映画『ザ・レクイエム』
#4-a 絵本
絵本『びょういんのおるすばん』:本文抜粋――――
そのおんなのこは、じこにあいました。
きがつけば、びょういんのベッドのうえ。
つめたいベッドのうえで、おんなのこはまちつづけます。
おとうさんとおかあさん、はやくむかえにこないかな。
おなじクラスのあのこ、あそびにこないかな。
でも、だれもきてくれません。
どうしてだれもきてくれないの?
おんなのこはまちきれなくなって、ベッドからとびだしました。
びょういんのなかをうろうろ。
しってるひといないかな。
まわりをきょろきょろ。
みつけた。おとなりのおじいちゃんだ。
こんにちは。
おんなのこはあいさつします。
でも、おとなりのおじいちゃんはなにもいってくれません。
どうして? いつもへんじをしてくれるのに。
おんなのこがこまっていると、おなじクラスのひなちゃんがあるいてきました。
あ、ひなちゃん! おんなのこはうれしそうにこえをかけます。
でも、ひなちゃんもなにもいってくれません。
おんなのこはとてもかなしくなりました。
そこへ、おとうさんとおかあさんがやってきます。
おとうさん! おかあさん!
おんなのこはふたりにむかってさけびました。
でも、おとうさんとおかあさんも、しらんかお。
おんなのこは、とうとうなきだしてしまいました。
でも、どんなにないても、やっぱりだれもみてくれません。
ないて、ないて、ないて。
なみだがでなくなったとき、あたりはまっくら。
おんなのこは、こわくなってにげました。
いっしょうけんめいはしって、ベッドにもどると、おいしゃさんがいました。
おとうさんとおかあさん、おじいさんとひなちゃんも、いっしょです。
でも、みんな、ベッドのほうをみています。
おおきなおとうさんとおかあさんのからだのあいだからちょっとだけみえた、
ベッドのうえには、ほかのおんなのこ。
あのこ、みんなにかこまれて、たのしそう。
わたしには、みんなへんじもしてくれないのに。
おこったおんなのこは、おいしゃさんのかばんをひっくりかえしました。
じゃらじゃらじゃら
ぎんいろのどうぐが、いっぱいゆかにころがります
みんなびっくりしてこっちをみました
でも、おんなのこはまだおこったままです。
みんな、みんな、いなくなっちゃえ
おんなのこはゆかにちらばったどうぐをなげつけました
なげて、なげて、なげて。
きがつけば、ベッドのおんなのこをのこして、だれもいなくなっていました
おんなのこがベッドのおんなのこをみると、そこには、
じぶんがねむっていました。
――――――――――――――
「……読まなきゃよかった」
本を閉じる小さな音が、亜理子の部屋に響く。
意外そうにするアキを適当に誤魔化し、図書室から持ち出した絵本は、その謳い文句に違わぬ効果を、いかんなく発揮していた。
要は、怖かったのである。
(こども騙しだと思ってたんだけどな……)
事実、はじめはなんという事もないただの絵本だった。
が、次第に挿絵はおどろおどろしいものになり、文字も活字から手書き、それも血のように赤黒く崩れた字体へと変わっていく。
最後なんかもう、芸術的なのか病的なのか分からない、炎のような抽象画である。
おまけに、亜理子はその内容を数時間前に体験している。下手したら自分もこの抽象画のようにグロッキーな世界に旅立っていたかもしれないと思うと、ただ紙面から受ける以上のインパクトがあった。
(っていうか、これと同じシリーズ、私も読んだことあったのね……)
絵本と並べた携帯へと、目を向ける。
そこには、昨日の『サイコ・フレア』同様、絵本のタイトル『びょういんのおるすばん』の検索結果が表示されていた。技術者が魂を込めて進化させた優秀なる検索エンジンは「大人が読む怖い絵本」シリーズの他のタイトルも当然のように網羅、中には、亜理子がこどもの頃に読んだ、『まほうつかいとおひめさま』の文字もある。
