蠢く運命と背中の過去
第五章: プロローグ・その目指す果て
……とまあ、格好良く啖呵を切ったマリーであったが、だからと言ってそのままダンジョンへ直行……というわけにはいかなかった。当然の話であった。
――地下54階。
それが、現在残されている記録の中で、最も深くまで降りたとされている数字である。当然、そこまで降りた者は『鬼人』と『聖女』以外にはおらず、次点が14階である。もう、それだけでどれ程困難な道のりになるのかが想像出来るだろう。
しかも、現時点でその14階以降の情報は、二人が書き記したとされている書物のみ。
その書物も第三者による真偽の確認が行われていないため、現時点では『地下14階までは合っているから、正しい』という程度の信頼性しかない。
つまり、一般人から見れば、気が触れたとしか思えないことをマリーはやろうとしているのだ。
もちろん、マリーもそれを十二分に理解している。というか、理解していないと死ぬ。だからこそ焦るようなことをせず、準備を進めることに徹した。
……己が死ねば、館の女たちにも迷惑が掛かる。そんな思いがマリーの心にあったからこそ、マリーは……マリーたちは、急ぐようなことをしなかった。
そして、しばしの時が流れて、春の陽気は遠くの昔。
桜色の香りが『東京』の至る所で感じ取れた季節も過ぎ去り、暑苦しい梅雨の時期へと入った辺り。
血迷った野望へと走り始めた者『マリー・アレクサンドリア』……その名が、ユーヴァルダン学園全体に知れ渡るようになっていた。
毎日のように降り注ぐ雨に鬱陶しさを覚えながら、日ごとに近づいてくる夏の足音に、誰も彼もが顔をしかめている。
ああ、夏よ過ぎ去れ。ああ、秋よ早く来い、実りの秋よ。
そんな言葉が、『東京の』至る所で囁かれたり、愚痴として零れたり、ただ何となく呟いたりされていた頃。多数の生徒でにぎわうユーヴァルダン学園の校舎では、いつもと違う雰囲気が漂っていた。
偶然と捉えるべきか、はたまた必然と捉えるべきなのか。
その日は、絶え間なく振っていた雨の間に生まれた、珍しくも気持ちの良い晴天であった。
生徒たちが多数行き交うせいか、普段から何かと騒がしいユーヴァルダン学園の正面玄関入ってすぐの場所。
何時もなら談笑する生徒が幾つか固まっているぐらいで、ほとんどがさっさと通り過ぎていくその場所に……今、人だかりが出来ていた。
立て掛けた板を幾つも連ねて作られた簡易な掲示板。そこに取り付けられたプレートの数々には、細かな文字と数字が羅列してある。
目を凝らさなければ見えないぐらいなのだが、集まった生徒たちは文句一つ零すことなく、取り付けられたプレートを見ようと目を見開いていた。
ざわざわと、歓声にも似たどよめきが人だかりの中から上がる。
中には悲鳴というか、絶望の雄叫びをする生徒もいる。しかし、誰も彼もその生徒を注意しようともしなければ、眉をしかめる子もいなかった。
肩を落として離れて行く者、安堵のため息を零す者、無表情に現実を受け止めている者、はっきりと喜びを表す者……朝の正面玄関は、何とも異様な光景を見せていた。
ごくりと、マリーは最後の一口を呑み込む。学園内に設置された食堂にて、サララとイシュタリアの3人で食事を取っていたマリーは、イシュタリアの突然の話に、目を瞬かせた。
「ランク?」
「なんじゃ、知らなかったのか? ユーヴァルダン学園には、各生徒の評価を決めるランク制度があるのじゃ」
注文したサラダにフォークを突き刺しながら、イシュタリアはぼんやりと食堂を眺める。「今朝方から、玄関に張り出しているようじゃぞ」ポツリと呟いたイシュタリアであったが、なぜ部外者の二人がココにいるのかと言えば、ずばりマリーのお供であった。
「なんでお前がそんなこと知っているんだ?」
サララから手渡されたハンカチで口元を拭う。マリーからすれば、それは当たり前の質問だったのだが、イシュタリアはふにゃりと眠そうに目じりを下げると、軽くため息を吐いた。
「そんなの、ここに何度か通いつめれば自然と分かることじゃ。というか、お主は在籍して数か月になろうというのじゃぞ。学ぶ、学ばないは別として、ここのルールぐらいは把握しておくべきじゃぞ」
そう言うと、イシュタリアはもう一度ため息を吐く。頬杖からズルズルとずり落ちたかと思ったら、そのままぺたりと腕の中に顔を埋めた。
……いつものだらけた姿とは違う、その姿。
