第2話 二番目止まりは切ないのです
「二番目止まりは切ないのです」
と、わたしは書き上がったばかりの初稿を抱きしめて喫茶『コクリコ』のマスター、遠野さんに訴えました。
「二番目じゃダメなのか?」
「ダメですよ! 自分が主役なんですよ、人生というのは!」
わたしは、わたしの人生という物語の主人公なのです。
だからきっと最後にはハッピーなエンディングを迎えるのです。
「でも、そうなれないことを悟った者の潔さと悲哀が、物語を彩ることもあるんです」
言いながら、切ない恋のお話を書き綴った原稿用紙の束をカウンターへと置きました。
そして、この物語を書くに至った経緯を語り始めるのです。
「実は先日、編集さんから『あんたにミステリは無理だ』と言われまして」
「だろうな」
むっ。
ここはもっとこう、「そんなことないよ」とか、「お前なら出来るよ」とか、「ミステリじゃなくても、お前の物語をつむぎ出せばいいんだよ」とか、「つらい時は俺がそばにいてやるからな」とか、そういうことを言うべき場面ではないでしょうか!?
くはぁー、言われた過ぎて眩暈がしてきました。少し、カウンターに寄りかからせていただきます。……チラ。
少々あざとく、上目遣いで遠野さんの顔を窺うと……メガネのフレームを上げるのに合わせて視線が逃げていきました。
くぅ……折角の上目遣い。見てほしかったです。研究してきましたのに……
「で、今度はどんな話を書いたんだ? 喜劇か?」
「むぅ。恋愛ものです。ラブコメですよ、ラブコメ。編集さんに言われたんです。『この前読んだラブコメ漫画が面白かったからあんたも書いてみろ』って」
「だから、その編集大丈夫なのか!?」
ウチの編集さんは敏腕で通っているやり手なんですよ。
「『走り続けるためには、どこかで思いっきり手を抜くことも大切よ』が口癖なんです」
「そうか。その編集はちゃんと『どこか』を確保してるんだな」
なぜか憐れむような目で見られてしまいました。
失礼です。
少し前傾姿勢で睨んでやります。……じろっ。
「そ、それで」
微かに遠野さんの声が上擦り、咳払いをして再び話し始めました。
「どんな恋愛話を書いたんだ? 経験談、だったり……するのか?」
「いえ、それは。さすがに発売前ですので、お話しするわけには……」
「新商品のローストビーフサンドイッチだ」
「メッチャ美味しそうです!」
目の前に「これでもか!」とお肉が挟まったサンドイッチが出てきました。
これは卑怯です。どんなに敬虔な信者でもご本尊を足蹴にしてしまうレベルの凶悪さです。こんな誘惑、抗えるはずがありません。
「お話ししましょう」
もきゅもきゅとお肉を咀嚼しながら、わたしは原稿の内容を語ります。
とはいえ……
「実は恋愛というものがよく分からないんです。なので経験談で書くというのはちょっと……」
わたしの経験談なんて、足しげく喫茶店に通って、カウンター越しに「あぁ、メガネを押し上げる時の薬指の角度がセクシーだなぁ」と一人にやにやするくらいなもので、とても一冊の本に出来るような内容ではありません。
「だから発想の逆転で、ラブコメをコメラブにしてみました!」
「逆転したの名称じゃねぇか!?」
「そして思いつきました!」
「そんなことで!?」
そういう些細なきっかけで物語は生まれるのです。
そして、書き上げた新作の原稿用紙を見せつけて、わたしは高らかに声をあげます。
「誰よりも白米が好きな女の子の話です!」
「コメの解釈が違う!」
「お米ラブ!」
「ならサンドイッチを返せ!」
死守します!
現実と小説は違うのです。
お米ラブなのは物語の中の女の子のことで、わたしは……
わたしは……
その時、わたしはほんの少しだけ勇気を振り絞りました。
「わたしは、このお店のサンドイッチが世界で二番目に好きです…………よ」
急に恥ずかしくなって、語尾に中途半端な言葉がくっついちゃいました。誤魔化しきれもしないくせに、誤魔化したい感情がありありと伝わってしまう、一番やっちゃいけない行為。
けど、これくらい分かりやすくしないと、あなたは気が付いてくれませんから。
こんなにも照れているわたしに気が付いて、そして尋ねてください。
『二番目? じゃあ、一番目はなんだよ?』と。
そうしたらわたしは、人生で最大の勇気を振り絞ってこう言うんです。
『世界で一番好きなのは、あなたです』
臆病な心臓がきゅっと縮まりました。
息が出来なくなって、顔が熱くて……目に涙がうっすらと滲んできました。
逃げ出したい。けど、わたしは逃げません。
あなたが、好きだから……
「二番目?」
長い永い一瞬が過ぎ去り、遠野さんの声が聞こえました。
待ちわびた言葉。
わたしは、昨夜必死に練習してきた上目遣いで、そっと遠野さんの顔を窺います。
「じゃあ、一番目はなんだよ? 言ってみろよ、オイ」
あれ!? 怒ってらっしゃる!?
