第五話: 愛しき想い、秘められた愛




 ――怒りが、痛みを忘れさせた。力を、与えてくれた。



「――おい、お前」



 気づけばサララは、オドムと名乗った少女の襟首を掴んでいた。驚いて目を見開くオドムを他所に、サララは頭突きをかまさんばかりの勢いで顔を近づけると……憤怒をぶつけた。



「まさか、私にその覚悟とやらが無いとでも?」

「えっ」

「私にとってマリーは、光であり希望。あの光を守る為ならば、あの希望を守る為ならば、この私の命……何時でも捨てる覚悟はある」

「……愛しては、いないの?」



 ポツリと呟かれたその言葉に、サララの頬が淡く染まった。



「――ちゃ、茶化すな! そんなの、言うまでもないことでしょう!」



 そう言いつつも、サララの視線は彼女から逸らされる……それを見て、オドムは笑みを浮かべた。「ごめんなさい、私が悪かったわね」そう言ってサララの手を収めて、優しく身体を安静にさせると……また、元の位置に座り直した。


 そうしてすぐ、オドムは腕を組んで唸り声をあげた。「なに、まだ疑っているの?」わざとらしいポーズに、自然とサララの視線がきつくなる。


 それを聞いて、オドムは慌てて手を振った。



「違うわよ。あなたの言葉は信用するし、あなたがあの子を愛していることも分かっているわ」



 愛している、の部分で、少しサララの頬が引き攣る。嫌というわけではないが、改めて他人からそう強調されると……少し、不思議な気持ちになった。



(……母親、か)



 そしてふと、サララはその事に想いを馳せ……内心、首を傾げた。



(まさか、自分で生んだ……わけでは、ないよね?)



 サララが見た所、オドムはマリーと全くと言っていいほど似てない。親子の面影が全く感じられないどころか、冗談と言われた方が、よほど信憑性があった。


 加えて、彼女が母親と名乗るには、あまりに若すぎた。若作りとか、そういうので収まる話ではない。世辞抜きで、オドムはあまりに少女であった。


 なにせ、傍目から見れば、サララとそう齢が変わらないようにすら見える。女性と呼ぶには些か無理がある顔立ちも相まって、母よりも姉(あるいは妹)と言う方がよっぽどしっくりきた。



(嘘を……言っている?)



 そうも考えたが、すぐにサララはソレを否定する。


 根拠も何もないが、オドムが真実を話している。


 同じ女だからなのか、直感的にサララは、彼女が己を騙そうなどとは思っていないということが、分かった。



(もしかして、イシュタリアと似たような方法を取っているのかしら?)



 それならば、納得も出来る。


 だが、若さを保つという魔法術を習得しているとなれば、『永久少女』と同じく、何かしらの二つ名が残らないわけがない。


 あのイシュタリアですら、表舞台に姿を見せていなくとも、その名が語り継がれていたのだ。オドムのような目立つ風貌ならば、ある意味イシュタリア以上に名前が残ってもおかしくないのに……。



(たしかマリーは、今の姿になる前は今と似ても似つかない風貌だったと……でも、母親の話なんて一度も口にしたこと……)



 以前、酒に酔ったマリーにベッドへ引き込まれた際、少し言葉を濁すようにして『前の俺は、今とは違う姿だったんだぜ』と言っていたのを思い出す。


 サララ個人としては、別に気にする程でもなかったし、『なかなかの好青年だったんだぞ』と言っていたので、『そうなんだ』で話を終わらせた覚えがある。



 ……だが、よく考えたら、どういう風貌なのかを詳しく言われたことは一度も無い。



 サララも特に知りたいと思わなかったし、それよりも健気に隆起しているマリーを愛することに意識が行っていたので、今の今まで考えたことすらないのが、サララの正直なところであった。



(尋ねても、いいのだろうか?)