覇気とも言うべき力が、目に見えて落ち込んでいるのが分かる。テーブルに顔を埋めるようにして丸まった背中からは、微塵も活力を感じ取れない。
何とも珍しいその姿に、マリーはしばしの間ジュースを啜った後、隣に座っているサララへ視線を向ける。既に食べ終わった後のようで、テーブルには空の容器がポツンと置かれていた。
「こいつ、何かあったの?」
マリーから言われて、サララはイシュタリアを見やる。途端、ああ、とサララは納得気味に頷いた。
「気にすることは無い。イシュタリアは今、しつこい勧誘に嫌気を覚えているだけだから」
「勧誘?」
「そう。何でも、イシュタリアが『時を渡り歩く魔女』だという噂があちこちで上がっているみたいなの。有り体に言えば、バレてしまったみたい」
席から立ちあがったサララは、己のトレーに手早く空になった容器を載せていく。ブツブツと呻き声をあげているイシュタリアの前にある容器も、集める。
「今さっき話したランクの件のせいかは分からないけど、ここに来るたびに色々なところから勧誘を受けているみたいよ……ほら、早速新しいのが来た」
ほら、と指差された方向へ視線を向ける。
見れば、食堂の出入り口辺りに、こちらを伺うように中を覗いている数人の男女がいた。誰も彼も、身に覚えのない顔ぶれである。
彼ら彼女らはマリーの視線に気づいた途端、びくん、と肩をはねた。しかし、そのことでようやく決心が付いたのだろう。
彼らは互いの顔を見合わせると、ぞろぞろと食堂内へと入ってきた……まっすぐ、こっちに向かってきている。
――なにやら、面倒事な予感がする。
かたん、と席に座る音に視線を戻せば、サララが目を細めてその集団を眺めている。反対側へと振り返れば、気配に気づいたイシュタリアが静かに身体を起こしているところであった。
マリーたちの前で、ピタリと足を止めた集団。学園内では若年層に分類される年齢だと思われる彼らは、緊張した様子でイシュタリアを見つめていた。
「――イシュタリアさん……で、よろしいでしょうか?」
「よろしくない、今は誰の相手もしたくないのじゃ」
頬杖を付き、ぼんやりと脱力しているその姿は、傍目から見てもやる気が感じられない。
向けられた背中から放たれる無言の圧力と、言葉による拒絶に、彼らは一様に唇を噛み締める……が、諦めなかった。
「あなた様が『時を渡り歩く魔女』だとお聞きしました。突然の押し掛けは大変申し訳ないのですが、僕たちのお願いを聞いていただけないでしょうか?」
「いただけないのじゃー、本日は時間切れなのじゃー」
へにょり、と力の抜ける拒否対応。
「そんな……どうかお願いします! 数時間……いえ、一時間でもいいんです! どうか、僕たちと一緒にダンジョンに潜って頂けないでしょうか!?」
「名前も知らぬ他人のお守りをするつもりなんてないのじゃー」
「――っ!」
「というか私に頼る時点で駄目なのじゃー、自業自得というやつなのじゃー」
「……次の張り出し結果が悪かったら、僕たち全員学園からの補助が打ち切られてしまうんです! お願いです! どうか、今回だけでもお力をお貸しください!」
そう言うと、彼らはその場に膝をついて頭を下げた。ギョッと目を見開くマリーを他所に、相手にするのも面倒だと言わんばかりにイシュタリアは欠伸を零すと、涙が滲む瞳で彼らを睨みつけた。
「じゃから、さっきから何度も駄目だと言っておるのじゃ。成績が悪いのも補助の件も、私には一切関係ないじゃろう……というか、私が手を貸せるわけがなかろう」
しっしっし、虫を追い払うかのように手を振るイシュタリアに、彼らは無言のままに俯く。「ほれ、何時までもそこにおられても邪魔なのじゃ」と言われ、力無く立ち上がり……つつも、視線で助けを願うが――。
「お帰りはあちら」
「……お食事中、すみませんでした」
――結果は、変わらない。重りを載せられたかのようにがっくりと肩を落とすと、とぼとぼと足を引きずる様にして彼らは食堂を出て行く。
最後尾にいた女が、縋る様に振り返ったが……視線すらくれてやらないイシュタリアの様子に諦めて、スルリと飛び出して行った。
はああ……深々と吐かれたイシュタリアのため息に、マリーは我に返る。「食器、片付けてくる」そう言ってトレーを持っていくサララの背中を見送ったマリーは、呆然とイシュタリアへ振り返った。
「……何だ、アレ?」
「何って、勧誘じゃよ、勧誘。ランクが下がった者たちの、最後の悪あがきなのじゃ……全く、私はここの生徒では無いと何度も言うておるというのに……」
