切り札はフクロウ

山本航

切り札はフクロウ

 私が変身術を身につけたのは十八の夏のある日だった。

 動物への変身術。並大抵の技ではない。狐や狸ではない私たちにとっては幼い頃から専門の変身術師のもとで訓練を重ね、ようやく身につけることのできる術だ。

 私たちは優秀な方だが、それでも変身できる動物は一種類が限界だ。生涯をかけて、いくつかの動物に変身できるようになる者もいるが、例外中の例外と言っていい。

 私が変身する対象を最終的に決めたのは十二の秋の終わりだった。あの日のことは今でもよく覚えている。そう、あの子が私に言ったのだ。

「ねえ、ルーヒア。何の動物に変身するか決めた?」

 私の親友、エイマが寄宿舎の二階建てベッドの一階から呼びかけてきたのだ。二人でお喋りをし、飽きてきた頃、皆が寝静まり、月が雲に陰った深い夜のことだ。

「決めたかって? 当り前じゃない。明日よ? 師匠に対象動物を伝えるのは。まさかエイマ。貴女まだ決めていないの?」

「ううん。決めたよ。一応ね。決めてる。でも、不安なの。本当にこれでいいのかって。ルーヒアは不安じゃないの?」

「私は自信を持って決めたわ。将来なりたい役職が決まってるからね。自然と対象動物も絞られてくるのよ。大体の人がそうだと思うけど、貴女は違うの? エイマ」

「うん。あたしは将来の事なんて分からないよ。それにこの学校に入ったのだって、落ちこぼれの私を親が押し付けただけだもの。だからなりたいものなんて何もないんだよ。対象動物も絶対これじゃなきゃダメってわけじゃない」

 寄宿舎の外に広がる森の奥底からフクロウの低くて伸びやかな鳴き声が聞こえたのを覚えている。そして、私は眠くなってきたので、適当な返事をしたのだ。

「じゃあ、何でもいいじゃない」

 たっぷりの時間が二人の間を流れた。私はうとうととしていたし、お喋りはこれでおしまいだと思っていた。

「ルーヒアは何の動物になるの?」

 心臓が止まりそうになり、飛び上がるように起きる。今の言葉を他の誰かに聞かれれば不味いことになる。

「何を馬鹿なことを言っているの? エイマ。対象動物を明かすわけがないでしょう」

 中々返事が来なくてやきもきした。ベッドを降りようかと思い始めた時、エイマが呟く。

「あたしはネズミになろうかなって」

 私は心の内を渦巻く様々な感情を抑えつつ、自分のベッドを降りた。エイマはベッドに腰かけて私を待っていた。怒鳴り散らすのを堪えて、それでも強い語気でエイマに詰め寄る。

「ねえ、頭がおかしくなってしまったの? 変身術の対象動物を誰かに知られる危険性を知らないわけではないわよね。貴女は冗談を言ったのよね。質の悪い冗談を。ね? エイマ」

「危険とは言っても、それは変身術を生業に利用する場合の話だよ? 敵を騙すにはまず味方からだっけ? 私はもしも変身術を身につけることが出来たとしても、それを使うことはないと思うから心配ないよ」

「そうだとしてもわざわざ明かす意味はないでしょう? なんでそんなことを」

「ルーヒアのことは信頼しているからだよ。ねえ、いつかあたしを食べちゃってよ。ルーヒア」

 真正面から向き合っても、暗い部屋の中のエイマの表情は読み取れなかった。

「一体どうしてしまったというの? エイマ」

 しばらく見つめ合った私にエイマが微笑みかけた。

「ううん。ごめんなさい。ちょっと悪い想像をしてしまっただけ。もう大丈夫。もちろん、さっきのは冗談だよ」

 それがその夜の最後の会話だった。


「何を笑っているの? ルーヒア」

 エイマが私の横顔を見て、怪訝な表情を浮かべている。

「貴女の戯言を思い出していたの。懐かしいわ」

 あの夜と同じ月の下、高台に吹く風を受けて、私は目を細める。すると、甘くて苦い子供時代を懐かしい幻に見たのだ。

「まだ覚えていたの!? 早く忘れて! ちょっとあの時はセンチメンタルになっていただけだよ」

「結局、同じ配属になったわね」

「偶然だよ。私、ルーヒアの対象動物が狼だったなんて知らなかったからね」

「分かってるわ。ああ、それと狼になったからといって貴女を食べるつもりはないからね」

 エイマが恥ずかしそうにつついてくる。

「さあ、何にせよ、私たちは二人とも変身術を身につけた。これでようやく皆に貢献できる。そうでしょう?」

「ええ。我ら深き森にて最も賢しき眷属、夜をこの鉤爪に取り戻す翼持つ者たちの切り札なり」

 私とエイマは眩いばかりの月夜に飛び立った。

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