 サララ自身は、どんなことでも受け入れる覚悟が出来ている。


 だが、それを話す方は……話すつもりでいるのだろうが、だからといって不躾に聞いてもいいか、少し迷う。



(……あれ、そういえば)



 そうして迷った辺りで、ふと、サララの脳裏にある言葉がよぎった。



(さっき、彼女は――)



 遅れて、先ほどオドムが口走った『あの子が愛したあなた』の部分が突如浮上する。


 さっきまで思い至らなかったその言葉が、ぐるぐると頭の中を回って――。



「……どうしたの?」



 ――掛けられた声にハッとサララが我に返れば、心配そうに見つめるオドムと目が合った。瞬間、サララは全身の血液が沸騰したかと思った。



「な、なんでもない!」



 褐色の頬が傍目にも分かるぐらいに、真っ赤になる。それを見て勘違いした「あら、熱が上がっているのかしら?」オドムの心配を遮る様にして、「き、聞きたいことがある!」サララは思い切って尋ねた。



「母親を務めていたって、どういうこと? マリーに、兄弟とかはいるの?」



 瞬間、オドムは、へえ、と驚きにため息を零した。



「思っていたよりも直球な質問なのね」

「いけなかった?」



 サララの問いかけに、「素直な方が、私は好きよ」、とオドムは首を横に振る。次いで、オドムは何かを思い出すように……己の腹をさすった。



「兄弟はいるわ。もちろん、兄弟全て私が生んだのよ」

「何人?」

「かれこれ、489人よ」

「え?」



 一瞬、オドムが見知らぬ言語を話したかと、サララは思った。



「あ、でも、兄弟っていうのとはちょっと違うかしら? 根本的な種は同じだから、分類的にはクローンが近いことになるかもしれないわね」

「え?」

「まあ、遺伝子的には兄弟と行っていいのでしょうけど、何か微妙な感じだわね。あ、ちなみに兄弟でいったら、あの子は末っ子に当たるわよ」

「は?」



 ぽかん、とサララの口が大きく開かれたまま、閉じられなくなった。


 そんなサララを他所に、オドムは懐かしむ様に、何度も何度も己の腹を摩った。



「例外はあるけど、ほとんど腹を痛めて産んで……いちおうは、育てた子になるわね」

「……いちおう?」

「私がこの腹で育てたのは、『器』なの。けれども、中身である『魂』を作ったのは……『私たち』なの」

「……何を言っているか、全く分からない。理解が、追いつかない」



 疑問符を隠さずに浮かべるサララを見て、「……長い話になるわ」オドムは分かっていたと言わんばかりに笑みを浮かべた。



「薬が効いて、あなたが眠りに付くまでに……話が終われば、いいのだけれどもね」

「馬鹿にするな。子供じゃあるまいし、眠るわけないでしょ」

「いえ、あなたは眠るわ。だって、その溶液には遅効性の睡眠薬も入っているから」



 その言葉を聞いて、サララは反射的に針を抜こうとした。


 だが、それよりも速くオドムがサララの手を押さえた。


 そうなれば、もうサララの力ではどうしようもなかった。



 ――こ、こいつ……!



 何故そんなものを、と、睨みつける。


 けれども、オドムには全く通じない。むしろ、「だって、そうしないとあなた、身体を休めないでしょ」逆にたしなめられた。



「それに、今抜いたら回復が遅くなるわよ……そうね、最後まで話を聞いてくれたら、あの子の居場所を教えてあげるから」



 ピクリと、サララの手から力が抜ける。思わずオドムを見上げて……笑みと共に頷かれたサララは、ため息と共に諦めて点滴のチューブから手を外した。



「……本当?」

「疑り深いわね。大丈夫、私、そういうことで嘘はつかないから」



 そう言うと、オドムは言葉を選ぶように、「それじゃあ少し、昔話をしましょうか」己の唇を湿らせる。そして、軽く目を伏せた後……おもむろに語り――。



「待って。マリーのことを話す前に、まずはあなたのことを話してほしい」



 ――出そうとしたのを、サララが止めた。



 思わず呆気に取られるオドムを前に、サララは「だって、これは卑怯だもの」素直に答えた。



「あなた、マリーの母親なんでしょう? マリーのこと、あなたも愛しているのでしょう?」

「…………」

「愛していないの?」

「……愛おしいに、決まっているじゃない。だって、『私』じゃなくて、私が生んだ、我が子なんだもの」



 声は小さかったが、はっきりとオドムは頷いた。瞬間、サララの顔に笑みが浮かんだ。



「それなら、ちゃんとマリーにそのことを伝えないと駄目だよ」

「それは……」

「どんな事情があるのかは知らないけれども、伝えないままなんて……きっと後悔することになる」

「…………」



 困ったように言葉を詰まらせたオドムは肯定をしなかったが、否定もしなかった。


 ただ、バツが悪そうに視線を逸らした……「だったら――」のを見て、ジッと、サララはオドムを見つめた。



「私が、覚える」

「えっ」

「あなたがマリーを愛しているという気持ちを……私が、マリーの分まで心に入れるから。だからまず、あなたのことを教えてほしい」



 ……沈黙が、室内に訪れた。呆然と目を見開いているオドムはただただ唇を震わせ、真摯に見つめるサララは息を呑んで答えを待つ。


 張り詰めた空気……それを後押しする時計の秒針。いったい、どれぐらいの時間が流れたのか……フッと笑みを浮かべたオドムのため息と共に、答えが出た。



「『私』が生まれたのは……もう、何百年も前になるかしらね」



 それは、彼女が語る……古い、始まりの詩であった。








 ……。


 ……。 


 …………それは、遠い、昔の話。



 あの時はまだね、『私たち』は『私たち』ではなくて、『私』しか居なかった。そして、今とは全然違う姿をしていたの。


 想像が出来るかしら……言葉通り、全く違う姿。おおよそ当時の『私』は、人間という形はおろか、生物の原則的な形すら取っていなかったのよ。


 腕だって無かったし、足だって無かった。頭も無かったし、胴体だって無かった。体液すら無かったし、何かを考える知能も無く、本能すらあるかも分からない、不思議な物体だったの。



 そう、本当に不思議な物体だった……だって、そうでしょう?



 消化器官が見当たらないのに、外部から摂取した餌をどこかに取り入れて、自らを増殖出来たのよ……分かる人が聞けば、目が飛び出る程の異常な話なの。


 それでね、当時『私』を生み出したあいつらは……あら、なに? 


 ……生み出したって言い方はどういう意味って……ああ、違うわよ。



 言わなくても分かるけど、あなたが想像しているのは、お父さんとお母さんが居て、二人がセックスという名の繁殖行為の果てに生まれた……そういうことでしょ?



 ……うん、そう、違う。『私』には、父も母も居なかった。『私』はね、『私』自身がどうやって生まれたかは分からないの。



 アカシック・レコード……今でいう、『魔術文字』よ。あれが、『私』を生み出した。偶然と奇跡と神の悪戯の結晶が、当時の『私』だったの。



 ……何を言っているか分からない?



 いいわよ、別に。分からなくても。とりあえず、『私』が人知を超えた狂気の果てに、偶発的に生まれた存在だと思ってくれたらいいわ。



 ……それで話を戻すけど、その時の『私』はまだ、生物としては……って言い方も変でしょうけど、生物としては虚弱で致命的な欠陥を抱えていた。



 自分で餌を取ることも出来ず、動き回ることも出来ず、ただただ与えられる餌を貪るだけの……脆く、弱い生き物でしかなかった。


 それでね、当時の『私』は今とは違って……巨大なカプセルの中で生き長らえていたの……カプセル……分かるかしら?


 そうね、貴女にも分かるように……空気のように透明なガラスで作られた箱と言ったら、想像出来る? 


 中が透けて見えて、長方形の……大きなものよ。中は常に一定の温度と湿度で保たれて、必要に応じて水分と餌が放り込まれる……そんな箱。



 ……そう、そうよ。だいたい合っているわ。あなた、思っていたよりも想像力あるのね……将来、絵描きにでもなったら? 大成するかもよ?



 ……それでね、当時の『私』は、その箱の中が世界の全てだったの。四方4メートルちょっとの、小さな箱庭……そこが私の家であり、私の生まれ故郷だった。


 そこはね、本当に何も無かった。数時間ごとに与えられる水分とマウス……あ、ネズミのことよ。それと、決められた時間だけ降り注ぐ光……それだけが、私に与えられた刺激の全てだった。


 でもね、その時の『私』はまだ、それがどういうことなのかも分かっていなかった。捕食という行為すら理解出来ず、ただ降り注ぐ命を分解し、取り入れ……微々たる増殖を、無作為に行い続けた。


 来る日も来る日も、『私』はそれだけを行い続けた。なぜそれを行うのかも理解出来ず、自分がどうやって生まれたのかを考えることもせず……ただただ『私』は生き長らえていた。


 当時の『私』は、別にそのことを不幸とは思っていなかった。まあ、幸福とも思っていなかったし、そもそも自分という自我すら無かったのだけれども……まあ、ここらへんはいいか。


 ある日、私の元にある物質……一言で言えば、培養された細胞のこと。それが、『私』の中に入って来た……ところで細胞って……まあ、分からないでしょうね。


 言ってしまえば、あなたを構成している部品の一つよ。分かり易く言ったら、生物を細かくして細かくして細かくして……うーんと細かくしたものが、細胞なの。


 それが、餌とは別の形で『私』の中に入って来た。本来であれば、『私』はその細胞をそれまでの餌と同じように消化したのだけれども……その細胞は、普通ではなかった。


 ……いいえ、その細胞は獣の細胞じゃないの。もちろん、人間の細胞でもない……ああ、違うわよ。別に謎々をしているわけじゃないの。


 なんて言えばいいのかしら……言ってしまえば、進化した人間の細胞……と言っても、まだ不完全なものだったけど。


 ……ああ、御免なさい、この部分は彼女が関わって来るから、私の口からは言えな……え、彼女って誰かって?


 まあ、『私』でないことは確かよ。そして、あなたは彼女のことを知っている……これ以上、私の口から言っていいことじゃないわ。さあ、話を戻しましょう。


 ……で、その細胞は普通じゃなかった。何が普通じゃないって、色々とあったけど……最も特筆すべき点は、その細胞が持つ自己増殖能力かしらね。


 とにかく、その細胞はしぶとかったのよ。なにせ、消化しようとする傍から増殖するんですもの。しかもその細胞はあろうことか、『私』の消化液すら吸収し、箱庭の主導権を乗っ取ろうとすらし始めた。



 『私』は、焦ったわ。そういう感情が理解出来なかったけど、おそらくは本能的に危機を覚えたのでしょうね。



 通常、他の生物で似たようなことが起こった場合、まず行われるのが便として強制的に排泄するか、あるいは食道から逆流させて吐き出すか……そのどちらかよ。


 でも、当時の『私』にはそれが出来なかった。今の『私』ならまだしも、当時の『私』では、とてもではないけど……それに対応することが出来なかった。


 とはいえ、勝機はあった。どんどん性質を変化させて増殖するその細胞にも、限界はある。要は、どちらが先に限界に達するか……それが、勝敗の分かれ道だった。


 『私』が勝てば、そのまま。細胞が勝てば、『私』はそいつの養分にされる。初めてとなる生存競争、誰にも気づかれない静かな戦いは何日も何日も続いた。



 ……そんなある日、『私』は思ったのよ。



 いえ、思ったというよりは、そうね……感じたという方が正しいわね……多分、細胞の方も薄々と分かったのかもしれないわね。


 このままでは、お互い共倒れになるってことを……ね。


 それでね、『私』は延々と増殖をし続ける細胞を前にして、どうしたかっていうと……取り込んだのよ。


 言ってしまえば、共生の道かしらね。消化することも排除することも出来なかった『私』は、その細胞を取り込むことによって事なきを得た。


 細胞の方も、それに賛成したのでしょう……宿主となる『私』を攻撃することはなかった。そして、その細胞を取り込んだことで……『私』に、ある変化が起こった。


 最初は『私』自身の増殖速度の加速だけだった。


 でも、それとは別に『私』を生み出した彼らですら把握出来なかった、ほんの些細な変化が……『私』にとっては大きな変化が始まった。


 ……『私』に、自我が生まれたのよ。脳すら持たない『私』に、自分というものを認識することが出来たの。


 当初はまだ、自我と呼ぶにもおこがましい程度だった。


 それでもその時初めて……『私』は、『私』を手に入れることが出来た。『私』が、この世界で生を受けた瞬間だった。





 ――あら、何だかさっきから欠伸が目立ち始めているけど、大丈夫?




 眠いのなら、また次に目が覚めた時にでも……はいはい、分かりました。


 起きている間は、話し続けましょう……だから、手を離しなさい。いくら薬が効いているといっても、そんなことすれば痛いでしょうに……ああ、もう、頑固者ね。


 ……えっと、どこまで……ああ、そうそう。自己というものを手に入れた『私』は、それが自己であることを理解してすぐに……積極的な自己増殖を行った。



 『成さなければならない』



 何故そうしたのか……それは、自己を手に入れた瞬間から、その思いが常にあったから。今でこそ、こうやって言葉に出来るけど、当時の『私』はとにかく……よく分からない何かとして、ソレを理解していたわ。



 ――だからなのか、当時の『私』はまず、己を大きくさせることを考えたの。



 『私』自身が理解していなかった何かを成す為には、己を強くして生き残らなければならない……生存競争に勝とうとする本能が、芽生えた本能が、そう思わせたのでしょうね。


 細胞の手助けもあって、『私』は瞬く間に増殖し、箱庭の3分の1が埋まる程にまで成長を遂げたわ。これには『私』を観察していたあいつらも、驚きを隠せなかったみたい。



 ……でも、そこまでだった。



 『私』が大きくなるということは、それだけ大量の餌が必要となる。でも、与えられる餌の量に変化は無かったから、それ以上の増殖は不可能だった。


 マウスだって、タダじゃないものね。


 それに、当時の『私』は、傍目には生きているかもどうかも分からない。マウスを与えていたのも、蟻に餌を与える程度の気持ちだったのでしょうねえ。



 ……こう言っては何だけど、当時の『私』はモニュメントでしかなかったの。



 偶発的とはいえ、魔術文字によって生み出された、用途不明な不思議物質。シンボルとしては重要だったけど、彼らにとって、『私』の価値なんて……その程度のものでしかなかった。


 とはいえ、『私』が成長する為にはもっと餌がいる。それを理解していた『私』であったけど……どうすることも出来なかった。


 発声器官か、あるいは思考を伝達させる機能を『私』が有していれば、すぐに問題は解決したでしょうけど……それをするには、まだ不可能だった。


 だから『私』は、少しでも彼らに己の有用性を伝える為に、あらゆる手段を取った。与えられる水分を一か所に留めたり、マウスをワザと消化させずに生かしたり……笑っちゃうようなことをいっぱいしたわ。



 ……中々結果はついてこなかったわ。



 多少なりとも興味を引かせることは出来たけど、それだけだった。当時の私は、何をどうやれば彼らの興味が引けるのかも分かっていなかったし……あと一押し、それが『私』には必要だった。



 ……ある日、『私』の思いもよらない所から、一押しは姿を見せた。



 それは、ほんの些細な偶然だった。彼らの内の一人が、興味本位で『私』の中がどうなっているのかを観察しようと、鉄で出来た棒状のカメラを差し込み……それから、火花が散った。



 ……それから、大騒ぎになったわ。なにせ、一瞬とはいえ火花を散らせる程の電気が帯電していたんですもの……え、電気って何かって?



