第三話: どうしようもないこと、けれども……




 日中はお客様やら何やらで騒がしかったセンターも、19時を回る頃にはかなり静かになる。




 普段なら日中の半分以下しかいない職員と数少ない探究者ぐらいしか見かけないルームには、まだ大勢の若者たち……ユーヴァルダン学園の生徒たちが残っていた。


 ざわざわと、生徒たちの談笑がルーム内に響き渡る。大規模採取が始まってから、数時間。明日も大規模採取は行われ、普通に考えれば英気を養うのが得策のところだが、彼らにはまだ帰られない理由がある。


 それは――。



「……残念だが、君のところのメンバーにランクを上げた者はいない。明日もがんばれ」

「はい、ありがとうございます」



 事前に学園へ提出していた袋を受け取った男は、講師である源に頭を下げる。受け取った袋には頑張った分だけの、この日の稼ぎである紙幣の重みが詰まっていた。


 そう、生徒たちが残っている訳は他でも無い。今回の手柄である報酬の受け取りと、ランクを上げられたかどうかの確認のためであった。



 本来なら個別、あるいはグループごとに換金を行うのが普通なのだが、大規模採取の場合だけは別だ。



 換金所側の作業効率化の為に、理由が無い限りは終了時間の後に一括して換金作業を行い、報酬を渡す決まりとなっている。


 その為生徒たちは疲れた身体を我慢し、談笑しながら自分たちのグループの代表が源から呼ばれるのを、今か今かと待ちわびていたのであった。


 それに、他人の戦績を実際に確認することでモチベーションにも繋がるし、なによりライバルの状況を知ることが出来るので、悪い事ばかりではない。そういう意図もあって、先に報酬を受け取った生徒たちの大半もまだルームに残っていた。




 ――さあ、次はどこが呼ばれるのだろうか。




 生徒たちの視線が、名前を読み上げている源へと向けられる。その源は、ルームの中央に設置された受付カウンターへの中から、袋を複数取り出した。


 それを見た瞬間、おおっ、と生徒たちの口から圧巻のため息が零れる。これまで手渡されてきたスカスカのものとは違い、今しがた取り出したもの全てが膨らんでいるのが、はた目にも分かったからであった。



「えっと……イアリスたちのチームはいるか? 今回は全員で均一に分けられたから、各グループの代表者は出て来てくれ」



 袋に取り付けられていた金属板を見ながら、源は彼らの名前を呼ぶ。「やっぱりあそこか」と納得の声が至る所からあがる中、代表として出てきたイアリスや鎌李、泥で汚れた鎧に身にまとった男たち数人が、源の前に立った。



「君たちもランクの変動は無い……が、よく頑張った」



 無言のままに、イアリスを含めた彼ら全員が礼をする。


 実に幸せな重みを感じさせるであろう袋を源から順番に受け取った彼らは、あくまで無表情に人だかりの中へ戻っていく。



 なぜ笑顔を見せないかと言えば、余計な嫉妬を買わない為である。



 いくら名門校の生徒たちとはいえ、人間だ。頭では分かっているとはいえ、納得できないというのはよくある話。


 満足いく結果に満面の笑みを浮かべている者もいれば、暗雲たる思いで俯いている者もいる。


 後者の人達を刺激しないようにする為の、前者なりの気遣い……それが、無表情なのであった。


 ざわめきが、ルーム内に響く。嫉妬と怨念の愚痴、純粋に健闘を称える声援、雲の上を見るような視線。様々な色合いで満たされた室内は、源が次に呼んだ人物の名前によって静まり返った。



「マリー・アレクサンドリア。前に来なさい」

「やっとか……待ちくたびれたぜ」



 周囲よりも頭一つ分以上小さいマリーが、人波を掻き分けるようにして、受付前に出てくる。自然と、生徒たちの視線が、その小さい背中に向けられた。



 噂の子の評価……いったい、どうなるんだ。



 視線の大半が好奇心であったのは、ある意味当然であったのかもしれない。これまでとは違う意味で静まり返った中、源の声が響いた。



「おめでとう、君は今から『C』ランクに昇格だ。この調子でAランクを目指してくれ」



 おお……生徒たちの間からどよめきが上がる中、普通なら喜ぶべきところをマリーは、目を瞬かせて首を傾げた。



「あれ、あれだけでもうランク上がったのかい?」

「あれだけって、あれでも十分過ぎるよ。まあ、不思議に思うなら少し待て」



 源の言葉に驚いたマリーに、源は苦笑する。受付に置かれた結果報告書の束を捲って、項目を確認する。「ああ、あったぞ」その中から一枚を抜き取ると、それに目を通し……また苦笑した。



「満タンのオーブを三桁。たった一日でそれだけを持ちかえるようなことをすれば、そりゃあランクの一つも上がるさ」


 さん……え、三桁!?



