#1-d 裏側
「とりあえず、状況は分かったわ。
もう少し詳しい話を聞きたいんだけど……話せる?」
数時間後。
亜理子は未だ混乱する頭と格闘しながら、駆けつけた警察に、何とか事情を説明していた。既に店長を救急車に預け、不審者を引き渡した後。店内には、亜理子と白、そして女の子だけが残されている。
「私は大丈夫ですけど、この子は……」
背中に隠れようとする女の子に、視線を送る。
返ってくるのは、不安そうな目。
他の警察官が現場検証にいそしむ中、亜理子達の対応にあたっていた女刑事は、長身をかがめて微笑を浮かべると、気遣うように話しかけた。
「大丈夫?
気分が悪くなったりしたら、無理しなくていいからね?」
女の子は首を振り、そしてうなずいた。
刑事は表情で大丈夫と判断したのだろう、優しい表情を崩さないまま、質問を続ける。
「そう。じゃあ、お名前、教えてくれるかな?」
「……猫子。<B/、猫子です」
亜理子は目を見開いた。
名字は声が小さくてよく聞き取れなかったが、名前は漫画に出てきたヒロインのそのままだ。
が、刑事はそれを知ってか知らずか、笑みを絶やすことなくうなずいた。
「猫子ちゃんね? この人は、知ってる?」
上着のポケットから取り出した端末を操作して、画像を見せる。
首をかしげる猫子。
刑事は「そっか」と呟くと、今度は亜理子と白に画面を向けた。
「キミ達も、心当たりない?」
画面の奥に写る人物を、亜理子は見たことがあった。
コンビニの来客ではない。
アキと図書室で読んだ、漫画の後に載っていたファッション記事。
そこには確かに、警察が向けた画像とそっくりの、痩身に眼鏡をかけた男が皮肉たっぷりの記事と共に映し出されていた。
もっとも、そんな冗談のような偶然を言うわけにはいかない。
亜理子は否定の言葉を口にする。
「ありません。店に来たことも……兎沢は?」
「……知らない」
相手は警察だというのに、相変わらず短い言葉で返す白。
亜理子は抗議の目を向けようとして、やめた。
白が視線で殺そうとするかのように、犯人の画像を睨みつけていたからだ。
刑事もそれに気づいたようで、視線を遮るように、端末をポケットに戻した。
「まあ、犯人はもう捕まっているんだ。
これだけの事件を起こしたんだから、相当重い罪になるよ。
防犯カメラっていう、いい証拠もあるし……
ああ、そうだ。カメラで思い出したけど、キミ、亜理子ちゃんだっけ?
空手か何かやってるの?」
「は? いえ、部活は音楽系ですけど?」
「そう? 事務所のカメラの映像じゃ、身のこなしがすごかったから、さ」
場を和ませようとしたのか、軽く笑って見せる刑事。
が、亜理子の方は戸惑う事しかできない。
自分でも分かるくらい、あの時の自分は、おかしかった。
漫画をそのままなぞるような流れといい、未だ悪夢を見ているような気分だ。
そんな亜理子を見た刑事は、再び話題を変えた。
「その格闘中なんだけど、火が出たり、焦げくさい臭いがしたりしなかった?」
「火ですか? いえ、特にそういったものは……」
「そうか……
いや、ならいいんだ。それより、バイトのシフトについてなんだけど……」
その後は、簡単な質問の受け答えになった。
シフトの時間帯や店長の交流関係、やって来る客層について簡単に質問を受けた後、ようやく開放される。
辺りは、すっかり暗くなっていた。
「三人とも送っていくよ。ああ、大丈夫。パトカーじゃなくて、普通の車だから」
# # # #
車の中は、疲れ切った沈黙が支配していた。
猫子はシートに座るとすぐ眠ってしまったし、白はいつも以上に不機嫌な無表情のまま黙りこくっている。
亜理子自身、積極的に話題を振る気力もない。
不審者に突然襲われた上、その一部始終を警察の事情聴取で強制的に見つめ直させられたのだ。疲労を感じる暇もなかっただけで、自分の精神は思っている以上に擦り減っていたのだろう。
(手、震えてる……)
そう思うと、今更になって、恐怖がぶり返してきた。
疲労に任せて眠りたかったが、目を閉じると、迫る銀色の刃や、店長の真っ赤な血がまぶたの裏をよぎり、まるで未だ襲われているような錯覚が走る。
気分が悪い。
吐き気がした。
それを、必死に押さえつける。
不調との戦いは、このまま車を降りるまで続くかと思われたが、
「はい、猫子ちゃんは、とりあえずここで降りてね?
