Lyric7:街中で行動 起こすなよ騒動
翌朝。
約束通りに早起きをして、アイラたちは家事を手伝いながら雑談に興じていた。
老婆は最初「客人に家事をさせるわけには」と遠慮したが、しかし老人ひとりに働かせるというわけにもいかない。そう食い下がれば不承不承、けれどどこか嬉しそうに彼女は申し出を受け入れ、今は安楽椅子に腰かけて穏やかにアイラたちを眺めている。
「お兄ちゃんたちは来るかなぁ?」
「あー、来るんじゃない? 朝ごはんタカリに来るかはわかんないけど」
「パンジー、塩はどこだ?」
「お塩? お塩は上の棚を開けて……右のとこ!」
「ここか。ありがとう。……よく考えてみれば、合流のことは特に考えていなかったか」
「て言ってもお互い場所はわかってるし、いいんじゃない? トレーラー、目立つしね」
「おっきいもんね!」
「街中で見かけるものではないしな……」
移動家屋なのだから、当然それは旅人のものだ。
そこまで広く普及したものでもないし(大半は普通に馬車を使う)、トレーラーを探せばルシオたちに行き当たるだろう。
あるいは、あちらからパンジーの家を訪ねてくるかもしれないが……入れ違いにでもならなければ、合流はそう難しくないだろう。
「ねーねー、アイラお姉ちゃんってさー」
「んー?」
「ルシオお兄ちゃんのこと好きだったりするの?」
「無い」
「早かったな今」
即答だった。
なんなら若干食い気味だった。
「ほんとにー?」
「無い。マジで無い。アタシもっとかわいい男の子とかが好みだし……」
「まぁかわいいという男ではないな、あれは」
「カッコいいよね!」
「いや別にカッコよくもないでしょ……口悪いし。調子いいし。ダメよパンジー、ああいうのに騙されちゃ」
「ははは……まぁまぁ。そういえば、お前にラップを教えたのはルシオだそうだな」
「……まぁね? その辺はいちおー感謝してますケド」
「それ知ってる! 聞いたことある! えーっと……ツンデレってやつ!」
「無い」
即答だった。
「ちぇー。じゃあモルフェお姉ちゃんは?」
「はは、まさか。昨日会ったばかりだぞ?」
「コイバナ好きね、アンタ。うちの里でもそうだったけど……やっぱヒュームもみんな好きなのかしら、こういうの」
「サキュバスの恋愛話はいささか胃にもたれそうだな……さ、ともあれ朝食にしようか」
「はーい!」
「じゃあ食器並べるわね。えーっとスプーンは……」
出来上がった朝食のスープが、食卓に並べられていく。
その間もわいのわいのとかしましく騒ぐ三人娘を見ながら、老婆は穏やかな笑みを浮かべていた。
◆ ◆ ◆
そして、食後のことである。
買い出しがてらに散歩でも……ということで、アイラたち三人は街へと繰り出していた。
相変わらず活気のない街並みではあったが、朝という時間帯だからか、あるいは昨日のライブが功を奏したのか、道行く住民たちの顔はいくらか明るいものに見えた。
自然とアイラの表情も僅かにほころんだ。
昨日あれだけ歓声を得たのだから今更サキュバスとバレても問題はないだろうに、相変わらず丈の長いローブでその身を隠しながら、フードを目深に被って。
その下で、どこか気恥ずかしそうにはにかんでいる。
「……そのローブ、むしろ目立つぞ」
「う、うっさい! いいのよ別に!」
それを察したモルフェも、穏やかに苦笑した。
……魅了を使えないサキュバス。
いったいどれほどの苦しみを、その背に乗せてきたのだろう。
サキュバスの隠れ里でも暮らしていけない。
魅了もできない落ちこぼれは、その小さな社会では役立たずの烙印を押される。
人里でもまっとうに暮らすのは難しい。
かつて世界を誑かした種族の末裔は、その大きな社会では迫害の宿命を押し付けられる。
行き場なんて、無かったはずだ。
生きていける場所なんて、無かったはずだ。
それでも彼女はマイクを手に取り、
その意味は、きっと大きいのだろう。
モルフェが思うよりもずっとずっと、大きい意味を持つのだろう。
そして、彼女にラップを教えたというルシオも――――
「――――――――おー、アイラじゃん。いぇーい元気ィー?」
「あらルシオ……くさッ! 酒くさッ! あ、アンタ朝まで飲んでたワケ!?」
「だーいせーいかーい! ヒック」
――――うんまぁそのルシオは見知らぬ人の家の庭で家主らしき男性と景気よく酒を飲んでたりしたのだが、多分アイラにとっては重要な意味を持つ存在なのだ。多分。
「お前もこっち来て飲むかぁ~?」
「パンジーの教育に悪いでしょーがっ! あとそれどうせ転ぶから立つな! 座ってなさいスカタンッ!」
……多分。
モルフェはちょっと自信を無くした。
「ったく、アンタはほんとにもー……」
「いやぁー、このおっちゃんとすっかり話が盛り上がっちまってさぁ」
「だからって前後不覚になるまで飲むんじゃないわよ!」
「まぁまぁ、そうカッカすんなってお嬢ちゃん。酒場で気が合ったからって家に招待したのは俺の方だしなぁ」
ベンチに全力で体重を預け、顔を真っ赤にしてワインをラッパ飲みするルシオの姿は、正直まったく貴族には見えなかった。いや、元々そんなに貴族っぽくはないのだが。
と、モルフェは共に行動していたはずの人物の姿が見当たらないことに気付いた。
右を見て、左を見て……やはりいない。
「……ところで、無茶髭はどうした?」
「ああ、ムッさんならあっち」
問われたルシオが指さしたのは、家の裏手の方。
どうしてそんなところに、と訝しみつつ一同が裏手を覗いてみれば……果たして、陽気なドワーフは確かにそこにいた。
いつも通り片手には酒瓶を持って、楽しそうに酔いながら、もう片方の手には円筒状の“何か”を持っている。
集中しているのか、アイラたちに気付いた様子はなかった。
彼は手に持った円筒状の“何か”をシャカシャカと振り――――壁に向け、赤い塗料を吹きかけた。
「あれは――――」
「“
手に持った円筒状の魔道具――――カラースプレー、と俗に呼ばれる物。
内蔵された魔石が衝撃に反応し、塗料を生み出して霧状に噴き出す物。
彼ら
無茶髭はそれを自在に操り、壁に何かを描き出そうとしていた。
「
「……ムッさんみたいな
盾とか旗とかにね、と説明しながらも、彼女の視線は壁に塗料を吹き付ける無茶髭に注がれていた。
説明を聞くモルフェとパンジーも、同じように。
「決まった図像描くのに飽きたり、職人同士のセンスを競いたかったり……そういう時に、ああやって壁とかに好きな模様描くのよ。まぁ、ムッさんはちょっとあれにハマり過ぎて工房追い出されたらしいんだけどね」
視線の先で無茶髭がスプレー缶を持ち換え、また違う色を吹き付けていく。
赤、白、黒、黄色――――手つきは大胆ながらも繊細で、迷いが無かった。
最後にひと吹き。赤を足す。
一歩引いて、酒をあおり、それから完成した創作紋章を眺めて満足げに頷き――――そこでようやく、小さな職人は物陰から見守っていた少女たちに気付いたらしい。
「っと、よォおめぇら。見てたのか?」
「お疲れ。邪魔しちゃ悪いかなって思って」
「ガハハ! なんだか照れるじゃねぇか。ルシオの野郎は……」
「あ、できたぁ?」
「……ご覧の通り、すっかり酔いつぶれているな。どれだけ飲んだんだ?」
「言ってやるな! こいつァ酒に弱いのよ!」
「ムッさんもちゃんと止めてよね。アンタは滅多に酔いつぶれやしないんだからさ!」
「そう言われちゃ面目ねぇな! ガハハ! おい旦那ァ! できたぜェ!」
無茶髭が野太い声を張れば、ルシオに遅れて家主の男性がやってきた。
改めて、彼がスプレーを吹き付けていた壁面を見る。
天秤棒をスタンドマイクのように構えた、ケンタウロスの紋章。
よくよく見ると壁はいくらか補修の跡があり、この紋章はそれを覆い隠すように描かれているようだった。
……壁面一杯、
今にも歌が聞こえて来そうなぐらい、生き生きとした紋章だった。
「おー、よくできてるなぁ……ありがとうよ、ドワーフの兄ちゃん! ちょいとこっぱずかしいが、嬉しいぜ!」
「ガハハ! なぁに、酒の代金とでも思ってくれや!」
「かぁっこいい……おじさん、すごい職人さんなんだね!」
「おうさ! 天下御免の天才
聞けば、家主は荷運びを生業としているらしい。
天秤棒や半人半馬のモチーフは、そこに由来するのだろう。
決して公の場に出せるようなものではないが……しかし確かに、この家を示す紋章として描かれたものだった。
大方、何かの理由で壊れた壁の塗装をまだしていないのだと主人が話し、無茶髭がそれを請け負ったのだろう。
ひとりの職人から贈られた、友情の証だった。
「最近はどうも、気が滅入ることばっかだがね……昨日のライブ、良かったよ。久しぶりに心底楽しめた。あんたらのおかげさ!」
「い、いやぁ……ま、まーね。うん」
「やはり、あまりああいうのは無いのか」
「領主様が定期的に決闘試合大会を開いたりはするがね……あれはちょっと、居心地のいいもんじゃねぇな」
「決闘試合大会。そういうのもあるんだな……」
「権威付けよ権威付け。俺たちは頭がよくて実力もあるんだーって内外にアピールするワケ。別に珍しくはないわよ」
「確か次がそろそろだよね。領主様、すごく強いんだぁ」
「しっかし、酒はライブの礼のつもりだったんだがなぁ。またこんな立派な紋章まで貰っちまって、どうするか……」
「なぁにいいってことよ! 俺っちも好きで描いたもんだしな!」
「そうは言っても、このまま返すのは男が廃る! 蔵にとっておきの上物があるんだ! 開けよう!」
「お、そいつぁありがてぇ!」
「っしゃあ! 俺も俺も!」
「アンタはもうやめときなさいバカ! これ以上はマジでブッ倒れるわよ!」
「はは……もう朝だ。ほどほどにな」
さて、アイラたちの本来の目的は買い出しである。
男連中は男連中で楽しんでいるようだし、こちらも本来の目的に戻るか……
――――――――――――――――と、アイラたちが考えた瞬間のことだった。
「――――朝っぱらから女はべらせて酔っぱらって、いいご身分ですねェェェェ~~~~~~?」
「貴族でもねぇのに紋章なんざデカデカ描いちまって、ええ? 結構余裕あんじゃねぇか。なぁ?」
……肩で風を切りながらやってきたのは、三人の男だ。
嘲笑うように下卑た笑みを浮かべ、肩を鳴らしながら庭へと足を踏み入れる。
「……お前ら……何度も言っているはずだ! 俺は家を売る気は無い!」
「はいはいそォですねェー。いや俺らはいつ気が変わってくれてもいいんだぜェ? 早めに気が変わってくれると楽でいいんだけどさァァァ~~~~~~!!!」
主人が不機嫌に立ちはだかり、男たちはそれを威圧する。
……彼らの手には、棍棒や金槌が握られていた。
ごろつき。ちんぴら。あるいは。
その内二人はあからさまにならず者であったが、もうひとりはどうにも雰囲気が違った。
先ほどからひと言も発していない。軽装ながらも防具を身に着けている。
大方、金で雇われた用心棒か。
いずれにせよ――――穏やかではない連中。
モルフェは半ば反射的にパンジーを背にかばった。
すっかり酔いも覚めた様子のルシオが、忌々しげに舌打ちする。
「――――地上げか」
「ご名答ォォ~~~~~~~ッ! ッてヤだなァ兄ちゃん。俺らは穏当に、この旦那に『おうちを売ってくれませんか』ってお願いしてるだけだぜェ?」
「何が穏当だ! こんな朝っぱらから武器まで持って……!」
「護身用だよォ。最近物騒だろォ?」
「いい加減にしてくれ! 俺は家は売らんと言っただろう!」
「いやいや、それで俺らは売ってほしいわけだからこうして交渉に来てるわけでしょおおっと手が滑ったァァァァァァァァーーーーーーーーッ!!!!」
「!!!!」
わざとらしい叫びと共に――――男が肩に担いだ金槌を放り投げた。
回転しながら飛んでいく金槌は、勢いよく宙を裂く。
狙いは?
家主。を通過する。違う。
アイラたち。を外れている。違う。
その後ろ。後ろ?
後ろには何がある。
壁がある。壁があった。
いましがた無茶髭が紋様を描いた壁がそこにはあって、金槌はそれをめがけて飛んでいた。
壊す気だ、と直感した。
いつもこうなのだ、と理解した。
きっと壁に補修の跡があったのは、これが理由なのだ。
もう何度もこういう嫌がらせを受けていて――――これは本当に、いつものことなのだ。
「ダメッ!」
アイラが叫んだ。
「やめろッ!」
ルシオが叫んだ。
パンジーは怯え、無茶髭は静かに奥歯を噛みしめていた。
無茶髭のその表情は、せめて己の作品が壊れる瞬間をその目に焼き付けようという悲壮な決意を物語っていた。
金槌は勢いよく壁へと飛んでいき、このまま真っ直ぐ壁をブチ壊すであろうことが誰にでもわかった。
モルフェは一歩踏み出した。
背負っていたリュートに手をかけた。
持ち手を捻り、引く―――――――――――――煌く銀刃が、顔を覗かせた。
一閃。
鈍い金属音を立て、金槌が明後日の方向へと弾かれる。
モルフェは刃を抜いていた。
リュートに仕込まれていた片刃の直刀を抜き放ち、さらに一歩踏み出した。
他の者たちは驚き、呆気に取られていた。
モルフェは怒っていた。
暴虐に対し、どうしようもなく怒っていた。
「貴様ら……ッ!」
金髪を振り乱し、
だらりと下を向いた切っ先が、鋭い輝きを放っていた。
悪漢は平民である。
モルフェは平民である。
ここに韻文決闘の差し込む余地はない。
平民同士の戦いに、かける名誉などはありはしない。
「――――それ以上猿のように汚らしく吠え立てるのであれば、かかってくるがいい外道どもッ!!! 貴様らには過ぎた芸を手向けてやる……ッ!!!」
これは決闘ですらなく――――怒れる剣士が挑む、私闘の開幕である。
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