 うーん、説明が難しいわね。まあ、あなたに分かり易く言うと、すごく、すっご~く弱めた雷と思ったらいいわ。それが、当時の『私』の中にあったの。


 それでね、彼らはそれがどこから流れ込んだのか、血眼になって検査を行ったわ。結果、彼らは『私』が餌を消化する際に、その電気を発するということを突き止めた。


 もっと正確にいえば、『私』は血液を取り入れることで電気を生み出すことが出来た。なぜそれが出来たのかは私も分からなかったけれど……それはまあ重要な部分じゃないから、気にしないでね。


 彼らは、『私』に二つとない有用性を認めると、それからすぐ様々な餌を与えるようになった。『私』の成長は飛躍的に加速し、『私』はこれまでにない速度で増殖を繰り返した。


 会わせて、『私』の箱庭も変わった。4メートル四方だった世界が倍になり、次は部屋一つ分になり、次は部屋三つ分になり……気づけば、『私』の為に専用のフロアまで用意されるようになった。


 その頃になると『私』は、視覚というものを手に入れて、音を聞くことが出来るようになった。どうやって聞いているかは説明しづらいけど……とにかく、出来るようになった。


 それからすぐに『私』は、人間と同程度の思考能力を得るまで成長を遂げた。『私』はこの時すでに、人間とはどういうものか、己がどういうモノなのかを理解出来るまでに進化を果たしていたの。


 それに伴って……『私』の元に、様々な人間が姿を見せるようになった。『私』のモニュメントとしての価値と、研究的価値が比例するように高くなったからでしょうねえ。



 とはいえ、『私』は特に気にしていなかった。



 彼らの関心が途絶えないようには考えていたけど、それだけ。その時の『私』は訪れる人間たちの会話を理解することに忙しく、むしろより多くの人間が訪れることを待ち望んでいたから。


 少しずつ、少しずつ、『私』は言語というものを習得していった。合わせて私に対する有用性が高まり、『私』を新たな資源として利用する案が、彼らの間から囁かれ始めた頃。



 ――運命とも言うべき出会いが、私の前にやってきた。



 それは、一人の女の子だった。彼女は目も、耳も、口も使えないうえに四肢も不自由で、まともに歩くことすら出来ず、体質的に治療が行えない特殊な子供だった。


 そんな彼女が、専用の移動機に横たわったまま『私』の前にやってきた。緑色の髪と、緑色の瞳を持った、始めて見るタイプの女の子だった。


 とはいえ『私』は、いつものようにどこにあるかも分からない耳を澄ませた。だって、『私』にとってそれはどうでもいいことだったんですもの。



 重要なのは、その子が何を知っているか、ということ。



 その相手が子供であったとしても関係ない。己の知識を高める為に彼女を観察しようとした……その瞬間。



 ――初めまして。



 『私』の中に、言葉が響いた。初めて触れた『問いかけ』に驚き、『私』はその時初めて思考を止めた。けれども彼女はそんな『私』を他所に、続けてこう言った。



 ――私の名前は、『オドム』。あなたの名前を教えて。



 ……それが、『私』と彼女の出会い。『私』にとっては初めてとなる、人間との交流だった。











 ……。


 ……。


 …………そこまで話した辺りで、己の腕を掴んでいた指先からフッと力が抜けたことに気づく。視線を下げてみれば……うふふふ、とオドムは笑みを零した。



「あらあら、可愛らしい寝顔だこと……まあ、きりの良いところまでは頑張ったみたいだし、大目に見てあげましょうかね」



 力無く垂れた腕をシーツの中に戻してやると、テーブルに置いてあった機械を手に取る。今度はサララを起こさないように優しく、慎重に機械を押し当て……ホッと、ため息を吐いた。