亜理子ちゃんと白ちゃんは、少し待っててくれ」
その前に、車が止まった。
窓の外には、「児童保護施設 こども園」という表札が掲げられた門。
車を降りた刑事が猫子を連れて、未だ光が消えない施設へと呑み込まれていく。
(あの子、どうなるんだろ?)
ふと、浮かんだ疑問。
しかし、まともに働かない頭が、考えることはおろか、心配することさえ拒絶していた。そんな薄情な自分から目を逸らすように、猫子の背中から視線を外し、
「……大丈夫?」
「えっ?」
いつの間にか、隣に移動していた白から声がかかった。
その表情には、心配が浮かんでいる。
亜理子は虚勢を張ろうとして、
しかし、それをやると、今度は白から目を反らしてしまいそうな自分に気付き、
結局、正直に応えた。
「ん。ちょっとヤバいかも。兎沢は、平気なワケ?」
首を振る白。
お互いに小さく笑う。
それは力のない、小さく頬を緩ませた程度でしかなかったが、しかし、凍り付いたような空気は、確かに動いた。
そこへ、タイミングよく、戻って来た刑事も加わる。
「お待たせ。っと、ここで警察は邪魔だったかな?」
「そんなことないですよ。それより、あの子は?」
「とりあえず、今日のところは相談所に預かってもらうことになったよ。
まあ、後はプロに任せておけば心配ない」
今度は、会話が続いた。
軽くなった空気を壊さないようにしようという、互いに気を使っている不自然さはある。しかし、ひとりで悩む時間は、終わっていた。
(きっかけが兎沢なのが、ちょっと意外だけど)
流れていく街灯りに照らされる白を、そっと見つめる亜理子。
急に声をかけてくるのはいつもの事だが、笑いあったのはこれが二回目だ。
一回目は、初めて吹奏楽部で出会った時。
去年、ひとつ上の姉に、強引に連れられてこられた吹奏楽部の部室で、同じ年の新入部員がいるからと紹介されたのが白だった。
「この子が、新入部員のアキラちゃん。
ほら、亜理子ちゃんが事故で入院してた時、一緒に遊んでた子と同じ名前よ?」
うちの姉は美人なのに残念だ。
確かに、交通事故で入院したことはあるし、その時、同じ病室になった同年代の女の子と一緒に遊んだ記憶もある。が、それも小学校に上がる前の話だ。退院してからはもう会っていない。今は、顔も記憶のかなただ。白も、静かに、はっきりと否定する。
「……私、入院したこと、ありませんけど?」
「あら? ここは久しぶり、亜理子ちゃん! とかいえば、綺麗に騙せたのに」
「いったい、いつの話してるの!
