夜鷹とフクロウ

眞壁 暁大

第1話

 戦争がはじまって4年がすぎた。

 帝国にもはやかつての勢いはない、星しか見えぬ夜空を見上げ、少尉は唇をかすかに歪めた。

 これが本国であれば、空を隙間なく埋めるほどのサーチライトの光線が幾重にも重なり、その中に哀れな敵機が浮かぶことも稀ではなかった。

 いったん夜の闇から引きずり出された敵機の周りには瞬く間に対空射撃が集中する。その銃火網から逃げられるものは稀にもいない。

 数千のレーダー。数万のサーチライト。数十万に及ぶ、大小の対空火砲。

 なるほど、本国の守りは完璧であった。さてそれでは、大西洋要塞と呼ばれるここはどうだ?

 宣伝相は数百万の精鋭が、帝国の誇る最新鋭の兵器でこの要塞を守り、敵の大陸反攻を確実に撃退しうると豪語していた。

 数百万の兵がいるのはウソではなかった。

 少尉を含めて頭数はいる。少年から老人までおよそ精鋭と呼び難い人士が半数を占めてはいるが、数はたしかに居る。

 だが最新鋭の兵器の方はどうだ?


「聴音、反応あるか」

「ありません」


 少尉と共に、本国からこの大西洋要塞に移ってきた部下たちは、任務に精励している。

 対空聴音機。レーダーと対空砲、そして防空戦闘機隊によって守られた本土防空では「もはや無用」と見做された旧式兵器。

 レーダーによって昼夜を問わず電子の目が敵を暴くことの可能な時代。

 指揮している少尉自身が、探知能力が天候に左右され、また大雑把な方向しか探知できない聴音機には未来がないと知っている。

 そんなものを「最新鋭の兵器」と称して、大西洋要塞に配備するのは、帝国がもはや限界を迎えつつあるからだと少尉は考えていた。

 本国の鉄壁は、すべての資源を回してはじめて達成されている。他の戦線に戦力を回すだけの余裕がもはやないのだ。

 大西洋要塞に限った話ではない。東部戦線についても今年に入ってからは、噂話ですら勝利の報は届かなくなっている。

 宣伝相が勝利に次ぐ勝利、と盛んに叫ぶ裏で、実態は撤退に次ぐ撤退、であることは帝国の兵ならば誰もが知っている話だ。

 旧式兵器に、少年と老人の群れ。大西洋要塞もまた、いったん戦火が上がれば脆く崩れ去ることは想像に難くない。少尉の意気も上がりようがなかった。


「どんな音でもいい、聴こえたら報告しろ。俺が代わって判断する。すべて聞き逃すな」

「はい」


 その反対に、任務を実際に指揮している軍曹は真剣そのものであった。少尉から見れば、気合が入り過ぎであるようにすら見える。

 大西洋要塞のレーダーはまばらにしか配置されていない。電子の目に頼れない以上、聴音機にかかる期待はゼロではないにせよ、大袈裟だろう。


「軍曹、夜は長いんだ、あまり気を張りすぎるな」


 転属後に新たに配属されてきた軍曹とはどうも反りが合わない。

 徴兵と志願で頭数だけ揃えたここでは数少ない、貴重な職業軍人として期待していたのだが。


「は」


 軍曹もまた、少尉の思いを知ってか知らずか、短く応じただけで、実際には気を抜く素振りすら見せなかった。

 兵たちも軍曹に倣って緊張した面持ちでヘッドホンに手を添えながら機器を操作している。

 少し離れたところでは、兵の操作するダイヤルに合わせて、ラッパのオバケのような聴音機本体が、音も立てずに左右に首を振り続けているはずだ。

 薄暗い露天の聴音指揮所の中で、少尉は再び唇を歪めた。先程よりはずっと派手に。「ご苦労なことだ」と口に出さずに呟いてもいる。

 指揮所が緊張感に包まれているのに、ただ一人そこから疎外されている少尉は居たたまれなさをごまかす。


 ――聴音できたとして、それが何になる? ここでは打てる大砲も弾もろくにないのに?