彼らが消えた出入り口へ、イシュタリアは胡乱げな眼差しを向けた。
「ユーヴァルダン学園では、成績という名のランクに応じて様々な補助を受けられる仕組みになっておる。補助の数は多々あるのじゃが、その代表なのが『学費の免除』じゃな」
「学費……」
「お主は学費を含めた諸々の費用がタダじゃから実感が無いと思うのじゃが、ここは通うだけで半端なく金が掛かる場所じゃからのう」
「いや、言われなくても見れば分かる。ここの飯、すげえ美味いもの」
食堂……と呼ぶには些か豪華すぎる内装を見て、マリーは苦笑する。
先ほど食べ終えたオムライスも、サララが食べた鶏肉のソテーも、イシュタリアが今食べているサラダ(元は、果物と野菜の盛り合わせ)にしたって、街中のレストランの2倍以上の値段だった。
合計、3450セクタ。メニューの中でも比較的安価なやつを選んだだけで、これである。印字されている数字の大半が四ケタ後半なのもあって、一般庶民の生徒には中々手が届かない価格だ。
道理で御手製の弁当を広げているやつが多かったわけだ……ここに来るまでの光景を思い出しているマリーを見て、イシュタリアはやれやれと頬杖をついた。
「一番安い学科を専攻し、一番安い寮を利用したとしても、学園からの補助が打ち切られれば、毎月最低でも40000セクタ必要となるからのう」
「……それは必死になるわけだ」
『東京』の平均一般月収が約50000セクタであるからして、40000セクタとはかなりの大金である。
「ちなみに、最も金が掛かるのは私のような魔法術士専攻の学科じゃな。どの魔法術を習得するかによるが、安く見積もっても700万セクタは掛かるらしいのじゃ」
言葉が思い浮かばず、マリーは天を仰ぐ。
そう考えれば、先ほど尋ねてきた彼らに少し手を貸してやるべきだったかと思わなくも無かったが……すぐに首を横に振った。
手を貸すにしたって、だ。困っているのは彼らに限った話ではないことぐらい、容易く想像がつく。
そんな人たちが、善意で助けてくれたという話を耳にすれば、どういう行動を取るか……おそらく彼らも必死だから、何が何ででも受けて貰おうとするだろう。
……一人を受ければ、絶対他のやつらも来るだろうからなあ。
そう考えれば、イシュタリアの対応は些かも間違ってはいない。下手な善意の報いは必ずしも幸福とは限らないのだから……と、マリーは思った。
「あ、等々力さんだ」
「――む?」
ポツリと呟かれたサララの一言に、マリーは視線を下ろす。
見れば、先ほど若者たちが出て行った出入り口から、中の様子を伺うように等々力が顔を覗かせていた。
誰かを探しているのか、キョロキョロと視線を食堂中に行き来させている。
その視線が、マリーを捕らえた途端にピタリと止まると、安堵のため息と共に中へ入ってきた。どうやら、探し相手はマリーであったようだ。
――今度は何だろうか。
そう思いながら、駆け寄って来た等々力に「遅いお昼だな」とりあえず話しかけてみる。「いや、そっちじゃないんですよ」すると、等々力は何やら言い辛そうに曖昧な笑みを浮かべた。
「前、いいですか?」
「どうぞ。見ての通り、周りはガラガラだ」
すみません。そう言って、等々力はテーブルを挟んだ前の席に腰を下ろした。同時に、いつの間にか水を貰ってきたサララが、等々力の前にそっとコップを置いた。
「あ、恐縮です……えっと、マリーさん。いきなりでなんですが、単刀直入に用件を伝えます」
スッと、等々力は懐から折り畳んだ用紙を取り出すと、それをテーブルの上に広げる。指先で折り目をまっすぐにすると、それをマリーたちに見える様に向きを変えて、するりと差し出した。
「……『大規模エネルギー採取に関する要望願い』……え、なに、もしかしてコレに参加してくれってかい?」
「はい、そうです。マリーさん……いえ、正確に言えば、あなた達全員でコレに参加してもらいたいのです」
覗き込む様に文字を読んでいたマリーの復唱に、等々力ははっきりと頷いた。次いで、印字された文字を強調するように何度も指でなぞった。
「この前、学園側に突きつけた三つの条件がありますでしょう?」
「なんだ、まだ三ヶ月も過ぎてないのに反故にするきか?」
「いえいえ、違いますよ。こちらの都合でもありますが、むしろその逆です」
そう言いながら、等々力は懐からペンと朱肉を取り出して用紙の横に置く。
