Lyric10:昨日ぶりの再会 手を取ってFry Hight

「決闘試合大会がある、って話あったろ?」

「あー、さっきの旦那が言ってたな」

「領主も出る、と言っていたか。なるほど、それか?」

「そ。公衆の面前の公式試合。逃げも隠れもできねーってワケ」


 ルシオの言う“いい考え”というのは、どうもそういう話であるらしかった。

 定期的に開催されるという、決闘試合大会――――それに出て、領主を打ち負かす。

 単純で、確実な話だ。

 好戦的な笑みを浮かべたアイラが、拳を手のひらに打ちつける。


「OK! あのクソボンボンの鼻を明かしてやるわ!」

「しかし、出ると言って出れるものなのか? ルシオも貴族とはいえ、所詮は余所者だろう。大会と言っても、あの領主のことだ……八百長かもしれん。それなら余所者は入れたがらないはずだ」

「まぁな。マジに八百長やってるかはともかく、ある程度後腐れなく出るのは最低条件になる。ケチつけられんのもイヤだし」

「中々難題だなァ。コネがなくちゃあ話にならねぇ。が、そこも考えがあるんだろ?」

「もちろん。それこそ、コネでね」


 流し目にウィンクひとつ――――ルシオは足を止めた。

 一行が、一拍遅れて足を止める。

 あの後パンジーを一度家に帰して、ここまで来た。


「……なるほど。ここか」


 一行の眼前に聳え立つのは、大きな屋敷。

 当然、平民のものではない。

 貴族の屋敷。

 けれど、荘厳にして質実な。

 門の脇に描かれた紋章に、一行は見覚えがあった。

 それもつい昨日。ありありと、その主について思い出せる。 

 ルシオは迷いなく戸を叩き、声を張り上げた。


「失敬! ベドリバント家三男、ルシオ・ベドリバントが参上した!」


 その中にいるはずの男に、よく聞こえるように。




「――――――――――――リヒャルト・マクルス殿はおられるか!」




 怪訝そうな顔で従者が姿を現すのに、そう時間はかからなかった。




   ◆   ◆   ◆




「…………何の用だ、貴様ら」


 客間で優雅に茶を飲みながら待っていると、不快そうに大男が現れる。

 厳しい顔つき。鍛え上げられた肉体。いかにも実直そうな眼差し。

 今日は、金属鎧を着てはいなかった。

 当然だろう。普通、己の家の中で鎧は着ない。

 貴族としては相当質素な衣服に身を包んで現れた大男――――騎士リヒャルト・マクルスは、頭を抑えながらルシオたちを見渡した。


「や、こりゃどーも昨日ぶり。マクルス殿に置かれましてはご機嫌麗しゅう……」

「よせ、気味が悪い。若狸め……何が狙いだ?」

「警戒されたもんだなぁ。お休み中だった?」

「貴様らのおかげでな。まったく、決闘試合大会も近いというのに……」


 リヒャルト・マクルス。

 つい昨日、アイラと韻文決闘フリースタイルラップバトルを繰り広げ……敗北した男。

 彼は苦々しげに着席すると、威圧的にルシオを睨む。

 ……否。これは単純に大柄な男が胸を張って座っているせいで、威圧的に見えていうだけか。

 視線も睨むというより、生来の気難しげな顔立ちと不機嫌が合わさってそう見えるだけだろう。

 相変わらず、そこにいるだけで重圧を感じさせる、山のような男であった。


「――――さっき、領主サマに会ったよ」

「…………!」


 その山のような男の巌のような顔が、なおさら強張った。

 息を詰まらせ、歯を食いしばる。

 悔いるような、怒るような、嘆くような。


「オタクも相当苦労してるみたいだな。あの感じだと」


 苦々しく、騎士は黙り込んだ。

 職務。忠誠。規範。

 倫理。道義。正義。

 彼の中で、二種類の思考が複雑に争っているのが見て取れた。

 騎士である以上、領主に歯向かうことなどあってはならぬ。

 しかし騎士である以上、領主の悪徳を許すこともできぬ。

 矛盾。二律背反。それが騎士を苦しめる。


 ……この屋敷は、質実ではあれど立派な屋敷だった。

 飾りけが無いからこその気品に満ち、広く、丈夫に作られている。

 きっと、伝統ある家系なのだろう。

 きっと、誇り高き家系なのだろう。

 …………けれど、リヒャルトは昨日、何をしていた?

