#4-b 時計
映画は、主人公に亡き恋人の声が聞こえてくるシーンから始まった。
次第に大きくなる、聞こえるはずのない声。
そんなある日、遺品の時計にぼんやりした小さな影を見つける。
影はまるで現実を侵食するように成長し、窓や鏡にも映り始める。
そして、ついには屍となって這いずり出し、主人公に近づく女を襲い始め、
「きゃっ!」
アキが、悲鳴をあげて画面から目を反らす。
取り落としそうになる携帯を支える亜理子。
(そういえば、さっきホラーとか苦手って言ってたっけ)
いまさら思い出しても、後の祭りである。
涙目のアキをどうしようかと考えていると、妙に明るい音楽が流れ始めた。
「え?」
アキの間の抜けた声で携帯の画面を見ると、ホラー映画に代わり、特撮ヒーローが怪獣を倒す動画が流れている。どうやら、携帯を支えた指が、間違って別の動画の再生ボタンに触てしまったらしい。そういえば、去年演奏した特撮メドレーの履歴が、まだ残っていた気がする。
「あー、これは、なんていうか、アレよ、アレ」
「もう、アレじゃわかんないよ」
ホラーの余韻を台無しにするBGMに、亜理子は言葉を忘れ、アキは笑い出す。
もちろん、この間も、画面の奥のヒーローは、空気を読まずに再生怪獣デスゾンビーを蹂躙し続けている。
「違うからね、特撮趣味とか、そういうんじゃないから」
「う、ん。分かってる、分かってるよ?」
「笑いこらえながら言われても、説得力ないんだけど?」
ようやく戻って来たいつもの時間は、図書委員が終わるまで続いた。
# # # #
「じゃあ、また明日ね?」
「うん、それじゃあ」
図書委員を終えた亜理子は、アキと一緒に下校していた。
普通なら部室で時間を潰すのだが、流石に昨日の今日であの渡り廊下を歩く自信はない。商店街でアキと別れ、陽が傾きかけた道を進み、誰もいない家の玄関を開け、自室へ。つい数分前までアキと騒いでいたせいか、出迎えた静粛が、やけに心細く感じられた。
(はあ、私ってば、ちょっと敏感になりすぎ?)
虚無感を自嘲で誤魔化し、いつものルーチンワークに流そうと、鞄を床に投げ捨て、腕時計やらアクセサリーやらを机の上に投げ出す。制服を脱いで私服に着替え、
――4……x……x”0……
突然響いてきた声に、手を止めた。
周囲を見回しても、他に誰もいない。
ただ、見慣れた自分の部屋が広がっているだけだ。
澄ました耳に聞こえるのは、無音。
しかし、それはむしろ神経を緊張させ、
「……誰っ!?」
耐え切れなくなった亜理子は、声を上げた。
もちろん、答えてほしいなどとは思っていない。
いわば、恐怖から逃れるためにあげた声だ。
――4xx”0、xy……x……x”0……
しかし、ノイズ交じりの声は再び響いた。
それも、相当に近い。
反射的に声のした方へ目を向ける。
誰もいない。
代わりに、腕時計が目についた。
いや、いくら何でも、そんな。
否定しながらも、亜理子は、恐るおそる、腕時計をのぞきこんだ。
――……0q、dk……3……い……あt……
そこには、自分と重なるように、別の誰かが映りこんでいた。
「う、わっ!」
飛び退く亜理子。
ついで、沈黙。
凍り付いたような空気が部屋を支配し、
「亜理子ちゃん、ただいま~」
「きゃぁぁぁあああ!」
突然開いたドアに絶叫を上げた。
「ちょ、ちょっと、きゅ、きゅ、急にっ! は、は、はい、入ってこないでよ!」
「え? ええっと、ごめんなさい?」
可愛らしく首をかしげる亜理紗。
亜理子は変わった雰囲気に流されるまま、亜理子は亜理紗に詰め寄った。
「だ、だいたい、ノックくらいしてって、何回言ったと思ってるの!」
「え? 今日で158回目じゃないの?」
「なに当たり前みたいに数えてるのっ!」
「ん? 数えてないよ? 適当に言っただけ」
いつものように、軽くいなされる。
「で、なんでそんなにビックリしてたの?」
そして、至極まっとうな問いが飛んできた。
硬直する亜理子。
言った方がいいんじゃないか。
勢いに流されかけているけど、今この瞬間にも、昨日のような化け物が襲ってくるかもしれない。
何より、誰か相談に乗ってもらえる人が欲しい。
「……着替えてる途中にドア開けられたら、普通、ビックリするんじゃない?」
しかし、一瞬の後には、誤魔化してしまった。
「そう? ホント? ホントになんにもない?」
「なにもないから。ちょっと思い込みが激しすぎるんじゃないの?」
誤魔化したのが分かるのだろう、重ねて聞いてくる亜理紗を、否定する亜理子。
亜理紗はそれに少しだけ悲しそうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。
「そう。じゃあ、晩ごはん、すぐ作るから、もう少ししたら、降りてきてね?