窺い見た遠野さんのお顔は、それはそれは険しいものでした。
シラを切り通す被疑者を尋問する刑事さんでもここまで険しい顔はしないであろうと言うくらいの
「い、いかめしぃ……」
「イカメシか!? やっぱり米か!? 米ラブは経験談か!?」
「いえ、そういうわけでは……」
忘れていました。
遠野さんは、類まれなる負けず嫌い。
こと、自分の喫茶店に関しては尋常ならぬ思い入れと誇りをお持ちなのでした。
そのお店のサンドイッチが『二番目』だなどと言われたら、そりゃ怒りますよね。
完全なる、わたしのミステイクです。
「言え! ウチのサンドイッチの上を行く、お前の一番好きなものを! 世界で一番好きなものを!」
『世界で一番好きなのは、あなたです』
言えるわけありません!
こんな羅刹のような顔をした人に愛の告白なんて、空気が読めないにもほどがあります。
こんな空気で言えるほど、わたしは鈍感でもなければ豪胆でもありません。
想いを伝える時は、緻密に計画を練って、ムードを盛り上げて、慎重に慎重を喫して、万全の態勢でなければ無理です!
「ひ、秘密です!」
言い捨てて、わたしは喫茶店を飛び出しました。
とっても美味しかったローストビーフサンドイッチの御代は払ってませんが、印税が入ったら必ず払いますので付けておいてください!
心の中でそう叫びながら、わたしは商店街を駆け抜けました。
☆★☆★☆★
カランカランとベルを鳴らしてドアが閉まる。
「はぁ……やっちまった」
出て行った背中を視線で追うことも出来ず、俺はカウンターに両手をついてうな垂れた。
学習しない? 放っておいてくれ……
『二番目』なんて言われて、頭に血が上ってしまった。
自慢の料理を貶されたと思ったわけでも、奮発したローストビーフを『二番目』とか言われて怒ったわけでもない。
ただ……
俺の他に、あいつの一番がいる。
それが、どうしようにもなく悔しかった。
「そもそも、あいつがあんな格好してくるのが悪い」
なんなんだ、あの首元のだらしない服は!?
そんな服を着て、今日は妙にカウンターにもたれかかって……俺はあいつの前に立っているわけで、ただでさえ覗き込めそうな立ち位置なのに、前屈みになんてなられたら…………
「んっ、んん!」
カウンターの中で一人咳払いをしてメガネを押し上げる。
こうやって、メガネのフレームと一緒に視線を無理矢理持ち上げなければついついチラ見してしまうだろうが! 分かれよ、男心を!
うっかり見えてしまった薄桃色の下着がいつまでもまぶたの裏にチラつく。
見えそうだと思ったら、あいつはこちらに視線を向ける。
一応警戒心はあるようだ。……警戒心があってあのだらしなさなのだとしたら、それはそれで大変だが。
もし……
ウチのサンドイッチを上回る『一番目の料理』なんかを食った日には……あいつはきっと幸福感に包まれてさらに無防備になったりするのだろう。
感動のあまり瞳を潤ませるかもしれない。
その潤んだ瞳で、一番目の料理を作った男を見つめたりするのかもしれない……っ! 上目遣いで!
「えぇい、消えろ、妄想!」
叫んでみるも、咎める者は誰もいない。
当然だ。この時間、ウチの店に来るのはあいつくらいのものなのだから。
もっと客を呼ぶべきだって?
いいんだよ! 二人きりの静かな時間があったって。むしろあるべきだ。
休日なんかは、たま~に『Close』にしてるしな。
「っと、そうだ」
店を出て、ドアに掛けたプレートをひっくり返す。
『Close』
今日はもう店じまいだ。
一番になれる究極のサンドイッチを考えてやる……見てろよ、広瀬みずき。
お前の上目遣いを、いつか俺に向けさせてやるからな!
「人間は、心にないことは文章に出来ないという」
つまり、あいつの米好きはカウンターに置き去られたコメラブ小説が証明しているといえるだろう。
それならばと、サンドイッチのパンをご飯に変えて、高級ローストビーフとしゃきしゃきのレタスを特製のソースと一緒に挟んだサンドイッチを作ってみた。
試食してみたところ、これが驚くほどに美味く、俺は確かな手ごたえを感じた。
だが同時に――
「これ、『おにぎらず』だ!?」
落胆を覚えた。
「二番じゃダメなのか?」という俺の問いに、あいつは「自分が主役なんですよ、人生というのは」と答えた。
そうだよな。二番目じゃ納得出来ないよな。
今すぐには無理でも、俺は必ずあいつの一番に……
「どんな話を書いてんのかな」
広瀬みずきの思考が詰まった原稿用紙。それを静かな店の中でぱらぱらと捲っていく。
その内容は。
食卓の上ではいつもおかずが一番目で、二番目の壁を越えられないお米。
そんなお米を食卓の上の一番目にしようと奮闘する少女と、米のスペシャリストたちの絆を面白おかしく描いたドタバタコメディで、恋愛要素こそまったく含まれていなかったが、最後まで一気に読み切ってしまった。
確かにこれはラブコメじゃなくコメラブだ。
無性に米が食いたくなる物語を読み終え、俺は誰にともなく呟いた。
「二番目止まりは切ないよなぁ」
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