#1-c 異変

 仕出しが終われば店内の掃除とファーストフードの仕込み。

 ようやくぽつぽつと入り始めた客の対応を終え、


「後は基本ヒマ、なのよね」


 レジカウンターでぼやく亜理子。

 ビジネス街ならサラリーマンが訪れる時間帯でも、住宅街の小さな店は静かなもの。後はもう、終業時間まで立ちっぱなしとなる。これは意外につらい。

 が、そんな贅沢な悩みはしっかり聞かれていたようで、


「……その分、バイト代も安い」


 隣の白が、ぼそりとつぶやいた。

 もっとも、視線はレジカウンター越しに店内へ向けられている。会話なのか独り言なのか判別に困るところだが、こちらに合わせるタイミングで言葉を発したという事は、暇つぶしの相手を求めているのだろう。たぶん。


「そういえば、練習、なんでなくなったの?」

「……山田はバイトのヘルプ、佐藤は風邪で休み」


 山田と佐藤とは同じ吹奏楽部の部員の名である。いずれも本作には無関係な人物のため詳細は割愛するが、白と同じフルートを担当し、今日はフルートパートの三人で練習する予定だったはずだ。


「つーか、よく店長に部活優先で納得してもらえたわね」

「……店長には、学校の補習って言ってある」

「あ~、そういうの、せめて私がいないところで言ってくれる?」


 背後から口をはさんだのは、店長。

 亜理子は、しまったという顔を作って答える。


「うわ、店長いたんですか」

「さっきからいたよ。ヒマだとか、バイト代安いとか、部活だとか」

「いや、でも、ほら……」


 店内を指さす。

 人、いないじゃないですか、

 と続けようとした途端、「いらっしゃいませ」という機械音とともに、自動ドアが開いた。

 勝ち誇ったような笑顔を浮かべる店長。

 亜理子は悔しそうに指を下ろし、邪魔をしてくれた忌々しい客に目を向ける。

 が、そこにいたのは、包帯を巻いた小さな女の子だった。


「……いらっしゃいませ」


 絶句する亜理子をよそに、白がマニュアル通りの声をかける。

 しかし、女の子はビクリと身体を震わせると、逃げるように店の奥へ走り去ってしまった。

 顔を見合わせる店長と亜理子。

 いつもなら、「なんだ小さい子じゃないですか」「小さくてもお客さんはお客さんだし」などという応酬が始まるのだが、肝心の「小さなお客さん」がこれでは、惰性に任せた会話など吹き飛んでしまう。

 店長が、レジを出た。

 亜理子もカウンターから身を乗り出し、死角を映す鏡に目を向ける。

 そこには、手に取ったおにぎりをポケットに入れる女の子の姿が映っていた。

 万引き。

 そう理解するまでに、何秒かかっただろうか。

 驚いているうちに、女の子はトイレへ向かい、


「……お客さま、トイレへの商品の持ち込みはご遠慮願います」


 扉を開ける前に捕まった。

 いつの間にか、隣にいたはずの白が、鏡の奥に移動している。

 激しく体を震わせる女の子。

 酷く怯えている目は、歪んだ鏡面のせいではないだろう。

 そんな二人の間に、店長の声が割り込んだ。


「あー、白ちゃん、こっち何とかしとくから、レジ、お願い」


 # # # #


 コンビニのスタッフルーム。

 休憩室を兼ねるそこで、亜理子は女の子と手をつなぎながら、店長と向かい合っていた。

 ちなみに、白はいまだレジカウンターだ。あれだけ怯えられたのだから、仕方がないとは思うのだが、


(別に私が付き添いに向いてるってわけでもないんだけどなぁ……)


「私ひとりじゃ一方的に責めるみたいになるから」と、何とも断りにくい「お願い」をしてきた店長に、心の中で愚痴を言いながら、目の前のやり取りを見つめる。そこには、何とも居づらくなる光景が広がっていた。


「それでキミ、ご両親は? 近くに来てる?」


 首をふる女の子。

 店長は、視線をらさず続ける。


「お父さんか、お母さんに盗ってこいって言われたの?」


 顔を上げる女の子。

 その目は、白に捕まった時と同じ感情で、揺れていた。


「そ。最近多いのよね。

 こどもに万引きさせる親。捕まったら怒鳴って、子どものせいにすんの」


 無言のままうつむく女の子。

 亜理子の居づらさは、居たたまれなさにまで膨らんでいた。

 この手の話は何度か耳にしているが、実際に目にするのは始めてだ。

 いや、今も、まともに「目にしている」といえるかどうか。気まずくさ迷う視線は、女の子の表情も、店長の顔も、まともに見ることが出来ていない。


(……あれ、火傷の痕よね)


 代わりに、見たくないものを見つけてしまった。

 包帯の間からのぞく、生々しい傷痕。

 虐待。

 そんな言葉が、脳裏をよぎる。


「亜理子ちゃん、白ちゃんの方、手伝ってもらいに行ってもらっていい?」


 感情が表情に出てしまったのか、店長にひらひらと手を振られる。

 それにすみませんと答え、店舗に戻ろうとする亜理子。

 が、出ていく直前に、声がかかった。


「あ~、次、休憩する時でいいから、今日処分するヤツ、早めに持ってきて?」


 # # # #


 それから三十分ほど後。

 処分するヤツ――賞味期限が間近に迫った商品やら、売れ残った雑誌やら――を買い物カゴに入れて、亜理子はスタッフルームに戻ってきた。

 普段なら休憩時間はもう少し先なのだが、「持ってきて」といわれた意味を考えると仕事にならず、少し早めに休憩に入ることにしたのだ。


「はい、これ」

「あ……ぅ?」


 できるだけ優しい声と表情をつくり、差し出す。

 女の子は戸惑ったように、亜理子とかごの中を見比べていたが、

 やがて、手を伸ばした。


「……はい、今こちらに……いえ、それじゃあ、お願いします」


 警察へ連絡を入れる店長の声を後ろに、廃棄予定のおにぎりを必死にほおばる女の子。店長がどういう説得をしたのかは分からないが、先ほどの居たたまれなさは、ずいぶんと和らいでいた。


(とりあえず、丸く収まりそう、なのかな?)


 そんな女の子を横目に、雑誌をめくる。

 開いているのは、学校でアキと読んだ漫画だ。このような状況では、どうせ何を読んでも集中できまい。それなら、知っている漫画を読み返した方がマシというものだ。それに、似た境遇にあるヒロインが救われたシーンは、何かの参考になるかもしれない。

 そう思ったのだが、


(なんていうか、猫子漫画のヒロインそっくりね)


 あまりに似すぎていた。

 先ほど事情を聴いていた時は、亜理子自身も一種の緊張状態にあった上に、女の子が単なるコスプレ以上の悲壮感を纏っていたため、気にする余裕もなかったが、包帯の巻き方や服装はもちろん、顔つきまで漫画の絵と一致している。

 自分の視線が、無遠慮になっていくのに気が付かなかったほどに。


「……ぁ?」


 それがいけなかったらしい。目が合った。

 ちょうどおにぎりを食べ終わり、カゴの中のサンドイッチに伸ばすタイミング。

 女の子は咎められたと思ったのか、手を引っ込める。

 亜理子はそれに罪悪感を覚えるより先に、吹き出してしまった。

 漫画の中のヒロインも、主人公の少年に同じような遠慮をしていたのだから。


「え、あ……あの?」

「ああ、ゴメンごめん。あんまり漫画と同じだったから、さ」


 開いていたページを見せると、文字通り目を丸くする女の子。

 そこには、年相応の表情が浮かんでいた。


「あ、それ、明日には業者に返本するんだから、あんまり汚さないでよ?」


 そんな緩みはじめた空気に、店長が割り込んだ。

 ようやく空気が緩んだのを感じながら、本を閉じる。


「で、どうでした?」

「もうすぐ迎えに行くから、預かっとけって。

 引き渡して終わりだから、亜理子ちゃんも遊んでないで早くごみ捨て行って来て」


 休憩時間減らすぞ。

 冗談めかして脅迫する店長に、「それは困ります」と答えながら、カゴからサンドイッチを取り出し、女の子に手渡した。

 きょとんとする女の子に笑いかけてから、棚にある業務用のゴミ手袋を持って、事務室の奥にある裏口へ。

 隣にそびえるアパートの薄汚れた外壁が出迎える中、夕暮れと共に灯りを点しはじめた街に踏み出し、

 立ち止まった。

 亜理子の行く手を阻むように、死神のような格好をした人物が立っていたから。


(こんなところで、コスプレ?)


