#4-d 混線


――37……0qdk……

「うるさいっ!」


 日付は変わって、早朝。

 亜理子は、ベッドから起き上がると同時に、時計をぶん殴っていた。

 昨日、散々な目にあわされた時計が、夜になると再び声をあげはじめたのだ。

 始めのうちは恐怖を感じていたが、二度、三度と重なり、しかも声を出すだけで危害を加えてくる様子がないと分かると、鬱陶しさが募り始める。

 それはやがて怒りへと変化し、


「今何時だと思ってんのっ! まだ朝の四時よ?!

 ていうか、一時間おきに声出すのやめてくれる?!」


 ついに噴出した。亜理子に限らず、睡眠を邪魔されるのはいい気分ではない。加えて、時計の針の示す位置がいちいち記憶に残る。何の嫌がらせか、短針が一つ進むたびに声を出していた。まるで時報である。


「今度喋ったら、ぶっ殺す!」


 寝不足の目で何も映っていない時計を睨み付けながら、およそ乙女とはかけ離れた汚い言葉をぶつける亜理子。そうでもしないと気が済まなかった。なにせ睡眠は疲労を回復する最強の手段であり、美容に欠かせないものであり、とにかく、人生で最も尊重すべき時間のひとつなのだ。亜理子はその重要性を改めて理解した。これからは授業中の睡眠も大切にしよう。そんなことを考えながら眠りに就く。

 しかし、


――4xx”0xy……37……


 朝五時に起こされた。


 # # # #


 気が付けば放課後である。

 授業中の記憶はもちろんない。

 ここ数日、酷い学園生活を送っているような気がする。

 まあ、こんなことがなくても、自分はいつも寝て過ごしている気もするが。

 自分で自分に突っ込みながら、凝り固まった身体をほぐすように立ち上がる。

 いまだ残る睡魔に、軽い眩暈がした。


「部活、めんどいな」


 今日は部活の日。こういうときは、帰宅部がうらやましく感じる。

 そういえば、今朝は起こしに来てくれた亜理紗に心配されていた気がする。

 どういう反応を返したかいまいち記憶にないが、きっとまたあの面倒なコミュニケーションで詰め寄られたのだろう。部活に行けば、今度は正面から相手をしなくてはならない。

 最悪。

 心の中で悪態をつきながら、同じく面倒な姉に詰め寄られていたアキをついでに思い出し、教室を見渡す。

 が、姿は見えない。図書委員に向かったのだろう。いつの間にかかなり時間が経ってしまっていたらしく、教室に残っているのは亜理子ひとりだ。


(私も、遅れないうちに行かないとね……)


 無理やり意識を切り替え、教室を後にする。

 渡り廊下で立ち止まりかけるも、特に何事もなく通り過ぎた。

 早足になりながら、部室棟を進み、見慣れた吹奏楽部のポスターが貼ってある扉を開く。

 中には、誰もいない。


(なんか、あのホラー映画みたい……)


 たしか映画でも、主人公に近寄る女が襲われる場面では、周囲から人が消えるような演出があった。

 周囲を見渡す亜理子。

 が、壁にかけてある時計を見て、とりあえず落ち着く。練習を始める時間より、まだ二十分分ほど早い。変にあせってしまったせいで、早めについてしまったのだろう。不安を振り払うように、練習の準備を始める。いつものように楽器を倉庫から持ってきて、姿見の前で楽器を構え、


――0qdk……37……

「っ!?」


 映りこんだ黒いヒトガタに、固まった。

 しかし、すぐに冷静を取り戻す。

 こう何度も連続で出て来られては、もはや怪異でも何でもない。

 積極的には何もしてこないのも手伝って、亜理子はいつも友達に話しかけるのと同じように、面倒くさそうな声を作って言い放った。


「はぁ、もう喋らなくていいから。静かにしてて。特に夜は」


 すると、ヒトガタは、本当に黙りこんだ。

 こちらの言うことが通じたのだろうか?

