第2話
「どうして私を助けたのですか?」
その女の目は疑問の色で塗りつぶされていた。
ギルスの群れが寄ってくる前に、僕はこの女を自分のキャンプへと退避させた。
「別に助けた訳じゃない」
「どういうことですか?」
「その首のやつ、それは」
「これですか?」
彼女の首には月型のネックレスがかかっていた。
僕が着けているものと全く同じものだ。
あの時、双眼鏡からこれが見えた僕は思わず貴重な弾丸を一発消費してしまった。
「そのネックレス、どこで手に入れたんだ?」
「そんなこと聞いてどうするのですか?」
自分の首にぶら下がっているものを女に見せた。
女は一瞬驚いたが、そのあとすぐに全てを理解したような表情を見せた。
「なるほど。では、あなたと私が持つこのネックレスの正体を知りたくて助けたのですね」
「ああ」
「これもまた天命なのですね……。分かりました、教えて差し上げます。しかし、一つだけお願いがあります」
「なんだ?」
「あなたが先ほどギルスに撃ち込んだ銃弾、残りは何発ありますか?」
「次が最後の一発だな」
なるほど、銃が取引対象か。この世界では食糧の次に価値がある。
「こいつとあんたの持つ情報とを交換っていうことか?」
「いいえ、違います」
「じゃあなんだ?」
「……その残りの一発を私に撃っていただけませんか?」
彼女はそう告げると、ローブの袖を捲って僕に左腕を見せた。
彼女の腕には紫色の痣が広がっていた。
『杜若病』と呼ばれるもので、とても珍しい病だ。
特徴はその致死率にあり、発症したらほぼ確実に死ぬ。
この世界にはとても薄くだが、瘴気が流れている。その瘴気を長年吸い続けると発症するらしい。
しかしその発症率はとても低く、「60歳まで毎日一本タバコを吸って肺がんを患う」確率と同じくらいらしい。今の時代、60歳まで生きることも毎日一本タバコを吸うことも難しいことだが。
「この病は死の瞬間、とてつもない痛みに襲われると聞きます。その前にどうかあなたの手で私をあの世へ送ってくださいませんか?」
「あんたは、このネックレスがどんなものか本当に知っているんだな?」
「はい、知っています」
「……」
銃弾が惜しいか、と言われれば確かにそうだが、本当にこのネックレスの正体を知ることができるのであれば、代償としては十分に支払う価値はある。
それほどに自分自身の正体というものに興味がある。
「分かった、取引成立だ。あんたは俺にこのネックレスについて教える、俺はあんたを苦しむ前に殺す。それでいいか?」
「はい、よろしくお願いします」
この日から長かった一人旅にしばらく同行者が増えることになった。
二人旅は三日目に突入したが、目的地まではまだかかりそうだ。
女には特技らしきものがあった。
経由した土地にはいくつかの調味料が落ちており、それらは普段なら見過ごしているものだが、女は既存の食糧を調味料で味付けをしたり、簡易的な料理に仕上げたりした。
「どうですか、美味しいですか?」
「ああ、悪くない」
長年、食べることは生きるための作業に過ぎなかったが、ここ数日で味覚を働かせることの楽しさを久々に思い出せた気がした。最後に食事を楽しんだのがいつかは思い出せなかったが。
「そうですか、なら良かったです」
「それに、どこか懐かしい気持ちになるんだが、どこかで学んだのか?」
「懐かしい、ですか……」
そう言うと女は満足げに後片付けを始めた。
「目的地まではまだかかるのか?」
「折り返しは越えていますよ」
「病気の方はどうなんだ?」
「進行はしていますが、目的地までに倒れるということはないと思います」
目的地、とは言うもののそれがどんな場所かは知らない。俺は女が導くがままについていっている。
女を心から信用しているわけではない。しかし、今まで経験した裏切りや争いは全て己の生に執着した者同士が起こしたことである。その点においてこの女は自らの死を受けている。故に多少今までの輩よりは、心置くことなく接している。
しかし、この女に対してどうしても納得のいかない点がある。
「この間、どうしてギルスから逃げようとしなかったんだ?あのタイミングなら自分でも逃げようと思えば逃げれただろう」
「私の命はもう長くありません。ギルスの餌になるならそれもまた天命でした」
「天命……か。じゃあ聞くが、俺の銃弾であの世に行くことは天命なのか?そもそも天命ってなんだ?」
「……」
「そもそも、死にたいなら俺との約束なんて無視して死ぬ直前に飛び降りでもなんでもすればいい」
「……自ら命を絶つことは、神に許されていません」
「自分からギルスの餌になったり、人に自分を殺すように頼んだりするのは自殺とは違うのか?」
「違います。あなたには理解できないかもしれませんが」
「何かどうも嘘くさいんだよな、あんたのその宗教に対する信仰心」
「どうしてそう思うのですか?」
「今まで出会った信仰心のある人間は皆、根っこの部分からそれが染みついていて、話しを聞いていても違和感が無いんだよ。ああ、この人には神様が必要なんだなって。でもあんたは努めて「神様を信じています」っていうのをアピールしているように見えてさ。別に考えすぎって言うんならそれでいいんだけど、もし違うならその意図ってなんかあるのか?」
「……言えません」
「……」
目の前の人間が自分にとって敵であると言い切れた今までがどれだけ楽だったことか。
自分の中のどす黒く膿み、そして腫れあがっていたものに針がぷすっと刺さったような感覚。
そして、気づいたら女に銃口を向けていた。
「どうしたのですか……?」
「選べ。今すぐ死ぬか、洗いざらい話してもう少し後に死ぬか。どっちにしろあんたは望み通り死ねるし、俺はこのもやもやから解放される」
「……まだ、言えません」
「……」
ゆっくりと撃鉄を起こす。
「あなたは撃たない」
「どうかな、今は余計な事は全部取っ払いたい気分なんだ」
「そのネックレスを着けているあなたは決して引き金を引かない」
「……」
心の中で俺は大きな舌打ちをした。
女は俺を完全に掌握していた。
この女に対する猜疑心は、己の出生に対する好奇心で塗り替えられた。
女は俺の好奇心を人質にして、優位を保っていた。
俺は女の命を、女は俺の秘密を。
この関係性でいる以上、精神的な不利を俺の方が背負わなければいけないようだ。
ゆっくりと撃鉄を戻した。
「……分かった。言えないことは言わなくていい。代わりに、その他の俺の言うことは全部聞いてもらうからな」
「はい、構いません」
ただの強がりだった。
一見すると、自分が相手の生殺与奪を握っているかのようだが、主導権は女にあった。
「とりあえず、目的地までは毎日美味い飯を作ってもらうからな」
「はい!」
女の威勢の良い返事がまるで勝ち誇っているように聞こえた。
心の中で大きめの舌打ちをした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます