第一話: 想いを胸に秘め

※性的な意味合いでの下品な描写があります。注意要





 ―――――地下2階―――――




 右も、左も、上も、下も、土、土、土、茶褐色の景色。


 群生する、ウィッチ・ローザ(魔女の松明)が暗闇に閉ざされるはずのダンジョン内を照らし出し、その光を受けたオキシゲン・ピアニー(命の吐息)が空気を生み出し、クリア・フラワー(空気清浄)が、淀んだ大気を浄化している。


 変わらない。何も、変わっていない。


 薄らと湿り気が漂うそこは、暑くもなく、寒くもなく、風すら吹かず、物音すら聞こえてこない、静かな世界。壁やら何やらから突き出ている岩石が、ついでと言わんばかりにひやりとした雰囲気を醸し出していた。


 ……その中を、マリーたち三人が無言のままに突き進む。


 『ダンジョン』に入った直後は多少なりとも気を張っていたマリーたちであったが、そういうとき、経験が力と余裕を与えてくれる。


 特に、マリーとドラコは顕著であった(サララだけは一人で潜ることもあったので違った)。


 入った当初は少々のぎこちなさ、雰囲気というべきかもしれない何かが合ったが、地下2階に下りる頃にはすっかり身体に馴染み、以前の調子を取り戻していた。


 今更、と言ってしまえばそれまでだが、体感的には結構なブランク(マリーの場合、ブランクと言うのは少々酷な気もするが)がある二人だ。


 骨身に沁み込ませてはいるものの、どうしても、本人自身が説明できないズレのようなものに気が付く。


 それだけは実際に体感してから自力で修正するしかなく、むしろそれをこの短時間で修正出来る方がおかしい話であった。



 ……そうして、ようやく。



 ドラコは別として、探究者としての勘を取り戻したマリーは、周囲の索敵を注意深く行いながら、「……事前に話は聞いていたが、ここまでとはな」改めて体感する事実に、目を瞬かせた。



「地下2階まで降りたのに、全くモンスターと遭遇しないとはな……まるで廃墟の中を歩いている気分だぜ」

「廃墟の方が、まだ騒がしいかも」



 マリーの感想にサララも賛同し、ドラコも頷いた。2人はマリーよりも優れた感覚の持ち主であり、気配察知に関してはマリーよりも上である。


 特にサララは気配に、ドラコは臭いに強く、何時もなら遭遇する前にモンスターの接近を感知する。


 その2人を持ってしても、未だモンスターの姿はおろか、気配すら捉えられていない。その事に対して、違和感を覚えるなと言う方が無理な話であった。



 地下一階ならば、まだいい。



 モンスターの数は『ダンジョン』内の人数に少なからず比例すると言われていても、地下一階なら、そういうことも無いわけではない。


 だが、地下二階となれば話は別だ。地下一階よりも凶暴性を増したモンスターは、探究者たちが立てるわずかな物音にすら反応する。


 まだマリーたちは地下二階の中ごろまでしか進んでいないが、それでもここまで全く遭遇しなかったのは初めてのことであった。



「『はぐれ者』が多数出没するようになったっていう話も聞いていたから、すげえ身構えてはいたが……さすがにこうも静かだと、一回りして不気味だな」


 ――まあ、無駄な消耗を避けられる分、こっちは楽なんだけどな。



 複雑な顔でそう呟くマリーに、「……そういえば」サララが思い出したように首を傾げた。



「私はまだ『はぐれ者』を見たことがないけど、そもそも『はぐれ者』ってどういう姿をしているの?」

「どういうって、それは俺にも分からん。というか、誰にも分からんから『はぐれ者』なんだよ」

「ふーん……だったら、そこまで警戒する必要あるの? とりあえず、切ってしまえばお終いじゃないかな」



 素朴なサララの質問に、「死に際に毒でも吐き出すかも分からんだろ」マリーはそう言って頭を掻いた。



 そう、『はぐれ者』は何をしてくるかが分かっていないから恐ろしいのだ。



 ビッグ・ポケットの中には解熱剤を始めとした各種の薬があり、毒を受けた際の処置も行えるが……それでも、万全ではない。


 魔力による身体強化こそ行っているものの、マリー自身のそういった抵抗力は人並み以下だ。


 事実、『地下街』ではただ一人ウイルスから発病して生死の境をさ迷ったのは記憶に新しい。一度そういったことを経験した分だけ、マリーはこと『毒』に対しての警戒心は強かった。



