#3-b 部活
「亜理子ちゃん、もう学校行くの? 今日はお姉ちゃんが一緒に……」
「そういうのいいから。早く洗い物片付けなさいって」
朝食後、さっさと自分の食器を片付け、ひとり通学路へ。
昔は姉妹で仲良く登校なんてこともしていたのだが、学年が上がるにつれ気恥ずかしくなり、いつの間にか先に家を出るのが習慣になってしまっている。
そして今は、昨日の異常を、そんな習慣の中に、流してしまいたかった。
甘えられなくてごめんね。
心の中で亜理紗に謝りながら、慣れた道を歩く。
いつもの通学路は、いつものように穏やかな朝で彩られていた。
(はあ、なんか、もう、アレ何だったのって感じよね……)
朝日に輝く住宅街。
遠くから聞こえる車の音。
気温が上がる前のアスファルト。
事件の片鱗も感じさせない光景に、むしろため息が出る。
学校に近づくにつれ増えてきた学生の話題も、最近発売されたゲームやら、今日の小テストやら、やってない宿題やらの話ばかり。しょせん、当事者でなければ、近くて遠い事件なのだろう。
(このまま何もなくて……私も、事件なんて忘れるのが一番ね)
そんな想いは、教室についた瞬間に崩れた。
扉を開いた途端、数人の女子生徒の視線が突き刺さったのである。
一瞬立ち止まるも、すぐに平静を装い席に着く。
同時、こちらへ視線を送っていた一団が、無遠慮に話しかけてきた。
「ねえねえ、昨日の事件で病院いたって、ホント?」
「あ~、バイト先の店長が事故って入院してたから、その見舞いにね……」
身についたジョシコウセイとしての悲しい習性か、反射的に、いつも「こういう一団」の相手をする時の、やる気のなさそうな声で返してしまった。
当然、いつもの答えには、予想通りの反応が返ってくる。
「え? マジ?」
「殺人鬼って、どんなんだった?」
「やっぱ警察とか来たの?」
うぜぇ。
類は友を呼ぶというのか、自分の周りにはノリが大切な軽薄な輩ばかりだ。いつもなら集団の中にいる安心感を得ることが出来るのだが、こうなると鬱陶しい。
しかし、亜理子はそんな内心をおくびにも出さず、作った笑顔で、ヒーローインタビューのごとく盛り上がる「友達」をさばいていく。
「動画、上がってたんでしょ?」
「どんなって、すぐ逃げたし覚えてないよ」
「警察? 来たよ? ちょっと話しただけだけど」
我ながら、慣れたものである。
学校生活を円滑に送る秘訣は、自分は出ない杭だと主張する事だ。
打つ必要がないと分かると、あっという間に興味を無くしてくれる。
果たして、襲われたのは監視カメラに映っていた一瞬だけ、事件とも深い関わり合いがないと分かると、すぐに盛り下がり、ホームルームを告げるチャイムを聞いて、散っていった。
(はあ、朝から疲れるわね……)
もう、何度目か分からないため息。
流出した防犯カメラの映像が一部だけで本当によかった。
ナイフを避けまくる自分が映っていたらと思うと、ぞっとする。
(こういう時は、アキが羨ましくなるわ、ホント)
ちらりと教室の奥に視線を送ると、アキは一時間目の教科書を机の上に並べ、優等生然として授業を待っていた。
硬すぎる雰囲気のせいか、携帯もまともに使えないせいか、コミュ障のせいか、アキの机には誰も近づかない。きっと、煩わしい人間関係で悩まされることもないのだろう。学校行事でグループを作って取り組む課題が出ると、ひとり孤立するタイプだ。友達がいないともいう。
(あれ? あんまり羨ましくないもないわね……?)
