第二話: うわぁ、マリーちゃんたち、ちょうつよい
―――――地下一階―――――
ふわりと漂う土の臭いが、ウィッチ・ローザの明かりに照らされる。静まり返った気配のその奥で、爛々と侵入者の命を呑み込もうとする化け物の眼光が見え隠れしている。
普段のダンジョンを言葉に表すのであれば、だいたいそんな感じになるだろうか。
ダンジョン特有の気配というか、重圧というか。ある意味では慣れ親しんだその世界……しかし、この日だけはいつもと違う顔を覗かせていた。
……一面に広がる土景色に点在する命の群れ。
モンスターたちの雄叫びと、先発していた探究者たちの怒声が、うわんうわんとダンジョンの中を反響する。木霊するモンスターの断末魔が、嫌なほどにダンジョン内に響いた。
大規模採取によってモンスターの数が増大した、地下一階の広間。そこに降り立ったマリーたちを最初に出迎えたのは、生と死がぶつかり合う命の臭いと、濃厚な……血臭であった。
まあ、血臭なんてこれまでの経験から嫌という程嗅いできた身だから、今更気にするわけもない。
それよりも……マリーたちの視線が、眼前にて陣形を築くように展開している生徒たちの姿を見止めた。
……陣形の全体図は、ちょうど、扇形になるだろうか。
数人から十数人になる各グループが、階段を背にする形で疎らに展開している。それは、非常に効率的な方法であった。
先頭に立つグループの目を通り過ぎたモンスターを、その後ろに待ち構えた別のグループが出迎える。そこからさらに後ろに待ち構えた別グループが、取りこぼしたモンスターを相手にする。
中には反転して襲い掛かるモンスターも見受けられるが、そういう時は前後のグループが共同して挟み撃ちをして仕留めてしまっている。見渡せば、似たような光景がちらほらと確認できる。
それはもはや、エネルギー採取というよりは、効率的なモンスター狩りなのかもしれない。
死体から放出されたエネルギーは、死体から近い方のグループが受け取るルールになっているようだ。見た限りでは奪い合いなどは起こっていない。
その光景はまるで、濾し器だ。
前方から降り注ぐモンスターの猛攻を濾し器で振り分けるように上手に分散させている。
しかも、腕に覚えのあるやつは先頭に立って数を稼ぎ、自信の無い者は後方に下がって自然とバックアタックを防ぐ役割を担っている。
これならば、多少の数を相手取ろうとも早々押し負けることもなく、各個撃破もしやすいだろう。
最初に陣を築くのが至難の業だろうが、タイミング次第ではグループを入れ替えて延々とエネルギー採取を行うことが出来る。
……これが、等々力の言っていたことか。
ある意味では機械的にモンスターを相手にしている生徒たちを見て、マリーは驚きに笑みを浮かべる。ユーヴァルダン学園という、同じカテゴリーに属する生徒同士だからこそ行える陣形であった。
「……驚いた、大規模採取ってこういうものなんだな」
各グループ同士が手柄という名のランクを争っているとはいえ、さすがにダンジョン内にまでそんなことを持ち込む馬鹿はいない。
負傷すれば別グループであっても手を貸すし、中には治療道具を別グループへ放り投げている者もいる。
協力……という言い方もなんだが、生徒たちは互いに力を合わせて迫り来るモンスターを上手に相手取っていた。少なくとも、マリーが見た限りでは。
「さて、私らはどうするべきかのう、リーダー?」
見入っているマリーの耳に、イシュタリアの問いかけが飛び込んできた。振り返れば、イシュタリアはクイッと顎で前方を指し示した。
「手柄を取ろうと思うのなら、先頭へ向かうべきじゃのう」
イシュタリアの言うとおり、モンスターと最も遭遇するのは先頭だ。