 ギョッと目を見開く生徒たちを前に、マリーも「半ば入れ食い状態だったからな、運が良かっただけだ」といちおうの謙遜を見せたが、「逆に嫌味だよ、それ」源から駄目だしをされた。


 実際、普段ならこうはいかないからマリーの言うことはもっともなのだが……マリーは口を閉じた。



「さて、報酬だが……テトラ、それをここへ」

「はい、ディグ・源」



 源の指示を受けたテトラが、受付の中からパンパンに膨らんだ袋をドカッと受付の前に置いた。詰め込み過ぎて口から札束の端がはみ出しているそれは、生徒たちの視線を真っ向から跳ね返していた。


 何人かのグループが、自分の持っている袋と受付に置かれた袋を見比べて肩を落とす。比べる相手があまりに悪すぎることに、見比べた彼らはまだ分かっていない。


 誤解を与えてならないのは、今回彼らが得た報酬は決して少なくない。真っ当に働いている人たちからすれば、羨望の眼差しを向けるぐらいの報酬を彼らも得ているのである。


 ……それが例え、頭割りした分と装備品等の諸経費分を除いたとしても。



「それと、その隣に置いてあるソレも全部だ」



 とはいえ、それでも比べてしまうのが人の性でもある。



「はい、ディグ・源」



 そんな彼らに追い打ちをかける様に、テトラは受付に札束を一束、無造作に置く。それを見て、半分近い生徒は溜息すら零せなかった。



「それは、今回請け負っていた受注量の全て君たちで賄ったことに対する『国』からの特別報奨金だ」



 ――特別報奨金。



 それは、『国』が用意している探究者の為の制度の一つ。探究者ギルドにて埃を被っていた依頼などを、短期間で達成した探究者などに適用される。


 適用される基準は様々だが、代表的な基準は『受注してから達成するまでの期間の短さ』である。


 いくら達成するのが難しいやつとはいえ、月日さえ掛ければ何とかなる……だが、短期間では難しい……そういうことである。



「おかげでまた新たに仕事を受注することになったよ……上層部は嬉しい悲鳴を上げているそうで、今度感謝状を贈るらしいぞ」

「え、マジかよ。貰えるものは貰うけど、それって俺らだけが貰ってもいいものなのか?」



 チラリと、マリーは己に向けられた生徒たちを見やる。


 今回は合同参加の大規模採取だから、受け取るのはマリーだけでいいはずがない。加えて、今回が最後のチャンスだと捉えている生徒は多いのだ。


 そんな彼らのチャンスを不可抗力とはいえ奪ってしまったことに、マリーは困ったように頬を掻く。


 会話を聞いていた生徒たちの一部も、そうだ、と欲望を疼かせる。



「大丈夫だ。他の生徒たちの分は別口で受けた依頼に補填したからな。結果的に見れば二つの仕事を受注し、一つを君たちだけでこなしたようなものさ。学園側からすればそちらの方が、色々と都合も良いのだろう」



 だが、源はマリーの疑問と、一部の生徒たちの希望を一蹴した。


 呆然とした様子で目を見開いたままの一部の生徒たちを他所に、源は実に嬉しそうにマリーの肩を叩いた。



「明日からもこの調子で頑張ってくれ。その分だけ僕たちの給料も上がるから。ただ、特別報酬は今回ぐらいだけと思っていてほしい」

「いや、まあ、それはいいんだけど……」

「大丈夫、今回のような依頼は探究者ギルドに腐る程埃を被っているから。十や二十こなしたところで、一割も消化できないから」



 ごそごそと、受け取った札束をビッグ・ポケットに収納しているマリーに、源は実に晴れ晴れとした笑みを向けた。



「学園側としては予定日数を大幅に残して依頼を達成するのは大歓迎だ。その分だけ学園の評価が上がるし、臨時報酬も出るし、悪い事は無い。どんどんやってくれ」

「給料出るのは分かったから、二度も言わんでもいい」

「おっと、これは失敬。それと、念のために忠告しておくが、次からは派手な行動は慎んでほしい。その報酬は君たちが受け取るべき正当なものだが、中にはそれを納得できない人もいるんだ」