ていうか、まだこの部活に入るって決めてないんだけど?」
「あ、私ほかの新入部員さんの相手しないといけないから」
「ちょっと、待ちなさいよ!」
「……お姉さんと、仲いいんだね」
「ちょっと、アンタも余計なこと言わない!」
その時も、妙に白と会話が続いて、そして、表情も重なった。
ほんの小さな出来事だし、ありふれた出会いだとは思うけれど、これがきっかけとなって、少ない言葉でそれなりのコミュニケーションが取れる関係が出来上がったのも事実だ。
今だって、もう無表情を取り戻している白が、いつもより身近に感じられる。
それが、無性にありがたかった。
(バイトはしばらくないと思うけど……部活で、いくらでも会えるよね……)
ようやく、まぶたが重くなり始める。
今度の闇は、優しかった。
# # # #
「……六条、寝ちゃった」
わずかな会話の後、目を瞑ってしまった亜理子。
白も再び訪れた沈黙に身を任せ、後ろに夜の街が流れていく光景を眺め始める。
その目に、感情はない。
しかし、刑事には物思いにふけっているようにでも見えたのだろう、小声で話しかけてきた。
「キミも、つらいなら眠っても構わないよ?」
「……大丈夫。それに、ここまでくれば、もうすぐだから」
「そうだったね」
刑事から苦笑が漏れる。
それは目的地までの時間を忘れた自分に向けたものだったか、
それとも、不愛想な白の返事に向けたものだったか。
どちらか確かめる間もなく、刑事の車は、白の住むマンションにたどり着く。
「ご両親への説明は、いるかい?」
「……いらない。私、ひとり暮らしだから」
「なら、何かあったら、この番号に連絡してくれ。
事件のことじゃなくても構わない。
あと、希望があれば、カウンセラーの紹介もできるよ?」
「……それも、いらない。代わりに、六条をお願いします」
メモを受け取りながら、頭を下げる。
刑事は、今度は苦笑ではなく、見る人を安心させるような笑みで答えた。
「もちろん、責任をもって送り届けるし、出来る限りのケアはさせてもらうよ」
軽い言葉は、その笑みにむしろよく映えた。
「それじゃあ」という刑事の言葉を残して、走り去っていく車。
それをバックライトが夜の街に溶けこむまで見送り、マンションへと歩いて、
通り過ぎた。
そのまま、少し先のコンビニへ入る。
バイト先とはライバル関係にある看板の店をくぐり、雑誌コーナーへ。
手に取ったのは、早めの休憩時間をとった亜理子が、差し入れついでに持って行った漫画。
そのままパラパラとページをめくり、『サイコ・フレア』で、指を止めた。
ヒロインの名前、猫子
――あの子と同じ。
怪人に襲われるも、主人公が触れたものの温度を操る超能力で対抗
――さっきの警察も、火がどうこうと言っていた。
主人公はヒロインを守り切れずに殺される
――でも、回想シーンならまだ生きてるハズ。
漫画の次はファッション記事
――死神のコスプレしてる人の素顔、犯人の画像にそっくり。
頭の中で情報を整理しながら読み進め、雑誌を閉じて、棚に戻す。
そのまま店を出て、もと来た道を戻り、
人気のない路地裏へ入った。
薄汚れた空気のたまり場の奥へ迷うことなく進み、唐突に脚を止める。
そして、鞄からヘッドホンを取りだし、ゆっくりと振り向いた。
白の目の前には、先ほど保護施設に預けられたはずの、猫子。
「……え?」
猫子が、小さく疑問の声を上げる。
なぜ自分がこんなところに? とでも言うように、周囲を見渡している。
「……」
白は、ただ無表情を保ったまま、携帯を取り出し、画面に触れた。
ヘッドホンから、軋んだノイズのような音が、漏れ始める。
戸惑ったような目で、白を見上げる猫子。
白はその視線に応えるように歩き出し、
すれ違いざまに刺した。
いつの間にか、手に握られていたナイフで。
「Z!? う、yw”Z……?」
猫子が、あの怪人と同じ、ノイズがかった叫びを上げる。
その身体は、ガラスの様に色を失い、
そして、砕け散った。
猫子だった破片は、アスファルトに散らばり、短い反響を残して、消えいく。
「……もう、出てこないで」
代わりに、白の声が響いた。
握っていたナイフは既にない。
ただ、大通りへ踏み出すその背中が、街の灯りからの逆光で、影のように暗く染まっていた。
※ 続きます(次回更新は、2019年3月29日(金)を予定しています)。
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