 巡回。あるいは、知らせを聞いて駆け付けたのか。

 いずれにせよ――――さしたる部下も引き連れずに、ライブを止めに入る?

 由緒ある貴族が、そのようなことをするものか!

 それはもっと、地位の低い者の仕事だ。

 あるいはもっと、配下を連れて行うべき仕事だ。

 しかし、そうではなかった。

 リヒャルト・マクルスは従者ひとりを連れ、アイラたちの前に現れた。

 ……理由はきっと、複雑ではない。


「真面目そうだもんな。大方……領主サマにお小言こぼして嫌われた?」

「……どこで、そのことを聞いた」

「簡単な調査と、あとは推測。領主サマと、アンタの評判をちょいとね。由緒あるお貴族様の癖にやたら現場に出て来るって、結構ビビられてたぜ?」


 騎士リヒャルトは大きく、大きく深く嘆息した。

 深く、深く、谷底から噴き出す瘴気のように深い、嘆息。


「…………かつては……あそこまで、酷いお方ではなかったのだ」


 そして、ぽつりと零す。

 向ける視線はどこか遠く。きっと、過去に向いて。


「いささか、放蕩のきらいはあったがな。それでも、興味が無いなりに領民の暮らしを守る程度には、良識のある方ではあった」


 貴族としては――――さほど、珍しい例でもあるまい。この程度は。

 平民と貴族では住む世界が違う。

 凝り固まった階級の価値観は、下界への興味を容易に剥奪する。

 たいていの貴族は領民の暮らしについて格段の興味を持たないし、領民をそれほど愛してもいない。

 けれど、領民の労働が領地を成り立たせていることは理解している。

 領民から取り立てる税によって貴族が暮らしていることは、理解しているのだ。

 もちろんそれは彼らに言わせれば当然のことであり、平民とは優れた貴族が善導せねば無限に堕落と破滅を生み出す愚かでかよわい生き物と扱われるのだが……ともあれ、興味が無いからこそ「適当に導いてやるから手間のかからない範囲で健やかに暮らせばいい」と考えるのが、この世界における貴族の一般的な思考であった。貴族と平民の境界が曖昧になる田舎の地方領主などはまた話が変わってくるというのは、ルシオを見れば一例となろうが。


 あまり無碍に扱えば平民は愚かにも反発し、勝手に数を減らす。

 これは面倒だ。だから、調子に乗らない程度に彼らの生活を守ってやろう。

 かつてのアルフレッド・キーンカッシュも、このような典型的な貴族の価値観を持つ男であったという。


「足りぬ部分は、我ら家臣が支えればよいと考えていた。実際、それで問題は無いはずだった」

「――――あの、美人の秘書官が現れなければ?」

「……エティ・グラジオラス。あの女が、全ての歯車を狂わせた」


 エティ。

 血のように赤い髪の、妖艶な美女。

 領主アルフレッドの傍らで微笑む、ゾッとするような美貌の女。


「そもそも、どこで出会ったのやら。気付けばあの女はアルフレッド様の隣にいて、アルフレッド様を堕落させていた。……もとより放蕩のきらいがあるお方ではあったが、あれほどまでに特定の女に入れ込んだのは初めてのことだ。あの女を秘書官に置いて以来、女遊びもぱたりと止んだ」

「……それだけなら、恋をして女漁りをしなくなりました……で済むんだけどね」

「ハ。笑い話だ。アルフレッド様はあの女が望むものは全て与えた。花を見たいとあの女が言えば、山ひとつを強引に召し上げたこともある。あの女に贅沢をさせるために、随分と税を増やした。袖の下も積極的に受け取るようになった。民は苦しみ、悪徳は蔓延した。アルフレッド様は己とあの女のこと以外を考えなくなった……」


 ……そうして。

 民の生活を顧みない領主は、流行り病を見なかったことにした。

 変わらず重税を課し、特に対策を講じることもなく、ほとぼりが冷めるまで逃げ出した。

 パンジーの母は、そうして死んだ。

 反発の声も封殺した。

 暴動を抑えて平和的に交渉に来た者を暗殺者に仕立て上げ、牢に繋げた。

 パンジーの父は、そうしていなくなった。

 やがて民から笑顔は消え、悪党が幅を効かせるようになった。

 それが、トライオトの今だった。


「……だが、諫めたのだろう。貴様は」

「諫めたとも。民をみだりに苦しめるものではないと。己が快楽のために圧政を敷くのは、キーンカッシュ家の者の行いではないと。諫めて、近衛の任を解かれた。栄えあるマクルス家の騎士が、今ではただの警邏けいらだ。そのことを悔いてはいないが……」


 せめて、民が暴走し、このトライオトが滅びることがないように。

 そのために、圧制の一端を担ってきた。

 たとえ堕落しても、忠誠を示すべき主のため。

 たとえ圧制に喘いでいても、とこしえに繁栄するべきトライオトのため。

 せめてそれだけが彼に許された最後の忠義であると自分に言い聞かせて、彼は不穏分子を取り締まり続けた。

 集会があれば解散させ、暴動の芽があれば首謀者を捕らえた。

 熱狂は反逆に結び付く。民が過度な興奮状態に陥ろうとすれば、その都度抑えつけて来た。

 そうして――――――――いくつもの民の嘆きを、握り潰してきた。

 正しかったのか。

 あるいは、間違っていたのか。

 堕落した領主に忠を尽くし、守るべき民を苦しめる。

 それはきっと間違っていて、矛盾を孕んでいて、けれど彼にはどうすることもできなくて。


 きっと、だから彼はアイラに負けたのだ。

 己の中にある矛盾の核心を突かれ、言い返すことができなかった。

 他の誰でもない、彼自身が敗北を認めてしまった。

 この少女こそが正しく、己は間違っていたのだと。


 ……本来は寡黙な彼がこうも饒舌に語っているのも、それが理由なのかもしれない。

 己の過ちを懺悔したくて。

 正しい答えを、誰かに教えてもらいたくて。

 敗北によって打ち砕かれたプライドは、彼の口を幾分か軽くさせていた。


「……昨日のことは、謝罪しよう。サキュバスは毒婦だと……民衆を堕落させる存在だと、思ってしまった。エティ・グラジオラスに堕落させられた、アルフレッド様のように。無論、民の混乱や暴走は避けるべきことではあるがな」

