福は一人占めしちゃいけないんだよ

楠秋生

第1話

 小さい頃、私の家にはたくさんのフクロウがいた。木彫りに陶器にガラス細工にクリスタル。他にもキルトやフェルト、竹細工に紙細工など多種多様だった。リアルなものもあれば可愛らしいものもいた。

 母と二人で暮らしていたアパートは、陽当たりが悪く昼間でも薄暗かった。簡素で味気ない部屋の中で、その一画だけ妙にカラフルで、時おりビーズやガラスがきらりと光るのが小気味悪かった。

 母子家庭でつましい生活を送っていたのに、なぜかフクロウにだけ異常な執着をみせていた母。その理由は今となってはわからない。


「母さんは欲張りすぎたからよくなかったのかもしれないねぇ。福は一人占めしちゃいけなかったんだよ」


 私が小学三年生の秋、そう言って寂しそうに笑った。


「この中で、ミチルが一番好きなのをあげるよ。選んでごらん」


 大事にしていたフクロウを、それまで一度も触らせてはくれなかった。いつもは優しい母がフクロウを触るとすごく怒ったのに。

 驚いた私は、もらえるのが嬉しくて、なぜ母がくれる気になったのか、全く考えなかった。

 私はころんと丸くて愛らしい目をした木彫りのフクロウを選んだ。


 それから数日後。母は突然亡くなった。私が朝起きた時には隣の布団で冷たくなっていたのだ。


「おかあさん!? なんで? どおしてぇ?」


 泣いても叫んでも揺り動かしても、母は冷たいままだった。

 私の声を聞きつけて集まってきた近所の人たちが、お通夜やお葬式の手配をしてくれた。私は何もわからず、ただ泣いているだけだった。

 母は死期がわかっていたのかもしれない。それで譲る気になったのか。内臓のどこかがとても悪かったと誰かが言っていた。


 身内のいなかった私は施設に入ることになった。荷物はランドセルと段ボール三つ。そのうちの二つはあのフクロウたちだった。


「こんなの持ってても仕方ないだろう。いくつか選んであとは処分したら?」

「でも、母さんが大事にしてたから」

「まぁねぇ。思い入れがある形見なら……」


 荷造りを手伝ってくれた隣のおばさんは、私の意志がかたいのをみてとると、大量のフクロウを、一つ一つ新聞紙で包んでくれた。


 その時ふと、母の言葉を思い出した。


『福は一人占めしちゃいけなかったんだよ』


 そう言って私に一つくれた。

 私はその言葉の意味をじっと考えて、一つの結論を出した。


「おばちゃん、これ、もらってくれる?」


 まだ梱包されていなかったガラス細工のフクロウ。


「お母さんの形見だから、大事にするんじゃなかったのかい?」

「うん。大事だから処分なんてできないの。だけど、お母さんがね、死んじゃう少し前に言ったの。『福は一人占めしちゃいけなかったんだ』って。だから、ありがとうって言いたい人にあげた方がいいのかなって思って」

「それで、これを私にくれるのかい?」


 ガラスのフクロウを受けとると、私とそれを交互に見た。


「可愛い子だ。大事にするよ」


 それが私の手元から出ていった一羽めのフクロウだった。


 転校することになり、大好きだった担任の先生と、仲のよかった友だち三人にもフクロウをあげた。


 それから施設で仲良くなった子や優しくしてくれた職員の人、学校で新しくできた友だちにもあげた。その時々で、その人に合うと思ったものを選んだ。

 一つずつ手元からフクロウが減っていったけれど、しあわせは逆に増えていったような気がする。

 

  🦉 🦉 🦉


 五年生になって施設が移動になり、また転校した。四月終わりの日曜日、公園で新しい友だちと待ち合わせをした。

 施設の子たちがケンカをはじめたので、巻き込まれたくなくて約束より一時間も早くについた私は、ベンチで本を読んで時間をつぶしていた。

 ふと視界の隅に、女の人が買い物袋を落とすのが見えた。袋の中身が辺りに散らばった。


「手伝うー」

「ありがとう。あっ!」

「わぁっ!」


 転がりでた荷物を拾おうと駆け寄ったのに、私が転んでしまった。肩にかけていたトートバッグから、フクロウたちが転がりでる。


「あらあら」

「ごめんなさーい。手伝いにならないね」

「お店屋さんでもするの? フクロウばっかりね」

「福を配るの」

「福を?」

「うん。これ、お母さんの形見なの」


 二人して荷物を拾いながら話をし、終わるとベンチに座ってそのまま話続けた。

 お母さんが集めていたフクロウのこと。最期の言葉。それから一つずつ人にあげていること。新しい友だちが出来たから、今日持ってきたこと。

 どうして見ず知らずのこの人にいきなりこんな話をしているんだろうと思ったけれど、彼女が真剣に聞いて相槌を打ってくれるので、いろんなことをしゃべってしまった。


「おばちゃんもいる?」


 その人に似合いそうな藤色のちりめん細工のフクロウを差し出す。


「私にもくれるの?」

「うん、大事にしてね」

「ありがとう。嬉しいわ。大事にするわね」


 優しい瞳でフクロウを見つめ、胸にそっと抱いて帰っていった。それまでにあげた人の中で、一番大切にしてくれそうだった。

 

