第400話 魔鼠と少女

 あの後、おじさんはあっけなく降伏し、そのままおじさん達が暮らすという家にお邪魔する事になった。

 そこで色々とこの街の事や、戦争について聞いてみたけど、有意義な情報を得る事は出来なかった。

 というよりも、戦争に関しては全く知らなかった感じだったね。


 「これからは心を入れ替えて頑張ってね」

 「はい……気をつけます」

 「それじゃ、ご馳走様。あ、先に言っておくけど、もしこの事を誰かに言うようなことがあれば……わかってるよね?」


 僕の言葉に反応するように、天井を走り回る魔鼠の足音がドコドコと響き渡る。


 「も、もちろんでございます!」

 「ならいいよ。機会があったらまた何処かで」

 「はい、お元気で」


 随分と嬉しそうだね。

 そんなに僕と過ごすのが嫌だったのかな?

 まぁ、僕もおじさん達と仲良くする気はないからこれでいいけど。

 それにしても、この街の料理は悪くないね。

 情報を聞き出すためにおじさん達の家に乗り込んだのだけど、そこで用意された料理は悪くなかった。

 といっても、おじさん達の家に向かう途中で買った食べ物だけどね。

 だから毒の心配もせずに食べる事が出来た。

 そもそも毒はあまり効かないのだけどね。


 「さて、とりあえず先にアリアさんの頼みを終わらせようかな」


 おじさん達から得た情報はどれも使えないような情報ばかりだったけど、一つだけ気になる情報があった。

 既にこの街の魔鼠も配下に加わり、色々と探らせてはいるのだけど、気になる場所だけは配下でも探る事ができないみたい。

 なので、僕はそこに向かう事にした。


 「なるほどね。この壁じゃ、配下は登れないか」


 僕は高さ二十メートル程ありそうな高い壁を見上げた。

 僕の今いるこの場所は街の外れにある。

 地図で表すのなら、この街に入ってそのまま中央のメインストリートを進めば城があり、その周囲が貴族などが住む区域になっている。 おじさん達と街に散った配下から得た情報を簡単にまとめてみたのだけど、全体的にこの街は家屋と家屋が密集しているようだ。

 しかし、この場所は周りに家などもなく、この街から隔離されているように存在していた。

 そして、地図でいえばここは右上にあり、この街に入る為に唯一存在している門から最も遠い場所だといえる。

 

 「けど、僕なら登れそうかな」


 流石にこの姿で登ると目立つと思い、人化を解いて、魔鼠の姿へと戻る。

 白い壁のお陰でそこまで目立つ事はないだろうけど、一応周りを警戒しつつ、壁に爪を突き立てる。


 「いける」


 魔鼠の姿でも随分と力を出せるようになったみたいで、爪を壁に突き立てると、容易く爪を壁に刺す事が出来た。

 多少は滑るけど、問題なくその壁を登り切り、僕は壁の中の様子を伺う。

 壁に登る前に調べていたけど、この壁は何かを護るようにぐるりと一周続いていた。

 そして、壁を登り切り、ようやくその正体を突き止める事が出来た。


 「随分と古い屋敷だね」


 壁を登り切り、僕の目に映ったのは外装が剥がれ、今にも崩れてしまいそうにみえる俗にいう幽霊屋敷や廃墟のような建物だった。

 

 「このくらいの高さなら……よっと」


 僕が聞きだした情報によれば、この場所は一般人が入る事を禁じられている場所らしい。

 まぁ、入ろうとしても簡単には入れないというのが正しいかな。

 なにせ、壁には門らしきものはなかった。

 ここに入るためにはあの高い壁を越えてくるか、別にあるであろう侵入口を探すしかない。

 それに、此処に入った事を知られると重い罪になるらしいし、一般人が入ろうとは思わないだろうね。


 「上から見た時はわからなかったけど、随分と手入れがされていないみたいだね」


 魔鼠の姿で飛び降りた僕の視界は長く伸びた草に遮られる事になった。

 草の高さは一メートルくらいはありそうだ。

 それだけで、この場所がどれだけ放置されていたのがわかる。


 「ん……この匂いは?」


 魔鼠の姿のままでは進むのが大変だと思い、再び人化すると、僕の鼻にまるで果実のような甘いに匂いが漂ってきた。

 

 「あれは……」


 伸びた草を掻き分け、雑草に足をとられそうになりつつ雑草の沼を抜け、その匂いの元へと進むと、屋敷の裏で木に寄りかかり座っている少女の姿を見つけた。

 規則正しく、上下する胸を見る限り、どうやら眠っているらしい。

 僕は悩んだ。

 無視して屋敷の中を探るか、それとも少女に声をかけるのか。

 しかし、気づけば僕はその少女の直ぐ近くまで足を進めていた。


 「鼠族……」


 魔物である僕と同じといっていいのかわからないけど、少女は僕と同じ丸い灰色の耳にくるりと可愛らしく丸まった細い尻尾を携えていた。

 髪の色は白髪で、少し薄汚れているようにも見えるけど、静かに眠る姿はとても美しくみえた。


 「もしかして、この子がアリアさんの言っていた友人かな?」


 にしては年が若すぎるか。

 鼠族の年の取り方はわからないけど、それにしてもアリアさんの友人にしては若すぎる。

 見た目だけで判断するならば年はユアンさんと同じくらいで、成人したかどうかといったくらいだろう。

 幾ら何でも、アリアさんの友人として見るのは少し無理がありそうだ。

 となると、この子は娘さんかお孫さんの可能性も……。


 「ん……」


 そんな事を考えている時だった。

 僕の気配を感じ取ったのか、鼠族の少女が小さな声と共に、薄っすらと目をあけた。


 「こ、こんにちは」


 目を開けた少女がこちらをボーっとした様子で見たので、僕は思わず挨拶をしてしまった。

 しかも、知らないうちに緊張していたのか、声が上ずってしまった。

 それにしても、こんな失敗を冒すとは思わなかった。

 本当ならば声を掛ける前に、もっといえば、目を覚ます前に人化を解いて少女に気付かれないようにしなければいけなかったのかもしれない。

 しかし、不思議とその行動は取れなかった。


 「あっ、こんにちは」


 僕の事を視認した少女がにこりと微笑んだ。

 風の音よりも、葉に落ちた雫のように小さな声に思えた。しかし、確かに僕の耳に少女の声は届いた。

 それにしても驚いた。

 僕の事をみて驚くかと思ったけど、少女はその素振りすら見せない。

 むしろ、楽しそうにみえる。


 「君は、僕が怖くないの?」

 「どうして?」

 「だって、知らない人が目の前に立っていたんだよ?」

 「あ、確かにそうかも。こういった時は驚いた方が良かったのかな?」

 「いや、別に無理に驚く必要はないけど……」

 「それじゃ、変ではなかったのかな。それならよかった」


 少女は楽しそうに微笑んだ。

 とても不思議な少女だと僕は思った。


 「でも、本当に怖くないの?」

 「怖くないよ。ただ四角い空を眺め、無意味に生きている事に比べれば、それ以上に怖い事なんてない」


 少女は哀しみに満ちた目で空を見上げた。

 確かにここから見える空は四角い。

 

 「君は、いつからここに?」

 「ずっと。生まれてからずっとこの場所で暮らしています」

 「一人で?」

 「はい。今は一人です」


 今は、という事は前は誰かと一緒だったという事かもしれない。


 「それで、貴方はだれ?」

 「僕は……」


 言葉に詰まってしまった。

 目の前の少女に僕が誰なのか尋ねられてしまったけど、ここで正直に正体を明かしていいのかわからなかった。


 「どうしたの?」

 「ううん。何でもない……僕は、ラディ。魔鼠のラディだよ」


 迷った挙句、僕は自分の正体を名乗った。

 何故か、この子には嘘をつきたくないと思ってしまったから。


 「ラディくん……うん、ラディくんだね!! 覚えたよ?」


 僕の名前を繰り返し、少女はうんと頷いた。


 「ありがとう。それで、君は?」

 「私? 私は、エヴァ。エヴァ……ぽーなんちゃら、なんちゃら。えへへっ、長いから忘れちゃった」

 

 どうやら、家門名となる部分は覚えていないらしく、エヴァと少女は名乗った。

 だけど、それだけでわかった。

 この子はどうやら鼠族の末裔に当たる子らしい。

 でなければ、エヴァ・なんちゃら・なんちゃらとは名乗らないだろう。

 最後の部分は恐らくは国の名前だからね。

 あ、でも……アルティカ共和国ではそのような文化はないんだっけ?

 まぁ、その辺りはアリアさんに聞いてみればわかるか。


 「それで、ラディくんはどうやってここまで来たの?」

 「僕はあの壁を越えてきたんだよ」

 「あの壁を? どうやって?」

 「どうって……爪を引っかけて、かな」

 「そんな事ができるの?」

 「うん。さっきも言ったけど、僕は魔鼠だからね……ほら」


 証明するように僕は人化を解き、魔鼠になって爪を出して見せた。

 それを見たエヴァは少し驚いたみたいだけど、直ぐに笑顔を咲かせ、僕に拍手を送ってきた。


 「すごい! 本当に魔鼠だったんだね!」

 「怖くないの? 僕は魔物だよ」

 「怖くないよ。こうやってお話できるから。全然怖くない!」

 「それなら良かった」


 本当に不思議な子だね。

 魔物である僕を見ても、全く驚いた様子はなく、むしろ関心を寄せているようにも見える。


 「けど、こんな所に何しに来たの? ここには見ての通り、何もないよ」


 何しに来たのかと聞かれても困るな。

 情報を集めに来たと言ってもこの子の様子なら大丈夫な気がするけど、それで警戒されても困る。

 

 「何もないって、君がいるじゃないか」


 再び人の姿となり僕がそう伝えると、エヴァは可愛らしく小首を傾げた。


 「私?」

 「うん。僕は君に会いに来たんだよ」

 「そうなの……? 嬉しい、な」


 会いに来た理由を聞かれるかと思ったけど、どうやら先に恥ずかしさが来たようで、エヴァは顔を赤らめながら頬を両手で抑え俯いた。

 それを見て、僕も顔が熱くなるのを感じた。

 何となく、誤魔化すために、言った言葉、だった筈なのに、急に照れくささが込み上げてきた。


 「でも、ラディくんは私なんかに会いに来たの?」


 僕も同じように照れている間に、エヴァはふぅふぅと呼吸を整え、やはりその質問をしてきた。


 「えっと、それは……君の事を聞いて心配になったから、かな」


 嘘では、ないよね。

 ここに何かがあるのは実際に聞いていたから。

 

 「どうして、私を心配してくれるの?」

 「心配するのに理由が必要?」

 「ううん。いらないと、思う」

 「そうだよね。君が心配だから僕は様子を見に来た。ただそれだけだよ」


 流石に本来の理由は言えなかった。

 何となく、彼女を傷つけるような気がしてしまったから。


 「そうなんだ。ラディくんは優しいんだね」

 「そんな事ないよ」

 「あるよ! 私の事を心配してくれる人がまだ居るとは思わなかったから」

 

 そういえば、エヴァは今は一人と言っていたね。

 その辺りも聞いても、大丈夫かな?

 彼女を傷つける事になりそうで、気が引けるけど、僕の役割は情報収集……。

 このままだと配下に示しがつかないから。


 「そういえば、食事とはどうしているの?」

 「ご飯? ご飯は決まった時間に運ばれてくるよ」

 「運ばれてくる?」

 「うん。時間になったら屋敷の地下通路から人が来て届けてくれるの」


 どうやら此処への正式なルートは地下から向かわないと辿り着けないらしい。

 それなら屋敷を囲った壁に門がない理由が頷ける。

 

 「そこから逃げようとしたことはないの?」

 「無理だよ……だって、その地下には私はいけないから」


 どうやら運ばれてくる食事の部屋は鉄格子で区切られているらしく、鉄格子越しに食事が渡されるらしい。

 その辺りはエヴァが逃げられないように対策は練られているみたいだね。


 「けど、どうしてラディくんはそんな事を知りたがるの?」


 しまった。

 ちょっと踏み込み過ぎたかな。

 疑っている訳ではなさそうで、単に気になったから質問しているだけだとは思うけど、一応は誤魔化しておいた方がいいかもしれない。

 

 「君の事が気になるから……じゃ、だめかな?」

 「私の事?」

 「うん。君がどんな暮らしをしているのかって気になってね」

 「ど、どうして?」

 「それは……」


 こういう時はなんて言えばいいんだろう。

 同情の言葉を掛ける?

 それとも、単に心配だったからと伝える?

 難しいな。

 何を言っても、上辺だけの言葉になり、彼女を傷つけそうな気がしてしまった。

 

 「ラディくん?」

 「あ、ごめんね」

 「ううん。それで、どうして、私の事が気になったの?」

 「それは……君に外世界を見せてあげたいと思ったから、かな?」

 「外の世界?」

 「うん。君はずっとこの狭いで生きてきたと聞いたから」


 もし、僕がこの狭い世界でずっと生きていたらどう思うだろうか。

 山とはどんなものなのか、川とは何なのか、花はどんな色なのか。

 もしかしたら、エヴァにはその知識はあるかもしれない。

 だけど、知識があっても実際に見た事がなければあくまで想像の世界のものでしかないだろう。

 だから、エヴァにそれを見せてあげたいと思って咄嗟にその言葉が浮かんだ。


 「出来たら、すごく素敵だね」

 「出来るよ。エヴァが望めばね」

 「本当に?」

 「エヴァが僕を信じてくれるならね」

 「ラディくんが私をここから連れ出してくれるの?」

 「うん。僕ならそれが出来るよ」


 実際は僕の力ではなく、ユアンさんの力になるから都合のいい言葉かもしれない。

 だけど、エヴァの前にいるのはユアンさんではなく、僕だ。

 今、それが出来るのは僕だけ。


 「信じるよ」

 「ありがとう。けど、後悔はしない?」

 「どうして?」

 「この場所に未練があるのなら、やめたほうがいい」


 エヴァは生まれてからずっとこの場所で育った。

 もし、この場所に愛着があるというのなら、いつか後悔する日が来るかもしれない。


 「後悔はしないよ。お母さんに言われたの、いつか私を連れ出してくれる人がきっと訪れるって。その人について行けば、私は幸せになれるって言われたの」

 「そうなんだね」

 「うん。だから、私はラディくんを信じる! だから私を連れてって? 騎士ナイト様?」


 な、ナイト様?

 曇りのない瞳で真っすぐにみられ、僕は眩暈がしそうになった。

 女の子の真剣な瞳がこんなに強烈だとは思いもしなかった。


 「……わかった。一緒に、いこう」

 「うん!」


 エヴァが僕の手をとり、握ってきた。

 大胆な行動に心臓が跳ねる。

 こんなにドキドキするのは、今まで生きてきた中で初めてかもしれない。


 「どうしたの?」

 「なんでも、ないよ」


 けど、今になって少し後悔する。

 いきなり女の子を連れて帰ったら、主やリンシアがどんな反応するのか目に見えている。

 けど、エヴァに約束をしてしまった以上は仕方ない。

 腹をくくるしかないな。

 それと、今のうちに言い訳を考えておいた方がいいかもしれない。

 

 「少しふわっとするけど、心配しないで」

 「うん!」


 転移魔法陣を広げ、二人で並んでその上に乗ると、元気な返事と共に、エヴァがぎゅっと僕の手を握ってきた。

 そして、少しだけ震えているのがわかる。

 本当は少し不安なのかもしれない。

 

 「あっ……」

 「大丈夫だからね」


 安心させるために僕もエヴァの手を握り返すと、エヴァが恥ずかしそうな声をあげた。

 その声を聞いて、僕まで恥ずかしい気持ちが込み上げてくる。

 しかし、魔力を流した転移魔法陣は待ってはくれない。

 僕とエヴァは互いの手をぎゅっと強く握りあい、ナナシキへと向かうのであった。

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