#2-b 悪意
「これで終わっとけばいいのに、なんで余計な事しようとするかな?」
「あら? 妹の心配は、余計な事じゃないわよ?」
いつもなら、放課後にあたる時間帯。
病院の自動ドアをくぐった先で亜理子を出迎えたのは、制服姿の亜理紗だった。
「それとも、例のアキちゃんとか誘うつもりだった?
大丈夫よ、ちょっと味見したら、すぐふたりっきりにしてあげるから」
「……もう突っ込まないよ」
「あ、もう、そんなに怒らなくってもいいじゃない」
辛辣な言葉で亜理紗を引き離し、受付へ。
店長の病室を聞き、手土産が入った紙袋を片手に、病棟をずんずん歩く。
小走りで追いかけてきた亜理紗が、隣に並んだ。
甘ったるい声で話しかけられるのを拒むように、言葉を投げつける。
「お父さんが店長さんの担当じゃないか、見に来たんでしょ?」
「あら、バレた?
でも、店長さんの担当、他の外科医の先生みたい。ムダしちゃったわ」
「よかったじゃない。鉢合わせして、私が咬みつかなくて」
「私としては、話すきっかけにして欲しかったんだけどな」
「無理に決まってるじゃない。私にとっては、ニセモノなんだし」
会話が、わずかに、遅れた。
「でも、ほら、私には、モンモノだから」
取り繕うように、笑って返す亜理紗。
ようやく、投げつけた言葉のトゲに気づく。
「……ごめん」
「亜理子ちゃんに謝らせちゃうなんて、私もお姉ちゃんできてないわね」
亜理紗はやわらかく笑ったまま、足を止めていた。
「じゃ、店長さんによろしくね?」
「ちょ、ちょっと、会ってかないの?」
「うーん、亜理子ちゃんがお世話になってる人は気になるんだけど、やっぱり、私、お父さんがこっちに来ないように、見張っとくわ」
引き留めようと思った。
もう一度、謝ろうと思った。
「あ、その……」
だが、続かなかった。
引き留めても、亜理紗の想いには応えられない。
謝っても、顔に浮かべた表情の影が深くなるだけだ。
「……ありがとう」
だから、代わりに礼を言った。
笑顔だけ残して、歩き去って行く亜理紗。
その背中が角を曲がって見えなくなった後には、ただ暗く、静かな病院の廊下だけが残った。
(店長の病室は……一番上の五階、だっけ?)
そんな光景から目を背けるように、奥の階段へ。
窓がないせいか、踊り場はやけに暗い。
何か出そうな影の中から逃れるように、固いコンクリートを駆け上がる。
しかし、四階まで来た時、突然、人影が飛び出してきた。
「きゃっ!」
「ん? キミは……六条さんか。驚かせたかな?」
目の前にいたのは、昨日の女性刑事。
鳴り響く心臓の鼓動を抑えながら、亜理子は何とか言葉を絞り出した。
「すみません、えっと、昨日の……」
「警察だよ。さっき、店長さんに話を聞いてきたんだが……君はお見舞いかな?」
「え、はい、そんなところです。あの、店長は……」
「大丈夫。命に別状はないみたいだ。
少なくとも、事情聴取に応えてもらえるくらいには、回復している」
笑って答える刑事。
亜理子も表情を緩める。
刑事はそんな亜理子に余裕を見たのか、探るように問いかけてきた。
「それより、キミにも聞きたいことがあったんだ。
あの犯人についてなんだけど、五分ほど時間をもらえるかな?」
「え? はぁ、まあ、そのくらいなら……」
「助かるよ。
ああ、途中で気分が悪くなったりしたら、言ってくれればいいから……」
こちらに気を使いつつも、刑事は廊下の隅にある、観葉植物と自販機が設置された小さなスペースへと亜理子を誘導していく。
缶コーヒーを手渡されると同時に始まったのは、事情聴取というにはあまりにも簡単な受け答えだった。
店長の友人関係はどうか。
最近、客とのトラブルはなかったか。
コンビニ以外で、あの女の子が絡まれているところを見たことはないか。
どうやら、警察としてはコンビニを襲った不審者の動機を知りたいらしい。
しかし、亜理子に答えられることはあまりない。
いずれも回答はノーだ。
「なんか、すみません、あまり参考にならなくて」
「いや、こっちとしても、愉快犯だという裏付けが欲しっ……!」
気にしていないという刑事の声は、しかし唐突に止まった。
怪訝に思う間もなく、崩れ落ちる。
背後には、奇妙な物体が浮かんでいた。
強いて言うならば、「人型をしたガラス像」だろうか。
影色に濁ったそれは、少女のようなシルエットをしていた。
長い髪にドレスのような服、
そして、手には血まみれのナイフ。
突然現れた怪物に、手土産が入った紙袋を取り落す亜理子。
中に入っているクッキーの缶が、廊下に、固い音を響かせた。
「d<! d<5%ー!」
赤黒く染まった刃が、ノイズがかった叫びと共に振り上げられる。
恐怖で硬直したはずの身体は、しかし、何かに操られたかの様に動いた。
(コンビニで襲われた時と、同じ……っ!)
眼前で振るわれるナイフの軌跡を目でとらえ、紙一重で避ける。
まるで漫画『サイコ・フレア』に出てきた、主人公のように。
「d<ZW、えZw.w”d)$!」
だが、コンビニで一度経験してしまったせいか、脳は無茶な動きをしっかりと認識していた。
それは精神的な負担となって、次第に亜理子からスピードを奪っていく。
幾度となく振るわれるナイフに、徐々に反応が追い付かなくなり、
ついに、ナイフの軌跡が、視線と重なった。
「っ!」
目を突き刺そうと迫るナイフを、反射的に手で受け止める。
痛みは、ない。
手のひらを貫通するはずの刃は、まるで加熱された鉄のように赤く変色し、飴細工のように潰れていた。
「3zZ……!」
不快な叫びと共に、ナイフを放り出して飛び退く影の少女。
まるで何か熱いものに触ったかのように、ナイフを持っていた手を反対側の手で押さえつけ、その場にうずくまる。
亜理子は、そんな少女を、ただ呆然と見つめていた。
頭の中に浮かぶのは、あの漫画の主人公。
きっと、主人公なら、ここで追撃の一つでも入れたんだろうな。
そう思うものの、疲弊した思考は、身体を動かすのを拒み、
影の少女が、何もない真っ黒な顔を、上げた。
「6j5Z! 4f”Zw7.!」
変形したナイフを拾い上げ、ノイズと共に投げつける影の少女。
亜理子は慌ててかわすも、飛んできたナイフに視線を奪われてしまう。
その一瞬の隙をついて、影の少女は逃げ出し、階段を駆け上がっていく。
「はあ、はあ……っ!」
追いかける余裕は、ない。
時間にして数秒。だが体感にして数十分。
呼吸は熱く乱れ、心臓は鼓動が聞こえるほどに脈打っていた。
いや、今は自分よりも、
「ぁっ! 大丈夫ですかっ……!」
倒れ伏した刑事に駆け寄る亜理子。
背中には、べったりと血がついていた。
「だ、大丈夫、このくらいっ!」
「すぐに人をっ……」
立ち上がろうとする刑事を押しとどめ、周囲を見渡す亜理子。
近くにあった火災報知器の非常ベルを押す。
激しく鳴り出す警報。
すぐ近くの診察室の扉が開き、医者と思しき人物が顔を出す。
それと同時だっただろうか、
「g’#3333!」
ガラスを引っ掻いたようなノイズが、聞こえた。
影の少女が逃げた方からだ。
そして気づく。
そういえば、アイツは上に逃げていったな、と。
(上、う、え……! 店長っ!?)
「あ、キミっ!」
戸惑う医者に刑事を任せて、階段を駆け上がる。
ひとつ上の最上階に、しかし影の少女の姿はない。代わりに、
「……六条?」
白が立っていた。
相変わらずヘッドホンを付けたまま、不愛想な顔を向けている。
「……お見舞い? 店長なら」
「そうじゃなくてっ! こっち! こっちに、黒いヤツっ! 来なかった?」
息を切らせながら、問い詰める。
白は、小さく首をかしげた。
「……? 黒いヤツ? 虫か何か? 見てないけど?」
「違うっ! ついさっき……っ!」
そんな白をもどかしく思いながら、更に問い詰めようとして、
奥の窓が、割れていることに気づいた。
「……あ、ちょっと?」
駆け寄って、窓の外をのぞく。
はるか下の中庭には、人だかり。
弾ける様に窓から離れ、階段を下りる。
中庭に続く一階の廊下に出た先には、
野次馬を押しのけて走る、医師達に囲まれたストレッチャー。
しかし、そこにいたのは、影の塊のような怪物ではなく、
ゴスロリファッションに身を包む、怪物と同じシルエットを持つ少女だった。
# # # #
その少女が初めて殺したのは、酔っ払いだった。
相手は泥酔していたのだろう。
ろれつの回らない舌で、意味が解らない事を言っていた。
「俺の方が正しいんだ」
「俺が不幸なのはおかしい」
「アイツが幸せなのが許せない」
気持ち悪い。
少女は、無視して、通り過ぎようとした。
「あぁっ! テメエ!
この間っ! 電車で人押しのけて座ったガキじゃねぇか!」
だが、絡まれた。
私、電車なんて使ってません!
少女は叫んだが、通じなかった。
そして、誰も、助けに来てくれなかった。
だから、刺した。
兄の机の中から盗んだナイフで。
真っ赤な血が流れる。
怖くなって逃げた。
でも、楽しかった。
すごく、楽しかった。
悪者を、やっつけたのだ!
自身の興奮に気づいた少女は、思い出した。
今まで、何度も、自分は心の底で人を憎んでいたじゃないか、と。
嫌味ばかりの両親。
へらへら笑うクラスメート。
平気でバスの順番抜かしをする老人。
そんな奴らを見て、何度も心の中で、死ねばいいのに、と思っていた。
これだけ不快な思いを振りまいているのに、なぜ奴らは平然と生きてるんだと、
罰を受けるのが当然じゃないかと、
そう思っていた。
それが、今、叶った。
叶ったのだ!
だから、少女はその「楽しい殺害」を繰り返した。
そして、今、少女はストレッチャーで運ばれている。
うっすらと目を開ければ、「楽しい殺害」が終わるきっかけとなった「誰か」。
あの子、私をやっつけて、楽しかったんだろうな。
きっと、明日から、正義の味方になって、もてはやされるんだろうな。
ストレッチャーが進むたび近づいてくる「誰か」を見て、少女はそう思った。
すれ違いざま、目があう。
「誰か」は、まるで何か、あり得ないようなものを見るような目をしていた。
なんで、この子は、こんな目をしてるんだろう?
少女には分からなかった。
自分を害した相手に、同じ、いや、それ以上の苦痛を与えられたのに、なぜ楽しそうにしないのだろう?
そう考えた時、少女は気づいた
「自分を害した相手」というのは、少女自身だったという事に。
――俺の方が正しいんだ
――俺が不幸なのはおかしい
――アイツが幸せなのが許せない
あの時の、酔っ払いの声が頭にぶり返す。
なんだ、自分も、あの酔っ払いや、クラスメートや、両親と、同じじゃないか。
自分が幸せになるのは当然で、他人の幸せが気に入らなくて。
そんな現状に耐えられず、他人を押しのけて。
でも、耐えた先に希望があると、誰か、教えてくれただろうか?
教えてくれたのは、誰かを押しのける方法ばかりじゃなかっただろうか?
ああ、きっと、私は不幸だったんだろう。
希望を教えてくれる人と、巡り会えなかったんだから。
あの「誰か」にも、同じ不幸が訪れますように。
少女は、自分自身を嘆きながら、目を閉じた。
※ 続きます(次回更新は、2019年4月5日(金)を予定しています)。
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