小説『ガール・ザ・リッパー』
#2-a 家族
週刊誌:ファッション記事――――
コスプレイヤーの普段着ってどんなの!? 潜入リポート!
やって来たのはコスプレ会場!
本誌掲載『サイコ・フレア』をはじめ、様々な漫画のコスプレイヤーが眩しい!
しかし、普段、こんなコスプレイヤーはどんな格好をしているのか!?
例えば、死神のコスプレをした彼! その正体は!?
編集部は、突撃インタビューを敢行した!
――――――――――――――――
「続いてニュースです。
○○県××市のコンビニエンスストアで傷害事件がありました。
警察によりますと、店員が刃物のようなもので刺され……」
朝食の時間に流れる凄惨なニュース。
しかし、既に朝の習慣の一部となっているそれは、多くの人々にとって感情を強く刺激するものではない。
アキも、ついこの間まではそんな人々の一部だった。
「え? コンビニ……」
「どうしたの?」
そんな習慣からほんの少しズレた小さな声は、母――
アキの、たったひとりの家族だ。
父は、既にいない。
もっとも、父親が欲しいと思った事はなかった。
父が亡くなった当時、アキはまだ幼かったし、それ以上に、圭は母娘のコミュニケーションを続けてくれた。ちょうど、いま交わしている会話のように、圭はアキのわずかな変化から、アキの望んでいる会話を悟り、作り出してくれる。
もちろん、小学校に上がる前後の、自我が出来る前の頃は、仕事で忙しい母に寂しさを覚えたこともあった。母の仕事が「脳科学研究所職員兼精神科医」という、子どもがひとりの時間を納得させるには分かり難い職業だったことも手伝って、不満を抱いたこともある。しかしそれも、アキ自身が成長し、社会の仕組みを知るにしたがって、仕方がないと納得するようになり、ものごころついた頃には、「たったひとりの家族」に満足し、「望んだ会話」に慣れてしまっていた。
だからだろう。アキの返答も、時に、心の中が「にじみ出る」ことがある。
「あのコンビニ、友達のバイト先だったから……」
アキは、ニュースになったコンビニが、亜理子のバイト先だとは知らない。
ただ、昨日、おそらく友達といっても否定しないでくれるだろうクラスメートと交わした単語が、ニュースと重なっただけだ。
が、悪い想像が「にじみ出て」アキの言おうとした台詞をゆがめていた。
「そう……。
昨日の夜に流れた時は、怪我をしたのは三十代の女性店長って言っていたけど」
そんなアキを知ってか知らずか、少し険しい顔で答える圭。
六条さんじゃない。アキはそう安心しかけて、
「心配ね。目の前で血が流れたのなら、ショックも大きいだろうし」
すぐに自分の浅はかさを思い知らされた。
嫌な想像はできるくせに、人の心はろくに想像できない。自己嫌悪が浮かぶ。
しかし、母親は、そんな娘にも「心配」を見せた。
「気になるなら、メールか何か、入れてみたら?」
# # # #
(でも、なんて言えばいいんだろう……?)
が、せっかくアドバイスをもらったにもかかわらず、アキは実行できずにいた。
いざ携帯を前にすると、なかなか言葉を文章にできず、画面の上で指をさまよわせているうちに時間は過ぎ、登校時間を迎え、気が付けばもう学校である。
(はあ、駄目だな、私……)
普段から聞き役に徹しているせいで、声をかける側に回ると困る。
そんな自分を情けなく思いながらも、身についた悲しい真面目さで、足は迷うことなく職員室への道を進み続けた。
今日も朝から図書委員だ。
図書室の鍵を借りて、受付をこなさなければならない。
「失礼します」
「あら。宇佐沢さん、おはよう。
鍵なら、そこの棚に置いてあるから、お願いね?」
待ち構えていたように、声をかけてくる先生。
アキは生真面目に「はい」と返事をすると、図書室の鍵に手をかけた。
「暇だからって、漫画ばっかり読んでちゃだめよ?」
途中、昨日の失態にしっかりと釘を刺される。
あいまいな苦笑で誤魔化すアキ。
先生もそれ以上追及することなく、軽い笑みで返してくれる。
話しやすさを感じたアキは、亜理子のことを聞いてみた。
「あの、六条さんから、何か、連絡はありませんでしたか?」
「六条さんから? いいえ、聞いてないけど……何かあったの?」
アキは今朝のニュースの事を話そうとして――止めた。
先生は家族とは違うという事だろう、感情が先に出る前に、ニュースで流れたコンビニが、亜理子のバイト先かどうか分からない、という事実に思い至ったのだ。
「いえ、昨日、調子悪そうだったから、もしかしたら、休みかなって……」
「う~ん、今のところそういう連絡は来てないから、先に図書室、開けといて」
再び生真面目な返事を残して、職員室を出る。
廊下に満ちた朝の空気が、やけに清々しく感じられた。
(ちょっと前まで、ここ歩いてたんだけどな)
亜理子への言葉を考え続けていたため、何気ない日常の景色にまで意識が回らなかったのだろう。先生との小さな会話が、いい気分転換になったといえる。
(六条さんにも、変に気を遣うより、普通にした方がいいのかな?)