あ、それとも、お着替え、お姉ちゃんが手伝ってあげよっか?」
「そういうのいいから、さっさと出ていきなさいよ。私がキレないうちに」
「あれ? ホントに怒っちゃった?
あんまりカリカリしてると、胸がいつまでも大きくならないわよ?」
「さっさと出ていけ!」
この間と同じように、はいはい、と言いながら出ていく亜理紗。
が、亜理子の気分は晴れない。不安の源泉である腕時計に、自然と目が行く。
夕陽を反射する鏡面には、もう何も映っていなかった。
(お姉ちゃんが入って来たからいなくなった? それなら、それでいいけど……)
でも、そうじゃなかったら。
亜理子は手早く服を着替えると、キッチンに向かった。
「あら? 亜理子ちゃん、もうちょっと早過ぎよ?」
「知ってる。たまには手伝おうと思っただけ」
亜理紗は目を見開いて――笑って、包丁を置いた。
「そう? じゃあ、こっちの下ごしらえ、お願いしていい?」
亜理紗が置いた包丁を握る亜理子。
久々に姉と過ごす時間は、あっという間に過ぎていった。
# # # #
(結局、あの後は何もなかったけど……)
翌日。
亜理子は昨日に引き続き、寝不足気味の頭を引きずりながら登校していた。
あの後、夜遅くまで腕時計を警戒しながら過ごしていたのだが、結局、変わったことは何ひとつ起こらず、妙に引っ付こうとする妹に大喜びする亜理紗に疲弊しただけで終わっている。調子に乗って、「亜理子ちゃん、一緒に寝る?」とか言われた時はどうしようかと思ったものだ。
(まったく、お姉ちゃんまで襲われたらどうするのよ)
信号に引っ掛かったタイミングで、鞄の持ち手にはめた腕時計を見る。
さすがに、腕に着ける勇気はなかった。
といって、鞄の中に仕舞いこむと、中でどうなるか分からない。よって、こうして目に見える位置に巻き付けているわけだが、その鏡面は昨夜と同じく沈黙を保ったままだ。
(いい加減、ホラー映画と同じって、認めた方がいいのかしらね)
昨夜、必死に否定しようとした仮定を思い浮かべる。
漫画、絵本と来れば、次は映画。単純すぎる気もするが、否定する材料もない。
そうとなると、この後、鏡の中から這い出すゾンビに襲われることになる。
酷い話だ。
どうせ現実になるのなら、白馬の王子様がやってくる恋愛映画にして欲しかった。
……いや、それはそれで怖いか。
「……六条?」
「はえ?」
心の中で文句を並べ続けていると、後ろから声をかけられた。
振り返ると、怪訝な顔をする白。
「……信号、変わってる」
言われて、人の流れに気が付いた。
見るからに邪魔だという表情を浮かべて通り過ぎていくサラリーマンや学生の群れを、慌てて追いかける。
「あ~、ごめん、ぼうっとしてたわ」
「……寝不足?」
「ん、ま、そんなとこ」
どうでもいいような会話を交わしながら、思う。
そういえば、白と登校するのって初めてだな、と。
「兎沢って、いつもこの時間だっけ?」
「……いつもは、もう少し早い。寝坊した」
「それはまた意外ね。私なら普通だけど」
聞き返す亜理子。
白はアキのように真面目な優等生、という訳ではないが、部活では必ず早めに来て練習の準備をしている。てっきり、授業も早めに来ているのかと思っていた。
「……大丈夫。遅刻しなければ、早く行っても、ゆっくり行っても一緒」
「お~、いいね、その考え方、賛成」
「……でも、遅刻ギリギリだから、時計なんか見てると、ホントに遅刻する」
「そのツッコミがなければ、完璧だったんだけど?」
「……時計に、何かあったの?」
「今ので会話終っとけば、完璧とはいかなくても、すごく良かったんだけど?」
「……映画みたいに、ゾンビが出て来たとか?」
「……そんなわけないじゃない」
冗談交じりの声に、思わずまともに返してしまった。
白はそんな亜理子をじっと見つめて、
「なによ?」
「……別に? それより、遅刻」
歩く速度を上げた。
(誤魔化せた、の?)
