#3-c 委員
週三回の合奏練習。
奏でられるのは、一か月後に迫った学園祭で演奏する、B級映画のテーマ曲。
指揮を追いながら譜面をめくり、演奏する箇所が近くなれば楽器を構える。
亜理子が担当するのはサックスだ。亜理紗が子どもの頃からフルートを習っていたため、反発から別の楽器を選んだのはいい思い出。今では楽器もすっかり手に馴染み、息を吹き込めば、自分の音色が周囲に溶け込んで、音楽を作っていくのがはっきりと分かる。それは一種の緊張を持って続けられ、やがて終曲を迎えた。
後に残ったのは、わずかな余韻。
「はい、じゃあ、ちょっと早いけど今日の朝練はこれで終わりにします。
お疲れ様でした!」
それを打ち消すように、指揮台から亜理紗の声が響く。
次いで、部員の「お疲れ様でした」の声をきっかけに、授業が終わった時のような喧騒が広がっていく。
亜理子も演奏中維持していた姿勢を崩し、凝り固まった体をほぐしながら、楽器の片づけを始め、
「ねえ、亜理子ちゃぁん。ちょっとお願いがあるんだけど」
指揮台からの、砂糖の袋をひっくり返したかのような甘い声に、手を止めた。
だが、返事はしない。顔も上げない。確実に面倒事だからだ。
もちろん、声はそんなことで止まるはずもなく、
「曲の終わりにね、ソロをお願いしたいな~とか?」
「お断りします」
はっきりと、かつ端的に否定する。
突き放し過ぎのような気もするが、亜理紗にはこのくらいがちょうどいい。
「あら、亜理子ちゃん、反抗期?
ダメよ、お母さんの言うことはちゃんと聞かないと」
「誰がお母さんよ」
「だってほら、亜理子ちゃん、私を困らせて喜んでるみたいだったし?
甘えたいのかな~って」
誘惑に負けて突っ込むと、こういう反応が返ってくるからだ。
まったく、なぜこの姉は、こうも残念なのだろうか。
黙ってれば美人なのに。
そんな思いを込めて、あくまで真面目に返す。
「もう本番近いのに、今からソロを入れるとか無理でしょ?」
「え~、でも、さっき合奏前にお願いした白ちゃんは隕石に頭ぶつけちゃって死んじゃったし、頼みの綱は亜理子ちゃんだけかなって」
そりゃ、白にも断られるわ。
今度こそ突っ込むのを我慢して、楽器の片付けを続ける亜理子。
しかし、名前が出た白は一言。
「……ウザい」
鈴を転がすようなソプラノボイスが、異様に響いた。
凍り付く部室。
白はさして気にした様子も見せず、そのままカチャカチャと不機嫌そうな音を立てて楽器をケースにしまい、
「……お疲れ」
ぼそりと呟くと、部室を出て行ってしまった。
「え? ちょっと? 白ちゃん? その去り方だと、なんか私が悪者じゃない?」
「いや、十分悪者だから」
叫ぶ亜理紗に突っ込む亜理子。
あの無口かつ素直に笑えない白に、亜理紗のふざけ倒すコミュニケーションは通用しない。むしろ、不快に思うだけだろう。学校生活で人間関係に揉まれた亜理子からすれば、この場合は、相手を選べなかった亜理紗の方が悪いといえた。
「後でちゃんと謝っといてよ」
そう付け加え、亜理子も「お疲れ」というお決まりの文句と共に立ち上がる。
しかし、
「ちょっと、なに綺麗に終わらせようとしてるの!
