それでも、生きて

あるくくるま

第1話

歩くたびに靴の中に溜まるきめの細かい砂粒。それらは全て過去の人類の過ち。

俺が生まれた年に人類の創り上げた文明は滅んだらしい。

当時のことを知る人間にはほとんど会わないが、数少ない生き残りに話を聞いたことがある。

「空を醜い光が覆いつくし、視界を奪った。次に目に映った光景は今のような粉々になったビルの埃と焼け残った鉄骨だった」

誰が俺を産み、そして赤子だった俺を育ててくれたのかを知らない。

知りたい、と思わなかった訳ではないが、知ろうにも手掛かりなどどこにもないし、今まで明日の食糧や身の安全、日々を生きることに頭を優先的に使ってきた。

人類は安定した食糧供給の術を失い、各地に残る保存食を見つけ出すしかない。

そのため、今現在、生き残っている人間は同じ場所に留まることをしない。

場所から場所へ、食糧から食糧へと旅を続ける。

稀に何人かの人間が集まることでキャンプや集会などのグループを形成することがある。しかし、それらは程なくして人間の持つ悪意によって潰える。生きる希望を持った人間が集まったはずのグループが生きるという欲望によって崩壊していくのだ。

そして、いつしかこの世界では不信が自己防衛の最大の手段であると人々は悟っていった。

一人で旅をすること、それが俺の出したこの世界を生きるための結論だった。



この場所に来て二日目になる。景色は他と変わらない廃墟であり、僕以外の人間はいなかった。

来る途中、ギルスの群れが辺りを嗅ぎまわっていた。

俺は気づかれぬようにここに来ることに成功したが、もし見つかっていたら間違いなくやつらの餌になっていた。

人間は既に被食側といっても過言ではない。その事実を理解していない者は既にこの世には存在してはいないだろう。

この辺りの食糧は今日一日かけて全て漁りつくした。

日数にして一週間分くらいだろう。元々持っていた分と合わせて、次の場所まで食い繋ぐことはできるはずだ。

もし次の場所に食糧が無かったら、そんな不安はいつしか考えなくなっていた。いや、常に隣り合わせにあるせいで慣れてしまったのかもしれない。

リュックの中身は食糧をなるべく多く詰めるために最小限にしている。

簡単な応急処置をするための長めの布。これは畳むと枕がわりになる。他には双眼鏡や火打ち石なんかも入っている。

あと、護身用に二発だけ弾が込められているピストル。

生きていくのに必要でない持ち物も中にはいくつかある。

暇つぶしに本を一冊持ち歩いている。読み終わったら捨て、また拾うということを繰り返す。故に常に所持しているのは一冊のみである。

何年か前まではそれこそ『サバイバルの手引き』とか『食べる自然』などの生きていくのに必要な知識を得るための習慣だったが、最近では小説や哲学を選んで拾うようにしている。

そして、もう一つ、俺は余計な物を持ち歩いている。いや、身に着けて付けていると言った方が正確かもしれない。

物心ついたときから、俺の首には三日月型のネックレスがかかっていた。

誰かがくれたものなのか、それとも幼い頃、何処かからくすねてきたのかは知らないが、今の今までずっと肌身離さず身に付けている。

自己の確定に最も重要なものは他者の存在であると、この前読んだ本にそう書いてあったが、その他者との接触を自ら避けている俺にとって、昔から身に着けているこのネックレスは唯一、自分が自分であると確認できる物だった。

自分が一体何者なのか、長年、そんなこと考えもしなかったが、最近になって急に興味が湧いてきた。

本を読むことで収まる知識欲とはまた別種の渇きだ。

知りたい、という娯楽に近い欲ではなく、知らなければならない、という焦り。

しかし、その渇きは今まで決して潤うことはなかった。

今までは……。





夕方、南東からギルスの鳴き声が響いた。

明日の出発に向けて準備を整えていた俺は廃ビルの屋上に簡易キャンプを構えていた。

音の大きさから考えて、ハイエナは近い。

鳴き声のした方角を双眼鏡で確認した。

四倍率のレンズに映ったのは一匹のギルスとローブを着た人物だ。

さっきの遠吠えでじきに仲間が集まってくるだろう。

しかし、ギルスは一匹でいるうちはあまり積極的に襲ってくることはしない。

故に生き延びるには今のうちに何処かに身を隠すしかないだろう。

しかし、ローブを着た人物はその場にしゃがみ込みフードを外すと両手を組み、天を仰いだ。

四倍から八倍へ、双眼鏡のダイアルを動かす。

その人物が女性であることと、目を閉じていることが分かった。

こんな世界だ。生きることに疲れ、死に場所を決めたのだろう。

この世界では死ぬことで誰かに迷惑がかかることはない。止める道理などなかった。

ギルスの動向を自らの身の安全を確保するために知らなければいけない。

その一心のみで事の結末を見届けることにした。

詳しく観察するため、八倍から十二倍へとさらにダイアルを回した。


次の瞬間、俺は二発の内の一発をギルスの頭へ撃ち込んだ。

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