そんな事を考えながら、図書室へ。
誰もいない廊下に、鍵を回す音が小気味よく響く。
がらんとした図書室の中、昨日と同じように受付に座り、文庫本を取り出そうとして、しかし、すぐ鞄に戻すと、代わりに携帯を手にした。
そして、少し考えた後、画面に指を走らせる。
――今朝も図書委員あるけど、大丈夫?
悩み悩んだ割に、ストレートかつ当たり障りのない文章である。
が、事件のことを持ち出すのを避け、いかにも心配してますという恩着せがましい文章を避けるとなると、これ以上に思い浮かばない。それに、昨日話した限りでは、亜理子には変に飾り立てるより、シンプルにはっきり伝える方がいいだろう。
……いいよね?
半ば祈るように送信ボタンを押す。
返信は、すぐに届いた。
――ごめん、無理そう
短い。
そして、自分が送ったメッセージにましてシンプルだ。
やはり内容が少なすぎたか?
だが、気分を害したにしては、返信が速い。
いや、携帯に慣れている亜理子ならこれが普通なのだろうか。
いや、いや、そもそも、事件に巻き込まれていない可能性も――
ループする思考。
だが、相手が不快に思っている可能性があるのであれば、謝っておいた方がいいだろう。そう思ったアキは、たどたどしい手つきで文章を打ち込むと、送信ボタンを押した。
――じゃあ、先生には伝えておくね?
変な時にメール送って、ごめんなさい
しかし、今度は、なかなか返信が届かなかった。
これは地雷を踏んだとみるべきなのだろうか?
それとも、単に返信が遅いせいで、会話が途切れてしまっただけなのだろうか?
どうにも携帯越しのコミュニケーションというのは苦手だ。
我ながら、とても現代の若者とは思えない。
(はあ、でも、もう送っちゃったし……)
せめてネガティブな思考から抜け出そうと、文庫本を手にする。
昨日、亜理子が漫画を読む横で読んでいた推理小説だ。
タイトルは『ガール・ザ・リッパー』。
イギリスの連続殺人犯ジャック・ザ・リッパーを題材にした話で、殺人衝動を持つ少女を主人公に、追っ手の刑事との対決が描かれている。
始めは少女も暴漢を返り討ちにしたり、いじめっ子を止めたりと、アンチヒーロー的な活躍が目立ったが、誤解から友達に大けがをさせてから、様子がおかしくなった。
主人公の少女は、そこで後悔するどころか、明確な快楽を見出し、殺人の衝動を受け入れるようになっていったのだ。
ついには堕ちるきっかけとなった友達の完全な死を望み、わざわざドレスを着こんで、パーティに行くかのように病院へ乗り込む。
待ち受けるのは、彼女を追っていた刑事。
しかし、少女は不意打ちで刑事を刺し、被害者にナイフを振り下ろそうとする。
が、直前、起き上がった刑事から背後から銃で撃たれ、病院の窓から落ち――。
(……読むの、止めよう)
本を閉じる。
刃物といい、襲ってくる殺人鬼といい、ニュースで流れた事件とそっくりだ。
それはもう、こんな事件の後で、返信の遅い誰かの相手をするのが、どれだけ億劫になるか想像が出来てしまう程に。
今はそっとしておいた方がよかったんじゃないか?
求められた時に応えられるように、待っているべきだったんじゃないか?
再びネガティブな思考のループにはまりながらも、わずかな希望を込めて携帯を見ると、
――気にし過ぎ
そんなんじゃ、コミュ障、治んないぞ
亜理子から、返信が届いているのに気付いた。
# # # #
――コミュ障って言わないで!
――はいはい、こっちは心配しなくっていいから、先生誤魔化すの、よろしく
ワンテンポ遅れて届いたアキのメッセージに返しながら、亜理子はベッドの中で、ようやく表情を取り戻していた。
ようやく、である。
昨日の事件の後、刑事の車の中でひとり目を覚ました亜理子は、誰もいない家の玄関をくぐっている。
自室に戻っても、出迎えるのは沈黙だけ。
白との時間が終わったことを否応もなく意識させられ、代わりに思い出しかけた事件から逃げるように、ベッドへ潜り込んだ。
しかし、記憶は消えることなく、フラッシュバックとなって追いかけてくる。
血を流す店長、死の臭い、響き渡るサイレンの音。
五感に残る恐怖は朝になっても続き、未だに布団の中から抜け出すことが出来なかった。
そんな時に届いたのが、アキからのメール。
(携帯とか苦手でしょうに、まったく)
今も使い慣れない携帯に苦戦しているのだろう、返信のテンポは、はっきり言って悪い。だが、まぶたに浮かんだ携帯に悪戦苦闘するアキの姿は、酷くありがたいものに思えた。
「はあ、ホント、いい子なんだから」
「誰が?」
「きゃっ! お、お姉ちゃん?」
が、悲劇をかき消した美しい友情は、突然、ベッドの横から端末をのぞきこんできた姉――六条
「もう、亜理子ちゃんったら、全然起きてこないから来てあげたのに、携帯見てニヤニヤしてるんだも~ん。お姉ちゃん、ちょっと悪戯したくなっちゃった」
「……うぜぇ」
続く甘ったるい声に、盛大なため息が漏れる。
もちろん、こんなことで残念な姉は止まらない。
「まあ酷い! 携帯の方が頼りになるのね?
