Lyric3:見渡す町並み ここからが始まり

「――――ここが、トライオトか」


 トレーラーを走らせて、小一時間ほど。

 一行クルーは少女パンジーの住む街に辿り着いた。

 トライオト――――この一帯を納める、小都市である。

 小回りの利かないトレーラーを馬屋に預け、彼らはこの街に足を踏み入れた。

 アイラは出会った時と同じように外套を羽織り、フードを被って正体を隠している。

 サキュバスが人里に入る以上、当然の備えと言うべきか。

 そのまま街に入れば、無用なトラブルを起こす危険性があった。


 ともあれ――――トライオトについて率直な感想を述べるのであれば、なんというか。


「……静かな街だな」


 モルフェの零した感想は、いくらかパンジーに気を遣ったものだと言わざるを得まい。

 荒廃しているわけではない。

 しかし――――活気がない。

 街の住民たちには希望が感じられない。

 絶望に包まれているわけでは無い。

 ただ、諦念……そう呼ぶべき感情に包まれたような街であることが、すぐにわかった。


「……うん。でも、そんなに悪い街じゃないんだよ?」


 困ったようにパンジーが笑った。

 その言葉を否定することは、誰にもできまい。

 ここは彼女が生まれ育ち、十数年を過ごした街なのである。 

 住めば都、と言うが……彼女の都を笑うことなど、誰ができようか。


 紛らわすように雑談を交わしつつ、パンジーの家へと向かった。

 彼女の家は雑貨屋を営んでいる、という話だった。

 いざ向かってみれば、なるほど生活雑貨が立ち並ぶ商店に辿り着く。

 パンジーが駆け出して、扉を開け放った。


「おばあちゃん、ただいまーっ!」


 店の奥で椅子に腰かけていた老婆が、少女の帰還に表情をほころばせた。

 白く染まりきった髪を束ねた、腰の曲がった老婆である。

 老婆はゆっくりと椅子から降りると、細く筋張った腕を広げて少女を迎え入れる。


「ああ! おかえりパンジー。大丈夫だったかい?」


 パンジーは勢いよく老婆の胸に飛び込み、力いっぱい抱きしめた。

 そんなに強く抱きしめると痛いよ、なんて言いながら、老婆は笑って少女の頭を撫でた。


 それから少し遅れて、老婆が店の入り口に立つ四人組に気付く。

 ドワーフ、麗人、外套に身を隠した人物、そして盾持ちの青年――――およそ尋常の集団ではあるまい。盾持ちがいるということは、少なくともこの内の誰か貴族ということである。老婆の視線に怯えと警戒の色が加わり、かばうようにパンジーを強く抱きしめた。


