方も分からなかった。テストの知識問題で、解答をど忘れした時のように困る。もっとも、テストでは忘れてしまっただけだが、ナンパの対処法は始めから教えられていない。まったく、学校でもこういうことを教えるべきだと思う。いや、まあ、教えられたところで自分に実践できるとは思えないが。


「じゃあさ、お詫びに近くの店まで行こうか? おごるよ?」「お~、いいねそれ」


 そんな現実逃避をしているうちに、二人組は話を進めていた。

 しかし、戸惑いが恐怖に変わる寸前、亜理子がやって来た。


「ちょっと、何してんの?」

「え?」「あれ? 友達いたの、じゃ、一緒に」

「悪いけど、そういうのいらないから」


 行こ、と言って、アキの手を引く亜理子。アキも小走りについて行く。

 むしろ、途中から駈け出し、亜理子を引っ張るような形になった。

 近くの商業施設のビルに逃げ込み、エスカレータを見上げる吹き抜けのホールへ。ベンチに腰掛け、ようやく息をつく。

 落ち着いてみると、急に胸がむかつくような、強い不快感に襲われた。


「ちょっと、大丈夫?」

「う、うん、たぶん……」

「はあ、これだけ積極的に逃げれるんなら、さっさと逃げなさいよ」


 呆れたような声を出しながら、亜理子は近くの自販機へ目を向ける。


「アキは紅茶でよかったっけ?」

「あ、別に、そこまで……」

「いいから。私も、気分悪いまま付き合ってもらっても、楽しくないし」


 断ろうとするアキをさらりと流し、そのまま自販機に携帯をかざした。

 音を響かせて出てきた缶コーヒーと紅茶を手に、アキの隣へ座る。

 渡されたホットの紅茶が、缶越しに温度を伝えてきた。


「ごめんね。あ、お金……」

「だからいいって。付き合わせたの私なんだし。

 どうせ、なんか奢らないといけないと思ってたし」


 缶コーヒーのタブを起こす亜理子。

 少し戸惑ったものの、アキも結局は好意を受け入れ、紅茶に口をつけた。

 昨日のカフェと同じ落ち着いた空気が流れて、不快感も次第に落ち着いていく。


「ま、さっさと忘れた方がいいよ?

 嫌なヤツなんて、真面目に考えるだけ損なんだから」

「う、うん……

 私、こういうところで遊んだことないんだけど、ああいうの、よくあるの?」

「あるわけないじゃない。あんなベタなナンパなんて、もう絶滅したと思ってたわ」


 笑ってみせる亜理子に、アキも自然と笑みをこぼす。


(友達と過ごすって、こんな感じなんだ)


 ひとりでは何日も引きずっていたであろう不快感が、いい思い出に変わっていく感覚。


「あ、時間、大丈夫?」

「ん? まだ余裕。せっかくだし、服でも見に行こっか?」


 初めての友達と過ごす時間は、あっという間に過ぎていった。


 # # # #


 亜理子の面接時間が近くなって、本来の目的地である本屋へ。

 駅の地下街の一角にある書店、と書くといかにも立ち寄る人が多そうだが、改札から遠く、人通りの多い通路からもやや奥まったところにあるせいか、さほど客は入っていない。


「こんなところに、本屋ってあったのね」

「うん。私も地下街は通学路だけど、ちょっと前まで気づかなかったよ」


 互いに感想を言いあいながら、書店に入る。

 アキは本棚へ向かい、亜理子は店員のいるレジへ――行く前に、しっかり釘を刺してきた。


「あ、変なナンパとか絡んできたら、さっさと逃げてくれていいから」

「もう、分かってるよ」

「ホントに?」

「ホントだってば。六条さんも、あんまり本は嫌いとか言っちゃだめだよ?」

「はいはい、じゃ、私が読めそうな本でも探しといてよ」


 冗談を残して、今度こそ店員の方へと向かう亜理子。

 アキはそれを苦笑で見送ると、本当に亜理子の好みに合いそうな本を探し始めた。

 もちろん、冗談だとは分かっているが、これを機に、読書に興味を持ってもらうのも悪くはない。共通の話題が増えれば、それだけ一緒に話す時間も増えるというものだ。


(でも、何がいいんだろう?)


 だが、どうにもこれといったものが目に入らない。

 困ったアキは、とりあえず、いつも必ず見に行く参考書コーナーの近くへとやって来た。

 まさか、参考書を勧めるわけにもいかない。

 棚の横は――新書や文学作品。論外だ。

 その横には、歴史小説――ダメだ。この時代のこの人の、という話を出しただけで、亜理子はもう興味をなくして、携帯をいじり始めるような気がする。

 次。伝奇小説――ホラー映画であんな事件を経験した後に、勧められるモノじゃない。

 推理小説――否定する理由はないけど、お勧めできるかというと……

 そこまで考えて、足を止める。

 亜理子のイメージからして、文字が並んでいるだけで、もうダメなのではないだろうか?

 でも、文章の少ない本なんて、絵本や漫画くらいしか――

 そう思いながらも漫画コーナーに目を向けると、近くに「ライトノベル」と銘打ったコーナーが見えた。

 ああ、あれならいけるかもしれない。

 文字が並んでいる、という点では変わりないが、挿絵も多いし、ストーリーの展開や設定も漫画に近いものが多い「らしい」。

 問題は、アキ自身が「軽い内容の小説」はともかく、「ライトノベルに分類されている本」は手に取ったためしがない事だろうか。

 嫌い、という訳ではない。単純に、今まで触れる機会がなかったのだ。

 何せ、読書経験の始まりが、国語のテストで使われていた問題文である。面白かったので原本の小説を、読み終わったら同じ作者の別の作品、それも終わったら、分野の近い他の作者を。そんな形で読み進んできたため、国語の問題集に使われるような、それこそ、傍線を引いて理由や意味を問うことが出来るような、亜理子の言う「硬い本」ばかりに偏ってしまった。

 普段読まないジャンルからおススメを探すのは、難しい。

 いや、それ以前に、


(すごい、近寄りにくい……)


 棚自体に、何か独特の圧力のようなものがあった。

 過激なタイトルに、やけに露出の多い女の子の絵が描かれている表紙。

 間に置かれたモニターには、アニメが流れている。

 別にアニメが嫌いという訳ではないし、その手のサブカルチャーをバカにする気もないのだが、なんというか、先ほど歩いていた参考書や文庫本の棚とは、あまりに雰囲気が違いすぎた。

 もともと、書店の棚にはそういうところがある。似たようなジャンルの本が並ぶ書棚には似たような客層が並び、似たような客は書棚の間に一種の無言のコミュニティを造りだす。そこへ、よそ者が乱入するのは容易ではない。


 いや、それにしたって、いくら何でも、これは。

 いや、いや、でも、これで、亜理子と話すきっかけになるなら……


 そわそわと、周囲をうかがうアキ。

 ライトノベル・コーナーの端、ぎりぎり手が届くまで近づき、何かに気付いたように引き返して、また近づいて、と繰り返す。

 エロ本を買う男子中学生のごとき挙動不審だが、アキはいたって真剣である。

 次第に早くなる鼓動を感じながら、周囲への警戒を続け、ついに未到の魔境へ第一歩を踏み出した。

 揺れまくる視界!

 引き返そうとする足!

 だが、それを気力で押さえつけ、脅威のスピードで目についた本を手に取る!

 本棚を抜け出し、素早く周囲を観察!

 誰かに見られた様子は――ない!

 どうやら無事に手に取ることが出来たようである。

 さあ、後は目を通すだけだ。

 アキは周りへの警戒を怠ることなく、ライトノベルの表紙を開いた。


 タイトルは、『コンティニュ→ファンタジー』

 その名の通り、剣と魔法の世界を舞台としたファンタジーもののようだ。

 主人公が功績をあげ、領主に気に入られ、騎士として成功するという、極めて王道なサクセス・ストーリーが展開されている。

 主人公が、二〇〇〇年代後半の高校生だという点を除けば。


 この主人公、始めはごく平凡な学生として生活していたが、修学旅行先でいわくつきの洞窟に立ち寄った際、岩盤の崩落に巻き込まれてから、数奇な運命をたどることになる。

 洞窟の奥で出会った同じ顔の男、クランから、ここはファンタジー世界だと告げられ、そのクランもすぐにこと切れてしまう。その後、やって来た救助隊は、主人公をクランと勘違い。以降、主人公がファンタジー世界でクランとして活躍していく、という話が続いている。


 現代の便利な生活に慣れていたためか、中世時代風の生活に悪戦苦闘する主人公。

 中世の生活や風俗がきちんと書かれているという、妙なところに感心するアキ。

 どうも、アキとしては主人公の活躍や苦悩より、世界史の教科書に出てきた知識と符合するところが嬉しいらしい。どこまでも優等生である。筆者入魂のキャラクターのやり取りを適当に読み飛ばし、知識を求めてページをめくる。