 亜理子がそう思ったのも、無理もない。

 端が擦り切れた黒いコートに腰に巻き付けられた鎖、手には巨大な黒い鎌。

 その姿は、『サイコ・フレア』に出てくる、悪役キャラクターそのままだった。

 が、怪人は、そんな亜理子の常識を崩すように、鎌を振り上げる。


「きゃっ!?」


 反射的に跳び下がる亜理子。

 鎌の軌跡は、すぐ目の前を通り過ぎ、

 コンビニの壁を、切り裂いた。


(本、物っ?!)


 もちろん、刃と頭のキレ具合が、である。


(そんな、のめり込む漫画じゃ、ないでしょ!)


 心の中で毒づきながら、再び振り上げられた刃から逃れようと、乱暴に裏口の扉を開く。

 事務所へなだれ込むと同時、鍵をかけながら叫んだ。


「店長っ! 裏に不審者がいるんですけどっ?!」

「はあ? なにワケ分かんないこと言って……っ!」


 叫び返す店長の声は、しかし、ドアを突き破る刃に遮られた。

 刃はそのまま、ドアを一直線に切断しながら、錠へと振り下ろされる。

 蹴り飛ばされる扉。

 姿を見せた不審者は、

 崩れ落ちた。

 亜理子が横から、パイプ椅子で後頭部をぶん殴ったのである。


(硬っ!)


 衣装の下にヘルメットでもつけているのか、亜理子は予想外の手ごたえに眉をひそめながら、へしゃげたパイプ椅子を投げ捨て、鎌に手を伸ばした。

 同時に、不審者が立ち上がる。

 まるで、人形を糸で引っ張ったような、不自然な起き上がり方だ。

 その手は、未だ鎌を握っている。

 鎌の柄を挟んで、睨みあう二人。

 しかし、硬直は一瞬。

 押し勝ったのは、

 体格で劣るはずの、亜理子。

 亜理子は自分の力に戸惑いながらも、勢いのまま怪人を壁際に押さえつける。

 そのまま、背後の店長に助けを求めようとして、


「6j5くぁm5yd“¥&&&!」


 不審者の上げた、不快な叫び声に、硬直した。

 ガラスを引っ掻いたような高音に、壊れたスピーカーの雑音が混じったようなノイズが、大音量で部屋に響く。

 瞬間、亜理子の脳裏にさっきまで読んでいた漫画の絵が頭に浮かんだ。


 壁を突き破って現われる怪人。

 振り上げられる鎌。

 切り裂かれるヒロイン。


 情報は次々と通り過ぎ――しかし、緩んだ手を振り解かれる感覚で、現実に引き戻された。

 気が付いたときには、もう遅い。

 亜理子は床に転がされ、怪人が振り上げられた鎌は、脳裏に過ぎったヒトコマそのままに、女の子を襲っていた。


「だめぇ!」


 そう叫んだのは、誰だっただろうか。

 鎌の刃は、容赦なく女の子を襲い、

 かばおうとした、店長の背に、突き刺さった。

 コンビニの制服に、赤黒いシミが広がっていく。

 しかし、怪人は鎌を引き抜き、


「うわぁぁぁあああ!」


 亜理子は反射的に殴りかかっていた。

 目の前の風景を壊すかのような叫びは、皮肉にも漫画で見た主人公そのままで、


「c;w“EえZ!」


 殴り飛ばした不審者までも、ノイズがかった嘲笑を残しながら、漫画と同じように崩れ落ちた。


 ※ 続きます(次回更新は、2019年3月25日(月)を予定しています)。

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