第8話 三年前の今日、わたしはあなたと出会い――恋をしました

 三年前の今日、わたしはあなたと出会い――恋をしました。



 コクリコのドアの前で立ち止まり、綺麗にラッピングされたプレゼントを握り締めて大きく深呼吸をします。


 今日は、わたしと遠野さんが出会ったあの日から丸三年。

 三周年の記念日なんです。

 もっとも、遠野さんは覚えていないでしょうから、わたしの一方的なお祝いなのですけれど。


 去年はいつもよりも奮発したケーキを食べ、遠野さんのそばでこっそりとお祝いをしたんです。

 でも、今年はもう一歩踏み出してみようと思います。

 思ってしまったんです。

 だって、遠野さんへのプレゼントに打って付けの物を見つけてしまったから。


 コーヒーカップをモチーフにしたペン立てがセットになった万年筆。

 喫茶店のマスターと小説家。

 まるで、わたしたちを象徴するような素敵で可愛らしいペンセット。贈りたくなりますよ、そりゃ。八百万の神様に総出で背中を押された気分でした。


 でも、いきなり「今日はわたしと遠野さんの記念日です!」なんて言い出せば、きっと困惑されてしまいます。

 それに、男性は記念日を意識しないと聞きます。まして『初めて出会った記念日』だなんて、そんなものをお祝いしましょうと言い出せば面倒臭い女だとは思われてしまいかねません。


 けれど、神様はそんなわたしに味方をしてくれました。


 なんと奇遇なことに、本日は遠野さんのマスター就任三周年記念でもあるのです!

 わたしが初めてこのお店を訪れたあの日。


『今日からここはお前の店だ。しっかりやれよ、マスター』


 そう言って笑っていたとても優しそうなお祖父さんの姿を、わたしは今でも鮮明に覚えています。

 そして、そう言われて少し涙ぐんでいた遠野さんの顔も。

 可愛かったなぁ、あの時の遠野さん。

 思わず顔がにやけます。


 遠野さんにとって大切な記念日。

 それをお祝いするついでに、わたしの一方的な二人の記念日もお祝いさせてください。

 邪魔にならないように、こっそりと。


 ただ……自分のことには無頓着な遠野さんなので、自分の記念日を忘れていないか不安です。

 もし忘れていたら、わたしが思い出させてあげなければ。

 そんな使命感を胸に、わたしはコクリコの中へと足を踏み入れました。


 その瞬間、パン! ――と、クラッカーが鳴りました。

 火薬の匂いが漂い、細い紙テープが宙を舞っています。


「ハッピーアニバーサリー!」


 遠野さんがメチャクチャ乗り気です!?


「……いや、すまん。忘れてくれ」


 速やかにクラッカーの残骸を片付ける遠野さん。

 頬が微かに赤いです。

 はしゃぎ過ぎたことを後悔している様が窺えます。


 遠野さんがこんなにはしゃぐなんて珍しいことです。

 それだけ大切な日なんですね、今日という日が。

 ならば、わたしも全力でお祝いする所存です!


「遠野さん、ちゃんと覚えてたんですね」

「ま、まぁな。書いてあったし」


 書いて?

 どこかに三周年の告知でもしてあるのでしょうか?

 店内を見渡すも、いつもと変わらない落ち着いた内装でした。


「店内に書いてあるわけないだろう」


 少し呆れたように柔らかく笑う遠野さん。

 店内に書いていないとなるとどこに……あ、そうか。


「カレンダーに丸でもしてあったんですね」

「ごほぉう!」


 急に遠野さんが咽ました。

 わたし、何か変なことを言ったでしょうか?


「カ、カレンダーとか、ど、どうでもいいだろう、そんなこと」


 カレンダーに丸をしてしまうくらいに浮かれているというのは恥ずかしいことなのでしょうか?

 クラッカーを鳴らすほどはしゃぐことよりも?


「と、とりあえず、これを食ってくれ」


 目の前に差し出されたのは、可愛らしいお皿に載った三種のケーキでした。

 チョコレートケーキにスフレチーズケーキ、そして大粒のイチゴが三つも載ったショートケーキ。


 つややかなほろ苦いチョコレートケーキは物静かでどこか孤独な寂しさを感じさせ、ふわふわのスフレチーズケーキは浮かれた心を思い起こさせ、真っ赤に実ったイチゴをふんだんに使った純白のショートケーキは着飾って恋を謳歌する女心を表しているようで、まるでこの三年間のわたしを表現しているように思えました。


 なんだか見透かされているようで、とても恥ずかしくなりました。


 たまたまなのに。

 マスター就任三周年のケーキが、偶然そんな風に見えるなんて。

 自意識過剰。でも、すごく嬉しい。


「遠野さん。わたし、このケーキ食べたいです」


 あなたと一緒に。

 精一杯のお祝いの気持ちを込めて。


「おう。奢ってやるから遠慮なく食え」

「いえ、お金は払います」

「いいんだよ、記念日なんだから」

「記念日だからこそです」


 遠野さんの記念日なのにご馳走してもらうわけにはいきません。

 ここはきっちりとお支払いさせていただきます!


