第3話 デートに誘うだけの、簡単なミッションです
デートに誘うだけの、簡単なミッションです。
行きつけの喫茶店『コクリコ』のカウンターに座って、わたしはいつもより若干の緊張感を持ってマスターの遠野さんに話しかけます。
「遠野さんは、お花が好きですか?」
「いや、別に」
じゃあ、なぜこのお店の名前はコクリコなんですか!?
花が好きだからこそ、その花に思い入れがあったりして店の名前にしたんじゃないんですか?
「あの、このお店の名前の由来って?」
「さぁな。祖父さんから譲り受けた店だから」
「そうだったんですか?」
遠野さんの過去が知れて、わたしは少し得した気持ちになりました。
出来ることなら、もう少し遠野さんのことが知りたい。そんな欲が顔を覗かせます。
「どうしてお祖父さんのお店を継ごうと?」
「……就職難でなぁ」
おっと、いけません! 遠野さんが遠い目をし始めました。これは聞いちゃいけないやつです。話題を変えましょう。
「そういえば、もう三月ですね。春ですよ」
「これくらいの時期には、もう焦りも通り越して燃えカスみたいになってたなぁ……」
話題が変わりません!? なんと根深い心の傷なのでしょう。
わたしとしては、遠野さんがそこらの中途半端な企業に入社しないで、ここでこうやって喫茶店をやっていてくれて、とても嬉しいのですが……
こうして、毎日あなたに会えるから。
けど、そんなことを面と向かって言えるほどわたしには勇気がありません。
だけど伝えたい。あなたの存在に、わたしが癒されているということを。
「わたしは、遠野さんが喫茶店をやっていてくれて嬉しいですよ」
「え……」
あぁ、いけません!
これでは、わたしがあなたにべた惚れだと白状しているようなものです。
まだ早い。今はまだ、そこまでバレたくはありません。えっと、だから……癒し! そう、癒しなんです!
恋とかではなく癒しなんですと、そういう路線で誤魔化しましょう!
「エプロン、可愛いですし!」
「……いや、可愛いとか言われてもな」
不覚っ!
言葉のチョイスを誤りました。
男性に「可愛い」は褒め言葉にはなりません。
遠野さんがわたしにしてくれた嬉しいことを、わたしが遠野さんを必要としていることをもっと伝えなければ!
「サンドイッチが美味しいです! あと、お金がない時はツケてもらえるのでとても助かります! ちょいちょい奢ってもらえますし!」
って!? これではただの意地汚い女です!?
エサをたかりに来ている野生動物じゃないですか、これじゃ!
わたしはそんなにがっついていません! これでも癒し系寄りなんです!
「わたしは飼育向きです!」
「よし、いいから一回落ち着け」
目の前に平べったいおむすびが出てきました。……不器用なんでしょうか?
「教えましょうか、おむすび?」
「それはそういう食い物なんだよ。いいから食え」
言われて、一口かぶりつきました。
途端に口の中にジューシーなお肉の味が広がりました。お米が、お肉と手をつないでわたしの口の中でタップを踏んでいます。
ご飯の中にお肉を挟んだだけで、こんなにも幸せな味がするのですね。
こんなに素晴らしい料理を生み出した遠野さんは、やっぱりとても素晴らしい人です。
「遠野さんのお嫁さんになる人は幸せですねぇ。毎日こんな美味しい物が食べられるなんて」
しかも無料で。
しかも、遠野さんと一緒に。
……いいなぁ。
そんな幸福が、わたしに訪れたりはしないでしょうか。
ほんの少し、そんなバラ色の未来を妄想して、わたしの頬は桃の花のように色づきました。
この想いが少しでも伝わればいいと、そっと遠野さんへ視線を向けます。
わぁ、背中だぁ。
思いっ切り向こうを向かれていました。体ごとです。
カウンターの向こうの壁に貼られたポスターをガン見です。
……もう少し、わたしに興味を持ってくれてもいいと思います……くすん。
遠野さんが見つめるポスターには満開の花の写真が印刷されています。
艶やかな紫の花。
桜や桃とは違う花のようです。なんという名の花なのでしょうか。
「ん? あぁ、これか?」
覗き込んでいたのがバレたのか、遠野さんがこちらを向きました。
花の赤みが移ったような顔で。メガネを何度も押し上げて。
「町内会の会長が店に貼れってうるさくてな。なんでも、花見をやるらしいんだ、出店とか呼んで」
「お花見……」
「そ、それで、もし興味があるなら――」
そうでした! お花見です!
わたしはポケットに忍ばせたチラシをぐっと握りしめました。
わたしには、一つのミッションが課せられていたのです。
遠野さんを、お花見デートに誘う!
そのためのお膳立てを、編集さんがしてくれているのです。
「おい。聞いてるのか?」
「へ? え、えぇ、もちろん!」
聞いていませんでした。
それどころではありませんでしたので。
「実は今度、時代小説を書くことになりまして」
「また、唐突だな」
遠野さんはまるで話の腰を折られたかのように眉間にしわを寄せました。
けれどとりあえず聞いてください。我が敏腕編集さんのお膳立てを。
「編集さんが、『侍の映画を見て感動したから、あんたもこんなん書け』と」
「その編集、変えてもらった方がいいんじゃないのか?」
とんでもないです!