いや、違う気がする。
単純に、これ以上、話しかけても空気を悪くするだけだと悟ったのだろう。
バイトの時と同じ、不愛想に気を使ってくれる、いつもの白だ。
まだ、この子は巻き込まれてない。
そう安心した亜理子は、
「そんな走んなくても、大丈夫だって」
白の背中を追いかけた。
# # # #
校舎に入り、白と別れ、教室へ。
予鈴ギリギリだが、いつものように自分の席に座れば、いつものように軽薄な顔が寄ってきて、いつものように軽薄な会話が始まる。
そう感じたのは、白を追いかける間に忘れかけていた疲労を、思い出したからだろうか。無意識に違う付き合い方をしているアキを探し、
(いない……?)
空席に気が付いた。悪い予感がよぎる。
が、すぐに裏切られた。チャイムと同時、アキが教室に駆け込んできたからだ。
(兎沢の次は、アキぃ?)
珍しいこともあるものだ。
そう思いかけたが、すぐに悪い予感はぶり返してきた。
アキも、あの妙な声に襲われたんじゃないだろうか、と。
そういえば、図書室で楽譜を覗き込んだときは、一緒だった気がする。
もしあれが異常のトリガーだとしたら……
(いやいやいや、あれよ、きっと、先生に用事とか頼まれたのよ)
意識的に否定しようとする亜理子。
だが、一度浮かべたネガティブな思考はなかなか消えない。
(直接、聞いてみれば……でも、巻きこんだら……いや、当たり障りのない聞き方すれば大丈夫……?)
ぐるぐると思考を回しているうちに、先生が入ってくる。
結局、亜理子はアキに話しかけることが出来ないまま、朝を終えた。
# # # #
(……どうやって話しかけよう?)
そしてそのまま時間は過ぎ、気が付けば放課後のホームルームである。
休み時間や昼休みにでも話しかけようかと思ったのだが、他の友達に絡まれたり、アキの方が先生に捕まっていたりしたせいで、タイミングをつかみ損ねてしまった。
もっとも、タイミングがあったところで、話しかけることが出来たかどうかは怪しい。何せ、切り出し方が未だに思いつかないのだから。
事件のことを直接言うか?
まさか、巻き込まれてなかったら、変に思われるだけだ。
じゃあ、なんとか自然に誘導する?
でも、どういう流れで?
寝不足の頭では、いまいちいい案が思い浮かばない。
放課後が最後のチャンスだというのに、このままでは、話しかけられないまま一日が終わってしまう。
(っていうか、なんでこんな下らない事で悩まないといけないわけ?)
考えているうちに、怒りが込み上げてきた。
何が悲しくて、地味なクラスメートに話しかけるのに、ここまで考え込まなければならないのか。
(もう、これというのもこの時計がっ!)
原因となった腕時計に、感情を向ける亜理子。
授業中、監視も兼ねて机に置いていた腕時計は、そんなの知ったことかとばかりにチマチマと時を刻んでいる。
時計を指ではじく亜理子。
とてつもなく地味な八つ当たりに、時計は予想外の動きを見せた。
勢い余って机から落ち、ちょうど下にあったカバンをバネ代わりに斜め後ろへ。
そのまま床を滑るように動き、アキの靴に当たった。
「あ」
小さな声をあげる亜理子。
転がってきた時計を不思議そうに拾い上げるアキ。
同時に、ホームルームの終わりを告げる号令がかかった。
「きりーつ、れーい」
やる気のない号令に合わせて礼をして、アキの元へ。
「あ、それ、私のなんだけど……」
――0qd、k……3、7……
が、声をかけた瞬間、あのノイズがかった声が響いた。
凍り付くアキを見て、切り出す。
「いま、なんか、聞こえたわよ、ね?」
「えっ? ろ、六条さん、も……?」
そして、確信した。
アキの手から、素早く腕時計を奪い取る。
文字盤には、何も映っていない。
亜理子はしばらく時計の鏡面を睨みつけていたが、
「あのさ、ちょっと、付き合ってくんない?」
アキに向かって、そう切り出した。
※ 続きます(次回更新は、2019年4月22日(月)を予定しています)。
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