「なんで今日に限ってそんな頑なに……」


 遠野さんが不服そうに呟きます。

 でも、今日だけは絶対に譲れないんです。


 遠野さんの記念日を盛大に。

 そして、わたしたちの記念日をこっそりとお祝いさせてください。


「遠野さん」


『おめでとう』といえば『ありがとう』と言われるでしょう。

 ですが、出来ることならわたしも『おめでとう』と言われたい。


 そんな願いを叶えてくれる魔法の言葉を、遠野さんがさっき口にされていました。

 流石です。真似させてもらいます。


「ハッピーアニバーサリー!」

「おう。ハッピーアニバーサリー」




『記念日おめでとう』




 遠野さんに、そう言ってもらえました。

 最高です、三周年!


 あとは、プレゼントを渡して喜んだ顔を見られれば完璧です。


「あの、遠野さん! これを――」

「ほい、プレゼント」

「なぜ!?」


 どういう思考でそうなったのか、遠野さんがプレゼントを差し出してきました。

 今日はあなたの記念日のお祝いですよ?

 わたしは特別祝ってもらうことなんてありませんし。二人が出会った記念以外は……

 ……え?

 まさか?



 遠野さん……出会った記念日を覚えて……?



 途端に顔が熱くなりました。

 思いがけない事態に息が詰まります。

 胸が高鳴って仕方がありません。


 今日、もし仮にわたしが遠野さんにお祝いしてもらえることがあるとすれば、それは二人が出会った記念日以外にはなく、もし万が一それをお祝いしてくれているというのであれば、それは遠野さんがわたしの気持ちに気が付いているということになって、その上でこんなにも温かく受け入れてくれているということは、これはもう……



 あなたに恋をした記念日を、あなたに思いを告げた記念日に変えろということではないのでしょうか?



「と、遠野さんっ!」


 ファイトです、みずき!

 思い切ってこ、こく、告は、こここ……


「……これ、わたしからプレゼントです」




 ヘタレましたー!



 やっぱり無理でした!

 心の準備が整っていないにも程があります。

 急には無理です。


「え、俺に? プレゼント? なんで?」


 おやぁ?


 さっきくださったのは、二人が出会った記念日のプレゼントではなかったのですか?

 きょとんとされてますね?


 はっは~ん。

 どうやらこれは……わたしの勘違いですね?



 危なかったです!

 先走って誤爆するところでした!

 笑えない自損事故です、そんなの!


「ケーキ、美味しかったです。では!」

「えっ、おい!?」


 耐え切れず、わたしは逃げ出しました。

 お店を出る間際にもう一度だけ「ハッピーアニバーサリー」と口にして。


 必死にかき込んだショートケーキのイチゴは、まだ少しだけ酸っぱかったです。




☆★☆★☆★




「ハッピーアニバーサリー」と謎のプレゼントを残して広瀬みずきは帰ってしまった。

 一体なんの記念日を祝っていたんだ、あいつは?


 広瀬みずきが初めてこの店に来たのが、三年前の今日。

 つまり今日は、俺とあいつが出会った記念日だ。


 去年はこっそりと特別なケーキを出して、あいつの隣で勝手にお祝いをしたんだが、今年はもう少し盛大に祝いたくなった。

 街で偶然コーヒーカップをモチーフにしたペン立てがセットになった万年筆を見つけたから。

 小説家と喫茶店のマスター。

 まるで、俺たちを象徴するようなシックでおしゃれなペンセット。贈りたくなりだろう、そりゃ。運命の女神に背中を蹴り飛ばされた気分だった。


 けど、そんな一方的な記念日をあいつが覚えているわけもなく。また、そんな細かい記念日をいちいち覚えている男に対し、女子は「ないわー」とドン引きすると聞いたことがある。


 だからカムフラージュする必要があった。


 幸いにして、今日は広瀬みずきの作家デビュー三周年でもあった。デビュー作の奥付にそう書いてあった。

 こんな偶然が重なるなんて、これはもう祝うしかないと思った。

 だから、目一杯頑張ってみた。


 ……クラッカーは、ちょっとやり過ぎだったかもしれんが。


 俺は広瀬みずきを盛大に祝い、ついでに少しだけ俺の一方的な二人の記念日を祝ってもらいたかった。

 それだけで幸せな気持ちになれると思った。


 なのに、これはどうしたことだ?


 プレゼントをもらった。

 なぜだ?

 俺は祝われるようなことなんて何もないってのに。


「中身は何だろう?」


 綺麗なラッピングを丁寧に開けていく。

 その中から出てきたのは、コーヒーカップをモチーフにしたペン立てがセットになった万年筆。


「返品!?」


 まさか、俺がウキウキそわそわしてこれを購入するところをどこかから見ていて、「うわ、二人が出会った記念日のプレゼントとか重っ!」とか思って、それでまったく同じ物をプレゼントすることで「これでチャラですから」って、そういうことか!?


「いやいや、あいつに限ってそんな回りくどいことは……」


 しない、と思いたい。切実に。


 しかし、プレゼントをもらう理由に心当りがなさ過ぎて……


「どうしてくれよう、このモヤモヤ感……」


 脳に糖分が足りないと判断して、自分用に取って置いたショートケーキにかぶりつく。

 去年同様、広瀬みずきが食べている隣でこっそり同じケーキを食べようと用意しておいたものなのだが……


 真っ赤に色づいた大粒のイチゴは、まだ少し酸っぱかった。





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