#4-e 怪談

「はあ、まったく、お姉ちゃんは……」


 映画のゾンビから逃れて、合奏後。

 面白そうに絡もうとして来る亜理紗を強引に突き放した亜理子は、図書室へと歩いていた。ぶつぶつと文句を言いながらも、表情に不快はない。事件の後の緊張があっという間に切れたせいで、気が緩んでいるせいだろう。


(や、まだ、何も解決してないんだけどね?)


 コンビニの漫画から始まって、病院の殺人鬼に絵本の女の子、そして今回の映画のゾンビ。何とか乗り越えてはいるものの、なぜ突然現実に出てきたのか、その原因は依然として分からない。


(とりあえず、今は、アキを巻きこんじゃったって事の方をどうにかしないと……)


 考えても分からない疑問を強引にアキで上書きして、図書室の扉に手をかける。

 が、扉を開く前に、先生の怒声が響いた。


「友達と喋ってて遅くなるなんて、宇佐沢さんらしくないんじゃないっ?!」

「……は、はあ。すみません」


 どうやら、図書委員から一時的にいなくなったのを、「友達と喋っていた」という下手な言い訳で切り抜けようとしたらしい。確かに、別れ際に「私を言い訳に使っていいから」と言ったが、それは自分のせいにしていいという意味であって、決して一緒に仲良くサボったと言ってほしかったわけではない。「六条さんに呼び出された」とか、「強引に長話に付き合わされた」とか、教師から評判の悪い生徒のせいにしてしまえば、こんな目にあわずにすんだのに。正直者は損をする典型である。


「席を外すときは一声ぐらいかけてって、いつも言ってるでしょう!」

「す、すみません」


 普段の教師ウケの良さが祟ったのか、先生も本気で怒っている。

 が、対するアキはどこか気の抜けた返事を連発するだけだ。

 気持ちはよく分かる。なにせ怪物に襲われた挙句死にかけ、意識が戻った時には、怪物がきれいさっぱりいなくなっていたのだから。お説教どころではない。


「再来週から学園祭だから、友達と一緒に話したくなるのも分かるけど……って、ちょっと、宇佐沢さん、聞いてるっ!?」

「は、はあ、聞いてます」

「ホントに?」

「え? ええ、その、友達がいるなんて私らしくないとか。友達と喋ってるなんて私じゃないとか……」

「えっ!? あ、いや、大事なのはそこじゃなくて……」


 いや、お説教を聞く余裕くらいはあったようだ。はっきりしない口調で先生の言葉をおうむ返しにつなげる。第三者が見れば、アキが異様に傷ついているように見えるだろう。


(いや、まあ、傷ついてはいるか)


 ため息をついて、時計を確認。もうすぐ図書委員が終わる時間なのを見て、音を立てないようにそっと図書室の扉を開く。そして先生の背後に近づき、思いっきり笑顔を浮かべて、一言。


「へ~? 先生、アキにそんなこと言ったんですか?」

「っ! 言ってません!

 ただちょっと話しすぎるのは宇佐沢さんらしくないって……」


 不意打ちに驚いた顔をしたものの、すぐに反論する先生。

 だがその隙を見逃す亜理子ではない。図った通りのタイミングで鳴ったチャイムをいいことに、強引にアキの手を引き会話を終わらせる。


「あ、時間なんで、ちょっとアキ、借りていきますね?」

「六条さんっ!? ちょっと! 先生にお説教させてくれてもいいじゃない!」


 近くにあったアキの鞄も一緒に拾い上げ、図書室の外へ一直線、後ろで何か先生が叫んでいるが、それも扉を閉めて遮る。


「もう、後で怒られるよ?」

「いいの、いいの。どうせいっつも怒られてるんだし、これ以上ポイント下がんないから。それより……」


 そして、アキに問いかけた。


「ちょっと、部室に寄って欲しいんだけど、平気?」


 # # # #


「きゃー! アキちゃん! 来てくれたのねっ!?」

「なんでいんのっ! っていうか、五月蝿い! 寄るな! 離れろ! 帰れっ!」


 部室の扉を開けると同時に響いた亜理紗の奇声。

 それを暴言で掻き消し、アキの手を引っ張ったまま、奥の倉庫へと走る。

 倉庫といっても部室を区切って用意した楽器保管用のスペースだが、盗難防止のための鍵がしっかりと備えつけられている。二人になるにはちょうどいい。


「ごめん。ホントごめん。あの人、さっき帰った筈なんだけど」

「あ、あはは……」


 雰囲気を壊してくれた亜理紗の事を謝る亜理子。なにやら外からは「酷いわー」とか、「不純な交遊は……同性だからいいか」とか、「私も混ぜて」などという危険な声が聞こえてくる。あんな危険な声ははじめて聞いた。いつもなら面倒なだけの倉庫の鍵が、異様に頼もしく思える。


「ねえ、脚は大丈夫なの?」

「うん。ちゃんとくっついてるよ?」


 無事を証明するように、軽く脚を動かしてみせるアキ。

 つい先ほどまで目の前に広がっていた、赤い血を連想させるような異常は、ない。


「図書室の先生も、さっきのアレが入ってきたの、気づかなかったみたい。

 私が出ていったのも、分からなかったって……」

「そっか、私の方も部室に戻ったら、何事もなく練習始まってたわ。

 ずっと部室にいたみんなも、やっぱり気づかなかったって」

「そうなんだ……あ、その、六条さん、あの後、どうなったの?

 私、ほとんど意識がなかったから……」

「どうなったか、ね。まあ、ちょっと信じらんないけど……」


 亜理子は見たままの事をそのまま伝えた。

 特撮ヒーローの格好をしたナニかが突然出てきて化け物をやっつけた事。

 そのナニかが飛び去っていくと学校が元に戻っていて、アキの脚も治っていた事。


「ワケ分かんないとか言わないでよ? 私だってワケ分かんないんだから」

「そ、それはそうだけど……」


 釘を刺してはみたものの、やはりワケ分かんないという様子のアキ。無理もない。ただでさえ超常現象な上に、それがさらに理解しがたい存在の出現で終わってしまったのだ。アキはしばらく何か言葉を探している様子だったが、考えても出てこなかったらしく、完全に黙りこんでしてしまう。亜理子は、とりあえず話題を変える事にした。


「アキはなんか似たような話、知らないの? この間、オカルトは読まないって言ってたけど、なんかこう、学校の怪談的なヤツとか」

「ごめんなさい。私もあんまりそういうの詳しくないから……あっ、でも、図書室の貸出禁止の本読んでて、幽霊が出てきたっていう話なら、あったかな?」

「本、ねえ。私、漫画くらいしか読まないけど?」


 アキもそれを感じ取ったのか、無理やり話を絞り出す。苦笑で返す亜理子。

 が、途中で思い出した。


「あ、そういえば、絵本、借りてたんだっけ……?」


 図書室から持ち出した「怖い絵本」が、まだ鞄に入れっぱなしだったことを。

 嫌な予感がして取り出す。

 そこには、新刊らしく綺麗な表紙に、貸出禁止のラベルが貼ってあった。


「そ、そういえば、新刊って、貸出禁止っ……!」

「はぁ!?」


 反射的に本から手を放す亜理子。

 支えを失った絵本は足元へ落下し、バサリと音を立てる。

 開いたのは、おどろおどろしい挿絵。

 二人は慌てて飛びのいた。


「な、なな、なんでっ! かかか、貸出禁止の本が借りられるのよっ!」

「そ、そそそ、それ、入庫したばっかりで、貸出システムに、登録されてなかったからっ! わ、私も、貸出禁止って、忘れててっ! そ、それで……!」

「い、いいい、いいから落ち着きなさいよ! こ、これ絵本よ! あの映画じゃないのよ!」

「そ、そうだよね。

 あ、でも、あの怪談だと、幽霊と本の内容は関係なかった気が……」

「ああー、もうっ! それなら、返せば終わり! 返せば終わりでしょ!?」


 混乱するアキを押さえつけるように叫ぶと、亜理子はじっと本を睨みつける。

 そして、意を決したようにジリジリと本に近づき始めた。

 呼吸と心臓の音がやけにはっきり聞こえる。

 緊張の中、本に手を伸ばし、


「アキちゃん! 亜理子ちゃんとばっかりヤッてないで私とも……」

「ぎゃあぁぁぁああああ!?」


 ドアが無造作に開かれ、亜理紗が入ってきた。

 悲鳴を上げる亜理子と飛び上がるアキ。

 亜理紗はそんな二人に、わざとらしくため息をついてみせた。


「はあ、亜理子ちゃん、それもう三回目よ?

 いい加減、違うリアクションが欲しいんだけど?」

「な、ななな、何しに来たのよ一体っ!」

「何って、ナニしてるかもしれない亜理子ちゃんとアキちゃんの様子を見に来たんじゃない。私も混ぜて欲しいなって」


 予備の鍵を振り回しながら、トンでもないことを言う亜理紗。

 なんということだろう。最後の砦を守る鍵は悪魔の手に堕ちてしまった。


「ナニってなんだよっ! さっさと帰れよっ! さっきからうぜぇんだよっ!」

「ところでアキちゃん、ずいぶん驚いてたみたいだけど大丈夫?」

「いやそれアンタのせいだからっ!」

「まあ大変! 亜理子ちゃんに襲われそうになったのね!

 先輩が来たからにはもう大丈夫よ?」

「ヒトナハナシキケヨッ!」


 そんな亜理子を華麗に無視し、亜理紗はアキに纏わりつく。いつの間にか椅子を用意してアキの隣に座り、手を握り締めていた。やけに顔が近い。

 まずい、アキの貞操の危機だ。

 亜理紗を引き離そうと詰め寄る亜理子。

 が、その前に亜理紗はアキから体を離し、絵本を手に取った。

 ためらうことなく表紙をめくる。


「あらら、ふたりとも、図書委員なのに、本をほったらかしにしちゃダメじゃない」

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと、お姉ちゃんっ!?」


 声をあげる亜理子。しかし、亜理紗は気にした様子もなくページを繰り続ける。

 パラパラと眺め、最後まで目を通すと、小さく音を鳴らして本を閉じた。

 次いで訪れた静粛に、亜理紗の声が響く。


「そういえば、貸出禁止の本、許可なしで借りたら、幻覚に襲われるって話があったわね?」

「え?」

「あら? 亜理子ちゃん、図書委員なのに知らないの? ほら、昔、盗難騒ぎがあったっていうじゃない? あれ、ウチの部が元なのよ。部室で保管してたオペラ曲の楽譜を一部の部員が勝手に、ていうか、貸し出し手続き忘れたまま持ち出して、講堂で練習してたんだけど、その時、劇でやる内容が現実になったっていうの。良くある集団催眠だし、楽譜を返したら収まったってオチなんだけど、今は色々改変されちゃってるみたいね」


 閉じた本をアキに差し出す亜理紗。アキはそれをおずおずと受け取る。


「このところ、なんか亜理子ちゃんの様子がおかしかったけど、あんまりいじめてあげないでね? 図書委員、ちゃんとやるように、私からも言っておくから」

「は、はい……す、すみません」


 しっかり目をのぞきこみながら言う亜理紗に、謝る必要もないのに謝るアキ。

 亜理子は、慌てて止めに入った。


「ちょっと、なんでアキが悪いみたいになってるの?

 どっちかっていうと、持ち出したのは私で……」

「あら? じゃあ、妹が迷惑かけてごめんなさいって言わないといけなかったのかしら?」

「そ、そんなっ! 六条さんは、別に何も……」


 だが、今度はアキが謝ろうとする亜理紗を止めに入った。

 亜理紗はそんなアキと亜理子を交互に見比べていたが、


「あーん! アキちゃん可愛いっ! 食べちゃいたいぐらいっ!」


 急に、アキに抱き付いた。

 飛び上るアキ。

 今度こそ、亜理子は引きはがしにかかる。


「だから! なんで! いい話でやめられないのよっ!

 つーか、それ、セクハラだからっ!」

「え~! じゃあ、せめて昨日の続きで入部の説明を……」

「いや、アキは忙しいから! もう帰るから!」


 本を抱えたままのアキの手を掴み、外へ走る亜理子。

 楽しそうに追いかけてくる亜理紗の声を扉で遮ると、二人はそのまま図書室へと戻り始めた。


 ※ 続きます

 ※ 次回更新は、2019年5月2日(木)を予定しています

  (GWという事で倍速更新です)。

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