「今回はイシュタリアのやつも居ないんだ。魔法術による回復も見込めないし……戦わずに下りられるなら、それに越したことはないさ」



 まあ、居ないやつを当てにしても仕方がない。



 そう言ってため息を吐くマリーにドラコは苦笑し、サララは……面白くなさそうに頬を膨らませながらもマリーの言葉に頷き……そして、俯いた。



 ……三人の足音が、物音一つしない通路の壁に吸い込まれる。



 用心深く、それでいて冷静に、広間へと入り、通路を抜けて、また広間に出て、通路を進む。


 通路に入るときは気配を探って死角を警戒する。


 広間に出る時は、小石を投げ入れて上と左右からの攻撃を警戒する。


 あくまで基本に忠実に、あくまで焦らず慎重に。


 ゆっくりと、それでいて確実に……マリーたちは歩を進めて行った。






 ―――――地下3階―――――





 ……だから、なのだろう。



 気づけばマリーたちは、何事も無く地下三階へと降り立っていた。あまりの順調さに、罠が有るんじゃないかと内心にて身構えるぐらいであった。


 状況は、相も変わらず変化を見せない。


 延々と続く砂の壁、茶褐色の大地、点在するウィッチ・ローザ。見慣れたそれらだけが、ただひたすらに世界を形成している。



 ……モンスターの影はもちろん、『はぐれ者』すら姿を見せない。



 まるで、『ダンジョン』にはマリーたち3人しか存在していないかのような静けさを前にして……マリーたちは、無言のままに先を急いだ。


 マリーたちの間を流れているのは、重さすら覚える程の静けさ。


 誰が最初にそうしたわけでもない、いつの間にか三人の間を埋め尽くしている沈黙。脳裏を過るのは、今はいない二人の少女。一人は、イシュタリア。そしてもう一人は……。



「――静かだな」



 どこか張り詰めた緊張を和らげるかのように、ポツリと、マリーの言葉が響いた。



「うん、静かだね」



 一拍遅れて、サララも頷く。マリーも、サララも、ドラコも、あえて口には出さなかった……いや、出せなかった、の方が正しいのかもしれない。



「サララ、ドラコ」



 けして大きくはない、声。けれども、それに秘められた決意は大きく……自然と、二人はマリーからの言葉を待った。



「もしもナタリアが姿を見せたら、お前らは手を出すな」



 そして、下されたその言葉。


 横暴と取るか、あるいは血迷いと取るか、それとも……それっきり押し黙ったマリーからは、何もうかがい知ることは出来なかった。



「……どうするつもりだ?」



 尋ねたのは、ドラコであった。


 その顔はあくまで無表情で、声色も普段と変わらない。まるで昼食を尋ねるかのような軽い尋ね方で、一人槍の柄を握り締めているサララの方がよほど張り詰めたをしていた。



「…………」



 しばしの間、マリーは答えなかった。



 けれども、ドラコは急かさなかった。


 サララも、何も言わなかった。



 ただ、重苦しい静けさの中で二人の視線を受けたマリーは、一つ、大きなため息を吐いた後。



「覚悟は、固めてきた」

「……覚悟?」



 首を傾げるドラコに、「何をどうするかは、実際にその時になってみないと分からんが……」マリーはそういって前置きをして……おもむろに顔をあげた。



「多分、俺が知らなければならない何かと共に……あいつは、居る」



 マリーが話したのは、それだけであった。



 『覚悟』というそれが、何であるか……マリーは口にしなかった。


 サララとドラコも、あえて尋ねようとはしなかった。


 いや、しなかったのではなく、尋ねることなど出来るはずがなかった。


 何故ならサララもドラコも、まだマリーには語っていない、胸の内に秘めているモノがある。



 サララは『オドム』から得て、ドラコは『ナナシ』から得たこと。それをまだ二人は、マリーに話していなかったのだ。


 サララはマリーには伝えられないというオドムとの約束があり、マリーに伝えるのはその約束を反故することになってしまう。



 ドラコは、ナナシが己にだけ吐露してくれた想いを他者に……よりにもよってマリーに語れるわけがなかった。


 そして何よりも、二人が得た知識はあまりに断片的で、それがどういうことなのかも分からなかったから……、結局、二人は黙秘することを選んだのだ。



 ……おそらくは……マリーが知ろうとしている何かの一端なのだろう。そして、その何かを語るのは自分たちではない。



 サララもドラコもそう思っていた……だからこそ、断片的とはいえ、互いが得たソレを素直に伝えて良いのか悪いのか。ましてや、他者に判断を仰いで良いモノなのか、駄目なのか。


 それを判断するにはサララはあまりに真面目で、ドラコはあまりに人間というものを知らなさ過ぎた……と。



 ――通路を抜けて最初の広間に入ったマリーは、不意に足を止めた。



 と、同時に、サララとドラコも足を止めた。3人の視線の先には、奥へと続く通路の入口にて佇む、『はぐれ者』の姿があった。



「……っ!」



 一目そいつを視界に入れた瞬間、サララも、ドラコも、身構えた。


 それは、事前にはぐれ者の危険性をマリーから教えられたからこその反応であった……のだが、それだけではなかった。


 下半身は……モンスターの名の通り、獣のそれであった。


 白と黒の毛皮で覆われた四肢は遠目からでも分かる程に強靭で、尻から伸びた野太い尾をゆらゆらと揺らしている。


 だが上半身は、まさしく人間の女であった。


 遠目からでも分かる膨らんだ胸と、絞られた腰回り。頭部に生えた角と鋭く伸びた耳さえ除けば、美女と呼んでも差し支えない顔立ちをしている。いや、顔立ちだけを見れば、そうとしか見られない程に同じであった。



「…………」



 奇妙な緊迫感……初めて対面する、はぐれ者。


 行動原理も、攻撃手段も、何もかもが不明なそいつは、何をするでもなく静かにマリーたちを見据えている。


 その視線を前にして、サララとドラコは……先の手を取れずにいた。


 なにせ、そのはぐれ者は、けして恐ろしい風貌というわけではない。また、敵意を向けてくるわけでもなく、ただ黙って見つめて来るだけだ。


 しかし、その視線は常にマリーたちへと向けられており、何かしらの興味を持たれているのは確実であった。



 ……やるか?