首をかしげていると、目が合った。
心配そうな目を向けてくるアキ。
笑顔を作り、手を振ってみる。
アキははにかんだ笑みを浮かべ、小さく手を振り返してくれた。
なんていい子なんだ。友達がいないのが信じられない。
(これで授業中でも、普通に携帯でやり取りできれば……って、無理か)
先ほどの「軽薄な友達」とは授業中も平気で携帯越しのやり取りをしているのだが、アキにそれを求めるのは間違いというものだろう。携帯を授業中に使うアキなんてアキじゃない。第一、アキは元々あまり自分から話さないタイプだ。会話が苦手な優等生が携帯を持ったところで、会話ができるはずがない。
(ま、朝メールを送ってこられるだけ、マシになったかな)
なら、訳の分からない事件も収穫があった、と言えるかもしれない。
そう思う事にして、亜理子は入ってきた先生に前を向いた。
# # # #
そのまま、いつも通りの退屈な授業を受けて、気が付けば放課後。
周囲も事件、というか出回っていた動画から興味を失い、今朝のようにうるさく近づいてくることはない。
友達や先生と、適度な距離で付き合う、適度な学園生活。
それは、部活でも変わらない――
「亜理子ちゃん! 元気になったのね!」
はずだった。
「……うぜぇ」
吹奏楽部の扉を開けた瞬間、飛んできた姉の声に、うんざりした声が出る。
聞こえているのかいないのか、亜理紗は指揮台の上から、ニコニコして大きく手を振り続けるだけ。
さらりと書いてしまったが、指揮台の上から、である。
ふざけた態度から想像もつかないが、亜理紗は吹奏楽部部長、兼指揮者を務めている。つまりは今、この合奏練習を控えた部室で、もっとも目立つ場所にいる。結果として、周囲からは視線が集まる。これは痛い。逃げるように奥の楽器が保管されている準備室へ逃げ込む。
「……あ、六条、元気になったんだ」
「ちょっと、お姉ちゃんと同じこと言わないでよ」
出迎えたのは、楽器片手に振り返る白。
相変わらずヘッドホンを付けたまま、こちらへ無表情を向けている。
「……昨日言ってた黒いのって、殺人鬼?」
「まあ、ね」
「……なんで、追いかけてたの?」
「なんでって……」
「……」
いや、無表情ではなかった。
相変わらず顔に表情は無いものの、回答に詰まった亜理子を見つめる視線には、責めるような色が混じっている。
「な、なんで怒ってんの?」
「……別に、怒ってないよ?
六条がそう見えるなら、なんか誤魔化してるからじゃない?」
で、なんで?
視線で問いかけてくる白。
やっぱ怒ってるんじゃない!
そう突っ込もうとしたが、強くなっていく視線に負けて、仕方なく答えた。
「はあ、初めは私も襲われて逃げてたのよ。そしたら、あの殺人鬼、店長のいる病室の方に走って行ったから、まあ、なんていうか、勢い?」
「……六条、危ない」
「だってしょうがないじゃない!
一緒にいた刑事さんは刺されるし、この間あんなことがあったばっかだし!」
眉をひそめる白に、思わず声を荒げる。
何が悲しくて、被害者のはずの自分に問題があるかのような言われ方をされなければならないのか。
「……怒った?」
「普通、怒るんじゃない?」
「……そう、ごめん」
あっさりと謝る白。こうなると怒りをぶつけにくい。
持って行き場のなくなった感情は、代わりに疑問となって出ていく。
「そっちこそ、あの時病院にいたじゃない。危なかったんじゃないの?」
「……ん、危なかった」
あ、そこは肯定するんだ。
再び突っ込もうとしたが、冷静に考えれば、危なかったどころの話ではないことに気づいて、引っ込めた。何せ、相手は手負いの怪物。タイミング悪く鉢合わせすれば、ただでは済まない。
真面目な声で、聞き返した。
「あのさ、兎沢は、ホントに黒いのと、会わなかったの?」
「……ん、店長のお見舞いの途中で、窓が割れる音が聞こえて、廊下に出た時は、誰もいなかった」
雰囲気の変化を読んだのか、まともに答える白。
どうやら、本当に誰とも会っていなかったようだ。
急速にしぼむ不安。
代わりに、落ち着いた思考が当たり前だと告げる。
怪物に襲われていたのなら、廊下でばったり出会った時、あんなに平和な反応は返ってこなかっただろう。
苦笑がこぼれる。
それはしっかり見られていたようで、
「……六条、心配した?」
「はぁ?」
「……私は、心配したよ?」
「ちょ、ちょっと、そういうのやめてよ」
白は軽い笑みを残して、
「……店長が、しばらくバイトないって。
でも、再開はする予定だから、その時はよろしくって」
準備室から出て行ってしまった。
後に残された亜理子は、奇妙な敗北感を覚えながも、苛立ちは感じなかった。
(笑うなんて珍しい……や、この間も笑ってたか。
いつも、このくらい普通に笑ってればいいのに)
アキといい、なんでこう、自分の周りには不器用ないい子が多いのだろう。
類じゃない友にそんな疑問を抱きながら、亜理子は楽器を手に、部室へと戻っていった。
※ 続きます(次回更新は、2019年4月12日(金)を予定しています)。
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