作家とマスター

宮地拓海

第1話 つまり、犯人はフクロウなんです

「つまり、犯人はフクロウなんです」


 行きつけの喫茶店『コクリコ』のカウンターで、わたしはマスターである遠野さんに次回作『フクロウの森殺人事件』のプロットを話して聞かせていました。

 この奇想天外な結末を聞いた遠野さんは「びっくりだなそれは!」と大層驚く……はずだったのですが。


「それじゃ、事故だな」

「いやいや! 殺人事件ですよ!」


 こっちがびっくりさせられてしまいました。

 いくら素人さんとはいえ、ミステリの常識すら理解されていないとは……


「頭がよさそうなメガネをしているのに、意外と物を知らないんですね」

「頭よさそうな職業なのにな、小説家って……」


 なんだか憐れまれた気がします。失礼な人です。むぅ!


「とりあえず、これでも食って脳に栄養を回せ」


 睨みを利かせるわたしの前にミックスサンドイッチが差し出されました。

 奢りでしょうか? 助かります。なにせ本が出ないことにはお金が入らないのです。憧れの印税生活など夢のまた夢です。


「だからこのお店、好きです」

「……お前、この店の雰囲気が落ち着いて筆が進むから気に入ってるんじゃなかったか?」

「そうですよ。ここに来るといいお話が書ける気がするんです。あと、たまに美味しいお零れに預かれるので最高です」

「……後者がメインじゃないことを祈るよ」


 しかし困りました。

 被害者が事故死ではミステリになりません。

 美味しいサンドイッチを咀嚼しながらもう一度考え直します。


「ダイイングメッセージにフクロウを使うというのはどうでしょう?」

「フクロウがどんなメッセージになるんだよ?」

「ん~…………あっ! 犯人の名前が『ほーほー田』さんなんです!」

「出てきた瞬間犯人だって気付くな!?」


 これもダメですか。

 温かいミルクティーを飲んで考え直しです。


「なんでそんなにフクロウに拘るんだ? もっと普通のミステリにすればいいだろ」

「編集さんが『今、フクロウカフェとか流行ってるんで乗っかりましょう!』って」

「乗っかる流行り間違ってるだろ!? え、バカなの、お前の担当編集!?」


 黒縁のメガネを持ち上げて目頭を揉む遠野さん。

 現在二十八歳。彼女なし。趣味は料理と車。

 足しげくこの店に通い仕入れた情報です。


 少々口は悪いですが、理知的なメガネとその奥の涼し気な目元が印象的で、あの目に見られると……


「ん、なんだ?」

「いえ、別に……」


 ミルクティーが三倍美味しく感じられます。

 ただし、その弊害としてこちらが視線を外さなければいけなくなりますが。


「あっ、いいことを思いつきました!」

「どんな碌でもないことを思いついたんだ?」

「凶器がフクロウなんです!」

「無理!」

「被害者は後頭部をフクロウのような物で殴打されたんです!」

「フクロウのような物って、フクロウ以外に何があるんだよ!?」

「…………ミミズク?」

「だろうな! それくらいしかないもんな!?」

「で、たまたま現場近くにいた人が『ゴスッ』って音と共に『ほー』と鳴く声を聞いていて」

「まだ続くのか、この話!?」


 遠野さんはわたしの話を遮り「真面目に考えろ」と編集さんのようなことを言いました。

 わたしはこの上もないほどに真面目に考えているというのに……


 しかし、凶器もダメとなるといよいよ手詰まりです。


「遠野さんは何か知りませんか? フクロウの習性で殺人に使えそうなものが何かないか」

「いや、知らねぇよそんなもん」

「もう! なんのためのメガネですか!?」

「視力矯正のためのメガネだよ!?」


 少し不機嫌そうな顔をしながら、遠野さんはタブレットPCを手に取りぽちぽちと操作を始めました。

 ……怒らせてしまったでしょうか?


 でも、これも作戦の内。

 大人っぽい雰囲気には似合わず、遠野さんは少し子供っぽく負けず嫌いなんです。

 なので少し怒らせてこちらのペースに乗せてやるのです。


 タブレットPCと睨めっこをしている遠野さんに気付かれないようにカバンから二枚のチケットを取り出します。

 編集さんから「取材に行ってこい」と渡されたフクロウカフェの無料招待券。

 これを使って、今日、わたしは……遠野さんをデートに誘います! 取材デートです!

 デートの費用はすべて経費で落とせます!  最高のシチュエーションです!

 何がなんでも完遂しなければ。


「あのっ、遠野さん」

「あっ、これ……」


 意を決して顔を上げたわたしの声と、タブレットPCを見つめていた遠野さんの声が被りました。

 タイミングが悪いです、遠野さん……


「何かいい情報が見つかりましたか?」


 もしフクロウの面白可笑しい殺人的習性がネットに載っていたのだとしたら、わたしの目論見は脆くも瓦解してしまいます。取材に行く必要がなくなってしまうのですから。

 フクロウよ、人も殺せないような穏やかな野生動物であれ――という祈りが届いたのか、遠野さんは少し黙った後で首を振りました。


「いや、なんでもない。大した情報じゃないよ」

「そうですか。それはよかったです」

「よかった?」

「いえ、残念です! とっても残念です!」


 ここで喜んではこちらのたくらみが露呈してしまいます。

 慎重に、もっと狡猾に。さりげな~く、自然にフクロウカフェへと誘い出す言葉を。


「遠野さん、喉が渇きませんか?」

「ミルクティー、おかわりいるか?」

「いえ、そういうことではないんです」

「じゃあ、水か?」

「飲み物なんてどうでもいいんです!」

「喉渇いたって言ったよな、今!?」


 喉が渇いたのではなく、飲み物が飲める場所へ行きましょうというお誘いですよ!

