#1-b 発端
「あ、先生、もうすぐ戻ってくるよ?」
「ん? もうそんなに経った?」
アキの声で、亜理子は漫画から顔を上げた。
軽く伸びをしながら受付カウンターの時計を見ると、きっかり五十分が経過している。
「あ~、もしかして、時計見ながら、本読んでた?」
「え? う、うん。時間、気になっちゃって……」
真面目さの塊のような回答に笑って流しつつ、雑誌を予備の椅子の上に置いていた鞄の中に放り込む。
しかし、すぐにあと十分「も」あることに気付いて、鞄の中に手を突っ込んだ。
真面目さの塊との時間を気持ちよく過ごすには、クッション材が必要だ。
漫画はもう使えないから、ここは携帯にしよう。
デカい雑誌と違って、携帯なら先生が図書室の扉を開けた瞬間に、ポケットへ隠すことが出来る。
そう思って、鞄の中を漁る――も、なかなか携帯が出てこない。
どうやら、放り込んだ雑誌のせいで、奥へと押し込まれてしまったらしい。
片手で鞄の中を引っかきまわす亜理子。
もちろん、性格上というべきか、空いた手でわざわざ鞄を押さえたりはしない。
結果として、鞄はバランスを崩して床に転がり、中身をまき散らすこととなる。
「最悪」
ため息をついて、拾い始める亜理子。
アキも、苦笑しながら手伝ってくれる。
教科書に化粧道具、さっきまで読んでいた雑誌――を拾おうとしたところで、アキと手が重なった。
顔を上げる。
が、目はあわない。
何かと思ってアキの視線を追ってみると、「恋愛」を扱った漫画が広がっていた。
――先輩っ! こっち来て下さいっ! 私もうっ!
――い、いいのか?
繰り返しになるが、「恋愛」である。
公式でも、そう主張していた。
まるでエロ漫画だとか、すごいセリフだとか、突っ込んではいけない。
それが、この手の雑誌の読者のマナーというものだ。
「さ、最近の少女漫画は過激だね」
「違うからね?
こういうの読んでたんじゃないからね?
読んでたのこっちだからね?」
「あ、う、うん、分かってる、よ?」
「ホントに分かってる?
回想シーンで、ヒロインとの出会いをやってるんだけどさ」
よほどエロ漫画を読んでいたと思われるのが嫌なのか、亜理子は言い訳するかのごとく、連載を追いかけている漫画の解説をはじめた。前回までのあらすじから始まり、キャラクターや世界観、その他の細かい設定まで。
これがオタクなら馬鹿にするなと怒鳴られるところだが、相手は地味で真面目な優等生。引き気味になりながらも、大人しく亜理子の話を聞いてくれる。
亜理子はいい気になって、雑誌をアキに押し付けた。
「うん、じゃ、読んでみよっか?」
「え? 読むの?」
「読まないと言ってることがホントかどうかわからないでしょ?
それに、真面目な本ばっかりじゃ不健全だって」
勢いで誤魔化そうとする亜理子。
アキはこういう押しに弱いらしい。大人しくページをめくり始めた。
(私と違って、いい子で助かったわね)
が、そんな「いい子」へ強引に漫画を押し付けるという非人道的行為に、流石の自称不良生徒も罪悪感を抱いたらしい。
亜理子はアキの背中に回ると、一緒になって、既に読んだ漫画を読み始めた――
漫画のタイトルは、『サイコ・フレア』。
現代社会の裏でひっそりと生きる超能力者の姿を描いた漫画である。
はじめのコマに出てきたのは、包帯を巻いた少女。ヒロイン、
高校受験に失敗した猫子は、両親から白い目で見られ、事あるごとに理不尽な扱いを受けている。熱湯を浴びせられ、食事もロクに与えられず、家から追い出されるように父親の酒を買いに行かされ、
「酷い……」
アキの声が漏れる。
乗り気じゃなくとも、気が付けば引き込まれているのはよくあることだ。
相当このヒロインに感情移入しているらしい。
ページをめくるアキ。
そこには、酒を買いに行った先のコンビニでのシーンが描かれていた。
空腹のまま商品を盗む猫子。
アルバイトの少年がそれを止める。
しかし、事情を察した少年は店長と相談し、売れ残りの商品を渡す。
むさぼるように食べる少女。
少年は冷え切った身体に防災用の毛布をかけ、
――そして、怪人が現われた。
「……ええ?」
再びアキが声を上げる。
あまりの急展開について行けないのか、呆然と死神を模したキャラクターが少女と少年に襲いかかる絵を見つめている。
もちろん、連載をちゃんと追っていればさほど無理のある展開でもないのだが、初めて雑誌に触れたアキではそうもいかない。
そして、一度失った興奮を取り戻すのは至難の業だ。
亜理子からすれば熱いアクションシーンも、アキは雑誌を手渡した時のようにドン引きしながら流していく。
数ページ先には、死神の鎌に切り裂かれる少女と、待て次号!の文字。
そして次のページからは、オタクがどうとかいう、時代遅れのファッション記事が続いている。
アキは無言で雑誌を閉じた。
「あ、ひどい」
「だってこれはちょっと……!」
抗議する亜理子に、抗議で返すアヤ。
「ちょっと、何?」
が、そこへ、不機嫌な声が割って入った。
言うまでもなく、戻って来た先生である。
顔を見合わせる亜理子とアキ。
静かな図書室に、雷が落ちた。
# # # #
「ご、ごめん、没収されちゃった」
「いいよ別に。読ませたの私だし、どうせバイト先のコンビニで続き読めるし」
普段なら大人の態度を崩さないはずの先生にこってり絞られた後、亜理子はアキと一緒に校門を出ていた。
見慣れた交差点を通り過ぎ、商店街の入り口へ。
どうやら方向は同じらしい。
自然と歩調が重なる。
「図書委員の後もアルバイトって、大変だね?」
「そうでもないよ? 小さいコンビニだから、そんなにお客さん来ないし、この間も友達と喋ってばっかだったし」
意外に、話も続いた。
先生に怒られるという苦難を共にしたというのもあるが、亜理子にとって、アキの話し方が不愉快なものではなかったからだ。
「アキはさ、バイトとか、部活とかやってないの?」
「うん、そういうの、苦手で……」
「ふーん。じゃ、さ、暇な時、何してんの?」
「何って言われるとちょっと困るけど、本読んだり、かなぁ?」
自分から話す言葉は少なく、どちらかというと聞き役に徹して、相手に話を合わせたり、気を使ってみせたりする。
この手のタイプには、いかにも「あなたの話を聞いてるんです」というかのように、大げさにうなずいたり、無駄に笑顔を作ったりする輩も多い。そういうのに限って、「あなたの話を聞いたんだから、私の話も聞きなさい」とばかりに、訓練された押し売りの販売員のごとく、突然こちらの何倍も話し出したり、酷い場合は厄介ごとを押し付けようとしたりする。もちろん、こっちが話したことは、なにひとつ覚えていない。
が、アキには、そういう「作った様な態度」がない。
控えめで、地味だけど、いい子。
それが、亜理子のアキに対する印象だった。
「六条さんは……その、暇な時どうしてるの?」
「んー、どうしてるって聞かれるとちょっと困るけど、ゲームやったり……あとは、音楽聞いたり? ほら、部活やってるからさ。吹奏楽部」
「あ、部活もやってるんだ。大変だね?」
「だから、そうでもないって。ま、たまにコンクールに出たりするけど、うちは弱小だから、みんなまったりやってるし」
そんな他愛ない会話を続けているうちに、いつの間にか商店街の出口にたどり着いていて、
「あ、私、こっちだから」
「うん、それじゃあ……」
そして、いつの間にか、自然に別れていた。
(ま、この分だと、図書委員も、そんなに苦労しなくて済みそうね)
いつの間にか地味子と仲良く過ごしている自分に苦笑しながら、駅の方へと歩いて行くアキを見送って、バイト先へと歩き始める亜理子。
商店街の前に広がるオフィス街を抜け、住宅地へ。
家々が作り出す閑静な、それでいて、壁越しに生活感が伝わる街を横切って、ありふれた自動ドアをくぐる。
「お、亜理子ちゃんはギリ間に合ったみたいだね」
「いらっしゃいませ」という機械音越しに出迎えたのは、ポニーテールにまとめた髪と、気さくな雰囲気が特徴の女性――この店の店長だ。
「仕出し、お願い。
あと、アキラちゃん、少し遅れるみたいだから、お客さん来たらレジも」
「はい」
学校の先生相手では絶対に出さない生真面目な声で返して、スタッフルームに入る亜理子。コンビニの制服に袖を通すと、事務所の片隅に積まれた段ボールを抱えて店内へ。中身を棚に移しながら、レジへちらりと視線を送った。
(お客さん来たら、か)
まあ誰も来ないだろうな。
そう思ってしまうほど、このコンビニの来客数は少なかった。なにせ立地が悪い。商店街では学生で賑わう時間帯も、住宅街の端とあっては閑散としたものだ。来るとすれば、先ほど店長が言っていた「アキラちゃん」くらいだが、そちらは遅れると聞いたばかりで、
「……お疲れ」
「遅れるんじゃないんかい」
突然、背後からかけられた声に、思わず突っ込む亜理子。
言うまでもなく、振り返った先に立っていたのは「アキラちゃん」こと
ショートカットにヘッドホン、そして会話を振れば妙な沈黙を挟むのが特徴のバイト仲間だ。学校でもクラスは違うものの、同じ吹奏楽部に入っている。しかし、
「……部活の練習、なくなった」
その言葉と表情は、アキ以上に少ない。
別に仲が悪いわけではない。こういう性格なのである。
今日もヘッドホンをとろうともせず、拒絶するかのような短い返事を残し、さっさと事務所へ消えてしまった。
(あれでよく接客業が務まるわね……って、お客さんいないんだっけ?)
ため息をついて、仕出しを再開する亜理子。
しかし数分もすると、
「……向こうの、やっとくから」
再び背後から声がかかった。
振り向くと、隣に積んでいた段ボールを抱え、白が奥の棚へ向かっている。
どうやら手伝ってくれるらしい。苦笑で見送る亜理子。
地味を通り越して暗いけど、いい子。
それが、一年間一緒に部活とバイトを続けた亜理子の、白への印象だった。
(そう考えると、アキと兎沢って似てるわね)
暗さ加減が違うだけで、気遣いが出来るいい子なことに変わりはない。
そういえば、顔もよく似ている気がする。
髪型も喋り方も違うため、今までまったく気づかなかったが、二人並んで姉妹だと言われたら、納得――はしないか。雰囲気が違いすぎる。
「……? なに?」
「ん、なんでもない」
無意識に、目で白を追ってしまっていたらしい。
返事になっていない返事で誤魔化す亜理子。白はそれでも十分なのか、「そう」と短くうなずくと、再びダンボールの中身を棚に移し始めた。亜理子もそれにならう。
互いに無言のまま、しかし気まずくはないという、勤務中特有の奇妙な雰囲気の中で、二人は作業を続けていった。
※ 続きます(次回更新は、2019年3月22日(金)を予定しています)。
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