 それから公園で顔を合わせる度におしゃべりするようになった。子どもの話なんて面白いのかどうかはわからないけど、いつもにこやかに聞いてくれた。


「ね、加納さん。また友だちが増えたよ。同じクラブの子。明日、フクロウを持っていってあげるの!」


 そう元気に報告したのに、次の日事件が起こった。


「何が『仲良くなった子にあげるの』よ。別に仲良くなったつもりなんてないし」

「可哀想な子だから優しくしてあげただけなのにねぇ」


 笑って受け取ってくれた子たちが、そう言ってフクロウを捨てるところを見てしまったのだ。

 

「死んだお母さんのフクロウだって~」

「そんなのもらっても気持ち悪いよね~」


 それを聞いて、私は頭が真っ白になってしまった。自分でもよく覚えていないけど、何か叫びながら突進していったんだと思う。

 ガチャーン!! と大きな音がして、気がつくとその子が脚から血を出して泣いていた。周りには花瓶の残骸。

 私はそのままそこから逃げ出した。ごみ箱からフクロウを取り出して、握りしめて走った。涙で前が霞んでよく見えなかった。


 施設に帰りたくなくて、いつもの公園に行った。築山のトンネルに潜り込んで膝を抱えて泣いた。悔しくて。悲しくて。泣いたのはお母さんが死んだとき以来、初めてかもしれない。泣き止もうとしても、涙がどんどん溢れて止まらなかった。


「みーつけた」


 どれくらい泣いたのか、辺りが薄暗くなってきた頃、トンネルの入り口から加納さんの声がした。見るとこちらを覗きこんでいる。それからよいしょと入ってきて、隣に座って黙って手を繋いできた。


「落ち着いた?」


 しばらくして、ゆっくりと話しだした。

 ミチルと仲のいい友だちが、加納さんを見かけて教えてくれたそうだ。

 ミチルが突き飛ばした女の子が怪我をして大騒ぎになったと。その前にその子が言ったことを聞いてた子がいたことも。


「クラスの子たち、心配してるよ。それから、ミチルちゃんのために、クラブの子の言ったこと、やったことをものすごく怒ってる」


 それを聞いて、引っ込みかけていた涙がまたこぼれ落ちた。 

 幸い怪我は大したことなくて、お互い渋々ながらも謝ってその事件は落着した。


 と思っていたら、次の週末にとんでもないことが起こった。

 加納さんが施設にやってきたのだ。旦那さんと一緒に。


「ミチルちゃん。お母さんのフクロウは、あといくつくらいあるの?」

「まだいっぱいあるよ」

「見せてもらってもいいかな」


 私は部屋に案内して、段ボールにいっぱいのフクロウを見せた。

 これが原因でケンカになったから、処分しなさいと言われるんだろうか。ドキドキしながら次の言葉を待つ。


 でも、先生でもなくここの職員でもない加納さんがなんで?


 加納さんがフクロウの一つを手に取る。


「あのね、ミチルちゃん。このフクロウたちを」


 そこまで聞いて、思わず耳をふさいでしまった。ぎゅっと目を閉じる。


 捨てろって言うの? 加納さんが? 大好きな加納さんが? 聞きたくないよ。


 耳を押さえている手に温もりが伝わる。そろりと目を開けると、加納さんが小さく首を振っているのが見えて、恐る恐る耳から手をはなした。


「このフクロウたちを、福を配ることを私たちにも一緒にお手伝いさせてもらえないかな。あなたとフクロウたちにうちに来てもらいたいの」


 言われている意味が、すぐには理解できなかった。


「私たちの、子どもになってくれないかな」


 脳みそにその言葉が到達しても、言葉の意味は解っても、頭が追いつかない。

 ふと、加納さんの後ろにいる旦那さんを見る。優しさが滲み出ているような温厚そうな人だ。うんうんと、頷きながら微んでいる。


 雨降って地固まるとはこのことだろう。あの事件があったから、加納さん夫婦は早急に対策を、と考えてくれたのだ。


 こうして段ボール二つのフクロウと一緒に、私は加納ミチルになった。


  🦉 🦉 🦉


 加納のお父さん、お母さんにたくさん愛されてたくさんのフクロウたちを、たくさんの福を、みんなに配って私は幸せになった。


 不苦労。苦労知らず。

 福籠。福が籠る。

 福老。豊かに年を重ねる。

 首がくるくる回るから、お金の回りもよくなる。

 夜目がきくから、世間に明るい。


 いろんな福を持ってくるフクロウ。

 一人占めせず配ったから幸せになれた。




 あれから十五年たって、今日最後のフクロウを渡した。

 この子を箱の中から見つけたときに、一番最後に渡すのはこの子にしようと決めていた。みんなに福を配った最後にと。

 ころんと丸くて愛らしい目をした木彫りの子。私が実母にもらったのよりも一回り大きい。そう、私のと対になっている。


 緊張した面持ちで私からそれを受け取った彼は、私の左右に座る両親の顔を交互に見た。


「必ず、幸せにします」


 加納の両親は涙を流して喜んでくれた。





 新居の玄関に二つを並べて置いた。私と彼の一対のフクロウ。

 明日の式を終えて新婚旅行から帰ったら、一番に私たちを迎えてくれるだろう。

 それから、この家を訪れる人たちを。


 みんなにしあわせをもたらしてね。




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