 今度は、主人公が生活を何とかしようと、領地改革を始める部分にさしかかった。

 高校で習った授業の内容を絞り出し、必死に頑張る主人公。

 ああ、化学の授業に出てきたアレは現実ではこんなところに使われるんだなと、またしても妙なところに感心するアキ。

 アキの中では、このライトノベルは既に立身出世モノのファンタジーではなく、つまらない授業を面白おかしく書いた参考書モドキになっていた。学校の授業もこうすれば興味を持つ生徒も出るのに、いや、むしろバカにしてやる気をなくすか、などと、まるで教師のような事を考えながら読み進めていく。


 次の章からは、国同士の戦争に巻き込まれるシーンが描かれていた。

 兵力を少しでも確保しようと、科学的なトレーニング方法を披露し、戦場でも華々しく活躍する様子が描かれている主人公。そんな主人公には、多くのヒロインが付き従い、

 あれ? なんかさっきまでと違う?

 首をかしげるアキ。

 そんなアキを置いて、主人公はヒロインとともに、ゲームに出てきそうなモンスターを倒したり、武功と功績から得た地位にふさわしい政務をこなしたりしていく。

 どうやら、話は完全に男性目線のラブコメに移ったらしい。ヒロインたちが主人公を取り合う様子や、協力して気を引こうとするシーンが続いている。

 こういう、金、地位、女ばっかりなのは、ちょっと……

 この手の本に何を期待しているんだと、突っ込み返されそうな感想を抱くアキ。

 ようやく、自分のような真面目さしか取り柄のない学生は、始めからお客さんにされていなかったんだと気づき、そっと本を棚に戻す。

 改めて本棚を見渡し、


「あ、こんなとこにいたんだ。面接、終わったよ?」

「くぁwせdrftgyふじこlp!?」


 が、そこへ、亜理子が戻って来た。

 まるでライトノベルに出てきそうな悲鳴を上げるアキ。

 きょとんとした顔をする亜理子。

 しかし、周囲の本棚を見て、どこか意地の悪い笑みを浮かべた。


「え? なに? アキ、こういうのに興味あるの?」

「ち、違うよ、もう、六条さんが本読みたいっていうから……」

「はあ?

 こういうエロ本とかじゃなくて、せめて漫画とか、音楽雑誌とかにしてよ」

「エッ……! そ、そういうのは、ちゃんと避けたよ!」

「ごめんごめん。漫画みたいなノリのが多いからって、探そうとしてたんでしょ?」

「う、うん……でも、ライトノベルって、私も普段は読まないし、その、あそこには、何だか、入り難くて」

「あ、分かるわかる。なんかエロ本買うみたいよね」

「だ、だから、エロって言わないでって……」


 情けない声を出すアキを置いて、この話はおしまいとばかりに歩き始める亜理子。

 アキもそれに続いて店を出る。


「面接、どうだったの?」

「まだ分かんないよ。結果は後日連絡だって。学校じゃ図書委員やってますって言ったら、それなりに話は盛り上がったから、悪い印象は持たれてないと思うけど?」

「そっか、じゃあ、六条さんがバイトしてるときに、寄るかもしれないね?」

「ん~、ま、バイト始めるって言っても、学園祭終わった後だけどね。あ、そうだ」


 話の途中で、亜理子がポケットを探り始める。

 取り出したのは、しおりのように鮮やかな印刷がされた、小さなチケット。


「これ、渡そうと思ってたんだ」

「チケット? 学園祭の?」

「あ~、学園祭っていうか、学園祭でやる演奏会のチケット。

 ま、どうせ入場無料だから、無くても入れるんだけど、無かったら無かったで様になんないしさ」

「それは、まあ、そうかも?」


 うなずいてはみたものの、正直なところ、アキにはよく分からない。

 何せ、演奏会はおろか、映画館や水族館をはじめとした、チケットが必要になる施設で遊んだ思い出がない。多人数を前提にした場所は苦手なのだ。一緒に行く相手がいなかったともいう。


「じゃ、そういう事だから、ヒマなら聴きに来てよ?」

「う、うん……」


 だが、今回は一緒に行く相手がいる。

 アキは、戸惑いがちに、しかし、確かに頬が緩むのを感じながら、チケットを受け取った。


 ※ 続きます。

 ※ 次回更新は、2019年5月5日(日)を予定しています

  (GWで倍速更新です)。


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