タイトルからは想像もつかないが、確か、悪い魔法使いがお姫様を使って人体実験をする話だったはずだ。亜理子にとっては、幼いころのトラウマである。それこそ、もう二度と手に取って読もうとは思わない程に。
が、懐かしい過去という奴は、時にトラウマも思い出に昇華してしまうらしい。
公式サイトと一緒にヒットした感想には、「懐かしい」「改めて読み返すとやっぱこわい」「でも読んじゃう」「これが怖いもの見たさか」という、矛盾した評価が並んでいる。
(っていうか、懐かしいばっかで、肝心のオカルト情報がないじゃない)
亜理子としては、この絵本に関する裏話――例えば、怪談や実話を基にしているとか、この絵本を読んでいたら怪現象が起こったとか、そういう話を期待していたのだが、ネットに転がっているのは復刻を喜ぶ声ばかり。作者の事も調べてみたが、どう調べてもただの恐怖作家だ。しかも、ご丁寧に、ブログには「他の作品は実際の怪奇現象について取材を行ったりするのですが、本作は完全な創作です」と書かれている。
「もう、さっきのアレって何だったわけよ!」
手掛かりをつかめない苛立ちが、声になって出ていく。
しかし、誰もいない部屋からは沈黙が返ってくるだけだ。
(お姉ちゃんは……予備校だっけ?)
いつも邪険に扱っておきながら、こんな時だけ都合よく姉を求める自分に嫌気がさす。
それを振り払うように、再びネットへ目を向けた。
今度は挿絵を描いた人を当たってみよう。あと、出版社も。
襲ってきた怪物を忘れようとする時間は、夜遅くまで続いた。
# # # #
「ふぁ……」
翌日。
眠気を引きずって学校に登校、そのまま机に突っ伏した亜理子は、放課後になってようやく顔を上げていた。
未だ半覚醒状態にある頭と身体を、伸びをして現実に引き戻し、
「六条さん」
「っ!? って、なんだアキか。びっくりさせないでよ」
不意に背後から声をかけられて、飛び上った。
慌てて振り返ると、そこには、自分以上に驚いた様子のアキ。
驚いた亜理子に、驚いたらしい。
「ご、ごめんなさい」
「はあ、謝んなくていいから。で、何?」
「う、うん。もうすぐ図書委員始まるから、一緒に行こうと思って」
どうやら、亜理子が起きるのを待っていてくれたようだ。アキの性格上、無理やり起こすなどという芸当はできなかったのだろう。もう教室には誰もいないというのに、律儀な事である。苦笑交じりにうなずくと、アキは苦くない笑みで応えて歩き出した。
「調子悪そうだったけど、大丈夫?」
「大丈夫。って、昨日と同じ会話してない?」
そんな下らない会話を交わしながら図書室へ。
ふたり一緒に受付に座る。
アキは文庫本を取り出すと、鞄を静かに足元へ。
亜理子は携帯を引っ張り出すと、鞄をその辺の椅子に放り投げる。
授業でも受けているかのように、まっすぐな姿勢で読書を始めるアキ。
授業中と同じく、だらけきった姿勢で携帯をいじる亜理子。
それぞれの時間はゆったりと過ぎるかに思われたが、
(……昨日の検索結果、閉じるの忘れてたわ)
携帯のパスワードを解除した瞬間、まるで昨日の異常はまだ解決していないと主張するかのように、『びょういんのおるすばん』関連の用語と画像がずらりと並んでいた。
寝不足の原因を突然目の前に突き付けられ、憂鬱になる亜理子。
それが顔に出てしまったのか、隣からアキが声をかけてきた。
「どうしたの?」
「あー、何でもない。嫌なこと思い出しただけ」
主語と述語を大幅に省略した返事で誤魔化すと、アキは聞いて欲しくない事だと悟ったのか、少しだけ悲しそうな顔をして、「そっか」とつぶやき、本に視線を戻した。気を使ってくれるのはありがたいのだが、こういう反応をされると、何か悪いことをした気になってくる。