用紙に印字された文字を隅から隅まで目を通している女二人を他所に、「マリーさんなら分かってくれると思いますが」等々力は困ったように頭を掻いた。
「大きな組織とは、何時の時代も体裁というものを気にします。それを蔑ろにしてしまうと、後々俺も私もと手を上げる者が増えてしまうからです」
「……つまり、なんだ?」
「当学園内における『ランク』については、既にご存知ですか?」
……なんか、タイミングが良いのか悪いのか。
がりがりと頭を掻いたマリーは、「ギルドランクとか、狩猟者ランクみたいなものだろ?」とりあえずイシュタリアの話から想像出来たことを言ってみるが――。
「ええ、そうです。だいたいそのように捉えて貰って結構です」
あっさりと頷かれた。それどころか、「知っているのなら、前置きは止めましょう」等々力は懐から用紙をもう一枚取り出すと、それを先ほどと同じように前に広げた。
「……『D』ランクだな」
「ええ、そうです。学園が定めているマリーさんの現在のランクが、それです。今回問題になっているのは、このランクなのです」
等々力は、用紙の大半を埋め尽くす、大きく印字された『D』の文字を指差す。しばしの間、首を傾げながらもその文字を見ていたマリーは……ああ、と手を叩いた。
「もしかして、特例みたいになっている俺のランクが低いのが、体面的な意味で問題になっているとか?」
瞬間、パッ、と等々力の表情が輝いた。
しかし、己の立場を思い出したのだろう。
すぐに笑みを引っ込めると、落ち着いた様子でペンをマリーの前に移した。
無言のままに期待を込めた眼差しを向ける等々力に、マリーは頬を引き攣らせる。
反射的に置かれたペンを投げ返したくなったが、そもそも等々力は上から言われたことをやっているだけの中間管理職であることを思いだし、止めた。
(ここで断るのは簡単だが……)
チラリと、マリーは用紙から等々力へと顔をあげた。
「ところで、コレがあるってことは、もしかして『増大期』がまだ来たのかい?」
コレ、とはつまり、用紙に書かれた大規模エネルギー採取のことだ。
ユーヴァルダン学園のような探究者育成組織が、『増大期』を利用してエネルギーを大量に採取するというのは別に珍しい話では無い……というか、常識の話である。
言い換えれば、通常なら『増大期』くらいでしか行われないはずの仕事であり、平時ではまず行われることの無い話なのだが……等々力は、違う違うと首と手を横に振った。
「年に数回ほど、ユーヴァルダン学園には探究者ギルドからどうしてもという大口のエネルギー採取の仕事が回されてくるんですよ。しかも、期日付のやつが」
「へえ、そうなのか……それは大変だな」
「いつもなら我々だけでも対処出来ていたのですが、ただ、今回はその確保必要量がいつもより多いようなのです。例年通りでは期日までに間に合わなくなる可能性が出て来まして……お願いします、マリーさん!」
額をテーブルにこすり付けるぐらいの勢いで、等々力は頭を下げた。
さすがに見知った人がそうするのを見て、マリーは慌てて止めさせる……が、それでも等々力は「お願いします」、と頭を下げた。
……無言のままに、マリーは左右の女に視線を向ける。
サララも、イシュタリアも、特に問題は無いと頷いたのを見て、マリーはさらさらと用紙に名前を記入した
「まあ、色々と良くして貰ったし、これぐらいならいいぜ」
「――ああ、ありがとうございます! これで上から嫌味を言われずに済みます!」
用紙を受け取った等々力は、満面の笑みで席から立ちあがる。「お時間を取らしてしまい、申し訳ありません。それでは私はこれで!」小走りで出て行こうとするその背中に、マリーは待ったを掛けた。
「ところで、ソレには人数制限とかはあるのか?」
「……いえ、特にありませんが、責任はこちらでは取れませんから……えっと……」
出入り口のところで立ち止まった等々力は、しばしの間思い出すように唸り声をあげると……ああ、と目を見開いた。
「強制はしませんが、原則は学園の生徒たちと協力して行動するようにしてください! いちおう、その方が生存確率とかが上がりますから!」
その言葉を言い残して飛び出して行った等々力。その背中を見送ったマリーはその瞬間、思った。
面倒なやつらに絡まれなかったらいいのになあ……と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます