#4-c 部室

 場所を変えて、吹奏楽部部室。

 今日は合奏がない。いつもなら個人練習に使っている部員も、文化祭に備えてパート単位で練習をしているため、他の空き教室を使っている。

 つまりは、誰もいない。話をするには、ちょうどいい場所といえた。


「六条さん『も』ってことは、アキのトコにも、影みたいなのが出たんだよね?」

「う、うん。昨日、寝る前に……」


 アキから聞かされたのは、亜理子と同じく、昨日の夜、腕時計の奥に奇妙な影を見つけた、という話だった。

 亜理子も自分の体験を話す。もっとも、話すのは昨日の夜の事だけで、それ以前の――漫画や絵本の事は話していない。もし今回の一件とは独立した、まったく別の何かを原因とする事件だとしたら、アキを余計に関わらせることになる。

 話が終わった後には、異様な静寂。

 まるでホラー映画を観終わった後のように、何もないのに警戒心を掻き立てるような恐怖が、部室を支配していた。


「まあ、二人とも聞こえてたんだから、空耳じゃないよね。

 アキは何か心当たりとか、ないの?

 何かこう、図書室で似たような内容の本とか?」

「ごめんなさい。

 私も、そういうオカルトみたいなのは、あんまり読まないから……」


 わざと明るい声を出して、気まずい雰囲気を避ける亜理子。

 アキにもそれが伝わったのか、積極的に応じてくれる。


「そういえばそうね。でも確かに」


 だが、動き始めた会話は、


――0qd、k……3、7……


「こんな声、が聞こえ、て……っ!?」


 割って入った声に遮られた。

 恐るおそる、腕時計をのぞきこむ。

 鏡面の奥に見えるのは、昨日と同じ、人型の影。

 亜理子は短い叫び声をあげかけたが、隣にアキがいる事に気づいて、それを強引に飲み込み、意図して冷静な目を向ける。

 小さな腕時計の鏡面、普段なら自分の顔すら見ることも難しいその狭いガラスには、なぜか人型がはっきりと写っていた。

 そして、ソレは、鏡面の奥からこちらへ向かって歩いてくる。

 何か明確な意思をもって、迷うことなく。

 次第に大きくなる影。

 小さいガラスの枠からはみ出し、視界いっぱいに広がって、目の前を真っ暗な闇に染め、


――離れて!


 アキの声が、響いた。

 声のした方を振り向く亜理子。

 アキの姿も、吹奏楽部の部室もない。

 目を瞑ったように真っ暗だ。

 その中に、まるでナイフが煌めいたような、異質な光がはしった。

 銀色に切り裂かれた闇は、


――0qdk37いあtz”ふ#!


 断末魔のような叫び声とともに、強烈な光へと変わって、


「あ、亜理子ちゃん、来てたん……」

「ぎゃあぁぁぁああああ!?」


 ドアが開く音で、唐突に途切れた。

 悲鳴を上げる亜理子。

 深い眠りから無理矢理たたき起こされた時のように、一機に意識が覚醒するような感覚。

 同時、周囲が風景を取り戻していく。

 いつもの、放課後の夕日に照らされた部室。

 唯一違うのは、隣で飛上るアキ。

 高鳴る心臓を押さえながら、亜理子は入ってきた亜理紗に向かって叫んだ。


「ち、ちちち、ちょっとっ! お、おおお、脅かさないでよっ!」

「えっ? え、ええ? ええっと、ごめんなさい?」


 訳が分からないといった様子ながらも、とりあえずと言った様子で謝る亜理紗。が、すぐに亜理子の方へ踏み出すと、いつものように人懐っこい笑顔を浮かべた。


「それで、何してたの?」

「えっと、その、アレよ。え~と……」

「あら? あなた……」


 しかし、その笑顔は、すぐにアキへと向かう。


「もしかして、入部希望?」

「え?」


 戸惑うアキに、笑みを深くする亜理紗。

 直感的に危険なものを感じた亜理子は、亜理紗を引き剥がしにかかった。


「ちょっと、なに勧誘始めてんのよっ!?」

「え~、でも、こんな可愛い子、亜理子ちゃんの浮気相手で終わらせるなんてもったいないじゃない?」

「は? 浮気ってなによ!」

「だって、亜理子ちゃんには、アキちゃんっていう素敵な恋人がいるんでしょう?」


 危険な直感、的中。


「あれ? どうしたの?」

「……この子がアキなんだけど」


 空気が、凍り付いた。

 が、この程度でへこたれないのが亜理紗である。


「ごめんね、騒がしくて? それより、入部の受付なんだけど、届け出が必要だから、よかったら一緒に職員室まで来てくれる?」


 あ、この女、流しやがった。

 そう思っている間にも、亜理紗はどんどんアキを押していく。


「いえ、あ、あの……私、別に入部するつもりは……」

「あら? 別に遠慮しなくてもいいのよ? まだ新入生も募集中なんだから」

「あの、私、図書委員もやってますし……」

「かけ持ち? 大丈夫よ。別にそんなに練習きつくないから」


 何とか断ろうとするアキを、柔らかい物腰で強引に迫る亜理紗。

 亜理子はもう一度止めようとも思ったが、今は崩れた雰囲気を引き延ばした方がいいかと思い直し、声援を送るにとどめる。

 がんばれアキ。はっきり断ればお姉ちゃんも黙る……と思う。たぶん。

 だが、そんな声に出さない応援も虚しく、アキはジリジリと後退していく。


「楽器は何がいいかしら? 経験はある?」

「いえ、その……」

「あ、初心者でも大丈夫よ? 楽器は学校のを使えばいいし、それにちゃんと先輩が手とり足とり優しく教えてあげるから」

「あの、えっと……」

「あ、私、六条亜理紗っていうの。

 一応部長だから、気軽になんでも言ってくれれば……」

「あ、あうぅ……」


 壁際にまで追い詰められ、ついには涙を浮かべるアキ。

 駄目だ。

 消極的すぎる同級生に積極的すぎる先輩は、流石に相性が悪すぎた。

 亜理子は、強引に二人の間へ身体を割り込ませた。


「ちょっと! アキが困ってるでしょっ! アキも嫌なら嫌って言いなさいよっ!」

「え~、せっかく面白かったのに……」

「人で遊ばない!」

「で、何してたの?」

「……ぅ」


 しかし、止めたはいいが、聞いて欲しくない疑問が戻ってきた。

 またしても言葉に詰まる亜理子。

 亜理紗はわざとらしくため息をついて続けた。


「はあ、別に言いたくないならいいけど?

 お姉ちゃん、言い訳されると傷ついちゃうなぁ」

「可愛く言ってみてもダメだから。そういうお姉ちゃんこそ、何しに来たのよ?」


 暗に言う気はないという意思を込めて、問い返す亜理子。

 亜理紗は、さも意外という風な顔をしながらも、それに乗ってくれた。


「もう、亜理子ちゃん、この間取ってきてって言った楽譜、部室に持って来てって、携帯に連絡入れたじゃない」

「え? そうだっけ?」


 慌てて携帯を見る。今までずっと腕時計の事ばかり考えていたから気が付かなかったが、携帯は確かにメッセージの着信を告げていた。


「もー、未読のままと思ったら、ずっとアキちゃんとデートしてたのね?

 ずるいわ」

「だから、そういう反応やめてって」


 言いながら、鞄の中から楽譜を引っ張り出す亜理子。

 亜理紗はそれを受け取り、奥の棚へ向かおうとしたところで、振り向いた。


「あ、そうだ、せっかくだし、アキちゃんに楽器、体験してもらったら?」

「だから、勧誘はいいって」

「勧誘じゃないわよ。雰囲気暗かったし、ほら、二人とも、気分転換に、ね?」


 目で問いかける亜理紗。

 亜理子もアキの方を見る。

 アキは少し困った様な顔をしていたが、


「え、えっと、じゃあ、お願いします」


 いつものように、はにかんだ笑みで応えた。


 # # # #


「ごめんね、なんか騒がしくて」

「そんなことないよ。いいお姉さんじゃない」


 即席の部活体験を終えて、通学路。二人は今日も一緒に帰っていた。

 亜理紗は今日も予備校のため、既に別れている。

 話題は、自然とあの影の事になった。


「アレ、結局何だったのかしらね?」

「分からないよ。でも、形だけなら、あの映画のゾンビに似てたけど……」

「でもさ、この腕時計って、誰かの形見でも何でもない、高校受験の時に買った安物よ? アキのは? なんかそういうの、あるの?」

「ううん。六条さんと同じ。テストで時間みるために買った、安物だよ」


 が、答えは出ない。

 考えてもしょうがないか。そう思った亜理子は、話の方向を変えた。


「もしあの映画と同じならさ、この後、あの化け物が出てくるはずじゃない?」

「う、うん……」

「そしたらさ、襲われた建物の外に出れば、追ってこないはずだから」


 特撮メドレーのせいで途切れてしまった、映画の中での対処法を話す。

 もっとも、最後は主人公が閉鎖された建物の中に閉じ込められ、生きる屍となったヒロインに永遠の愛を誓わされるのだが、流石にそこまで言うつもりはない。

 そんなことになる前に、せっかく使えるようになった超能力で焼き殺してやる。


「ま、害がないうちは、放置でいいんじゃない? 映画でもそうしてたし」

「……六条さんは、すごいね」


 消えそうな声で呟くアキ。

 ようやく、平気で異常を日常のように扱っていた自分に気づく。

 何か言おうとしたときには、もう遅い。いつもの別れ道だ。


「あ~、ひとりで、大丈夫?」

「うん、今日はお母さんが帰ってくるから、大丈夫だよ」


 心配されたのがうれしかったのか、アキは軽く笑って歩いて行く。

 しかし、亜理子の方は、去り際の言葉が気になった。


(今日「は」お母さんが帰ってくる?)


 いや、そんな助詞ひとつ取らなくとも、亜理子の年齢になると、親の話題なんて、そうそう出てくるものではない。にもかかわらず会話に出てきたという事は、それだけの事情があるという事だ。


(もしかして、アキも親がいない……?)


 だが、引き留めて直接聞くわけにもいかない。

 ただ、アキの小さな背中が見えなくなるまで見送って、


「……帰ろ」


 膨らみ始めた罪悪感を振り払うように、早足で歩きはじめた。

 やってしまったことは、仕方がない。

 いつか、そういう話ができる時が来たら、謝ろう。

 嫌なことはさっさと忘れて、明日からは、いつも通り接するのが、一番だ。

 そう思いながら、亜理子は一日を終わらせるべく、自室へと急いだ。


 ※ 続きます(次回更新は、2019年4月26日(金)を予定しています)。


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