相手は……アキちゃん? 女の子? なんだ。彼氏じゃないのね……」
「違うからっ! 図書委員で一緒になっただけの子だから!
ていうか、人の携帯勝手にのぞかないでよ!」
「えっ! まさか彼女!? ダメよいくらなんでもそっちは」
「だから違うてっ! つーか、彼女とか彼氏とかから離れなさいよ」
むきになって否定すると、亜理紗は「はいはい」と言いながら、部屋のカーテンを開いた。
眩しい朝日が、部屋の中に差し込む。
「今日、学校、どうするの?」
その朝日を背に、問いかける亜理紗。
「ん、休む。
今から用意しても、どうせ遅刻だし。アキにも休みって言っちゃったし」
ずるい。
返事をしながら思う。
ふざけた態度で人をかき回して、急にお姉ちゃんになって、真面目な質問して。
こういう態度に出られると、亜理子としては素直に答えるしかない。
「そ。じゃあ、担任の先生とお父さんには、適当に言い訳しとくわね?」
「いいよ。
先生の方はアキに頼んだし、お父さんは……どうせ気にしてないでしょ?」
だから、続く言葉には、少しだけ反抗した。
亜理紗は、困ったように続ける。
「ダメよ、そんな言い方。
昨日もちょっと忙しくって、戻って来れなかっただけなんだし。
ニュースでやってた、バイト先の店長さんが入院したのも、お父さんの病院なんでしょう?」
大学病院の学長兼院長。それが亜理子の父の肩書だ。
母は既に、いない。
今でも、はっきりと覚えている。
当時、交通事故で入院していた亜理子は、病院のベッドで、見舞いに来るはずの母の死を知らされた。
といっても、母がなぜ死んだのか、亜理子は知らされていない。
知るどころではなかった、と言った方が正しいかもしれない。
母の死を告げるため、海外の出張先から戻って来た父は別人のように変わり、「海外の親戚に預けていた姉」を連れていたのだから。
もっとも、父の方に異変を見出したのは、亜理子だけだっただろう。
世間で騒がれているようなDVやネグレクトはもちろん、小さな家庭問題すら起こらなかった。むしろ、絵本や道徳の教材に出てくるような、マニュアル通りの接し方だったと言っていい。強いて言うなら、子どもと話す内容が、学者らしく、難しい知識に飾られ、時に、娘からの尊敬と愛情を望み、自分を大きく見せようと知識をひけらかすような、一方通行の会話になっていたくらいだろうか。
しかし、だからこそ、亜理子にとっては別人だった。
子どもとの会話を絶やさず、一緒に遊び、適当な距離で叱る「海外から帰って来た」父を見るたびに、こう思ったものだ。
私の知っている父は、もっと無口だったのに、と。
私の知っている父は、ねだっても、なかなか遊んでくれなかったのに、と。
私の知っている父は、もっと怒らなかったのに、と。
結果、当時幼かった亜理子は、そんな父を受け入れられず、「ニセモノ」だと言って、拒絶した。
もし、突然現れた年上の女の子――亜理紗が、ただひたすら明るい態度を繰り返し、「いい姉」を演じてくれなかったら、とっくに家庭は崩壊していただろう。
そして、今でも、そんな危うい関係は、続いている。
「きっと、亜理子ちゃんもショックを受けてるだろうから、今はひとりにしておいた方がいいって、気にしてくれたのよ」
そんなわけないって、分かってるくせに。
そんなセリフは、続かなかった。
「あ、そっか、亜理子ちゃん、寂しかったのね?
言ってくれればお姉ちゃんが慰めてあげたのに」
亜理紗が再び真面目な態度を崩し、傷口に触れるのを避けたからだ。
亜理子は、それに乗った。
「さっさと出ていけ!」
「はいはい。あ、店長さんのお見舞いに行くなら、お父さんの部屋にあった貰い物、差し入れに持って行ってね?」
そう言い残して、部屋を出る亜理紗。
大げさなため息で見送る亜理子。
もちろん、不快感はない。
代わりに、静かになった部屋が、やけに物足りなく思えた。
「……起きよう」
戻って来た沈黙を追い払うように声を出し、リビングに降りる。
朝食は、すでに用意されていた。
※ 続きます(次回更新は、2019年4月1日(月)を予定しています)。
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