 思わず、鏡の奥をのぞき込んだ。

 ヒトガタの顔に、目らしきものは見当たらない。

 にもかかわらず、ソレはこちらをじっと見ている様に思えた。

 正体のない不気味な視線に、再び恐怖が湧いて、目をそらそうとして、


――0qd……k……! 376t5dw%!


 しかし、それよりも先に、ヒトガタが絶叫と共に腕を振り上げた。

 反射的に目をつむり、腕で顔を覆う。

 瞬間、ガラスを割ったような音が響いた。

 衝撃はない。

 だが、制服の袖越しに、尖った硬い何かが当たるのが分かる。

 薄く目を開けると、床に散らばる鏡の破片。

 そのまま探るように視界を上げると、そこには、

 真っ暗な穴をのぞかせる鏡と、そこから生える、血塗れの腕があった。


「う、ぁ……!」


 悲鳴が漏れる。

 鏡から出てきた腕は、もはやおぼろげな影などではなかった。

 ガラスで皮膚が破れるのも構わず、未だ鋭利なガラスの破片が残る鏡の縁を掴んで、身体を引きずり出すようにして現れたのは、映画で見たのと同じ、屍鬼。

 襲われる!

 飛び退いて、近くにあった椅子を振り上げ加熱、化け物に叩きつけた。

 が、燃え上がるはずの死体は、椅子を肉体に突き刺さったまま立ち上がる。

 そして、椅子を身体に押し込むと、完全に吸収した。


「は、はぁ!?」


 叫んでから、気づく。

 そういえば、映画では建物に憑りついたり、家具を取り込んだりしてたな、と。

 思い出した「設定」を肯定するように、屍鬼は一回り大きくなった身体で、亜理子へと飛び掛かってくる。


「ぅわっ!?」


 触った瞬間、椅子の様に取り込まれる!

 焼き殺すどころではない!

 悲鳴を上げて逃げる亜理子。部室から飛び出し、廊下を駆け抜ける。

 背後からは、何か重いものでも引きずるような音。

 振り返ると、そこには、四つん這いのまま、すさまじいスピードで追いかけてくる化け物。

 全身の産毛が逆立つような感覚と、生理的な嫌悪感が襲う。

 吐き気と眩暈を押し殺しながら、とにかく校舎から出ようと走り続ける。

 階段を飛び下り、廊下を駆け抜け、ほとんど体当たりするかのように入口の扉を開いて、


「……っ!?」

「六条さん?」


 しかし、その先は、図書室だった。

 アキが不思議そうな目を向けてくる。亜理子は一瞬固まったが、すぐ後ろに迫った肉を引きずる音に気付いて、乱暴に扉を閉めた。


「逃げるよ、アキっ!」

「六条さん!? どうしたのっ!?」

「昨日の影よっ! アレが鏡から出てきて……!」


 窓を開け放つ亜理子。

 が、それを遮るように、轟音が響いた。

 ドアごと破壊されたコンクリートの奥には、血を流す女性のようナニか。


「んz:q……##33!」

「……あぁっ!」


 まるでガラスを引っ掻いたような叫びに、アキが蒼白になって震える。

 亜理子は強引に手を引いて、勢いのまま窓の方へと突き飛ばした。

 今までアキが座っていた椅子を化け物に投げつけながら、叫ぶ。


「何してんのっ! 飛び降りてっ!」

「あ、う、うんっ……!」


 ほとんど意味を理解していなかっただろう、亜理子の叫ぶまま、窓から飛び出すアキ。亜理子もすぐに後を追う。一階という事もあり、衝撃はほとんど無い。後ろ手に窓を閉めると、うずくまるアキを立たせ、手を引きながら駆け出した。

 体勢を立て直しながら、何とかついてくるアキ。

 しかし、突然思い出したように叫ぶ。


「ろ、六条っ、さんっ! 図書室にはっ! 受付に、まだっ、先生がっ!」

「はあ!? 何言ってるの?! 他に誰もいなかったでしょ!?」

「そ、そんな! ついさっきまでっ! 一緒に、受付してたよっ!」

「あの化け物見て逃げたんじゃないの?

