遅刻 or DIE

落合のワイフ

第1話 遅行 or DIE

時計の針が11を指している。どうゆうことなのだろうか。

予感が確信へと変わるのがそう遠くないことだけは分かっていた。

手元の携帯を見ると着信が7件。現実味はそこで帯びた。

大遅刻。今日は大事なお客様と10時から商談がある。すっぽかしてしまった。会社の今後を左右すると言っても過言ではない程大切な商談だった。

クビが飛ぶのだろうか。

約束の商談が始まってすでに1時間は経過している。きっと僕と同席するはずだった後輩の田崎が、一人で話を進めているのだろう。か。

そんなことを思いながら、タバコに火をつけた。「急がば回れ」は遅刻したヘビースモーカーが考えたことわざなのだろう。タバコを吸うと脳の機能が低下しているような気がする。様々なことが考えるに至らない。それにより考えなくてはならないことが明確になるのだ。

どのような言い訳をするか。


自分の立場が追い込まれている時程、真っ向から寝坊を認めることで、正直な人だと逆に許されるパターンもあるが、今回はそうはいかないだろう。

逆に13時頃に堂々と出勤するのはどうだろうか。怒りより、安堵感が勝つのではないのだろうか。現に私の携帯には着信が7件も溜まっている。皆、心配しているのだろう。私が会議をすっぽかすだなんて、誰も思いもしない。そう思われないような立ち振る舞いを日々送っている自信がある。今日に限って何故私は遅刻をしたのだろうか。もうそんなことはどうだっていい。遅刻とはそうゆうものではないか。

とにかく、シンプルな寝坊より、僕の身に何かが起きたと考える方ほうが自然だと思われる。

13時に「おはよう。」と出勤するのはどうだろう。

「大丈夫だったんですか???」と周りが心配し出す。そこでとぼけると、同僚が商談の日であったことを私に知らせる。

あとは、「ええ!?僕、今日午前休じゃないの??」と適度な間で発言し、一同大爆笑。これにてトンだ茶番劇は幕を閉じる。

まあ無理だろう。今回の遅刻は、社内で収まるようなものではない。最早、謝ってどうこうという問題ですらないのかもしれない。

じきに8回目の着信がくるだろう。電話に出るか、無視か。

出よう。無視をしても致し方がない。鉄は熱いうちに打たなくてはならない。大事なのはその鉄をどう打つかだ。つまり、電話に出てどのような態度を取ればいいかが問題になってくる。クビにならないのであれば、この際どれだけ怒られてもいい。どんな手段を使ってでもこの遅刻を上手くやり過ごさなくてはならない。


「身内の不幸。」


遅刻というものは、人間の倫理観や道徳心というものを決壊させる。人が正しく生きられるのは、遅刻をしていないからである。


「母親が危篤でして。」

「父親が亡くなりまして。」


我ながら最低であるが、悪くはない。がしかし、これを言ってしまうとその後も、何日間か休まなくてはならないことになる。

周りに気を使われるのも正直鬱陶しいものがあるし、いつの日かうっかり元気な両親の話をしてしまうような気がしてならない。

祖母や祖父の不幸なども同じことである。


ああ、そうか。


クビを傾げているポーちゃんと目が合う。

ポーちゃんとは私が飼っているフクロウである。テレビでフクロウを飼育している人を見て、私も育ててみたいと思った。餌となるラットの生肉をさばかなくてはならなかったり、想像以上に神経質な生き物なのだったりと、色々しんどい部分はあるものの、私にとってかけがえのない家族であることに間違いはない。

私がフクロウを飼っていることを、会社の人間達は皆知っている。

私はポーちゃんが可愛くて可愛くて仕方がない。ポーちゃんの写真を会社のデスクの上に置いていたり、ポーちゃんの話をしょっちゅう同僚達にしているので、私がどれだけポーちゃんに愛情を捧げているのかを、社内の人間達はよく分かっているはずだ。


「ポ、ポーちゃんが死にました。」


上司はどのようなリアクションをとるのだろうか。


まず「鳥が死んだくらいで」と真っ先に思うだろう。それは認めよう。だがそれで結構。だからこそ「鳥が死んだくらいで」と口にすることは出来ないのだ。常識的な発言のみが受け付けられる環境というのは、甘い。そこを突いていく。

きっと「何故すぐに連絡してこなかったんだ。」くらいのことは言ってくるだろうが、気が動転してしまったと言えばそこら辺の問題もクリアできるだろうと思った。思わないとやってられない。


命の価値は平等である。当たり前のことだ。

だが距離によって、価値を感じたり感じなかったりすることはある。

価値はあるが、それを感じるかどうかは別の話だ。

絶えず誰にでも等しく、命の価値を平等に感じるというのであれば、救急車のサイレンが聞こえる度に、私達は自身を消耗しなくてはならないことになる。


フクロウから距離が離れている人間からして、知人から飼っているフクロウが死んだと聞いた場合、どれくらい喪に服せばいいのか分からないのではないだろうか。

親や、犬であった場合は大体かける言葉が決まっている。

死んだ生き物は意思の疎通が取れるのか、取れないのか、を頼りに相手がどれくらい悲しんでいるかを想像する。

だから魚が死んだ場合、私はそこまで胸が痛まない。

では、大事な会議をすっぽかした後輩が

「飼っていた熱帯魚が死んだため遅れました」など言ってきたら、私は彼を殴るだろうか。そうはならない。怒鳴りはするかもしれない。

彼と1匹の熱帯魚の距離感をはかれない。想像が出来ないのだ。

つまりかける言葉が見つからないということだ。

それ即ち上司の頭の中にあったはずの「クビ」という言葉も、見つからなくなるということである。


ポーちゃんと目が合う。首を傾けている。

「ごめんね。」と言った。

でもポーちゃんは生きている。むしろ私がここでクビになった方がポーちゃんとしてもまずいのではなかろうか。フクロウの餌代は馬鹿にならない。

ここはポーちゃんと二人で乗り切るしかない。これは私とポーちゃんの問題なのだ。そう思うと一人ではない気がして少し気が楽になった。

ポーちゃんは先程からずっと私を見つめている。

「大丈夫。平気だから。」と言ってくれているような気がした。


携帯が大きな音を立てた。

会社の上司からだ。今更驚かない。なんせ本日8回目の着信だ。

少し息を整え、改めてシュミレーションをする。


上司の話を少し聞いてから、ポーちゃんの死を告げる。

喪中のような空気が流れ、上司は常識と個人の間で揺れることになる。

「フクロウの死と遅刻。何が関係あるんだ。」

「商談をすっぽかしていい理由にはならん。」

まず言えない。

私をこの場で攻めることにメリットがない。

むしろ、恩を売り、売った器を私に見せるチャンスである。

「今日はゆっくり休みなさい。」だなんて、言われてしまう可能性だってある。


そろそろ出なくてはならない。

スマホを通して、自分の手がどれくらい震えているのかが分かった。

「もしもし。」

「やっと出たか!!お前今日商談だぞ!」

「はい。」

「はいじゃねえだろ!!!」

「。。。」

「どうした?寝坊か??」

「いや、あの」

「何かあったのか。」

「寝坊しました。すみません。」


ポーちゃんがクビを傾けながら、私を見つめていた。







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