 視線を交わしたサララとドラコが、互いにタイミングを推し量る。


 ウィッチ・ローザの光を受けた『グングニル』と、岩をも切り裂く鋭い爪が、張りつめた空気をゆらりと切り裂いて――。



「待て、何もするな」



 ――今にも飛び出そうとしていた二人を、マリーは後ろ手で制した。


 そして、出鼻をくじかれてたたらを踏む二人を他所に、マリーは悠然とそのはぐれ者へと歩み寄る。



「――ま、マリー!?」

「大丈夫だ」



 サララが慌てるのも、当然であった。


 なにせ、つい先ほど『はぐれ者』の危険性を語っていたマリーが、最も危険な行為を行っているのだ。慌てるな、という方が無理な話であった。



「で、でも……!」

「いいから、ここは任せろ」



 だからこそ、それでも止めようとするサララを制しながら、マリーは静かに歩を進め……そして、はぐれ者の前にて足を止めた。



「…………」

「…………」



 マリーも、はぐれ者も、無言であった。後ろで何時でも迎撃できるように身構えている二人を他所に、マリーとはぐれ者は黙って互いを見つめ続けた。



 ……。


 ……。


 ……そして、張りつめた沈黙に重さを覚える様になった頃。


 何が切っ掛けになったのかは分からないが、不意に、それまで沈黙を保ち続けていたはぐれ者が。



「……良い匂いだ」



 まるで自らに言い聞かせるように……ポツリと、言葉を零した。


 それは、ナタリアに続いて二人目となる……人語を解する、モンスターの証明であった。



「えっ」



 驚きのあまり、サララは言葉を失くした。


 それを見て、「何を驚いているのだ、小娘」はぐれ者は不思議そうに……それでいて心から可笑しそうに、頬を歪めた。



「お前らは既に、人語を解するモンスターと共に暮らしていただろう……今更言葉を話せる程度で、何をそうまで驚く?」

「あっ……」



 言われてみれば、確かにそうだとサララは納得する。


 見た目こそ人間(一部分を除いて)ではあるナタリアも、その本質は紛れも無くモンスター……その事を、今更ながらに改めて思い出す。



「大方、アレが特別だとでも思っていたのだろうが……あいにくと、特別は何も一つじゃない。お前たちが知らないだけで、あの程度の特別なんてここには掃いて捨てる程にいるのさ」



 そうまではっきり言われてしまえば、サララはもう何も言えなかった。その横で、状況が分からずに首を傾げるドラコ。


 そして、あくまで自然体のままに佇むマリーの順に見やったはぐれ者は、「……しかし、想定していた以上だな」実に興味深そうにマリーを改めて見つめた。



「初めまして……と、言うべきかな?」



 意味深なその言葉に、こいつは何を言っているんだとサララとドラコは首を傾げた……のだが。



「姿を見ただけで会った、と考えるなら、お久しぶり、が正解なんだろうな」



 ため息と共にマリーがそう答えると、「え、会ったことあるの!?」サララは驚きの声をあげた。



「俺が前にダンジョンに入った時に、な。イアリスもたぶん覚えているんじゃないかな」



 簡潔に経緯を述べたマリーは、それで、とはぐれ者を睨んだ。



「戦いに来た……というわけじゃあなさそうだな」



 ――あの時は、もっと筋肉隆々な身体していたかな。


 そうマリーがジェスチャーをすると、「あの時は、戦う可能性を考慮していたからな」はぐれ者は苦笑して首を横に振って……そして、目を細めた。



「それにしても……見ているだけで堪らなくなる」



 そっと、はぐれ者の手が無遠慮にマリーの頬を撫でる――直後、「動くな」反射的に飛び出そうとした二人をマリーは止める。


 どうして、と疑問符を浮かべる二人に手を振って下がらせてから、「あいにく、お前とお喋りする暇はないんだ」おもむろに頬を撫でる手をぞんざいに払った。



「問答は面倒だ……何が目的だ?」



 場合によっては……その言葉と共に、マリーの拳を覆っているナックル・サックが軋む。彼を知る者ならば、それだけで震え上がる所作なのだが。



「つれないやつだ……なのに、不思議だな。不快感など微塵も無く、それどころか今にも破けそうな程に胸が高鳴っている」



 しかし、はぐれ者は気にした素振りも無かった。いや、むしろそんなマリーの対応を喜んでいるのか。


 その頬には薄らと赤みが差し、膨らんだ乳房の頂点は……はた目からでも分かるぐらいに、盛り上がっていた。



「さすがは『受け継ぐ者』というべきなのだろうな……事前に意思を固めておかなかったら、一も二も無く我を失っているところだ」

「――ほう」



 『受け継ぐ者』。その言葉がはぐれ者の唇から出た瞬間、マリーの声が少し低くなった。と、同時に、ドラコの肩もわずかに震えた……ただ一人、サララだけが首を傾げていた。



「どうやらお前と少しお喋りする必要がありそうだな……知っていること、洗いざらい吐いて貰おうか……!」



 ゆらりと、マリーの身体から魔力が立ち上る。おもむろに構えたマリーを見て、サララとドラコも身構える……のだが。



「そんな目で見るな……我慢……出来なくなるじゃないか」



 はぐれ者が見せた反応は、マリーたちの斜め上を行っていた。


 うっとりと、己の高鳴りを抑えるかのように、はぐれ者は己が両手で頬を覆う。ちろり、と唇を滑る舌は血のように赤く、ほう、と吐かれた吐息はどこか甘ったるさが感じられた。