 私が入った時には他に誰もいなかったよ!」


 走りながら叫び返す亜理子。

 ようやく、怪物が追って来ていないことに気づいたのは、食堂の前。


「はあ、はあ……とりあえず逃げ切れたみたいね」


 耳を澄ましても、あの肉を引きずるような音はもう聞こえない。

 しかし、周囲の静寂は、むしろ亜理子を不安にさせた。

 静かすぎる。

 放課後の食堂は、普段ならばだらだらと帰る生徒や、グラウンドから聞こえる運動部の声で、昼休みとは違った喧騒に包まれている。だが今は、まるで空気が動かなくなってしまったように、不自然なまでの無音に包まれていた。縛り付けるような沈黙に耐えられなかったのか、アキが絞り出すように話しかける。


「ね、ねえ、六条さん。本当に、図書室には他に誰もいなかったの?」

「ん? 誰もいなかったハズよ。結構派手にドア開けたけど、反応したのアキだけだったし」

「じゃ、じゃあ、さっきのアレは?」

「私に聞かないでよ。部室で鏡使ってたら、映画みたいに昨日の影が出てきたんだから」

「え、映画……! じゃ、じゃあ、とりあえず、出口に行けば……」


 が、せっかく浮かびかけた解決策は、上からの破壊音で掻き消された。

 頭上に目を向けるふたり。そこには、ヒビが入った天井。

 ヒビは何かを叩きつけるような音と振動が襲うたびに大きくなり、


「……あの、六条さん……う、上から……」

「いいからっ! 言わなくていいからっ! 走りなさいよっ!」


 亜理子がアキの手を引くと同時、崩壊した。

 瓦礫とガラスの破片が降り注ぎ、砂埃が周囲を覆いつくす。

 亜理子はアキの手を引きながら、後ろの惨劇を確認することなく走り続けた。

 追いついてきた砂埃のせいで、視界が悪くなる。

 時折小さな瓦礫の破片が飛んできて、足をかすめた。

 やけに長く感じる校舎と校門をつなぐ短い道のりを抜け、ようやくたどり着いた出口は、


「っ! 閉まってる!」


 閉ざされていた。電子式の重い鉄門は、人の手で何とかできる代物ではなく、上には有刺鉄線が備え付けられているため、よじ登って越えるのも難しい。門の開閉が出来るであろう守衛室も無人だ。

 しかし、肉を引きずる音は近づいてくる。

 逃げ場をなくして、振り返るふたり。


「……う、ぁ」


 隣から、アキのうめき声が聞こえた。

 砂埃の中から出てきたヒトガタだったものは、もはや人間の形をしていなかった。

 その巨体は数メートルもあるだろうか。瓦礫や校舎の一部を吸収して何倍にも膨らんだ身体は、まるで破裂したように血と肉を噴出し、臓器が露出している。

 二足では体重を支えられないのか、四つん這いのまま、頭蓋骨が割れ、脳がむき出しになった頭を持ち上げ、まぶたを失った目で、亜理子を見下ろし、

 右手を、無理矢理引きずるように、大きく振り上げた。

 亜理子は、反射的にアキを突き飛ばそうとして、


「ダメっ!」


 アキに、しがみつかれた。

 勢いのまま、押し倒される亜理子。

 そして顔を上げ、

 絶句した。

 自分の胸に顔をうずめ、折り重なるように倒れたアキは、

 脚を、赤黒く汚れた化け物の巨大な指に、引きちぎられていたから。


「? ろ、ろくじょう、さん? どう、し、た……の? にげ、ない、と……」


 やけに幼い声をあげるアキ。そして、不思議そうに振り返る。

 止める間もない。

 いや、仮に間があったとしても、止められたかどうか。

 亜理子自身、アキの脚から破裂した水道管のように噴き出す血に吐き気がこみ上げ、どうしようもなかったのだから。


「あ、あぁ……ぁぁぁぁああああっ!」


 絶叫が響く。

 だが、その恐怖に身を任せる暇も与えず、化け物は巨大な腕を再び振り上げた。

 すがりつくアキを抱きしめる亜理子。

 あるいは、すがりつきたかったのは亜理子の方だったかもしれない。

 なす術もなく迫る死に目を見開き、

 しかし、それはすぐに驚愕に変わった。


 映画に出てきたのと寸分変わらない化け物が、


 どこからか飛んできた、巨人に蹴り飛ばされたから。


「……は?」

「邪ァ!」


 戸惑う亜理子を無視して、安っぽいスーツに身を包んだ巨人は、特撮ヒーローのごとくポーズをとり、特徴的なかけ声をあげると、今まさに吹っ飛ばしたばかりの化け物へ挑みかかった。

 体勢を立て直そうとする化け物の腕と肩を掴み、背負い投げの要領で地面に叩きつける。

 皮膚が破れ血を流している状態で襲った衝撃に、のたうつ化け物。

 しかし、巨人は容赦なくその顔面を蹴り上げる。

 綺麗に入ったサッカーボールキックは、化け物を吹き飛ばし、塀に叩きつけた。

 そのままズルズルと血の跡を残しながら地面に崩れ落ちる化け物。

 息も絶え絶えの化け物に向けて、巨人は手を交差させ、やけに気合の入ったかけ声と共に、光線を発射した。


 閃光!

 爆発!


 恐怖の塊だったはずの化け物は跡形もなく消え去り、特撮ヒーローらしき何かは満足げに勝利のポーズをとると、颯爽と飛び去っていった。


 呆然とする亜理子。


 しかし、急に遠くから聞こえてきた日常の音に気が付き、周囲を見回す。


(……戻って、きた?)


 グラウンドから聞こえる生徒の声、開け放たれた部室の窓から流れる楽器の音。

 さっきまで視界を染めていたどす黒い赤は、いつの間にか夕日の優しい赤に変わり、破壊されたはずの校舎も元通りになっている。

 消えていく恐怖。

 代わりに、身体がやけに重いことに気がつく。


「っ! あ、アキ、大丈夫!? ちょっと、脚は……っ!?」


 助け起こそうとした手は、すぐに止まった。

 千切れたはずの右脚は、傷ひとつない状態にまで治っていたのだから。

 ついて行けず、停止する思考。


「あっ! 亜理子ちゃん、こんなところに……って、アキちゃん? 何してるの?」


 が、聞き慣れた声が、頭を強制的に動かせた。


「ぅ……えっ! あ、ろく、じょう、せんぱい?」


 名前を呼ばれたアキが、ようやく身体を起こす。

 慌てたように周囲、そして自分へと目を向け、傷ひとつない脚をぺたぺたと撫で始めた。

 亜理紗は不思議そうな顔でそれを眺めていたが、


「う~ん、なかなか部室に来ないと思って探しに来たんだけど……こんなところでヤルなんて、2人とも大胆なのね」

「は?」


 とんでもない事を言い出した。

 疑問を浮かべる亜理子に、亜理紗がアキのスカートを指差す。

 地面を這いずり回って逃げた上に、亜理子が傷を確認しようとしたせいでまくれ上がり、上着もはだけている。

 真っ赤になるアキ。


「じゃあ、お姉ちゃん待っててあげるから、早く戻ってね、あ・り・すちゃん?」


 気がついたときにはもう遅い。

 亜理紗は既に背を向けて、歩き出していた。


「え? あの、その、違……ろ、六条さん、ごめんなさい!」

「ちょ、アキ、なんで謝るの! ていうか、それ誤解! 誤解だから!」


 少女達の声が響く。

 それは日常を取り戻した風景に溶け込み、放課後の校舎に消えていった。


 ※ 続きます(次回更新は、2019年4月29日(月)を予定しています)。



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