凄い人なんです! 敏腕ですし!
「それで、古くから日本で愛されているお花について調べようと思いまして」
時代が変わり、街が変わり、人々が変わってしまっても、花は昔から変わりません。
江戸の時代から同じ場所で花を咲かせ、当時の人にも愛でられていたのです。
そんなもっともそうな話を語り、わたしは早鐘を打つような鼓動を必死に誤魔化します。
編集さんが用意してくれた、たった一日だけ開催されるデートにお勧めの催し物。
桜を愛でるお花見とはまた一味違う、日本の詫び錆びを感じられる、ちょっと大人なデートスポット。
編集さんは私が逃げ出さないように「次の話に使うから絶対見てくること」と退路を断ってくれました。
作家、広瀬みずき。女を見せる時です!
「と、遠野しゃん!」
噛みました。
でも、勢いが死んでは二度と口に出来ません!
行くのです、わたし! 言い切ってしまうのです!
「今度のお休みに、お花見に行きませんか!?」
「え、それって……?」
「はぅわっ、いえ、違うんです! これは、あの、そういうのではなくて……取材! そう、取材なんです! 次のお話に絶対必要な取材で、取材しないと次のお話も書けなくて、結果印税も入らないので今日の平べったいおむすびのお金も払えません! つまりこれはおむすびのための取材です!」
いいえ、おむすびのための取材ではありません!
何を口走っているのでしょうか、わたしは!?
テンパり過ぎもいいとこです。
けれど、遠野さんが「それって……?」と言ったから。その後にはきっと「デートの誘いか? お前俺に惚れてんのか?」という言葉が続くに違いなく、「身の程知らずめ」と思われたくなく……つい、誤魔化してしまったのです。
その結果、おむすびのための取材です。……わたしは、何を口走っているのでしょうか、本当に。
「それで、あの……今度のお休みなんですが……」
もう、おむすびのための取材でもなんでもいいです。
遠野さんをお誘い出来れば……
「だから、さっき言ったろ? 町内会のマグノリア祭りで出店を手伝わされるって。……聞いてなかったのか?」
聞いて、ませんでした。
なんというタイミング……なんという、神のイタズラ。
こうなってくると「絶対に見てくること」という編集さんの指令がただの足枷です。
あの人、本当に敏腕なんでしょうか? 変えてもらえないか今度交渉してみましょうか。
「取材なら……仕方ないな。出店のタダ券、あったんだが」
はぅっ!
二つの意味でショックです。
「なんの取材に行くんだ?」
「……紫木蓮です」
「紫木蓮……聞いたことはないが、なんだか和風な花だな」
「はい。洋風なマグノリアとは、似ても似つきません」
「ま……、仕方ないよな」
「はい。……仕方、ないです」
目の前に無造作に置かれた出店のタダ券を、なんとか今日使えないかとそっと差し出したところ、遠野さんは苦笑して料理を始めました。
そういう優しいところが、大好きなんです。
あぁ……本当に残念です。お花見。
カウンターの向こうに貼られたポスターを睨みます。
マグノリアという花の艶やかな紫が、少々疎ましく見えました。
☆★☆★☆★
デートに誘うだけの、簡単なミッション――の、はずだった。
なのに……
なんてことをしてしまったんだ。
花見、出店、タダ券と、広瀬みずきが好きそうなものが三つも揃えば自然と誘えると思って、町内会長に無理を言って出店として参加させてもらえるように頼み込んだというのに……それが裏目に出てしまった。
なんだよ、紫木蓮って。
見たことはないが、きっと凄く厳かで高尚な花なのだろう。……詫び錆び、か。そういう方がよかったのか。くそ。
あいつが「お花見に行きませんか」と言った時には、「出店を抜けて一緒に」と続くと思ったのだが……まさか、『おむすびのための取材』とは。
その日は一日祭りの会場で店の番をしていると説明したというのに、あいつはまったく聞いてなかったんだな。……もっと興味持てよ、俺に!
「喫茶店をやっていてくれて嬉しい」とか「お嫁さんになる人は幸せ」とか、思わせぶりなことばっか言うくせに……お前だよ、嫁に欲しいのは!
結局、タダで飯をくれる相手くらいにしか思われてないんだろうな。
「わたしは飼育向きです」なんて、初めて言われたわ。
あ~ぁ、チキショウ。
今日は一世一代の覚悟を決めて挑んだってのに。
「へい、お待ち」
広瀬みずきの前に焼きそばを置いて、タダ券をむしり取る。
「わぁ、美味しそうです」なんて喜ぶ顔を見て満足している内は、デートなんてまだまだ無理なのかもしれないなぁ……
――紫木蓮とマグノリアが同じ花を表しているということに二人が気付くのは、もっとずっと先のお話。
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