 まったく、なんて鈍感な人なんでしょうか?


 このお店の名前、コクリコの花言葉は『おもいやり』ですよ。

 もう少しわたしの気持ちを汲んでくれてもいいと思うのですが……


「なぁ。フクロウのことをよく知るためには、実物を見てみるのが一番なんじゃないのか?」


 おもいやり、きました! いただきました!

 ナイスおもいやりですよ、遠野さん!

 こ、これはもしかして……


 コクリコのもう一つの花言葉、それは『恋の予感』。


 もしかして、聞こえてきたのでしょうか、恋の足音が!


「もしよかったら、俺と……」

「はい、一緒に行きましょう、フクロウカフェ!」

「……は?」


 遠野さんの眉間に、深いしわが刻まれました。


 ……あれ?


 実物のフクロウを見るって、つまりフクロウカフェに行こうってこと、ですよね? さっきチラッと話題にも出ましたし。

 それにわたし、今日は勝負の日と決めてとても『攻めた』ファッションをしていますよね?

 張り切って『見せブラ』までしちゃってるんですよ?

 これはもう、「あ、こいつ、今日は勝負かけてるな」って分かりますよね? デートですよ、デート! 『見せブラ=デート』でしょう、普通!?


「……俺、他所のコーヒーとか、飲みたくない」


 なんということでしょう。


「それほどまでに自分の店のコーヒーにこだわりが?」

「ん……まぁ」


 なんということなんでしょう、本当に……

 わたしは最初から間違っていたようです。遠野さんを他所のカフェに誘うなんて。

 そもそも、遠野さんはわたしのことなんてなんとも思ってないのでしょうね、きっと。だって、見せブラに一切触れませんし。

 脈、ないんでしょうか……あ、泣きそうです。


「じゃあ、あの……編集さんと行ってきます」

「え? お……おう。そう、だな」


 どちらにせよ、締め切りはあるわけで。デートがご破算になったとしてもわたしは書かなければいけないのです、フクロウのミステリを。

「では、また……」と、沼を歩くような重い足取りで、わたしはお店を出ました。編集さんがお膳立てしてくれた初デート大作戦。その切り札を切ることすら出来ずに。


 切り札は、切らなければ効果がない。

 そんな当たり前のことを痛感して、わたしは肌寒い空の下で編集さんへ電話をかけるのでした。




☆★☆★☆★




 カランカランとベルを鳴らしてドアが閉まる。


「はぁ……やっちまった」


 出て行った背中を視線で追うことも出来ず、俺はカウンターに両手をついてうな垂れた。

 付きっぱなしのタブレットPCの画面には『野生のフクロウに会える』と謳ったキャンプ場のホームページが表示されている。

 テントなら持っているし、車も出せる。金のない小説家である当店の常連客、広瀬みずきに負担をかけさせずにデートに誘える絶好の場所。その機会を、まんまと逃してしまった。


「あの言い草はないよな、俺……」


 夜行性のフクロウを観察するなら一泊することになる。

 広瀬みずきと一泊……そう思うと、ありもしない妄想があれこれと浮かんできて……


「何がなんでも行きたいって思っちまったんだよな……」


 そのせいで、フクロウカフェなんてお手軽に行ける、一泊なんてする必要もない、なんなら小一時間でことが済んでしまう場所が疎ましく思えてしまって……あんなにつれない態度を。


「フクロウカフェでも、それはそれでよかったのに!」


 妄想に負けたのだ。

 この店の名前『コクリコ』。その花言葉の内の一つに『妄想』というのが含まれているせいかもしれない。


「そもそも、あいつがあんな格好してくるのが悪い」


 今日の広瀬みずきの服装は酷かった。

 トレーナーが伸び過ぎてブラ紐が見えていたのだ。

 見せブラかとも思ったが、あんな使い込んだベージュの地味なのが見せブラなわけがない!

 ならば、くたびれたトレーナーの襟元から見えちゃいけないブラ紐が見えていたと考えるほかない。

 どこまで金がないんだ、あいつは……


 出来るなら、新しいブラジャーをプレゼントしたいところだが、そんなことが出来るはずもなく……俺に出来るのはせいぜい。


「今度、サンドイッチに高級なローストビーフでも挟んでやろう」


 そう呟いて、タブレットPCの電源を落とした。


 随分と前から密かに恋心を抱いている常連客に告白するための切り札――に、なるかもしれなかった『フクロウに会えるキャンプ場』のホームページが消える。


 切り札は、切らなければ効果がない。

 そんな当たり前のことを痛感して、俺は空いたカップと皿を下げるのだった。






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