第307話 白天狐、帝都の空を見上げる

 「エメリア、必ず戻る」

 「お姉さま……どうかお気をつけて」

 「安心しろ、私は死にはしない」

 「必ず……必ずお戻りください」

 「あぁ、決して城からは出るな。城は結界に守られている」

 「わかりました」


 お姉さまと笑いあっていた日がたった数日前の事なのに、遠く感じます。

 最初に報告を受けた時は、質の悪い冗談かと思いました。

 ですが、いざ魔物の軍勢を目にすれば、それが冗談ではなく、現実という事を突きつけられました。


 「私は、本当に無力です」


 お姉さまの姿が城から、帝都から離れていくのを眺め、私は肩を落とすしかできませんでした。

 防ぐ術はあった筈です。

 もっと、ヴェルに気を配り、監視の目をきつくしておくべきでした、と今更ながら後悔の念が絶えません。


 「エメリア様、お身体が冷えます……どうか、中に……」

 「いえ、私は大丈夫、です」


 震える体はきっと余寒の所為ではないでしょう。

 しかし、私が至らぬばかりで起きた事が原因です。

 私が、この結末を見届ける義務があります。

 城の最上部から見えるのは黒く蠢く塊。

 それは個にして集であり、帝国を侵略するべく迫っています。

 影はまだ遠く、それ故に魔物の全貌はまだ見えず、影が作り出す波が彼方へと続いている。

 

 「どうしたんだい? そんなに暗い顔をして」

 「きゃっ! お、お兄様?」

 「別にそんなに驚くことでもないと思うのだけど?」

 「驚きます。いきなり背後に立たれていれば誰でも……」

 「気を抜きすぎだよ」

 「そんな事……」

 「あるよ。今じゃ、帝都は敵だらけだ。安全な場所はないと思った方がいい」

 「いえ、まだ魔物は遠方に見えますので」


 もちろん、だからといって安全ではないとは理解しています。

 魔物の中には空を飛べる魔物が存在することは、ここからも見えます。


 「あのね、魔法陣の事を忘れたのかい?」

 「あ……それは、お兄様が……」

 「僕だって万能ではない。帝国の中央付近はある程度壊したけど、まだ外周の魔法陣は破壊できていないよ。それも、間に合いそうもないけどね」

 「そうでしたか……」

 「城の方はどうなんだい?」

 「全て見つけ、処理はしたと思います」

 「曖昧だね」

 「宮殿魔術師がいるとはいえ、彼らにも限度がありますから」


 お兄様のように魔力を探り、魔法陣を見つけられる訳ではありません。

 

 「ま、残っていた城の魔法陣の方は最優先で破壊したから大丈夫だよ」

 「ありがとう、ございます」


 私が任されたのにも関わらず、またお兄様の手を煩わせてしまったようです。


 「だから、そんなに思いつめたような顔をしないで貰えるかな?」

 「申し訳……っつ~~!」


 額に衝撃が走り、額がジンジンと痛みます。

 涙を堪え、何が起きたのかを確かめるべく顔をあげると、にっこりとした顔でお兄様が親指と中指をくっ付けた手を私に向けていました。


 「もう一度、喰らっておくかい?」

 「だ、大丈夫です! もう、下は向きませんから!」

 

 どうやらお兄様にデコピンをされたみたいです。

 

 「ふふっ……」

 「どうしたんだい? 今度は気でも狂ったのかな?」

 「違います。私は正気です。ただ、私が落ち込んだりした時、お兄様に良くされた事を思い出しました」

 「そうだったかな?」

 「はい、あの頃からやはりお兄様はお兄様だったのですね」


 お兄様とは愚かな私のせいで仲違いをしていた時期がありましたが、一対一で対話をすればいつも最後は私の為になる事を言って、してくれます。

 姿は違えどお兄様はやはりお兄様です。


 「という勘違いと妄想が独り歩きするのが治らないエメリアでしたってね。君さ、状況わかっているのかい?」

 「そ、そんな言い方しなくても……」

 「ま、今更どうこうしたってやる事は変わらないけどね……それで、ヴェルはどうしたんだい?」

 「ヴェルですか? ヴェルなら、離れの塔に監禁をしています」


 監禁と言っても、外に出られないだけで拘束したりはしていませんが。


 「…………その塔に人は? 魔力を抑える処置は?」

 「していませんけど……」

 「失敗したな。先にそっちだったかな」

 「それって、どういう……」


 その時でした、激しい揺れが城を襲ったのです。


 「きゃっ!」

 「早いな。という事は、向こうが陽動だったか。もう少し時間があると思ったけど」

 「お兄様、今の揺れは一体……?」

 「説明している暇はない。エメリア、君は陛下の居る玉座の間に行って。あそこなら城の結界が破られたとしても時間は稼げるだろう」

 「わ、わかりましー……!!」


 わかりました。

 お兄様に返事をしている時、私はお兄様に近づく影を捉えました。

 あれは、危険。

 そう伝えるより早く、その影はお兄様に覆いかぶさるように……。


 「侵入が早すぎる。魔法陣は全て潰したはずだけど……もしかして、ヴェルが直接?」


 覆いかぶさろうとした影は振り向きざまに薙ぎ払ったお兄様の剣により、二つに身体を分け、動きを止めました。


 「あ……お、おにい……さ、ま」

 「うん? あぁ、驚かせたようだね? 立てるかい?」

 「は、はい。だいじょう、ぶです」

 「良かった。昔みたいに粗相をしていないか心配したけど、その心配はいらない、かな?」


 くっくっ、とお兄様が笑っています。


 「そ、そんな年ではありません! 一体いつの話だと思っているのですかっ!」

 「それだけ元気があれば大丈夫だね? 玉座の間までは連れていこう。後は自分の身は自分で守って。それとも、先に君だけでも避難するかい? 今なら可能だよ」

 「それは出来ません。これは私の未熟さが招いた結果ですから」


 ちゃんと見届けます。

 私に出来る事はそれくらいですから。


 「違うよ。君には君にしか出来ない事がある。例え僕でも叶えられない事が、君には出来る」

 「私に、ですか?」

 「あぁ……おっと、本当に時間が惜しいね。ついてきて」

 「お、お兄様! 私に出来る事って……」

 「自分で考えて。それが、君にしか出来ない事の答えだから」


 私にしか出来ない。

 お兄様はそう言って、それ以降は何も教えてくれませんでした。

 ただ、私を護るその背中はとても大きく見えます。

 言葉ではなく、背中で語るというのはこういう事でしょうか?

 

 「さ、行って。後は僕に任せて」

 「ありがとうございます。ですが、お兄様に任せてしまったら、私に出来る事というのが……」

 「あるから。きっと見えるよ。君ならね」


 扉にたった私の背中をそっと優しくおし、お兄様は姿を消しました。


 「私に出来る事…………」


 それが何なのか、私にはわかりません。

 ですが、お兄様は私を信じ、背中を押してくれました。

 期待に応える為、ではありませんね。

 お兄様はそれを望んではいません。

 お兄様の為ではなく、自分の為でもなく、きっとルード帝国の為に動くことを望んでいられる筈です。

 ならば、私は誰からの期待に応えるのではなく、希望を照らす光となるべく戦いましょう。

 戦いに身をおかなくても、みんなを護ることはきっとできますから。





 「全く、世話のかかる妹……ではないか」


 こんな状態になるまで気づかないなんて一つの愚痴も出るのも仕方ないだろう。

 

 「と、言いたいところだけど、僕が原因か」


 今更になって気付いた。

 国境の戦いで感じた違和感は全てはこの日の為だったことに。

 僕は盛大に勘違いをしていたらしい。

 各地で起きていた、魔族の召喚による事件は国境から目を逸らす為ではなく、むしろ国境で起きた戦いに注目させる為の布石だったんだと。

 そして、真の目的はルード帝国から目を逸らす事だったって事にね。


 「僕がそっちに集中すれば、ルード帝国は無防備になる」


 そこまで計算されていたって事だね。

 そうなると、責任はエメリアではなく、この事を見落としていた僕に責任がある。

 

 「少々浮かれていたのも原因の一つだよね」


 国境での戦いが終われば、僕に与えられた一つの役目は終わり、自由になれる。

 その自由が目を曇らせたのかもしれない。


 「ルリを返したのは失敗だったかな……」


 これも今更後悔しても遅い事だけどね。

 ま、ユアンとの約束だしね。

 ルリに無茶をさせない。僕はそう約束したから。


 「だけど、ユアンは怒るだろうな。僕が無茶をしたって」


 別に無茶はしていないけど、ユアンならそう言いそうだ。

 ま、僕は無茶ではなく、責任をとっているだけだし、何とでも言いくるめれるだろう。

 

 「これ以上、嫌われたくないしね」


 実際には嫌われていない、とは思う。

 だけど、僕の事を見ると嫌そうな顔をするし、苦手意識はあるみたい。

 だからこそ、からかいたくなるのは兄としては仕方ないよね?


 「アカネにも悪いことしたかな」


 ルリを返したのは、二人で魔物の接近を知った直後だった。

 そうなると、ルリの事だしユアン達に伝えているだろうね。


 「そうしてくれると、ありがたい」


 ユアン達を頼る事ができれば、帝都を護る事が容易くなるだろう。

 しかし、妹達を巻き込んでも良いのか、そういう思いもある。

 正直、僕が変わったのか、弱くなったのかがわからなくなる。

 皇子をやっていた時ならば、使えるものは何でも使うのが当たり前だった。

 それが、躊躇ってしまうとはね。

 状況的には迷う必要なんてないのに。


 「ま、絶望するにはまだ早い」


 そもそも絶望する段階ではない。

 たかが、空を魔物が黒く染めているくらいだ。

 これくらいならどうにでもなる。


 「問題は地上だけど……冒険者と残った兵士がどうにか耐え忍んでくれればいいかな」


 流石に僕だって空と地の両方を見る事は出来ない。

 それならば、空をどうにかするべきだ。


 「それじゃ、始めるとするか」


 城の中の魔物は全て倒した。

 被害はほぼゼロに等しい状態だし、城の方は暫くは平気だろう。

 

 「呑み込めアビスホール


 天を染める魔物に劣らない闇が天に広がる。

 始まりの合図。

 逃れた魔物が僕へと集中したのがわかる。

 ここでは城に被害が及ぶかな。

 それならば…………。



 


 白き狐が天へと駆け上る。

 そこに魔物の群れが殺到する。

 帝都を侵略る者、それを護る者の火ぶたがここに切られた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る