 ……行動の意図というか、目的が読めない。



 雰囲気もそうだが、これまで相手にしてきたやつらとはまた方向性の違う常識外の存在を前に、どうも調子が乱される。


 自然と、マリーの身体ははぐれ者から一歩、二歩、引いていた。



「……ああ、こんな、想像以上だ」



 けれども、はぐれ者の異変はそれ以上であった。息を荒げ始めるそいつを前に、拳を繰り出そうかとマリーは悩む……けども。



「我らが『受け継ぐ者』に近づくことを禁じた『彼女』の行い、その意味が、ようやく分かった」

「――おい、それはいったいどういう意味だ」



 『彼女』……その単語に、マリーの意識は引っ張られた……だが、はぐれ者の耳には届かなかった。



「あの子は、この衝動に耐えていたというのか……い、些か信じられん。こ、こうしている今も、我を失いそうになるというのに!」



 近づくことを禁じた、そして、『あの子』……その部分が気になったマリーが再度尋ねる。しかし、はぐれ者は全く聞いてはおらず、ますます興奮を露わにして。



「――う、く、くう、だ、駄目だ、やはり堪えきれん!」



 表には出さないが、内心では思いっきり引いているマリーたちを他所に、熱の籠ったため息と共に弱音をはぐれ者は零す。と、その直後、人間の上半身と獣の下半身の境目となる部分が、突如むくりと隆起した。



 ――えっ。



 絶句するマリーたちを他所に、隆起したソレはむくむくと体積を増し、瞬く間に膨張していく。


 血管の形が分かる程に浮き出たそれは、天を突き破らんばかりに固く……気づけば、『人間の男性器』その物がそそり立っていた。



「……ふむ、同じくらい、かな?」



 もはや言葉すら出せずに立ち尽くすマリーとサララの横で、一人冷静に観察しているドラコの声が、嫌に空しく響いた……が、それが良かった。



「――おい、お前本当に何なんだよ。ごく自然な流れであれか、俺の思い出したくない過去を抉ろうって魂胆か?」



 ドラコの声で我に返ったマリーが、サララの後ろに隠れながらはぐれ者を睨みつける。


 サララも倣って睨みつけるが、「し、視線だけで……も、漏れそうだ」やっぱり堪えた様子は無かった。


 いや、それどころか、蔑みの視線がますます興奮を煽ってしまったようだった。深々と吐かれたため息と共に何かを諦めたはぐれ者は、躊躇なくそそり立った一物を……マリーへと向けた。