「あ、あんたたちは……」


 さて、どう説明したものか。

 一瞬彼らは思案し、それより早く答えを出したのは老婆の腕の中のパンジーだった。


「あのね、おばあちゃん! ちょっと色々あって、危ない目にあっちゃったんだけど……この人たちが助けてくれたの!」


 それは端的な説明だったが、しかし老婆の警戒を解くには十分だったらしい。

 瞳から怯えが消え、代わりに灯るのは感謝の念。


「まぁ……それは、本当ですか?」

「ああ、まぁ。成り行きでな」

「すごかったんだよ! あのお姉ちゃんがマント脱いで、ラップバトルで貴族様を倒しちゃったの!」


 呼ばれたアイラが、恥ずかし気にルシオの後ろに隠れた。

 意外と人見知りするタイプなのか、それとも人に感謝され慣れていないのか。

 それを見たルシオが苦笑し、肩を竦めた。


「いやいや、俺たちはこの勇敢な女性が少女を守るために貴族に立ち向かう姿を見て、感銘を受けただけのことですよ」

「なっ、きゅ、急にむずかゆいことを言うなっ!」

「お、いっちょ前に照れてやがる。ガハハ!」

「ありがとうございます、ありがとうございます……!」


 涙を流さんばかりの勢いで頭を下げる老婆。

 感謝を伝えられて悪い気もしないが、年長の淑女に頭を下げさせるのもどうにも決まりが悪い。


 まぁなんにせよ、パンジーは無事に送り届けたわけで。

 これにてお役御免。祖母と孫娘の感動の再会(というほど長らく離れていたわけではなさそうだが)に水を差すのもなんであるし、この場を後にするか。

 ルシオたちがそう考えたところで、引き留めたのは老婆であった。


「あの……良ければお礼をさせてください。何もない店ではありますが、大事な孫を助けていただいたとあっては……」

「……と、言われましてもね」


 ルシオたちにせよモルフェにせよ、礼を求めての行動ではない。

 さてどうするか。

 適当な商品でも貰って納得させておくか……と、その時。


 ――――――――――――くぅ。


 ……お腹が鳴る音。

 音の鳴る方へと視線が集まる。

 ルシオ……の後ろ。恥じ入るように隠れていた、アイラ。

 彼女はバツが悪そうに、ますますルシオの後ろに隠れた。

 時刻は昼過ぎ。

 そういえば、昼食はまだだったか。

 我が意を得たりと、老婆が表情を明るくする。


「もし良ければ、お昼を食べていかれませんか? 貴族様のお口に合うかはわかりませんが……」


 ルシオが苦笑し、無茶髭が鷹揚に笑った。

 どうやら答えは決まったようで、ただアイラだけが恥ずかしそうに唸り声をあげていた。




   ◆   ◆   ◆




「……あ、おいし」


 外套を脱いだアイラが、スープに口をつけて小さく感想を漏らす。

 豆を煮込んだ、素朴なスープ……急な来客だというのに、用意された昼食は優しい味がした。

 硬いパンをスープに浸し、柔らかくしてからかじりつけば、パンにしみ込んだスープの甘味が口の中に広がっていく。まだまだ硬いパンを強引に噛みちぎり、消化しやすくなる程度にまでよく咀嚼する。決して豪勢な食事ではないが、旅をしながらでは中々できない程度にはしっかりした食事である。

 当然、アイラ以外……ルシオも無茶髭もモルフェも、出された料理をありがたく頂いている。貴族とは言え、ルシオも辺境の出だ。食事は庶民とさほど変わらなかったし、それを思えばこのパンとスープは馴染み深いとすら言えた。


「そうかい? ふふ、おかわりもあるからねぇ」


 老婆はアイラがサキュバスであることがわかると目を丸くしたが、しかし孫の恩人だからとすぐにそのことを受け入れていた。

 魅了封印紋が刻んである以上、彼女が人を操ることはないのはわかっている……そう言ってくれる人の、なんと貴重なことか。


「帝都の頃を思い出すぜ」


 そう切り出したのは、無茶髭だった。


「下積みの頃は……まぁ、ロクに飯も食えなくてよ。見かねた下宿の女将さんが、時たま飯を作ってくれたんだよなぁ」

「おじさん、帝都にいたの?」

「おうよ! でも嬢ちゃん、おじさんはやめろな。俺っちぁまだそんな老けちゃいねぇ」

「いやムッさん。ドワーフの年齢はわかりにくいよ。しょうがねーって」


 不満げに顎髭をしごく無茶髭は、確かにそうしていると子供っぽく見えた。

 豊かな髭を蓄えたドワーフは、どうしても年齢の判別がつきにくい。

 しかし彼をおじさん呼ばわりした当のパンジーは既に意識を空想の中に旅立たせているようで、彼女の視線は明らかに遥か遠くの帝都へと向けられていた。


「帝都かぁ……ねぇねぇおじさん! 帝都ってどんなところなの?」

「だからおじさんは……」

「まぁまぁ……」


 なだめるルシオ。

 それを見てクスクスと笑うアイラ。

 ……改めて、奇妙な一行である。

 奇妙な一行であり、しかし確かに友情で結ばれているようにも見える。

 一体、どのように出会ったのか……モルフェの胸中に、そのような想いが込み上がった。


「というか、俺っちぁずっと職人街にいたからなぁ。帝都らしい帝都の話なら、ルシオの方が詳しいだろ?」

「ああ、まぁ、ね。帝都は……とりあえず街並みは綺麗だったな。全部キッチリ舗装されてて、巡回の兵士の鎧もピカピカで、建物の壁も白くて……」

「……ん? おい、お前も帝都に行ったことがあるのか?」

「あー……ちょっとな。留学っつーの? 貴族向けの学校があってさ。そこに通ってたんだよ。ほら俺、頭いいし?」


 冗談めかしてそう言えば、アイラと無茶髭が噴き出すように笑った。


「うわ、傲慢~!」

「職人街に入り浸りの不良生徒だった癖に、よく言うぜ!」

「うっせ。上の方はどうにも落ち着かなかったんだよ!」

「とすると……お前たちはそこで知り合ったのか」

「俺とムッさんはそうだな。アイラは俺の地元の方なんでまたちょっと別」

「今でも覚えてるぜ? 学院のボンボンが職人街に何しに来たのかと思えば、上級生に睨まれてるからここで本を読ませてくれ、なんて抜かしやがってよ」

「工房の親方と喧嘩して表で頭冷やしてた奴には言われたくないね」

「ガハハ、ちげぇねぇ!」


 ……まぁ、品行方正な生徒であればこうしてサキュバスやらドワーフやらと旅をしているはずもあるまい。

 貴族の事情に明るくないモルフェだが、それでも彼が貴族としてはいささか異端に寄った人間だということはよくわかった。立ち振る舞いに貴族らしさが無いし、従者の一人も連れていない貴族など、モルフェは見たこともなかった。パンジーや老婆も同じ気持ちだった。