そんなのママ許しませんっ!」
うわめんどくさい。
そんな表情を隠しもせず振り返る亜理子。
が、鋼のメンタルを持つ亜理紗は、未だ止まらない。
「大体、ここでソロ鳴らさないと曲がしまらないじゃない! 始めは楽譜になかったからいいや、とか思ってたけど、音源にはきっちり入ってるし……」
と思ったら、ようやく、まともな理由が出て来た。
だが、今更言ったところで亜理子の回答が変わるはずもなく、
「お断りします」
「も~、白ちゃんみたいな事言って。お断りされたら、お母さん困っちゃうな~」
「じゃあもうさっさと諦めてよ、めんどくさい」
「え~、無理」
押し問答を繰り返しながら、亜理紗は後ろにおいてあった鞄に手をかけると、自然な動作で指揮台から踏み出した。そのまま羽のように亜理子の前へ降りる。深い意思をたたえた澄んだ目が、じっとこちらを覗き込んだ。
「ねえ、どうしても嫌?」
相変わらず、ずるい。
さんざん引っ掻き回した後、遊びの時間は終わりとばかりに、真剣な雰囲気を作り出す。
仕方なく、まともに答えた。
「嫌じゃないけど? 今から練習して、間に合う訳ないじゃない」
亜理紗はそれを聞いてにっこり笑うと、上機嫌な声で付け加えた。
「じゃあ、次の参考にするから、図書室のソロが載ってる譜面、取ってきてもらっていい?」
# # # #
「なんか、都合よく使われてるような……
っていうか、楽譜取ってきてほしいんなら、始めからそう言いなさいよ」
窓から差し込む夕日が、校舎特有の埃っぽい空気を照らし出す中、結局、亜理紗の「お願い」を聞き入れた亜理子は、ぐちぐちと口の中で文句を言いながら、図書室へと向かっていた。
先ほどは下らないやり取りのせいで気が回らなかったが、思い返せば、亜理紗にソロを入れようという意思は薄かった様に思える。
おそらく、音源を聞いていて、思い出したのだろう。
以前、盗難さわぎがあってから、部活の資料が図書室に預けられている事を。
その中に、ソロ付きバージョンの譜面も含まれていることを。
そして、思いついたのだろう。
そういえば、同じ図書委員にアキという最近仲良くなった友達がいた。
雑用ついでに会えば、塞ぎ込みがちな妹の、気分転換になるんじゃないか、と。
「今朝、図書委員断ったから、行きにくいんだけど」
自分で考え付いた可能性に、照れ隠しで文句を呟くという、なんとも器用な事を続けながら歩く亜理子。
そのうち、亜理紗と似たようなことを考え始めた。
そういえば、アキには今朝から気を使われっぱなしだった。
あの真面目な優等生も、急に会いに行って驚かせてやれば、いい気分転換になるんじゃないか、と。
文句を上機嫌な顔に変え、部室が並ぶ廊下を抜ける。
階段を下りて、いつも授業を受けている校舎に続く渡り廊下へ。
そこで、踏み出した足が、止まった。
廊下の真ん中、まるで亜理子が図書室に行くのを拒むように、小さな女の子が立っていたからだ。
五、六歳くらいだろうか。赤いワンピースに、目が隠れるまで伸ばしたおかっぱの髪。おかげで表情はよく分からない。にもかかわらず視線を感じるのは、こちらに向けた顔から、明確な意思が見えるからだろう。
その意思に縛られたように、立ちすくむ。
時が止まったかのような時間は、長く続かなかった。
「にゅ、うyw”0qdkbs、んwh;うえk!」
ノイズがかった叫び声とともに、女の子が黒い影に変わっていく。
影、といっても、昨日のゴスロリ少女とは違い、人の形をしていない。
輪郭は崩れ、渦を巻く炎のように、渡り廊下の天井へと広がっていく。
しかし、こちらに伝わってくるのはぞっとするような冷たさで、
「にゅ、にゅ、えうふZa’%!」
癇癪を起した子どものような叫びとともに、何の脈絡もなく、メスやら注射器やらを吐き出した。
「は、はぁっ!?」
ワケの分からない現象の、ワケの分からない襲撃に、声を上げる亜理子。
だが幸か不幸か、自身のワケの分からない反応も健在だ。
飛んでくる医療道具を信じられない動体視力でとらえ、紙一重でかわし、避けきれないものは手で掴み取っていく。感染症を警戒したのか、メスの刃や注射器の針を熱殺菌するのも忘れない。
(もう、あの漫画にこんなシーンなんてなかったじゃない!)
心の中で悪態をつく。
いや、この場合は、悪態をつく余裕があったというべきか。
病院で襲われた時のような強い疲労は感じず、まるで歩いたり走ったりするかのように、脳が異常な行動を当たり前の動作と認識している。
亜理子は、異様な適応力を示す自分の身体に嫌悪を覚えながらも、未知の感覚に身を任せた。考えれば余計疲れるだけだ。そしてその疲労は、昨日のように付け込まれる隙を作る。それをカバーする余裕までは、ない。
そんな亜理子に焦れたのか、黒い炎はこちらに迫りながら、今までにない大量のメスを浮かべた。
逃れようと、周囲を見回す。
が、黒い炎は思考を読んだかのように背後にまで回り込み、逃げ道を塞ぐ。
(ちょっと、どうしろっていうのよっ!?)
正面には、数を増やし続ける、宙に浮かぶ医療器具。
迫り続ける脅威に、
「ああ、もうっ!」
亜理子は、炎の中に突っ込んだ。
半ば、ヤケである。
全身に広がる、ぞっとするような冷たさを振り払うように、走る。
黒い炎を突き破り、夜のように暗く冷たい渡り廊下の先に見えたのは、あおかっぱの女の子。
立ちすくんだままこちらを見上げるその顔には、驚き、そして、
――笑顔が浮かんでいた。
表情の理由が分からないまま、女の子を押しのけようと、肩に手をかける。
手に伝わるのは、腐った肉のような、ぐにゃりとした感触。
まるで死体にでも触れたような錯覚に、亜理子は無意識に熱を求め、そして、作り出していた。
今朝、カッターナイフに熱を与えたのと同じ感覚が走る。
「#……!」
ノイズがかった、小さな声が、響いた。
# # # #
渡り廊下を抜け、校舎の中に転がり込む亜理子。
振り返った視線の先に、女の子も、冷たい炎も、見当たらない。
ただ午後の太陽に照らされた渡り廊下が、まっすぐ部室棟へと伸びている。
「なん、だった、わけ?」
荒い呼吸の合間に、そんな声を出せるようになるまで、どれ程の時間を要しただろうか。気が付けば、廊下の壁に背中を預け、呆然と座り込んでいた。
(と、とりあえず、ここから離れた方がいい、わね……)
もう、あの女の子が襲ってくるような気配はない。
代わりに、戻り始めた意識と思考が恐怖を訴える。
それに追い立てられるように、よろよろと歩き始める亜理子。
未だ残る寒さで、身体が重い。
だがそれ以上に、膨らみ始めた恐怖から、目を
異常がないか周囲に視線を巡らせながら、校門へ。
しかし、その歩みは次第に早くなり、
途中、図書室が見えたところで、急にペースが落ちた。
(まさか、襲われたりしていないよね)
思い浮かんだのは、アキの事。
考えすぎだとも思うが、少し前まで、白と殺人鬼の話をしていたことも手伝って、妙に気になった。
扉にはめ込まれたガラスから、図書室をのぞき込む。
受付に、アキの姿は、ない。
乱暴に扉を開き、駆け込む。
ドアからでは見えなかった受付カウンターの奥にも、アキはいない。
代わりに、先生が座っていた。
「あら、六条さん? 今日の委員は、お休みじゃないの?」
「あ、あのっ! アキ、どうしました?」
「宇佐沢さん? 今は、準備室で本の整理してもらってるけど……?」
質問を質問で打ち消して、答えを聞くと同時に走る。
背後から聞こえる「ちょっと! 図書室は静かに!」という声を無視して、奥の準備室の扉を開く。
そこには、本棚の前に立つアキがいた。
「六条さん? どうしたの?」
意外そうな顔に、笑顔を浮かべるアキ。
一気に力が抜ける。
あまりに抜けすぎて、床にへたり込んでしまった。
「え? だ、大丈夫?」
「ん、大丈夫。なんか大丈夫すぎて、逆に気が抜けたわ」
我ながらワケが分からないであろう回答にも、アキは困った様な笑顔で手を差し伸べる。
なんだろう、ものすごく癒される。
亜理子はその手を取ろうとして、
差し伸べられた手とは逆の手が抱える本に、目を奪われた。
「ちょっと、その本っ!」
「あ、これ? 新しく入った絵本だよ。大人が読む怖い絵本って、だいぶ前に話題になったシリーズ。復刻版が出たから、こどもの頃に間違って読んでたの思い出して、ちょっと読みふけっちゃった」
珍しく本に食いついたせいか、楽しそうに絵本を見せてくるアキ。
だが、亜理子は絶句したまま聞いていなかった。
絵本の表紙には、黒い炎を背景に、先ほどの女の子そっくりの少女が描かれていたから。
※ 続きます(次回更新は、2019年4月15日(月)を予定しています)。
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