「受け止めてくれ、我らの母よ! そして、受け継いでくれ……我らの――」

「――死ね!」



 ほとんど、反射的な罵倒と共に、マリーたちは一気にその場を離れて先へと向かった。


 幸い……という言い方は明らかに間違っているだろうが、幸いにも、はぐれ者は追って来ることはなく……そのまま、マリーたちは駆け抜けるのであった。





 ……。


 ……。


 …………そうして、しばらく。



 この時ばかりは消耗のことを全く考えないまま、先を急いだ。


 常人離れした体力を持つサララ。そもそも人外であるドラコ。そして、魔力によって向上させた身体能力を駆使したマリー。


 常人では到底測れないこの3人の息が多少なりとも乱れてくるまで走り続けた頃には……すっかり、マリーたちが見られる世界は様変わりしていた。



 壁に、天井に、地面に、一面に敷き詰められたレンガと石の世界。



 隙間こそ見受けられるが、明らかに整備が行き届いたそこは、まるで人の手で一つ一つ並べられたかのような知性を伴う規則正しささえ感じさせた。


 それはつまり、ここが『名声の試練』と呼ばれる階層であり、現在マリーたちが居る階層が地下6階~10階のどこかであることを示していた。



「……なあ、今、ここは何階だ?」

「えっと、地下10階かな」



 ようやく周囲の状況を察せられる程度にまで落ち着いたのだろう。


 幾分か引き攣った顔でマリーが呟けば、既に息を整え終えていたサララが返事をした。


 ……先ほどまでマリーたちが居た階層は、地下3階。そしてここは、地下10階。すなわちマリーは冷静さを失ったまま7階分も降りてきたことになる。


 はっきりいって、愚かで危険であった。


 いくらモンスターに遭遇しなかったとはいえ、ここまで無警戒に行動するのは自殺行為以外の何者でもない。


 まあ、不意を突かれたところでどうということはないが、初心者ですら犯さない失敗を犯してしまったマリーは、静かに頭を抱えた。



「マリー……落ち込むのなら、安全なところで落ち込もうよ」

「そうだな、ここは安全な場所とは言い難い……さっさと動くべきだな」



 サララが、ドラコが、慰めるようにマリーの肩を摩る。


 だが、その言葉は辛辣さすら感じられ、グサグサと目に見えない刃が胸中に突き刺さる。思わず、「お、お前ら……」さすがのマリーも顔をあげた。



「しばらく離れていた内に、けっこう言うようになったじゃねえか」



 頬を引き攣らせながらマリーがそう言うと、サララとドラコは互いに顔を見合わせる。次いで、「そりゃあそうだよ」どちらともなく二人は笑みを浮かべると。



「あなたが好きだから、あなたを危険に晒したくないの」



 そう言って、サララがマリーの手を引っ張った。今までにはない強引な対応に、思わずたたらを踏むマリー。


 しかし、サララは全く止まる気配もなく、ドラコも止める様子はない。


 むしろ、「ほら、男が何時までも落ち込んでいるな!」落ち込むマリーを叱咤するぐらいであった。



 ……実際、二人の言い分が最もである。



 だからこそ、マリーはその事に対しては何も言えず、「歩けるから、手を離せってば!」せめてもの抵抗をするのが精いっぱいであった……と。



「――っ!?」

「ん、あれは……」



 そうして通路を抜け、広間に入ってすぐ。


 何気なく辺りを見回したと思ったら足を止めたサララに釣られて、マリーもそちらに視線を向け……「おお、石像があるじゃん」照らされた石像を見やり、頬を緩めた。


 それは、数ある安全地帯の中でも比較的見受けられることの多い安全地帯の一つ。台座の上から足を投げ出すようにして腰を下ろしている、少女の石像であった。


 実は一つ一つの造形が微妙に違うらしいそれの台座の周りには、ウィッチ・ローザが幾重にも連なるようにして繁茂している。


 まるで、その少女を称えているかのように石像を照らし出し、ひと際強く輝かせていた



「とりあえず、小休止と行こうか……さすがに、喉が渇いたぜ」



 いち早く石像へと駆け寄ったマリーが、そういってビッグ・ポケットを下ろす。


 袋から取り出したアクア・ボトルを傾けて喉を慣らし……大きくため息を吐くと、袋から取り出した懐中時計を見やった。



「……ちょっと早いけど飯にするか?」



 お昼というには、些か早い時間だった。が、別に食べられない時間でもなかった。



「うむ! 肉が良いぞ! 肉以外でも良いぞ!」



 同じく喉を鳴らしていたドラコが、元気よく返事をする。


 それに思わず笑みを零しながら、マリーは手早く用意してゆく。その様は、熟練の調理人を思わせる見事な手際であった。