見渡す限りでは、先頭集団は通路の奥にまで陣形を広げているようだ。こんままここで大人しくしていても、意味は無いだろう。
「そうだな。それじゃあ今回の陣形はどうする?」
「先頭に行けば行くほど警戒網を広げなければならんじゃろうし、とりあえずいつも通りでいいと思うのじゃ」
いつも通りの陣形とは、真上から見ればX型になる全方面対応を重視したものだ。よほどの状況を除いて基本的にマリーたちが多用している陣形である。
先頭に遠距離攻撃も行えるマリーとナタリアが陣取り、中央には魔法術によって前後をカバーできるイシュタリア。そして、索敵能力に優れたサララとドラコが後方からの襲撃をいち早く探知する……まさしく、全方位対応である。
特別拒否する理由も無いサララたちも、「それでいいと思う」納得して陣形を築く。
攻撃腕、鋭き爪、斧、素早く準備を終えたのを確認したマリーは、「それじゃあ、行くか」陣形の先頭へと進み――。
「ちょっと待て、お前ら! 何をしようとしている!」
――出そうとした瞬間、声を掛けられた。
何だ何だと思ってマリーたちが振り返れば、地上階へと続く階段内にて応急処置を受けている男女の集団が居た。階段を下りて声を掛けて来たのは、その中では最年長に当たる無精ひげの男であった。
その男の後方には、ほわりと、治癒術を受けている者が痛みと悔しさに歯を食いしばっている男の姿がある。どうやら彼らは回復の為に一時的に退いたグループのようだ。
ただ、彼らのことは、マリーはもちろん、サララたちにも見覚えは無い。また面倒なやつらか、と思って内心身構えていると、男は唾を飛ばして叫んだ。
「いきなり前方に突っ込むやつがあるか! モンスターに襲われないように外回りから進むのが鉄則だろ!」
……良かった、ただの親切な人だ。
安堵のため息を吐くマリーたちを見て、男は無精ひげの彼は何かを勘違いしたようで、「そういえば見ない顔だが、大規模採取は初めてか?」危ないからこっちに来いと手招きすらしてくれた。
……荒んだ心に沁み込んでくる優しさ。ついさっき見ていた者が見ていた者だったせいだろうか……そのせいだろう。
目に見えてほっこりと機嫌を良くするマリーたちの様子に、首を傾げる無精ひげの彼……その後ろで成り行きを見ていた彼の仲間が、「あっ!」マリーを指差した。
「――もしかして、あのマリー・アレクサンドリアちゃん?」
……指差されたマリーは、思わず己を指差す。
うんうん、と頷いた彼の仲間を見て、マリーは困ったように苦笑する。
それを見て確信したのか、彼の仲間は背中まで伸ばした髪をパタパタと揺らしながら「やだ、本物!?」嬉しそうに手を叩いた。
「あなたがイルスンの鼻を明かしたのを見て、一言お礼を言っておきたかったの、どうもありがとう。一度でいいからイルスンをぶっ飛ばしてやりたいって思っていたから、アレ見てとっても胸がスカッとしたわ」
「……おう、どういたしまして」
アレ、とは、鎌李を置いて逃げ出した時のことを言っているのだろう。
「あいつ、贔屓が酷いから大嫌いだったのよ。なのに、お金とかけっこう援助するから尊敬している人多くて……いやあ、本当にありがとう!」
「あ、うん……なあ、もういいかい?」
カリカリと頬を掻いて、マリーは無精ひげの彼に視線を向ける。
さすがに彼も、相手がマリー・アレクサンドリアだと分かればそれ以上言うつもりは無いのか、「余計な手間を取らせてしまった」申し訳なさそうに頭を下げた。
「あんたのような実力者にとっては、さっさと先を急ぐのも当然――」
そこで、彼の声は止まった。
大きく見開かれた彼の目がマリーの……その後方を見つめる。仲間が同様に目を見開くのと、ひゅっ、と息を呑んだ彼が大きく口を開けるのはほぼ同時であった。
「おい! ランター・ウルフがそっちへ抜けたぞ!」
マリーの後方から叩きつけるように投げつけられた声。ナタリアが、イシュタリアが、ドラコが、サララが、誰も反応していないのを瞬時に見て取った彼は、せめて己の仲間だけでも被害を防ごうと剣を構える――。
「それじゃあ、先頭に行こうか」
――と、同時に、マリーの身体を噛み砕こうと迫っていたランター・ウルフの身体が、吹っ飛んだ。振り返ることなくマリーがおこなったのは、常人の目では見ることすら叶わない高速裏拳であった。
一瞬だけ、マリーの身体がブレた……と思ったら、ランター・ウルフが肉片となって辺りに散らばった。
そうとしか捉えられなかった刹那の出来事を前に、彼と彼の仲間たちは……ぽかん、と大口を開けるしかなかった。
「……え?」
それが、唯一彼らが絞り出せた感想。
手慣れた様子で蒸発していくモンスターの遺体からエネルギーを回収しているサララを見て、彼らは目を瞬かせることしか出来なかった。
「ところで、先頭集団にはどんなやつがいるんだい?」
「…………あ、ああ、せ、先頭だな」
だから、だろう。何事も無かったかのようにマリーからそう尋ねられた無精ひげの彼は、しばしの間動揺して何も答えられなかった。
「せ、先頭には、おそらく鎌李さんや『妖精』のイアリスさんと言ったら実力派がいるだろう……」
「そうか」
「あ、あと、気を付けてくれ。今回はどうもモンスターの増大がいつもより多いらしい……もしかしたら、何か起こるかも分からない……」
「貴重な情報をありがとう」
そんな彼らの様子に気づいていないマリーたちは、彼らに向かって軽く礼を言うと、そのまま先頭へと歩き出す。当然、先へ行けば行く程モンスターの標的となる。
だが、マリーたちはその全てを危なげなく瞬殺しながら進み、血と臓物の跡を残しながら直進する。苦戦を強いられている一部のグループの苦労など無いかのように、マリーたちは進み続ける。
足取りの鈍る様子がまるでないその光景は、後方から全てを見せつけられた彼らにとって、ある種の馬鹿馬鹿しさを覚えさせられるだろう。「何それ反則だろー!」数あるグループの中、どこかから上がった悲哀の籠った雄叫びに、彼らは一様に頷いた。
結局、一度も立ち止まることなくどんどん小さくなっていくマリーたちを見送った彼らは、マリーたちが通路の奥に進んで見えなくなったのを確認して……はあ、と息をついた。
「……鎌李さんを一撃で倒したっていうのは、噂じゃなかったんだな」
「あ、言ったなこいつ」
ポツリと零した彼の一言に、彼の仲間がそれ見たことか、と言わんばかりに反応した。
「まだ信じていなかったのね」
「あ、いや、だって、アレだぞ。あんな小さな女の子が鎌李さんを一発でぶっ飛ばしたって、実際に見ないでお前信じられるか?」
そう言われて、彼の仲間は左右に首を傾げながら少し考える。そして、乱れた髪を手櫛で頭の後ろにやると、にんまりと笑みを浮かべた。
「ごめん、絶対信じないわ」
「だろう、俺は悪くないだろ……それにしても、アレが噂の『マリー・アレクサンドリア』か……大した女の子だ」
既に蒸発し終わったモンスターの影に視線を落とす。あの一瞬、サララたちは反応出来ずに動けなかったわけではない。
むしろ、その逆で、彼女たちは言われる前にランター・ウルフの接近に気づいていたのだ。
だから、慌てて行動する必要なんて無かった。マリーが仕留めるという結果を、彼女たちは微塵も疑っていなかった。
ふと、己の相棒でもある剣に目をやる。『軽量式強化鉄剣』と呼ばれるそれは、探究者の間では広く使用されている武器だ。
値がそれなりに張るものの、コストパフォーマンスに優れたこれを手にするまで、いったいどれだけの修羅場をくぐって来ただろうか。
……これまでの日々を思い返しながら、彼は苦笑した。
「俺には才能が無いって分かってはいたけど、こうして見せつけられると悲しくなるぜ」
そう愚痴を零した彼であったが、愚痴はそこまでであった。
すぐに己がどういう立場であることを思い出した彼は、己の仲間の様子を確認することにした。
下手にここを離れて集中力が途切れたら……そんな思いで留まる決断をしたが、仲間の状態によっては一時帰還を選択しなければならない。
ランクは欲しいが、まだ規模採取は始まったばかり……難しい選択を前に、彼の脳裏からは嫉妬の感情はきれいさっぱり消え去っていた。
――突進の溜めに入ろうとしていたモーヴァへ、マーティは『王道の杖』を振り下ろした。
「{ボンバー・リュア}!」
ごぉ、と吹き荒れた熱気が、飛び掛ろうとしていたモーヴァの横っ腹を焼き尽くす。続いて矛先をずらし、魔法術によって生み出された炎の爆弾を、迫り来るランター・ウルフへと放つ。
「援護射撃も――っと!」
防衛ラインを突破しそうになっているモンスターの群れを見て、前衛の一人が叫ぶ。それにいち早く反応した魔法術士が、「俺が行く!」ロッドを振り上げた。
「{フォックス・ファイア}!」
その宣言の直後、杖の先端から放たれた炎の尻尾がモンスターの横っ面を叩く。断末魔の雄叫びと共に力尽きるモンスターに、数人の生徒が陣形を組んでエネルギーを回収する。
想定していた以上のモンスターの猛攻を前に、先頭集団全員が一時的にチームを組んだのはかなり前。戦況は、均衡状態を維持していた。
「よし、一旦前線を押し上げるぞ!」
十数体目となるモンスターの首を切り落したカズマが、発破を掛ける。整った彼の顔には、血の滴が張り付いていた。
「おっしゃあ! こっちも負けていられねえなあ!」
歳若いカズマに負けじと、前衛の探究者たちが剣を、槍を、斧を、ハンマーを駆使して、モンスターを相手に一歩も引かずに立ち向かう。
……先頭集団と呼ばれら彼ら彼女らの熾烈な戦闘が、そこでは繰り広げられていた。
その中でも、ひと際異彩を放つ二人の戦士がいる。
そこで戦っている誰もが優秀な戦士の中、圧倒的な制圧力でもってモンスターたちの猛攻を押し留めている男女がいた。
一人は立派な体格に見合う立派な槍を自由自在に振り回す、二つ名を持たない槍術使いの鎌李。動きやすさを最重視した軽装備の彼は、その身軽さを生かして巧みに槍を操り、次々にモンスターたちを仕留めている。
もう一人は、『妖精』の二つ名を持つ金髪碧眼のロベルダ・イアリス。白銀と黄金の入り混じった派手な鎧を見に纏い、魔法剣『アルテミス』を縦横無尽に振り回す。彼女もまた、鎌李に負けず劣らずの戦績であった。
「イアリス! 前に出過ぎだ! カズマたちが取り残されるぞ!」
囲まれようとしていたイアリスを援護しながら、強引に道をこじ開ける。イノシシの頭部と豚の手足に、体毛の無い胴体が組み合わさった『ハクショク・イノシシ』と呼ばれるモンスターの突進を、すれ違いざまに撫で切る。
「――くっ、分かった!」
悔しげに舌打ちをしながらも、イアリスは迫り来る空飛ぶ魚を叩き切る。『ケイマー・ウオ』と呼ばれるそれは、悲鳴一つ上げる間もなく絶命して地面に落ち……それを、別のモンスターが踏み潰す。
次から次へと迫り来るモンスターに、イアリスは二度目の舌打ちをする。「ええい、埒が明かん! 鎌李、そこを退け!」邪魔になるであろう鎌李を退避させたイアリスは、素早く『アルテミス』を鞘に納め――!
「光明剣(こうめいけん)!」
――光と共に解き放った。
空気を切り裂く抜刀によって生み出された光粒子の斬撃が、囲んでいた群れの一角を切り飛ばす。「――よし、抜けるぞ!」気功術で強化された脚力で持って一気に囲いを突破した二人は、そのままの勢いでカズマたちの援護に回る。
「ひゅー、助かったぜ!」
「気を抜くな馬鹿者! 相手は待ってはくれんぞ!」
そうカズマを叱責するイアリスであったが、もう後は速かった。
拮抗を保っていたところに、二つ名クラスの剣士と槍使いが援護に回ったのである。
……先頭集団に襲い掛かって来ていたモンスターの群れが全滅するまで、そう時間は掛からない。
瞬く間に数を減らしていくモンスター、最後の一体であるモーヴァを横合いから真っ二つにしたカズマは、大きく息を吐いた。
「だから、気を抜くなと言っただろうが」
そのカズマの頭を、イアリスはため息と共に叩いた。「あいたっ!?」とその場に蹲るその姿に、その場の生徒たち全員が思わず笑い声をあげる。
チラリと、イアリスはマーティが無事なのを確認すると、改めて周囲を見回した。
……一面が、酷い有様であった。
蒸発して消えて行く血だまりの中に浮かぶ臓物の山。それらもすぐに泡を噴いて蒸発し始めて行く中、ほわりと姿を見せたのは……エネルギーの証である光球であった。
「モンスター共の増援は大丈夫だろうか?」
エネルギーを採取する者、それを守る者、周囲を警戒する者、治療をする者。言葉無くとも素早く役割に沿って別れた中で、イアリスは隣に立つ鎌李を見上げた。
「分からん。ただ、一時的な波は過ぎ去ったようだ……それにしても、だ。今回はずいぶんとモンスターの出現数が多い。息をつく暇も無いとはこのことだ」
「……確かに、今回はやけに多いな……マーティ!」
ふと気になったイアリスは友人の名を呼ぶ。負傷したメンバーの治癒を行っていたマーティが「なにかしら?」振り向いたのを見止めたイアリスは、彼女に聞こえる様に少し声を張り上げた。
「あとどれぐらい魔力が残っているんだ?」
「だいたい半分といったところよ。皆もだいたい似たような感じで、ビリィ君は40%ぐらいだって……はい、お終い」
包帯を巻き終えたマーティは、うーん、と首を傾げた。
「とはいっても、個人的にはもう戻りたいわね。持って来たオーブの半分ぐらいは採取出来たし、もしものことを考えたら――っと?」
そこで、マーティはたたらを踏んで、尻餅をついた。いや、違う、マーティだけではない。座り込んで治療を受けていた者も、周囲を警戒していた者も、エネルギーを採取していた者も皆、地面が揺れたのを感じた。
「――鎌李! 気を付けろ……これはもしかすると、もしかするかもしれんぞ……!」
「言われずとも分かっている」
揺れる地面にたたらを踏みながらも、器用にバランスを取って膝をつくのを堪える。その顔には焦りとはいかないまでも、緊張感が滲んでいた。
――地下にあるダンジョンは、稀に地面が揺れることがある。
その理由に関しては今も分かっていないが、この原因は今の所二つあるとされる。一つはただの地震によるもので、もう一つは……!?
――集団から少しばかり離れた場所。そこで、ぼこりと地面に穴が開いた。
その穴から滲み出る様に姿を見せた粘液の塊。『アメーバ』と呼ばれるそれらは、人間など気にも留めていないかのように、しゅるしゅると豪快に砂を掻き分けて移動を始める。
当然ながら、それに気づかない先鋭集団ではない。研ぎ澄まされた五感によってすぐに音の発生源を捉えた彼らは一斉に振り返り……続々と姿を見せるアメーバたちを見て、反射的に動きを止めた。
「――皆、気配を静めろ。アメーバだ」
アメーバの集団から最も近い場所に居た一人が、声を潜めて注意を促す。その声が心なしか震えていたのは、アメーバを恐れるあまりではない。その背後にいる、親玉を恐れてのことであった。
ぽこぽこと、次から次へと穴から姿を見せるアメーバたち。様々な色合いのそれらは見方によっては癒される光景なのかもしれないが、この場にいる全員には無縁であった。
……アメーバといえば、ダンジョンのアイドルと称されるぐらいに敵対心が薄く、勝手に自滅してしまう儚く弱いモンスターとして有名である。
通常なら、放っておけば勝手にいなくなる(というか、勝手に死ぬ)ので、気にする必要など皆無に等しいのだが……っ!
――にゅるりと、赤色半透明の腕が穴から飛び出した。
思わず目を見開く生徒たちを他所に、腕はべちゃりと地面に張り付くと、粘液のコブがぶくりと穴から飛び出した。
一つ、二つ、三つ……続々と飛び出すコブによって瞬く間に体積と質量を増した腕が、ぐにゃりと形を変える。
ぐむぐむと、しばしの間不規則にその身体を痙攣させていたかと思ったら……上半身裸の、輪郭が崩れた女の外観へと形を変えた。
『レッド・アメーバ・クイーン』……!
その場にいる全員の心の声が、一致した。そして、クイーンの胴体に浮かんだ眼球が動いたのを見て、生徒たちは一斉に息を呑んだ。
『アメーバ・クイーン』……『死の母(デッド・マザー)』とも、『アイドルのお母さん』とも呼ばれている。
文字通り、アメーバたちの親玉であり、母親でもあり、人前には極々稀にしか姿を見せない珍しいモンスターである。
だが、しかし、クイーンをアメーバと同等に捉えてはいけない。
クイーンはあらゆる攻撃の耐性を持ち、並の攻撃では微塵のダメージも与えることが出来ない、特殊なモンスターでもあるのだ。
肉体を構成する粘液の色によって放たれる技が変わり、そのどれもが人間を一撃で死に至らしめる恐ろしい威力。粘液の身体は受けに回れば鋼鉄に、攻撃に回れば鞭へと柔軟に姿を変え、探究者を苦しめる。
加えてその移動速度はアメーバの比ではなく、敵対したらまず逃げきれない。『クイーンが敵意を見せたら逃げる前に神に縋れ』という格言があるぐらい、凶悪な存在なのである。
(くそ、こいつを相手取るには他の奴らが逆に邪魔になる……!)
そう考えたのは、イアリスが先であったか、それとも鎌李が先であったか。
どちらにしても仲間を危険に晒すわけにはいかない二人は、気配を消すことしか選択肢は無かった。
……とにかく、アメーバたちを刺激してはならない。
クイーンが人間たちに気づいて撤退してくれれば最高だが、万が一こちらの行動でアメーバが自滅してしまったら……クイーンは、その行動を取った人間を襲う。
そうなれば、もはや乱戦だ。イアリスや鎌李といった上の上は生き残れるだろうが、それ以外の消耗した者はまず助からないだろう。
本来なら自滅するアメーバたちも、その時ばかりはクイーンの命令を受けて統率された行動を取り、一斉に攻撃を仕掛けてくる。最悪の場合は二人を残して全滅、良くて半分以上がここで命を落とすことになりかねない。
――早く、早く地面の下に戻ってくれ!
ただそれだけ。それだけを願って、その場にいる全員がその時を願う。そして、その願いというか思考を察したのか、クイーンはぎょろぎょろと周囲を見回した後、穴の中へゆっくりと移動を始めた。
――た、助かった……。
合わせてクイーンの元に戻り始めたアメーバたちを見て、内心安堵のため息を零す生徒たち。緊張の時は終わった……かに思えた――。
「あ、アメーバが……」
突如聞こえてきた声と共に、ぷしゅう、と空気が抜ける音が生徒たちの耳に届いた。途端、びくん、と生徒たちの身体が硬直した。
直後……それまでのんびり戻ろうとしていたクイーンが動きを止めた。
ぎょろりと、体内の眼球を蠢かせ……生徒たちのはるか後方へとその視線を向けた。
……恐る恐る、生徒たちは音が下方向へと振り返る。
「やっべぇ、あれどう見てもクイーンだろ? 思いっきりこっち見てるぞ……あ、もしかしてさっきのって……」
――マリー・アレクサンドリア!?
そこに居たのは、学園ですっかり有名人となったマリーと、その仲間たちであった。
そのマリーたちは……自分たちが何をしたのかに気づいていないのか、場違いなほどに落ち着いた様子であった。
「ほっほう、『レッド・アメーバ・クイーン』ときたか。前に姿を見たのは……50年ぐらい前じゃったかのう」
「赤くて、何だか美味そうだな」
「食べるのはおすすめしないのじゃ。見た目とは裏腹にかなり固いぞ、あれはな」
「……ど、ドラコ、アレはいくら何でも美味しくないと思うわよ」
「うん、あんなのを食べてお腹を壊したらよくない。帰ったら、マリア姉さんのおやつを食べるべき」
ぞろぞろと姿を見せたサララたちも、クイーンを見て素直な感想を述べる。その姿を心の中で思いっきり罵倒する生徒たち……の横を、クイーンとアメーバが猛スピードで通り過ぎた。
――いけない!
いち早く状況を理解したイアリスと鎌李が援護に回ろうとしたが、そうするにはあまりに遅過ぎて、距離が有り過ぎた。
土煙を巻き上げながら瞬く間に接近したクイーンたちは、そのままの勢いで押し潰そうと飛び掛った――が。
ぼぐん、と響いた打突音と共にクイーンの身体が宙を舞い……地響きと共に地面を転がった。
ぽかん、あり得ない光景に大口を開ける生徒たちの中には、武器を構えたままの姿勢で立ち止まったイアリスと鎌李の姿もあった。
……え?
驚愕に満ちた彼らの視線が自然と、「こりゃあ凄い。かなり本気で殴ったのに、まだ生きてやがる」と呟いているマリーへと向けられる。何をしたのか、と首を傾げる者がほとんどであった……が。
まさか、殴り飛ばしたのか?
あの、クイーンの巨体を?
あんな、華奢な身体で?
その中で、唯一マリーが何をしたのかを正確に把握することが出来たイアリスと鎌李の二人。この二人だけは、二度目となるマリーの超人的な動きを前に……ゴクリと唾を呑み込んだ。
――信じられない、なんだ今の動きと……あの異常な力は。
その言葉で思考が埋め尽くされた二人を他所に、マリーたちからはある種の余裕を周囲に感じさせる。
ソレとは逆に、のたうちまわりながらも、なんとか身体を起こそうとするクイーンの姿は、実に悲壮感があった。
「イシュタリア、あのクイーンの弱点は?」
「知らん。見た感じ、あの目玉じゃないかのう……確か、赤色のクイーンは炎を吐くはずじゃから」
「なるほど……よし、それじゃあ面倒な事をする前に一気に仕留めるぞ……っと!」
言い終わった直後、マリーたちは一斉に走り出した。
いや、それは走り出したという生易しいものではない。
もはやそれは、放たれた矢と言ってもいい速度であった。
一陣の突風と成ったマリーたちは、立ちはだかるアメーバたちを瞬時に蹴散らしてクイーンへと肉薄する。
あまりに一瞬で子供たちが蹴散らされたことに、ぎょろり、と目玉が驚いた……ような素振りを見せたが――。
「とりあえず、一斉攻撃だ」
――マリーによる無慈悲な命令の直後……クイーンの声なき断末魔が辺りに木霊した。
『死の母』とまで呼ばれ、出会えば神に縋れとまで怖れられたモンスターではあるが……マリーたちが登場してから、たった数分の間に命を落としたのであった。
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