 聴音機で分かるのは、おおざっぱな距離と方向でしかない。聴音兵の訓練を徹底すれば精度はもう少しあげられるが、それでも誤差は大きい。

 本質的に「敵が近づいてますよ」という警報を出すだけで、その情報を元に迎撃を支持できるというようなものではないのだ。


「!」


 兵のダイヤルを動かす手が止まる。それを目ざとく見つけた軍曹が予備のヘッドホンを即座に装着する。

 声をかけようとした少尉を制し、鋭い眼光で人差し指を自らの唇に添えて一瞥すると、兵に代わってダイヤルを微調整する。

 しばらくして


「少尉殿も確認願います」


 兵にヘッドホンを外させ、手渡してきた。自分のヘッドホンを手放す気はないらしい。黙って受け取る。

 耳をすませばかすかなエンジン音が聞こえる気がする。もう少し集中して聞いてみる。単調な音、単発機か?


「たしかに」

 

 少尉は判定は曖昧なまま、敵がいるということは認めた。軍曹はそれ以上の答えを期待してはいなかったらしい。直ちに兵たちに指示を出す。


「警報を出せ。夜鷹が来たぞ。方位北東。距離およそ5000」

「おい、そこまでわかるのか・・・あ」


 驚きに声を上げようとした少尉の耳元で、エンジン音が途絶える。敵機が消えた?


「エンジンを切りましたな。連中、滑空侵入するつもりでしょう」

「なるほど。厄介だな、どうする」

「どうするも何も。あとは上に任せるしかありませんね」


 ヘッドホンをつけたままだが、軍曹はさっきまでとは一変した表情だった。気の抜けた顔で、言葉にも何となく締まりがなかった。

 反発しかけた少尉を制するように軍曹は続ける。


「今日は捕まえられて運がよかった。よくやったぞ兵隊」


 兵に声をかける風を装いながら、暗に任務に精励する姿勢を怠っていた自分を責めているのは、少尉でもわかった。

 少尉の言うとおり、兵が気を抜いていれば見つけられなかったかもしれない。

 だが、と少尉は思う。

 ここで見つけられたからと言って何だというのだ? 落とせなければ意味がないじゃないか。

 少尉の耳元では、外しわすれたヘッドホンからホワイトノイズだけが喧しく響いていた。





「方位北東。距離5000ね、高度は不明か」

 一人呟き、曹長は機体を操る。彼の機体は少尉たちの上空4000ほどの高度から、旋回しながらゆっくりと降下していた。エンジンは切ってある。

 その方が滞空時間が伸びるからだ。東部戦線で培った夜戦の知恵だった。

 いま操っている機体。東部戦線で搭乗していた機体と名前は同じだが、まったくの別機と言っていいほどに改造されている。

 かつては3人が乗り込んでいた機体も、今は曹長一人しか乗っていない。

 新たに積み込んだ兵器の重さが、パイロット以外の人間を乗せる余裕を奪ったためだ。

 一人で新兵器を操作し、無線を操り、そして迎撃戦闘をこなさねばならない曹長の負荷は限りなく重い。

 

 機首を指示された方位に向け新兵器のスイッチを入れる。

 正面から見れば、右目が異常に発達した鳥が翼を広げたように見える機体だった。

 その巨大な右目はライトで、小さな左目が曹長が外界を覗くための窓。

 右目から光ならざる光が放たれ、夜空を切り裂いていく。ヒトの目には見えない、その光線を追い、曹長は赤外線スコープを覗き込む。

 視野が狭く、それを覗きながら飛行するのはいまだに慣れない。暗闇の中で飛ぶのも恐怖だが、それとは別種の恐怖があった。


 しかし、その恐怖の対価はたしかだった。


「いた」


 曹長は狭い暗緑色の視野に、翼の下に胴体をぶら下げたような奇妙なかたちの飛行機を捉えた。機体の鼻先のプロペラは止まっている。

 曹長の機体と同じく、滑空飛行しているようだ。

 音もなく侵入してきた夜鷹にむけ、曹長は機首をまっすぐに向け、逆落としに突っ込む。

 それは夜を往く猛禽が180度近く首を捻って獲物を見定めるのとそっくりな機動だった。





 太いが軽い連射音が上空で響いたかと思うと、いきなり火球が現れた。

 少尉は唖然としてその火球を見上げる。


 なにがあった?


 軍曹は火球を一瞥すると、少尉とおなじように火球に見惚れている兵たちを叱咤する。これで終わりじゃないぞ、耳をすませ、と。



 その夜はもう一つ火球が弾けて終わった。

 大西洋要塞には、たしかに新兵器がある、少尉が認識をあらためるのに、朝を待つまでもなかった。

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