「……改めて思うが、実に手慣れた動きだな」

「慣れだよ、慣れ。長年探究者をやっていれば、誰だってこれぐらいは出来る様に――」



 ぼんやりと眺めていたドラコの感想に、マリーは一瞬ばかり笑みを浮かべ……次いで、苦笑を零した。



「……どうした?」



 途中で言葉を止めたことを、不思議に思ったのだろう。


 訝しげに首を傾げるドラコに、何でもないと首を横に振って答える……ふと、何時もなら居るはずの人物が居ないことに気づいて辺りを見回し……おや、と目を瞬かせた。



 目的の人物であるサララは、石像の傍に佇んでいた。



 よほど興味を引く何かがあるのか、その視線は釘づけと言っていい程に石像へと固定されている。「おーい」とりあえず声を掛けてみるが……反応が無い。


 マリーの声すら届かない程に何かに熱中する……かなり、珍しいことであった。



「……?」


 ――何だろうか。



 気になったマリーは、火の番をドラコに任せてサララへと駆け寄る。しかし、それでもサララは気づいた様子もなく、その見開かれた目で石像の少女を見つめていた。


 ……サララの横に並んで、マリーも石像を見上げる。



「……あれ?」



 そうしてよくよく目を凝らせば、台座の一部に何かが彫られているのに気づく。ともすれば窪みにしか見えないそれに目を細めたマリーは……瞬間、息を呑んだ。



『親愛なる我が友人』



 そう、彫られている。見たことはないし、窪みにしか見えないのに……何故か、マリーにはそれが読み取れた。そう、読み取れてしまうことが……不思議でならなかった。



(題名なのか……友人……いや、止めよう。答えなんて出せるわけがないし、悩むだけ無駄だな)



 考えれば考えるほど深みにはまってしまうのが目に見えていたからだろうか。


 ごく自然にマリーは考えるのを止めて、思考を切り替えることが出来た。それが出来るようになったのは、多分……サララのおかげなのだろう。



(しかし、石像一つ一つに題名があったりするんだろうか)



 今までにも何度か石像を見て来たが、こんなところに題名があったとは……軽い驚きを覚える。


 けれども、おおよそ芸術など興味を抱いたことすらないマリーにとって……やはり、感想はそれまでと同じであった。



(もしかしたら、サララはそれに気づいて題名を思い出している……わけ、ないよな。声を掛けづらいけど、何を考えているんだろ)



 集中しているところを邪魔したくはない……が、何時までもこうして見ているわけにはいかない。



「少し早いが飯だぞ」



 マリーが遠慮なくその肩を叩くと、「――っ!?」文字通り飛び跳ねたサララが『グングニル』を構えると同時に振り返る。


 だが、マリーを見て安堵のため息を零すと、「……御免なさい」と、頭を下げた。



「気にするな」

「でも……」

「それよりも、急にどうしたんだ? 別に、見るのは初めてってわけじゃないだろ?」

「――っ! そ、それは……」



 チラリ、チラリ。『グングニル』と石像の間に視線を行き来させるサララを見て、マリーはますます首を傾げた。



「ん~、別に言いたくないなら言わなくていいぞ。それよりも、もうすぐ飯だから、サララも来いよ」



 特別気になったわけでもないし、マリーとしてはそれで話を終わらせたつもりだったのだが、「ち、違うの。言いたくないわけじゃない……けど」サララは、そう捉えなかったようだった……これは、面倒な状態だ。



「まあ、何にしても話は後だ。ドラコがそろそろ痺れを切らす頃だからな」


 ――とにかく、話を変えるに限る。



 そう判断したマリーは、言いよどむサララの手を引いてさっさと踵を翻す。少しばかり驚いているのが繋がった掌から伝わって来たが、知ったことではなかった……ん?



(――はて、そういえば)



 ふと、その瞬間、マリーの脳裏に先ほどの出来事が過る。



(あの時の、あいつ……)



 その出来事とはつまり、逃げ出してきたはぐれ者が口走っていた言葉。



(我らの母、我らの……いったい、あれは何のことだったんだ?)



 正直思い出したくないが、何故だろう。


 その言葉だけが、妙に頭に浮かぶ……が、考えたところで仕方がない。


 ひとまず考えるのは後回しにしたマリーは、未だに石像へ振り返るサララの手を引いて……ドラコの元へと駆け寄った。








  現在、地下10階。マリー、サララ、ドラコ、全員の状態は良好。


 『鬼人』と『聖女』の最終到達階:地下54階(非公式)


  マリーたちが目指す最下層まで、後――。


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