 しかしそれは気持ちのいい奇妙さであり、いつしか彼が貴族であることも忘れて雑談に花が咲く。

 帝都の話、ラップバトルの話、ルシオの故郷の話、無茶髭の下積みの話、ちょっとした失敗の話……気付けば、テーブルの上の料理は綺麗に平らげられていた。


「ごちそうさま! ありがとね、おばあちゃん! 久々にまともなもの食べた気がするわ!」

「ほんとにな。美味しかったですよ、ご婦人」

「ふふ、お粗末様でした。私も久々に食卓が賑やかで、嬉しくなっちゃったよ」

「食器片づけちゃうね!」

「ああ、すまないねえパンジー」

「それなら私も……」

「いえいえ、お客さんに働かせるわけにはいかないわ。皆さんは座っていて頂戴」


 そう言われれば、無理にでしゃばるわけにも行かない。

 せめてもと食器をひとまとめにすれば、軽い礼と共にパンジーが台所まで持っていった。

 よく働く子だ。

 聞けば、そもそもあの村にいたのも足腰が弱った祖母に代わってのお使いだったのだとか。

 まだ成人年齢の15歳にも達していないだろうに、立派な子である。

 …………いや、あるいは。


「……いい子でしょう? 自慢の孫でねぇ……」


 パンジーが消えていった台所の方を見やりながら、老婆が呟いた。


「そうだな。まだ幼いのに、立派だ。しかし……」

「……ええ、ええ。お察しの通り。流行り病でねぇ……もう四年は前になる。あの時は本当に、たくさんの人が死んじまったよ。私の旦那も……息子が連れて来た嫁さんもね」


 老婆の視線がどこか遠くを見ているようなのは、決して老眼のせいではないのだろう。

 後悔とも、哀しみともつかぬ、その両方であろう顔。


「薬がね……買えなかったんだ。この街は税が重いからねぇ……待ってくれって言ったんだが、お上は聞いちゃくれなかった。街が病人であふれたって知らんぷり。聞いた話じゃ、領主様はほとぼりが冷めるまで余所の街に行ってたって話さ」

「なにそれ……領主でしょ!? 領民を預かって、領民の世話をするのが仕事でしょ!?」

「……この辺は帝都からも遠いからな。監査の目も届きづらいんだよ」

「そんなのって……!」


 アイラが憤り、それをルシオがなだめた。

 ……しかし、ルシオの中に憤りが無いわけでは無い。

 モルフェにしても、無茶髭にしてもそうだ。

 それは老婆にとっていくらかの慰めになったのか、少し嬉しそうに彼女は微笑んだ。


「……ありがとうね。お客さんに湿っぽい話をしちまったよ。すまないねぇ」

「いや……構いませんよ。ただ、ひとつ……パンジーのお父さんは?」

「………………多分、生きてはいるよ」


 今の話に出てこなかった、少女の父の話。

 老婆はまた、目を伏せた。


「少し前に、いい加減税が重すぎるって不満が噴き上がってね……領主様に直談判しようって話になったんだが、いきり立つ皆を抑えて領主様の館に向かったのが、私の息子さ」


 聞けば、それは半ば暴動に近しいところまで来ていたらしい。

 武装し、強引にでも領主の重税に抗わんとする怒りと興奮の渦。

 パンジーの父はそれに待ったをかけ、まずは話し合いからと単身で向かったのだと言う。

 街の住民からの信頼も篤い、温厚で理知的な人物であったのだという。


「そのまま、帰ってこなかった。あの馬鹿息子……反逆、暗殺の疑いで捕まえた、懐にナイフが入っていた……なんて領主様は言ってたが、そんなわけは無いんだ。あの優しい子が人殺しなんてできるわけがない。牢に繋がれてるって話だけど、実際のとこはどうなのやら……」


 呆れた王だ、生かしておけぬ――――異界の文学にそのような文言があるが、彼もそのような心境だったのか。単身で領主の館に向かう胸中は、どのようなものだったのか。

 僅かな沈黙が場を包み、そこにパンジーが手を布で拭きながら戻って来た。


「……あれ、お姉ちゃんたち、どうしたの?」


 純真な疑問符。

 暗い雰囲気になってしまっていたか――――慌ててルシオが努めて明るく笑った。


「いやいや、なんでもないなんでもない。ちょっと考え事しててね」

「考え事?」

「そ。なぁアイラ、やれると思うか?」

「は? 何が?」


 急に話を振られたアイラが、目を丸くして問い返す。

 ルシオはやれやれと言わんばかりに嘆息し、肩を竦めた。


「おいおい……俺たちが“やれるか”なんて聞くことは、ひとつっきゃねぇだろ?」

「はぁ? ……あー、そういうことね。OK、もちろんやれるわよ!」

「よし。ムッさん、トレーラーはここまで持ってこれると思うか?」

「んー、幸い道幅は結構広かったしな。行けるんじゃねぇか?」

「OK、OK。選曲はどうする?」

「あんまりアガるのぶつけてもダメそうよね。最初は静かチルな奴からじゃない?」

「いや、まずは客寄せないと話にもならねー。安らぎチルもいいが頭は別のにしよう」


 素早い変わり身。

 誤魔化しかと思えば、いつの間にやら話題が別のものにシフトしている。

 話についていけないモルフェが困惑の表情を浮かべた。老婆も同様に。


「お、おい。なんの話だ?」


 問えば、ルシオとアイラは同時にウィンク。

 悪戯っぽく笑って、指を鳴らした。


「決まってるでしょ?」

「決まってるよな」




「「――――――――――――――――“人生ライブ”の話さっ!」」




 ははぁ、とモルフェは気の無い返事をした。

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