亜理子は仕方なく言い直した。
「昨日の本だけどさ、返そうと思ったけど、家に置いてきちゃったの」
実際には鞄の中に入ったままなのだが、そういう事にしておく。
が、アキは変な方向に想像を進めた。
「あの絵本、やっぱり怖かった?」
「ちょっと、なんでそうなるのよ」
「だって、私も初めて読んだとき、すごく怖くて、すぐ本棚に仕舞っちゃったから。
今も、ホラー小説とか、間違えて借りたら、早く返しちゃおうってなるし」
何やら誤解されてしまったようだ。いや、誤解ではない気もするが、絵本ごときを怖がったと思われるのはいい気分でない。
しかし、アキの誤解は、あっという間に自己嫌悪へと進化していく。
「ごめんね? なんか変に興味引いたりして」
「それは気にし過ぎ。ていうか、借りたの私だし」
軽く流すも、アキの表情は冴えない。
いい子というヤツは、なぜこうたまに面倒くさくなるのだろうか。
亜理子は誤解を解くのを諦め、強引に話題を変えた。
「あー、そういえば、部活で使う楽譜、借りようと思ってたんだ」
「楽譜? 文化祭で使うのは、だいぶ前に貸し出したと思うけど……?」
「そっちじゃなくて、選曲の時に没になった方。
ソロ載ってるから、部長が見たいってさ」
あの絵本のせいですっかり忘れていたが、本来の目的は楽譜だったはずだ。
姉の事をわざわざ部長と呼んだのは、半ば使い走りに使われた八つ当たりである。もっとも、アキにあんな常時面倒くさい姉の事など教えるつもりもないが。
「楽譜の場所、分かる?」
「分かんない。案内お願い」
まだ図書室に生徒が入ってきていないのをいいことに、受付を後にする二人。
迷うことなく図書室の奥へと進むアキに、周囲を見渡しながらついて行く亜理子。
文学部や化学部の古い資料が並ぶ書棚を過ぎ、楽譜が並ぶ一角へ。
オーケストラや軽音部の棚を通り過ぎて、吹奏楽部の棚にようやくたどり着いた。
「図書委員、始まったばっかなのに、よく覚えてるね」
「そうでもないよ?
棚の場所だけで、どの楽譜がどこにあるなんて分からないし……」
「そこまで分かってたら、もう変態だって」
突っ込みながら、棚に視線を這わる。
有名なクラシックや定番のポップスから、アニメソングに特撮メドレーまで。
綺麗に分類された楽譜が、整然とした行列を作っている。
おかげで、目的の楽譜はすぐに見つかった。
「文化祭でやるのって、その曲?」
「そ、現代音楽。もうひとつ、クラシックもやるけど、私が出るのはこっちの方。
まあ、現代音楽って言ってもクラシック調だから、あんま変わんないけど」
「そ、そうなんだ」
よく分からないながらもうなずくアキを横に、合奏で使っている譜面との違いを確かめる。
「あ~、ほら、この間、話題になってたホラー映画、あのテーマ曲。
ポップスって感じじゃないでしょ?」
「ご、ごめん、映画、見たことないから」
最後の方の段落にソロが載っているのを見つけ、楽譜を閉じた。
「いや、テレビで紹介されてた時のBGMとか……覚えてないか。
曲より映画の内容よね」
「う、うん、ごめんね?」
「だから、謝んなくていいから」
そして受付に戻ったところで、
「あ、映画の動画あるけど、見る?」
「え? でも、図書委員の途中だし」
「いいじゃん、どうせ暇なんだし」
携帯に映画の一部が保存されていたことに気づき、話題づくりも兼ねて、半ば強引にアキに押し付けた。
ノーと言えないアキは、困ったようにしながらも、亜理子の差し出した携帯の画面をのぞきこんだ。
※ 続きます(次回更新は、2019年4月19日(金)を予定しています)。
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