 源……というか、この場合は学園の言い分を察したマリーは、「分かった。明日からはもう少し気を付けるよ」ビッグ・ポケットを首に掛け、袋を胸に抱えて源に背を向ける。


 向けられる多数の視線を素知らぬ顔で受け流し、出入り口で待っているサララたちの元へ向かう……と。



「――待ってくれ」



 スッと進路を遮った声に、足を止めた。


 顔をあげれば、敵意……とは少し違う、複雑な表情を浮かべたイアリスの姿があった。


 傍に居た黒髪巨乳魔法術士のマーティや、頬に傷をこさえたカズマが、驚愕の眼差しをイアリスへ向けていた。



「なんだい? 急ぎで無ければ明日にしてほしいんだが……大丈夫だから、お前らはそこで待っていろよ!」



 人だかりで見え難いが、空気を察して近づいてくるサララたちの気配を先に静止しておく。気配が引き返していくのを感じ取ったマリーは、改めてイアリスを見上げた。



「それで、何か御用かな?」

「……一つ、教えてくれ」



 静まり返った室内に、イアリスの声がポツリと響いた。



「お前が、どうやってそれだけの力を身に着けたのか……ぜひ教えてほしい」



 その質問は、生徒たち全員から呼吸することを忘れさせるには十分であった。


 鎌李を一撃でブッ飛ばし、迫るモンスターを両断し、クイーンをも貫く、その力。気功術、魔法術、その二つでも説明出来ない異常な身体能力に、この日どれだけの生徒が目を剥いたか分かったものでは無い。


 常識では考えられない力……マリーが持つ、驚異的なパワー。


 今まで考えたことも無かったが、確かに異常だ。しかし、その異常な力の秘密を知ることが出来れば……それを自分たちでも再現出来るのであれば……!


 ごくりと、誰かの喉が鳴った。湧き上がった欲望に突き動かされるがまま、一部の生徒たちは必死に耳を澄ます。ギラリと、ぬらついた視線がマリーへと向けられた。



「……っ、済まない。不躾な質問だった」



 だが、張本人であるイアリスが我に返ってしまった。自分のしたことがどれだけ馬鹿なことだったかを理解したイアリスは、深々と頭を下げた。



「今の質問は忘れてくれて――」

「ドリンク」

「いい……え?」

「だから、ドリンク。ダンジョンで手に入る、あの『ドリンク』だ」



 イアリスから向けられた謝罪を遮って、マリーは素直に答えた。


 どうせサララたちには既に話したことだし、今更隠す必要も無い。


 そのまま、目を瞬かせたイアリスに言い聞かせるように、マリーは同じ答えを返した。



「ずっと前に、ダンジョンに閉じ込められたことがあってなあ。そこで嫌になる程ドリンク飲みまくった後、こうなった」

「……冗談を言っているわけでは」

「ない。断じてない。あんな状況、冗談にされてたまるか」



 キッパリと、マリーはイアリスの台詞を遮った。


 しばしの間、ルームの中は静寂に包まれる……その静寂を破ったのは、またしてもイアリスであった。



「……その、不躾な質問を重ねて申し訳ないが……そのことを、恥じたことはあるか?」

「……お前は何を言っているんだ?」



 視線を逸らしながら質問を述べたイアリスに、質問の意図が分からないマリーは困惑に首を傾げた。



「なんでそんなことを恥ずかしがるんだ。努力して得た力も、降って湧いた力も、どっちも同じものだろ」



 大きくも無く、小さくも無いその声は、不思議なほどに生徒たちの心を貫いた。



「だ、だが、申し訳ないと思う気持ちとかは――」

「はあ? 申し訳ないって、誰に思う必要があるんだ? そんなの俺の知ったことではないだろ」



 再び、マリーは遮った。次いで、困ったようにため息を吐いた。



「これで満足かい? だったらもう行っていいかい?」

「……最後に、もう一つ。これは私の友人の話なのだが、たまたま手に入れた力で一流の仲間入りを果たした女……そんな女を、お前はどう思う?」

「どうもこうも思わん」



 一言で、マリーは切って捨てた。「――イアリス?」と不思議そうに首を傾げるマーティとカズマの視線を受けて、イアリスは手で表情を隠した。



「では、それを打ち明けられずに抱えている女をどう思う? それを隠す為に偉そうなことをほざき、虚勢を張って強さを演じることしか出来なくなった女を、お前はどう思う?」

