NOWHERE MAN

緑茶

Endless Waltz.

「これは……」

「君が見ているのは紛れもない事実だよ。我が国の人々はすっかり慣らされている……『ヒーロー』という名の毒薬に」


 2019年現在、この国の人間を形容するのに相応しい言葉を、ソトからやってきた者はいくつも考えてくれていた。

「国民全員が義憤に肩まで浸かっているが、それに気付いている者はごく少数である」

「犯罪率の激減と、テレビ番組のな本数低下を関係づける資料は存在しない――少なくとも公式には」


 彼は今、真実を見ていた。



 この国に『彼ら』が現れ、闇の中で人々を襲い、殺害するようになったのは1970年代初頭のこと。その被害は秘密裏に拡大されていった――そう、秘密裏に、である。そんな事態が存在することなど、政府は認めなかった。この国は相変わらず平和だったし、経済の停滞など起きていないのだ。

 総ては虚像を守るため。

 そのために、『彼ら』を知らず知らずのうちに排撃する存在が必要だった。そこで政府は創り上げた。『それ』を。


 『それ』は『彼ら』と戦い――殺害していった。次々と。だが『彼ら』はまるで人々のイドから湧き出てくるように、際限なく増えていく。被害を受ける地域は広がり、情報操作も常に破綻が目に見えていた。


 相次ぐ目撃証言、根も葉もない噂。

 政府は一計を案じ、実行に移した。

 とある番組を制作する。


 悪の怪人たちから人々を守る、正義の味方の話。

 必要なのはリアリティ。全部実写でやる。

 予算は政府主導――さぁ、存分にやれ。


 たっぷりのカネと時間をかけて作られたその活劇はまたたく間にお茶の間を席巻した。はじめは小さな子供、やがては大人を巻き込んでの一大ムーブメントとなった。数多くの産業がその流行に便乗し、たんまりといい飯を食った。


 だが、『彼ら』の駆除は終わらなかった。

 だから、画面の中での『それ』の活躍も終わらなかった。


 『それ』の戦いは、はじめは史実に忠実に作られていたが、時代の要請に従って、その都度形を変えていった。骨子となる主張はそのままに――つまり、政府の意向はそのままに。見た目を、ストーリーを。設定を。

 どれだけ非難が集中しようと、政府は放送を続けた。


 だが、それが功を奏していた。

 誰も気付いていなかった。

 気付いているのはテレビ局の人間だけ。


 ――人々の間に芽生えている、『ある思想』。

 それが、国全体に浸透していたのだ。画面の中で展開されている戦いによって。


 犯罪は激減した。

 子供は遊ばなくなり、大人は仕事以外をしなくなった。

 すばらしい世界のおとずれ。

 誰も気づかないところで国は平和になっていった。


 ――増え続ける、『彼ら』の犠牲者を除いて。



「そして残念なお知らせだが。この国には英雄など存在しない。この、何十年と続く戦いの中には」


 それが真実。

 英雄は居ない。

 ましてや、物語などというものもありはしない。


 『それ』は、実際は代替わりなどしていない。

 同じ『素体』を使い続けていた。消耗すれば、新たな肉体と精神を与えて生まれ変わらせる。その繰り返し。元の名など、誰も覚えていない。もはや概念となった『それ』が、『彼ら』と戦い続けている。


「君の知っているような『悪の親玉』だが――実はもう居ないんだ。実際は1975年に既に駆除されているんだ。今この国のどこかで続いている戦いは、残党とそこから派生した連中と『やつ』の果てしない泥沼の殺戮劇だよ」



 体中が震える。

 認めない、こんな真実を認めるために、この会社に入ろうと思ったわけじゃない。

 自分はただ――憧れた。画面の中に居る『それ』に。

 だから……。


「おっと、君は逃げられないよ。憧れが砕かれたからといって、仕事をしないわけにはいかないだろう? そんな道理の通らないことを、『それ』は許してくれないだろう。そんなの、正義じゃない、とね」


 ――何かを注射される。

 ああ――染み渡っていく。

 消え去っていく。

 自分の中にある、憂いが、怒りが、疑問が。


 なんて素晴らしいんだろう。

 この世界は――!!


「さぁ、入社おめでとう。それでは、共に創りだそうじゃないか……終わりのない『それら』の物語を」



 一人の老婆が、薄暗い部屋の中で、ある若い男の写真を見つめている。


「ねえ――貴方は今、どこで戦っているの。教えて……物語は、何も答えてくれない……何も……」


 静寂が解答だったから、それ以上何も言えなかった。


 人々の明るい声が、外に満ちている。

 老婆は部屋の中で、涙を流し続けている。

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