「ふん! おカタイことね。別にいーわよ。アタシが勝ったし」


 ツン、とアイラがそっぽを向く。

 それは幾分かポーズで、むしろ茶化すような意味合いが強いのは明らかだった。

 慣れっこだった。それが幸なのか不幸なのかは、ともかくとしても。


「……でも、アンタは間違えた。アンタが抑えるべきは、民衆じゃなくて領主だったはずよ」

「…………ああ。そうだな。今となっては……私も、そう思うよ。もう、手後れなのかもしれんが……」


 悔いるように、リヒャルトが目を伏せた。

 食い縛った歯が、彼の高潔さを示していた。


「――――――――そこで、相談があるんだけどさ」


 そこでニィと口角を持ち上げて、悪戯っぽく持ち掛けて、ルシオは身を乗り出した。


「例の、決闘試合大会ってやつ? アンタ、出る権利はあるんだよな」

「……あるにはある。ここしばらくは、辞退して会場の警備を担っているが……それがどうかしたか?」


 怪訝そうに、リヒャルトが眉を潜めた。

 それを見て、ルシオはさらに口角を持ち上げた。


「俺らは出たい。出て、あの領主サマにひと言物申したい。わかるかい?」

「…………しかし貴族とはいえ、余所者ではな……アルフレッド様もあの毒婦も、無能ではない。反乱分子と見れば、出場は却下されるだろう」

「やっぱり? まぁそこは予想してたからいいんだよ。だから、相談ってワケなんだけど――――」


 ちらり、とルシオの視線が一瞬アイラに向けられた。

 わかってるわよ。やってやりましょ――――無言の返答があった。



「――――――――旦那。アンタ、俺を代理人に雇わない?」



「それは……」

「可能だろ? ルール上はね」


 規則の上では。

 決闘に際し、代理人を立てることは許されている。

 外聞があるため、成人男性が代理人を立てることは珍しいが……無いわけではない。それこそ、ルシオとアイラのように。


 だから可能か不可能かで言えば、可能だ。

 けれど、デメリットもある。多分に。

 ルシオを代理に立てるということは、事実上アイラが代理に立つと言うことだ。

 書類的な処理で言えば、やむ無き事情(昨日の敗北か、警備の問題を引き合いに出すことになるだろう)で大会に出られないリヒャルトが、通りすがりの貴族であるルシオを代理に推薦し、さらにそのルシオが己の従者であるアイラを代理として戦わせることになる。他人の従者を己の代理とするのは、道理が通らないためだ。

 つまり、サキュバスを代理に立てるということになる。

 これだけでも、リヒャルトは後ろ指をさされることになろう。

 代理にするということは、己の持つ権利を与え、その者の行動の責任を持つことだ。

 穢らわしきサキュバスを己の代理にした男、と。そう呼ばれることは避け得まい。

 それどころか――――彼女は間違いなく、領主を痛罵ディスるだろう。

 その責任を、リヒャルトが持たなければならない。

 代理とする以上、アイラの言葉はリヒャルトの言葉となる。

 彼の名誉は地に墜ち、事によってはお家取り潰しということもあり得よう。


 ルシオが提案したのは、そのようなことだった。

 引き受けまい。普通ならば。


「…………応じると、思ったのか?」


 鋭い視線が、じろりとルシオを睨み付けた。

 巌の如き大男の、ひどく威圧的な眼光。

 ルシオは引かなかった。


「思ったから、聞いてる」


 ……信じていた。

 一度、心からの言葉をぶつけあった男のことを。

 彼の高潔さを、信じた。


 しばし、視線が交差した。


 先に折れたのは――――リヒャルトだった。


「……言っておくが、アルフレッド様は強いぞ。帝都の学園を出ておられるからな。骨は抜かれても、実力は本物だ」

「ゲ、先輩かよ……まぁ、俺も通ってた。つまりは五分かな?」

「ガッハッハ! オメーは中退だろ!」

「うっせ! 黙っときゃバレねーとこだから頼むぜムッさん!」

「…………ねぇ。ほんとにいいの? だってアタシ……」

「構わん。……貴様に負けて目が覚めた。あるいは貴様なら、アルフレッド様を正気に戻せるかもしれん。だから――――」


 騎士は、ルシオとアイラを見た。

 地方領主の三男坊と、落ちこぼれたサキュバスの奇妙な主従を見た。


 ……託すに値するか――――――――


 そんなもの、愚問に過ぎた。


「――――貴様らに、リヒャルト・マクルスの代理を依頼しよう。……アルフレッド様を、頼む」


 頭を下げる。

 本来なら自分がやるべきことで、本来なら自分が償うべきことで。

 その恥を偲んで、頭を下げた。


「――――なら、条件がある」

「おい」

「持ち掛けたのアタシたちなのに!? ここからさらに条件を!?」


 そしてここでルシオが畳み掛けた。

 好機と見れば逃さない。そういう男であった。


「……今、貴様に代理を任せることを悔い始めそうなのだが……なんだ?」

「まぁ、大したことじゃないさ。勝利に向けて……アイラの練習に付き合ってくれよ。いいだろ?」


 リヒャルトは、大きく嘆息した。

 大きく、大きく、深く嘆息して……ここで初めて、僅かに微笑を浮かべた。


「……加減はせんぞ」

「――――上等よ!」


 決闘試合大会まで、僅か一週間ほど前のことだった。

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