「……重要なのは、それで何をするかだ。どういう理由でそうなったかは知らんが、それもそいつの選んだ道だ。他人がごちゃごちゃと口を挟めることじゃねえよ」



 そうマリーが答えた後。少しばかりの間、沈黙が流れた。



「……すまない、時間を取らせてしまった……ありがとう、こんな質問に答えてくれて……」



 その言葉と共に、イアリスはそっとマリーに道を譲る。それと共に、マーティがそっとイアリスの肩を摩り、カズマが反対の肩を叩く……そんな3人を横目で見やりながらも、それ以上は何も言わなかった。


 軽く首を傾げて、慌ただしく開かれた道を通ってサララたちが待つ出入り口へ向かい……振り返ることなく、ルームを出て行った。




 ………。


 ………。


 ………重苦しい静寂が、ルーム内に訪れる。かちり、かちり、かちり、壁に取り付けられた時計の秒針が、恐ろしい程に響く。



 誰も彼もが、何も言わなかった。誰も彼もが、動けずにいた。



 質問をしたイアリスも、イアリスに声を掛けようとしていたマーティやカズマも、マリーに敗れた鎌李も、耳を澄ませていた生徒たち全員が……言葉を無くしていた。



「……これにて、本日の大規模採取は以上だ。明日も行われるので、参加する生徒は明日の9時30分までにここに集合するように」



 ポツリと告げられた源の声も、彼ら彼女らの耳には届かない。けれども、源は何も言わなかった。


 ただ「それじゃあ、ご苦労、また明日」そう言って生徒たちを労うと、マリーと同じように外へと出て行ってしまった。





 ………。


 ………。


 ………のそり、一組のグループが、無言のままに出入り口へと向かう。それに感化されたかのように、一組、また一組と、生徒たちは明日に備えて帰路に着き始める。


 誰も彼もが、無表情であった。


 笑顔を浮かべていた男も、落ち込んでいた女も、疲れた顔をしていた男も、余裕があった女も、誰もが顔から表情が抜け落ちていた。



「……だよ」



 囁くように呟かれた誰かの言葉に、その場にいる誰もが足を止めた。


 帰ろうとしていたグループも、報酬を分配していたグループも、皆が足を止めて……声の主へと視線を向ける。



「……んだよ……んだよ……」



 声の主は、青年……というには少しばかり年齢のいった男であった。


 青髭の残る顔は泥とモンスターの体液で汚れ、握りしめた剣の鞘はくたびれた印象を覚える。


 彼は、言うなれば中堅どころの探究者であった。


 幼い頃に二つ名の輝かしい豪華絢爛な生活に憧れて探究者を志し、苦労と努力を重ねて学園に来た……そんな男であった。


 そんな男の肩を、同じグループの仲間が押さえる。「落ち着け……明日は休んで、今日はゆっくり飲もうぜ」と引っ張ろうとした仲間の言葉は、男の耳には届いていなかった。



「ふざけんなよ……何が同じ力だ……偉そうに語ってんじゃねえよ……」



 それは、彼の本心……いや、心の奥底、魂の奥より零れた言葉であった。


 ふー、ふー、どうしようもない憤りに息を荒げ、顔を真っ赤にして床を蹴り付ける。何度も、何度も、何度も、何度も。



「こっちはどれだけ苦労してきたと思ってんだ。何度も何度も死にかけて、それでも頑張って、ちょっとずつ実績作って、ようやくここまで来たんだぞ……それを、それをお前は……お前は……!」



 そこまでで、男は限界だったようだ。こみ上げてきた涙を腕で拭うと、男は仲間に肩を抱かれて、トボトボと外へと出て行った。


 ……いなくなった男の言葉は、一部の生徒には同調するところがあったのだろう。


 ぶつくさと至る所で聞こえ始める嫉妬の声……聴いているだけで嫌になるそれらに、鎌李は深々とため息を吐いた。



「だったら、辞めればいいだけの話なんだがな」



 ポツリと呟かれた独り言。それを聞き留めたカズマが、「いや、それはそうだけどさ」思わずと言った調子で苦笑した。



「なんとなくあの男の言いたいことも分かる……あんなのを見せつけられたら、多少は思うところも出て来るだろ」

「よく分からんな。報酬が不正に水増しされていたならまだしも、アレは正当なものだ。なぜ嫉妬などする必要がある?」



 何とも、鎌李らしい答えだ。話に耳を傾けていたマーティも、言われたカズマも、苦笑するしかなった。



「鎌李さんのような人には分からないさ」

「……なにか含みのある言い方だが、まあいい」



 きっぱりと、鎌李はカズマの言い分を切って捨てる。深々と、鎌李はため息を吐いた。



「嫉妬したところで始まることなんて何も無い……お前もそう思うだろ、『妖精』のイアリス」



 ピクリと、声を掛けられたイアリスの肩が動いた。



「――ああ、そうだな。嫉妬したところで何も始まらない。それは確かな事実だ……それに私は……」



 深呼吸をして、イアリスは顔をあげる。何かを堪える様に固く目を瞑った後……ゆっくりと、開かれる。



「嫉妬で何かを生み出せる程、才覚に恵まれたわけでは無いからな」



 イアリスの視線は……己の相棒である、魔法剣『アルテミス』へと注がれていた。







 ……てくてくと、五つの足音が繁華街の中を進む。月明かりよりも眩い飲食店や屋台の明かりが、夜の闇を温かくする。漂ってくる匂いが、マリーたちの空腹をこれでもかと刺激してきていた。


 じゅう、と焼ける串肉の香ばしい匂い。スパイスと肉汁が焦げる何とも食欲を誘う音の陰には、酒を飲んで酔っ払う男たちの声。焼き鳥の匂いにゴクリと唾を呑み込んだマリーは、ふむ、と首を傾げる。


 今朝、館を出る前に晩飯は済ませてくると伝えておいたので、マリアたちはマリアたちで済ませているだろう。ならば後は、どの店に入るか……それが、マリーたちの目の前にある問題であった。


 適当に視線をさまよわせながら、傍を歩くサララたちを見やる。彼女たちも決められていないようで、マリーと同じように視線をさまよわせている。



「どこでもいい、沢山食べられるなら」



 その言葉と共に、きゅるきゅるお腹を鳴らしているドラコの声を聞き流すマリーの視線が、ある一点で止まる。ついでに、足も止まった。


 全体的な雰囲気は、シックな雰囲気が漂う居酒屋というのが近いだろうか。


 出されている看板にはメニューが書かれており、外から確認出来る範囲ではまあまあだろうか。歩み寄って看板の文字に目を落とせば、平均よりも少しばかり高いぐらいの値段であった。



「なあ……こ、ここに書いてあるもの美味いのか? 美味そうなのか?」

「美味いだろうから、少し落ち着け。お前のソレは並みの女よりデカくて柔らかいから、頭に乗せられると地味に肩が凝るんだよ」

「そう、だからドラコ、マリーから離れるべき、そうするべき」



 ドラコを引っぺがしているサララに軽く手を振り、そっと出入り口から中を覗いてみて、奥の多人数用の席が空いているのを確認する。「この店でもいいかい?」、振り返って尋ねると、サララたちは特に反対することなく首を縦に振った。


 了解を得たマリーは、さっさと扉を開ける。からん、とベルが鳴ったと同時に、店内に居た客たちの騒ぎ声がマリーたちの身体にビシビシとぶつかった。


 正面入って左側にはカウンター席と少人数用のテーブル席が多数。正面まっすぐと右側にはそれ以上の多人数用のテーブル席が三つあり、その内手前二つが客で埋まっていた。


 客の顔にはアルコールがしっかりと滲んでいる……どうやら、けっこうな盛況のようだ。


 もしかして当たりを引いたかも、と内心期待が湧いてきたマリーたちをしり目に、店の奥から店員がそそくさと駆け寄って来た。



「いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」

「5人。ちなみに一人は亜人であることと、全員酒が飲める年齢なのであしからず」



 余計な誤解を招かないように、事前に伝えて置く。『東京』では先にコレを言っておかないと、成人していると見られるドラコ以外には酒を出してくれない店があるからだ。


 ちなみに、亜人を嫌う(面倒を嫌がる)店はそもそもドラコの姿を見た途端追い返そうとするので、話は別である。


 まあ、今の所1回しか経験したことがないし、そもそもサララが持っている槍(もちろん、刃先は専用の布で包んだ状態である)を見た時点で嫌がるので、どちらが原因かは分からない。


 幸いにも、ここの店はそういうことを気にしない、おおらかな店であったようだ。


 笑顔のままにマリーたちを右側奥の空いているテーブル席へと案内してくれた。そして、手渡されたメニュー表を前に、マリーたちは……。



「とりあえず『オレンジリガー』を一つ。後ここに書かれたおススメと『かりかりポーク』と『シュミルサラダ』を一つ。それと、『ミートソースのスパイススパゲッティ』を一つ」


「肉、肉をくれ。血が滴るぐらいの焼き加減で頼む。あ、これはステーキというやつだな、これもくれ、このハンバーグは前に食べたが美味かった、これもくれ」


「落ち着くのじゃドラコ。店員さん、とりあえずこやつはこの『ボルドフの上質ステーキ』と『牙ブタとラドムの合挽きハンバーグ』を2人前ずつ、ステーキはレアじゃ。私はこの『パニールシュ・ワイン』をボトルで、『一角ウサギの燻製焼き』を二人前と、『シールズサラダ』のドレッシング別で一人前ずつじゃ」


「リンゴの果実酒を一つ、『チーズのベーコン巻き』を一人前、『バショウ鳥の香辛料炙り』と『自家製パン七色セット』を一人前……あ、ナタリア、甘いモノばかりは駄目だからね」


「分かっているわよ、もう。えっと、『海栗とエビのクリームパスタ』が一つと、『三色ケーキセット』と『チョコチップベガー』と『カルシュのオレンジロール』を一つずつね」



 怒涛の注文を行った。それはもう、マリーたちの前方に座っていた客の何人かが、思わず振り返るぐらいの量を平然と行う。


 食べきれずに残しても、ドラコが根こそぎ平らげてしまうからこそ、こういう場所ではみんな結構遠慮なく好き勝手に注文する。



 ……しかし、店員がそんなことを知る由も無い。



 本当にこれだけを食べるのかと、冷や汗を流しながらもオーダーを通した店員が、駆け足で店の奥に入って行った。


 厨房の方から上がる驚きの声をしり目に、マリーたちは急ぎで出された飲み物を飲んで、ホッと息を付いた。



「これ、かなり口当たりが良いのじゃ……それにしても、明日からはお主も大変じゃのう」



 グラスに浮かぶ琥珀色にうっとりと目を細めながら、イシュタリアが雑談を切り出す。「は、なんで?」と目を瞬かせるマリーに、イシュタリアは苦笑を向けた。



「あんな場所であんなことを言うからじゃ」

「あんな場所って、ルームでのことか?」

「それ以外に何がある? 大変じゃぞ、明日から……イルスンが居た時とは別の理由でお主を嫌うやつが現れると思うのじゃ」



 グラスを傾けながら、イシュタリアはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。


 けれどもマリーは「いいんだよ、別に」手を振ってイシュタリアの視線を振り払うと、舐める程度にグラスを傾けた。



「敵を作らないに越したことはないが、あれぐらいで俺を嫌うのなら、遅かれ早かれ俺を敵視するようになっていたさ」

「それ以前に、敵意を向けるのが間違い。マリーが気にする必要なんて、微塵も無い」



 マリーに同調するように、サララが力強く頷く。そして、それにはイシュタリアも同意であった……が、首を縦に振らなかった。


 それはそうだけど、と納得しつつも、あえてイシュタリアはサララの言葉を否定した。



「それは確かにそうなのじゃが、時に嫉妬は人を狂わせる。『自分は悪くない、相手に非があるのだ』と、論理のないことを盲目なまでに肯定してしまう……マリー、私たちも気を付けるが、お主も気を付けるのじゃぞ」



 ジッと、真剣な眼差しで見つめられて、マリーは思わず言い掛けた言葉を呑み込む。傍でムッと頬を膨らませているサララを手で制しながら、マリーはしばし思考を巡らせる。


 ……確かにそうだ。そして、マリーは納得した。


 『ラステーラ』の時ですら、嫉妬からか根も葉もない噂という名の悪口を言いふらすやつがいた。


 あのときは町全体の景気に直接的な影響を与えていたから、大抵の人間が好意的に見てくれていたが……ここは『東京』だ。


 街の広さと規模は、『ラステーラ』の比ではない。


 加えて、いくらマリーたちが探究者として頑張ったとはいえ、それがどれだけ街全体に影響を与えているのかが、非常に分かりにくいという現実がある。


 羽振りが良くなった。ただ、それだけで無根拠な『正当な怒り』をぶつけるやつは一定数いる。そして、その羽振りを分け与えて貰えるのは当然と考えるやつも、残念ながら一定数いる。


 もしかしたら、あの時のアレはけっこうな失言だったのかもしれない。今更になってそんな事を思ったマリーは、早まったかもなあ……と頬を掻いた。



「……さて、注意はこれでお終いじゃな。飯の席で暗くなるような話なんぞ、あまりしないに限るのじゃ」

「――っと、そうだな……」



 少しばかり後悔の念が浮かび始めたマリーが、考え込むように腕を組んだ……辺りでイシュタリアは、わざとらしいぐらいに大きな声を出してマリーの意識を引っ張り上げた。


 マリーはハッと我に返って頭を振ると、複雑な顔でジョッキを傾ける。それを見たサララも、何か思うところがあったのか。思案顔でチビチビと果実酒で唇を湿らせ……ふと、顔をあげた。



「そういえば、明後日ぐらいに裏の小屋が完成するんだよね」

「あ、それってエレベーターを囲っている、あの小屋のこと?」



 メニューから顔を上げたナタリアに、サララは頷いた。



「そう。これでとりあえず雨風に晒されるのは防げるらしいよ」



 サララが話しているのは、館の裏側にある『地下街』へと直通しているエレベーターのことだ。


 万が一雨風で故障したら大変だと判断したあの日の翌日、海松子経由で工事を発注してからしばらく経ち、明後日完成するという小屋のことであった。


 内装は至って単純。文字通りエレベーターを囲う為だけの小屋であり、行ってしまえば物置小屋とそう変わりは無い。金の延べ棒を少しばかり売り払った金で建設したものである。


 雨水が万が一にも小屋内に入り込まないように、念入りに設計してくれたそうだ。最も、これまで一度も『地下街』に水が浸入していないことが斑たちから確認済みだから、あくまで予防の域の話だが。



「それと、当初よりもけっこう予算が余っているってマリア姉さんが言っていたけど、何に使う……っと、ドラコ、来たよ」



 ドラコの瞳が、輝いた。熱せられた大きめの鉄板に並ぶ、二枚のステーキ。しゅうしゅうと溶け出す油と香辛料の香ばしい匂いと共に、ドラコの前にそっとソレが置かれた。



「――あ、こら馬鹿、素手で食うやつがあるか」



 途端、ドラコはマリーの静止を振り切ってステーキ肉を指先で抓むと、豪快に噛み千切って頬張った。普段の鋭くも澄ました顔からは想像も出来ないぐらいに表情を緩ませながら、満面の笑み幸せを堪能していた。


 その姿はまるで、お預けを食らっていた犬である。


 手元と口元をソースと油でどろどろに汚しながらもペロリと平らげると、残ったもう一枚を手づかみで食べ始めた……それを見ていた店員、絶句するしかなかった。



「……あー、うん、そこの店員。濡れたタオルを数枚持ってきてくれんかのう」

「え……あ、あの、お連れ様の、その、焼けた鉄板を触っておりましたが、だ、大丈夫なのでしょうか?」

「大丈夫なのじゃ。ドラコは熱に強いから、この程度ではビクともせん。それよりも、早くタオルを持ってきて欲しいのじゃ」



 慌てて厨房へと駆けて行く店員……その横を通り過ぎて、ぞろぞろとその厨房から運ばれてくる料理の数々。それの半分ぐらいは自分たちが注文したやつだ。


 賑やかになるであろう楽しい時間を前に、イシュタリアはもちろん、苦笑していたサララもナタリアも、そしてマリーも、しばしの間余計な事は全て頭から放り出すことにした。



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