「……まるで、母親みたいだわ」



 ――瞬間、背後から掛けられた声にオドムは驚いて振り返り……オドムと同じ顔をした緑髪の少女を見て、「……何の用かしら」軽く目を細めた。



「なに、大した用ではないの」



 背丈、顔立ち、体格、恰好、雰囲気……まるで鏡に写し出したかのように、その少女とオドムは似ている。唯一違うとすれば、その瞳に宿る……何かだろうか。


 黙れば同じ姿の少女は、オドムから睨まれて……「全く、あなたは相変わらずね」困ったように苦笑する。次いで、少女の視線が、寝息を立てているサララへと向けられた。



「へえ、中々どうして良い顔をする……その子が、例の子かしら?」

「…………」

「やれやれ、私もお前も同じオドムでしょ。隠し事なんて無駄なのは、いちいち言葉にしなくても分かっていることでしょうに……」



 ますます苦笑を深めた少女の言葉に、オドムはしばし迷いを見せた後……「ええ、そうよ」不機嫌を隠さずに頷いた。そしてすぐに、「――用件は?」少女を睨みつけた。


 だが、少女はすぐに答えなかった。



「――あら、何も入っていないじゃないの」



 それどころか、保冷庫をあけて中を確認したり、「ふーん、掃除はしていたようね」意味も無く室内を見回したり……オドムの視線を楽しげに受け止めている節すら感じられた。


 ……無言のままに、オドムの拳が握られる。


 力は互角、速さも互角、技術も互角。戦えば、まず相打ちになると分かってはいたが……それでも、オドムには戦うだけの覚悟があった。


 それを気配で察した少女は……深々とため息を吐く。「頭の固い子って、嫌われるわよ」観念したのか、少女は改めてオドムの方へと向き直った。



「『私』と『私たち』が、あなたの行動を制限したのは、間違いではなかったようね。あなたは少々……いや、かなり情が深いみたいだわ」

「自らの胎で育てた我が子が愛する人を守ろうとする行為が、間違いとでも?」



 怒りを滲ませたオドムの言葉に、少女は思わずと言った調子で笑みを零した。途端、ギリギリとオドムは歯軋りをした。



「そこで怒る辺り、愛情深い証拠よ。前々から思っていたけど、あなたは『私』が持つ感情の中でもひと際強く『愛情』が表に出ているみたいね」



 少女は両手を振って、全身で敵意が無い事をアピールする。


 けれども、その顔には隠しようがない……憐れみが張り付いていた。


 そして、その憐れみの視線が……オドムの後ろへと向けられた。



「君が、『私』が持つ『愛情』の結晶なら、彼女はさしずめ『嫉妬』の結晶といったところかしら……その子も、よく助かったわね。彼女は『私たち』の中では一番加減を知らないから……」

「……用件を言いなさい!」



 我慢の限界に達したオドムが、少女を怒鳴りつける。


 けれども、やはり少女は答えた様子も無く、「たまのお喋りぐらい、いいじゃないの」オドムの反応に苦笑するばかりであった……と。



 ――不意に、少女は真顔になった。



 それまでとは打って変わっての真剣な眼差しを前に、思わずオドムはたじろぐ。それを見た少女は、また苦笑に表情を変えると。



「『私たち』の中で残っているのは、もう両手でこと足りる程度よ」



 ポツリと、用件を伝えた。


 えっ……驚愕に目を見開くオドムの隙を突くように、少女はオドムの手を取った。あっ、とオドムがそれに気づいた……と同時に、目に見えない何かが、オドムの中に入って来た。



「――あなた、何を!?」

「何って、私の力を送り込んでいるだけよ」



 慌てて手を離そうとするオドムの手を、少女は無理やり押さえつけ……するりと、手が外された。慌ててオドムがその手を捕まえようと手を伸ばすが、それよりも少女の動きが速かった。



「それだけあれば、例え『私』の命が終わったとしても、しばらくは生きていられるでしょう」



 あの子たちの行く末を、見守りなさい。その言葉に、オドムは息を呑む。



「で、でも、それではあなたが……!」

「私なら大丈夫よ。どうせ、『私』の中に帰るだけだし……『私』も、あなたの行動に制限を掛けるつもりは、もう無いってさ」



 ――悔いの無いように生きろってことかしらね。



 狼狽するオドムを前に、少女は……実に朗らかな笑みを浮かべる。そのままオドムに背を向けて後ろ手に手を振り――。



「私は、あなたが……羨ましかった」

「えっ」

「そこまで何かを愛せるなんて……私には結局、無理だったから」



 ――その言葉を最後に、まるで空気の中へ溶け入るようにその輪郭が透け始めたと思ったら……フッと、その姿が虚空へと消えた。



 ……呆然と、オドムは何も無くなった空間を眺める。



 そして、しばらくして……オドムは頭を下げた。


 何時までも、何時までも……外が暗くなり、明るくなり、サララの目が覚めるまで、オドムはそのまま頭を下げ続けた。


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